| 「刑事さん、僕に会いに来てくれたんですか?」 奴はそう言って俺の胸に顔を埋めた。
 俺は当然のようにその肩を抱きしめた…。
 
 
 **********
 
 
 「ちょっと、何自分の世界に入ってるのよ?」
 俺はいつの間にか、思いも寄らぬ程の深い瞑想に入り込んでいたようだ。最近、隙ができるとこうなる。
 「悪い」
 「どうしたの?なんか変よ?」
 同僚の女性刑事が心配そうに俺の顔をのぞき込むが、それは単なる好奇心だ。刑事とはそういう職業だ。
 「あ、出てきた」
 どきん
 心臓が異様に高鳴る。
 奴のマンション前で張り込んでいるのだから、奴が現れるのは当然なのに、
 姿を目にした途端、正視できなくなる。でも奴の一挙手一投足が気になるのだ。いままで容疑者相手にこんなに動揺したことはない。
 「ちゃんと見ててよ?」
 女性刑事が俺に対して注意を促す。
 しかし、奴は迷わず俺に向かって歩み寄ってきた。
 「また来ていたんですか?」
 奴は悪びれもせず、女性刑事には目もくれず、俺に対して微笑んだ。
 「僕の周辺に疑わしい人間がいるんですか?それとも?」
 奴の視線はぶれもせず、真っ直ぐに俺に注がれている。
 「キョウスケが死んで、困っているのは僕らなんです。自殺か他殺かもわからないんですか?情けない…」
 「君に、話を聞きたい」
 やっとのことで言葉を口にした。喉がからからで焼け付くようだ。
 「いくらでも知っていることは話しますよ?」
 相変わらず、奴の視線は俺の上にある。
 「部屋に、来ませんか?僕はずっとあなたを見ていた…訪ねてくれるものと、思っていた。」
 視線を外せない…。
 
 
 
 1DKの室内は質素だった。壁際に立て掛けられたギターケースだけは手入れがされていたが、あとはきちんと片づいているものの、なんとなく生活感が乏しい。売れないミュージシャンはこ
 んなものなのだろうか?まるで自分の部屋を見ているようだ。
 「適当に座ってください」
 そういってキッチンに引っ込んだ奴は盆にグラスを乗せ、茶色い液体を運んできた。
 「大丈夫です、市販の麦茶だから。昨日コンビニで買ったの、見てましたよね?」
 「ああ。」
 「僕が、容疑を掛けられているんですか?」
 俺は逡巡した。
 「ああ。」
 それが、手っ取り早い。
 「やっぱり」
 女性刑事が困惑の表情を浮かべた。
 「アリバイがないから?」
 「それも、ある」
 「あの夜、僕は…キョウスケと食事の約束をしていたんです。でも都合が悪くなった…どうしても人と逢わなければならなくなった…相手は言えません。」
 「言わないと、君の容疑は晴れない。」
 「あなたには、言いたくない」
 「誰なら言えるんだ?」
 奴は俯いた。
 「ミヤコさん、私ならいいのかしら?」
 奴…女性刑事がミヤコと呼んだ男ー宮古優季ーは黙って首を左右に振った。
 「刑事さんには言えない。わかってください、僕らには夢もあるけど現実もある。」
 俺は、言いたくなかった。なかったが、言わざるを得なかった。
 「法に、触れることか?」
 静かに首を左右に振った。
 「わからない。ただ、地位のある人間なんです。だからキョウスケに会うことは不可能ということになるんです、わかってください。」
 地位のある人間…。
 「…男、だな?」
 宮古は声にしないで瞼の上げ下げで肯定を告げてきた。
 そのことで自分が嫉妬を覚え、更に確信をした。
 「被害者との約束が守れないことは、電話で断ったんだよな?」
 「はい。断れない相手だと伝えました。」
 「被害者も相手は知らないのか?」
 「…はい…スポンサーであることしか伝えていません…」
 スポンサー…か。
 「身体の関係があるのか?」
 宮古が顔を上げた。目が怒っていた。
 「答えたくありません」
 「すまない」
 即座に後悔した。宮古の表情が苦渋に満ちていたからだ。
 「被害者に恋人はいないのか?」
 少し考えて
 「いないと思います」
 と、答えた。
 「他の仕事仲間と上手く行っていなかったという事はないか?」
 宮古は首を左右に振った。
 「刑事さん、キョウスケは自分のアパートで死んでたんですよ?キョウスケのアパートを知っている人間は限られてるんです、引っ越したばかりだから。」
 女性刑事…安斎咲枝…は、手帳を取り出すと読み上げた。
 「被害者、棚下京介さんのアパートを知る者は家族を除き五名。仕事仲間の新橋市太さんはファミレスでバイト、中野泰蔵さんは音楽教室のバイト、足立久仁雄さんは弁当屋のバイト、他に小
 学校からの親友は自宅にいたことを近所の主婦数名から証言をもらっています。分からないのは宮古さん、あなただけなんですよ…」
 安斎は手帳を閉じた。
 「…新宿の○×ホテル…そこを僕の名前で予約しました。チェックインも僕がしたので記録があると思います…だけど死亡推定時刻より二時間も前だから、アリバイにはなりません。レストラン
 にもバーにも行ってないし、ルームサービスも使ってません。」
 宮古はため息をつきながら答えた。
 「相手の人しか証言出来ないな」
 ホテルにいたかどうかの証言はなかなかとれない…。
 「宮古優啓…父です。身内だから証人にはなりません。」
 「なぜ、父親なのに名を出すのを渋ったんだ?」
 「…母の、再婚相手です。血の繋がりがありません…政治家だし…」
 あ。宮古優啓…民青党の副代表だ。
 「義父とホテルで何をしていた?」
 「だから、言えません」
 「わかった…安斎、行くぞ。邪魔したな。」
 俺は、ダメもとで宮古優啓を訪ねようと決めた。
 「行っても、あの人は何も言えません。あの人とはホテルで会いましたが、キョウスケの死亡推定時刻には僕は一人だったんです。アリバイなんてありません!」
 宮古は嘘をついている。
 そう、感じた。
 
