星の花束を抱いて外伝3
「パパ、ちょっと出掛けてくる。」
「あぁ、気をつけろよ。」
「うん。」
 もう、子供じゃないから…っていつも言っているのにちっとも分かっちゃいない。
 仕方ないか、4人いた子供が一人になっちゃったんだから。
「あっ、パパ今日は晩御飯までには戻るから、ケーキ買って来るよ。」
 ニッコリと微笑む…パパにじゃないよ。2階で寝ているママに買って来るんだよ。 ママの好きなイチゴのショートケーキ、買って来るからさ。



 それは突然だった。
 昨日の夜までは確かに僕のことだって勿論パパの事だって全然分からなくてお人形のようにただニコニコ笑ってばっかりいる、そんな状態だったのに。
「おはよう」
 そう言ってキッチンに立っているのは紛れも無い…ママだった。
「さっきね、涼に『これが夾』って言われたときどうしようかと思っちゃった。だって背が伸びちゃってて、もう抱っこしてあげられないんだもの。顔は…ちっとも変わっていないのに。」
 返事が出来ない。これが本当の事だとしても…信じられない…。
「ママ…」
 リビングのドアの前に実紅ちゃんが立っていた。だめだよ、そんなに一度に色々な事を頭の中につめこんだらパニック起こしちゃうよ…そう、言いたいのに。
「実紅、裕ちゃんと結婚したんだって?裕ちゃんは優しいから、実紅幸せにしてもらえる…」
 目を細めて懐かしそうな表情を作った。そして実紅ちゃんの大きくなったお腹にそっと手を当てている。
「元気な赤ちゃん、産むのよ。ママが手伝ってあげる、ちゃんと側にいてあげるからね。」
 そして少し視線を落して実紅ちゃんの耳元でそっと囁いた。
「陸…ちゃんは…どうしているの?」
 流石にパパも兄ちゃんと陸ちゃんのことは言えなかったみたいだ。聖がいないのは、気付いていないのだろうか。それとママ、実紅ちゃんも僕ももう知っているよ、陸ちゃんが弟だってこと。
「ママ、ゆっくり教えてあげるから、兎に角病院へ行こう。」
「さっきから涼もそう言っているけど、何で?」
「何故と聞かれても…」
 病気だからとは答え難い。
「そんなに悪い病気なの、私?」
「ううん、そんなにことない・・・大事をとって…だよ。」
 …7年…パパにはきっととてつもなく長い時だっただろう…その時間を全てママの為に差し出してそれが今実を結んだのだろうか?
 実紅ちゃんと話し込んでいるママを見つめながらぼんやりと考えていた、自分が目的を失ったことを。




『そうか…じゃあ会いに行った方がいいかな…』
 電話口で兄ちゃんが困った様にそう言った。
「…会いたくない?正気に戻ったママなんか…」
『そんなことないけど…あ…その…陸のこと…どう説明したら良いのかって思ったらさ…。ちゃんと報告するつもりではいるけどさ…それと聖のことだなぁ…』
「ねぇ、なんで兄ちゃんは聖を引き取ったんだよ?面倒だろう?あんな子供抱え込んで仕事してて…」
 僕は知らなかったんだよ、本当に知らなかったんだ…。
『夾…あのさ…聖は、僕の子なんだ。



 今日1日で、ママじゃなくてもおかしくなるのではないかと思うほど、驚いた。
 ママは…やっぱりおかしいよ。
 陸ちゃんを産んだのも聖を産んだのもママで相手はパパじゃないって…どういうこと?
 だったら…僕の子供も産んでくれるの…なんて馬鹿な事を思ってしまった。
 僕はこの7年、何をしていたのだろう、何を見ていたのだろう…。
 兄ちゃんは逃げたのではなくて解放されたってこと、知らなかった。パパの代わりに兄ちゃんが必死でママを守ってきたなんて知らなかった。
 パパが仕事もせずにママの傍にいるのが不思議で仕方なかった。
 どうしてママはこんなにたくさんの人に愛されるのだろう・・・僕はその子供なのにどうして愛されないのだろう…。
「夾…」
 夜、仕事帰りに家に寄った兄ちゃんが僕の部屋に来た。
「なに?」
「ごめん…知らなくて良い事を口走ったりして…でも、聖は僕の…」
「分かったって…聖、可愛いんだろう?だったらそれでいいと思うよ。僕には理解できないけどさ。ママとセックスするとか陸ちゃんとセックスするとか…考えたくない。でも兄ちゃんはそれを選んだ
んだからさ、いいんじゃない?」
 兄ちゃんが少しムッとしたような顔をした。
「夾…違うよ。確かに僕はあきらちゃんとも陸ともセックスしたけど…あきらちゃんのときは必死だったんだ。どうやってあきらちゃんを元気にしてあげられるか悩んで…だってあきらちゃん僕の事…
涼ちゃんだと思っていたんだから。今なら間違っていた事、分かるのにな…。夾だったらどうした?…って、そっか夾は医者になるんだよな。」
 そう、僕はママのために医者になろうと決心した。ママを元に戻したいって…甘えているのかな?
 僕はそっと兄ちゃんの顔を見た。
「ん?」
「…何でも無い…」
 そうだよね、あの時パパは家族を捨てて外にいて、裕二さんは逃げる様に陸ちゃんを溺愛して…ママが頼れるのは兄ちゃんだけになっていて、中学一年生だった兄ちゃんに何が出来たって言う
んだろう…僕だって実紅ちゃんだっていて…。
「ごめん…兄ちゃん今幸せ?」
「なんだよ、唐突に…うん、幸せだよ。」
「愛されてるんだ、陸ちゃんに。」
「馬鹿…僕は何時だって沢山の人に愛されちゃってるからね。」
 本当に幸せそうに微笑んだ兄ちゃんが羨ましいと思った。
 人間、誰かに愛されて愛することが出来るのって心を豊かにさせるんだね。
 パパはこの7年間愛だけを与え続けてきたからちょっと荒んじゃったのかな?
「夾…あきらちゃんもう大丈夫なのかな?また逆戻りなんてことないのかな?」
「うん…まだわからないけど・・・今日検査してもらった。結果はまだ先なんだけど、とりあえず入院しなくても大丈夫らしいよ。」
「このまま順調にいってくれれば、涼ちゃんも安心だよな。」
「一方通行から解放されるもんね?」
「…なに?その一方通行って…もしかして涼ちゃんの事?」
「うん…違うの?」
「夾は…恋をしたことないんだ…片想いもないの?」
「余計なお世話…」
「だったらあの二人見てて一方通行なんて言っちゃ駄目だって。あきらちゃんはちゃんと涼ちゃんの愛に応えたからこうして元気になっただろ?」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。」
 …わかんないや…
「…夾より陸のほうが大人かもな。」
「なんっ…」
 心外だ…あんなおこちゃまの陸ちゃんより僕の方が子供なんて…うー。