 **********
 
 宮古優啓の事務所に電話を入れた。
 外出していたが、秘書へ優季に殺人容疑が掛かっていることを告げると、すぐに折り返し電話が入った。
 優季には放浪癖があるので、週に一回、必ず会うようにしているそうだ。
 なぜ母親ではなく義父なのかは、単にその方が都合がいいからだと告げられた。
 「何時から何時までだったか、記録がありますよね?」
 「18時12分から37分までだ。私は忙しいからな。あとは秘書に相手をさせた。」
 相手?
 「その方にお会いできませんか?」
 事務所で会う約束をして電話を切った。
 
 
 「ええ、彼の話し相手をしていました。いつも仕事の話ですね。なかなか売れないから、元首相の孫みたいに先生の名前を出したらどうかとアドバイスもしたのですが、優季さんは賢明です、
 先生に迷惑は掛けたくないと…なら辞めてくれたらいいのですが、それもなかなか難しいみたいで…。このまま自然消滅してくれると助かります。」
 だろうな…と、思う。
 「先生と一緒にお伺いして、21時51分まで滞在しました。」
 約3時間30分、二人きりだったのか…。
 死亡推定時刻は20時から23時。
 アリバイとしては微妙な所だ。
 「私が退出する際、ご友人がいらっしゃいました。その方をあたってみてはいかがですか?」
 友人?
 「大学の同窓生だとおっしゃっていました」
 「大卒なんですか、彼は?」
 「はい。代議士の子息が高卒というわけにはいきませんからね。」
 「その友人を教えていただけますか?」
 「刑事さん、」
 「はい。」
 「優季さんにはいずれ私の下についてもらって秘書から始めてもらいます。刑事さんと同じ世界の人間ではないことを認識していただけますか?」
 「なんのことだか分かりません。」
 「分からないなら、一から説明しましょうか?」
 「いえ、大丈夫です。すみません。」
 秘書は刀根という友人の名を告げた。
 「早く犯人を逮捕してください。」
 
 
 「刀根、ですか?」
 俺は直接優季に話を聞きに来た。
 「義父は、秘書と会っていたと、そう言ったのですか?」
 「ああ」
 「そうですか…」
 暫く、沈黙が続いた。
 「違うのか?」
 「いや、間違いないです。刀根の名前まで出てきたのでちょっとびっくりしただけです。」
 「そいつは何時までいたんだ?」
 「…秘書を追い返すために呼んだのですぐに帰りました。だからアリバイがないんです。」
 その時、刀根に会っている安斎から電話が入った。5分で帰宅したと言ったそうだ。
 「…刑事さん、僕に興味があるんですか?」
 心臓が止まるかと思った。
 「ああ、大いにある。」
 「だったら僕を自由にしてください。そうしたら…考えても良いです。」
 「自由?」
 「…キョウスケの恋人は僕です。」
 な!なんだって?
 「義父に会わなくてはならなくなったので電話をしたらあっさり承諾されて不安でした。彼には別の恋人がいたんです…つまり、僕の独り相撲…悔しかった。」
 「待て」
 「アリバイなんてありません。僕が、キョウスケを…」
 「誰を庇っているんだ?」
 「本当です、僕が…キョウスケを殺しました。」
 ダメだ、分からない。真犯人は誰なんだ?
 「…俺は、正義なんて追求しない。ただ真実だけ、知りたいんだ。」
 「だから、僕が、」
 「なんで証言が変わったんだ?…親父か?」
 優季の表情は変わらなかった。
 「政治家にとって、刑事事件なんてたいした痛手ではないんだ…例え自分で手を下しても、他人に責任を押しつける。」
 「親父なんだな?」
 「僕です。僕を逮捕してください。」
 「…個人的な感情が、拒否しているんだが…それでも庇うんだな?」
 優季が小さく笑った。
 「僕の個人的な感情は無視…ですよね?」
 「最初からそれを聞いているんだろうが…」
 俺は意味もなく髪をかきあげた。
 「義父は、義父じゃなかったんです。母は父と婚姻関係にありながら、義父と通じていた。義父の前妻は自殺のようなものだったそうです。そんな所に母はのうのうと後妻に入った、父を捨て
 て…。だから僕が犯人でいいんです。」
 「でいいんです、ではダメなんだ。わかるだろ?正義はいらない、真実が知りたい。」
 優季の目を、逸らさずにじっと見つめた。
 先に逸らしたのは優季だった。
 「僕からは、言えません。」
 「秘書と、刀根…か?刀根は女だそうだな?さっき安斎が報告してきた。」
 優季は一言も口をきかなくなった。
 「わかったよ」
 俺が観念したと分かると、優季は顔を上げた。
 しかし俺は携帯電話を取り出し、安斎に電話を掛けた。
 「杜田を連れてこい、俺はすぐ行く。」
 杜田は秘書の名だ。
 「刑事さん!」
 その時、電話の向こうで安斎が言った、「宮古優季の当日の行動が分かったわ」と。
 
 
 「刑事さんは覚えていないですよね、キョウスケの住んでいたアパートに泥棒が入ったんです。…その日はキョウスケのアパートに泊まっていたんです。」
 思い出した。
 優季の顔を以前どこかで見たと思ったのは間違いではなかったんだ。
 「…キョウスケと喧嘩したんです、将来のことで。僕は音楽を続ける覚悟でいると言っても信じてくれなくて…。義父から連絡があって…引き留めてもくれくて…突き飛ばしました。転倒したキョウ
 スケをそのままにして出たんです。その後、義父と会って戻ってきたら…」
 「…その証言なら、多分事故で処理されるだろう…書類送検にはなるだろうけどな。」
 優季が潤んだ瞳で顔をあげた。
 「聞きたいことがある。」
 無言で頷いた。
 「キョウスケの恋人だったのは本当か?」
 「いえ」
 寂しそうに笑った。
 「なら…」
 視線が重なる。
 「俺のモノにならないか?」
 
 
 **********
 
 
 「ねーこの二人したのかな?」
 聖は当たり前のように言った。
 「さあ?」
 僕には答えられない…。
 「僕だったらヤるけどな。」
 零も当たり前のように言った。
 「あのさー、二人はもう少し羞恥心とか、遠慮とかしたほうがいいよ。」
 「なんで?家の中なのに?」
 声を揃えて言われてしまった。
 そうだよね、家族なんだからいいたいことが言い合えなきゃ意味がないよね。
 「だけどさ、つい自分に置き換えちゃうじゃないか…架空の人物なんだから…」
 そしたら、聖ったらさも当然といった顔で言うんだ!
 「それが狙いじゃないの?零くん?」
 「うん」
 何をいけしゃーしゃーと…。
 「じゃあ…もしも一緒にいることが…」
 …そうだった、それは公表していたんだった。
 「逆手にとればいいじゃないか。周りからそういう妄想をさせればいい。」
 え?そうなの?
 「まだまだ、陸はおこちゃまだからね。」
 「そーだね」
 えぇっ!聖まで言う?
 今日はショックで頭が真っ白です…。
 
 
 
 <『KYOSUKE』>END
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