「わー、夾ちゃんこんばんわ。」
 いきなり飛びついてきたのは陸ちゃんだった。
 ドキドキしちゃったことは内緒だぞ…だって陸ちゃんったらそこらへんにいる女の子達より全然綺麗だし、ふわふわだし、くるくると笑うし…何言ってんだ僕は。
「夾、陸は女の子じゃないぞぉ。」
 うぅっ…兄ちゃんは見抜いてる…。
「ど・どうしたの、突然?…ってママに会いに来たのか…」
「うん…ごめんね、悩んだんだけどやっぱり会いたかったから…聖も連れてきたんだよ。」
 僕の足元にからまっていたのは聖だったのか…。
「夾ちゃん、ママに会いたいぃっ。」
「聖、さっき言った事、ちゃんと守ってね?」
 陸ちゃんが聖に何か言い含めてあるらしい、本当に親子の様だ…兄弟なんだけどさ。
「良い子にしてるよ、僕。」
 聖に向かって陸ちゃんが微笑む。あー…きっと兄ちゃんは陸ちゃんのこんなとこに魅かれたんだろうな。とっても優しい笑顔だから。




「零…なの?」
 ママの顔から微笑みが消えた。
「うん…お帰りあきらちゃん…」
 ママは顔をあげようとはしなかった。
 音も立てずにそっと兄ちゃんの足元に近寄った聖がママに向かって微笑んだ。
「ママ…」
「…あれは、夢じゃなかったのね、やっぱり。この子が聖…なのね?さっき涼から聞いたわ。」
 部屋の外でこの様子を見ていた陸ちゃんが突然中に入ってきた。
「…ママ、聖だよ、ママが大事に大事に抱き締めていた聖だよ。
 僕知ってる、病院から帰ってきたママは聖のことずっと抱き締めていた、泣いたってわめいたって決してその手を放さなかった…ママは聖を…僕のために産んでくれたんだもの。」
 ママの瞳からポロポロと涙が零れ落ちた。
「涼…ごめんなさい…私、あなたを裏切って2人も子供を産んでいたのね?」
「ママ?」
 陸ちゃんがそう言ったのと兄ちゃんがママの頬を叩いたのはほとんど同時だった。
「陸と聖を傷つけるような事を言う人はたとえあきらちゃんだってゆるさないから。
 僕は今、2人のために生きている、2人がいるからここにこうしていられるんだ。」
 そう言い切ってくるりと踵を返した。
「いや、零…行かないで…私…」
 陸ちゃんの右の掌がそっと赤くなった頬に触れた。
「僕達、一緒に暮らしています。僕は零を愛しています、ママよりずっと…聖はママにとってやっぱり残したかったものでしょ?ママは零を愛してた。自分の子供を愛していたんだ、だから抱かれた。
でももう駄目だからね、零も聖も僕のものだから…絶対放さない…ママは涼さんと幸せにね。」
 陸ちゃんは聖の手を引いて部屋を後にした。
 その後暫くママは泣いていた。
 …ねぇ、陸ちゃんが言った事、本当?だったら…僕はやっぱり子供だ。




 
ママの病気が奇跡的に回復して、僕は途方に暮れながらも大学に通っていた。
 目的を失ったものの、他に何をしたら良いのか全然思いつかなくって、兎に角自分の約束された場所に行っていただけなのだ。
 僕がしなければいけないことってなんだろう…。
 でも兄ちゃんに『夾は恋したことない』と言われたことが一番こたえたんだ。
 だってそれは事実だから…。
 誰にも愛されないし誰にも必要とされない…自分はそんな存在でしかないと痛感した。



「一人暮らし?」
 パパは意味が分からない…という表情で僕を見つめている。
「まぁ、今までも一人暮らしみたいなもんだったかもしれないな…夾のことは本人がしっかりしているから放っておいても大丈夫だとタカをくくっていた…寂しかったのか?ごめんな」
 しっかり?寂しい?
「違う…僕はしっかりなんかしていないよ。誰にも必要とされないから一人でいるだけ。更に自分を追い込むだけなんだ」

「ちょっと待て。誰にも必要とされないというのは間違ってる。僕は夾がいてくれるから毎日頑張ってこられたんだ。必要とされない人間なんてこの世の中にはいないんだ」
 本当に?
「僕だけを必要として、愛してくれる人が現れるんだろうか…」
 パパは大きく頷いた。

 それなら、もう少し頑張ってみよう。
「あら、夾帰ってたの?ちょうどいいわ、手伝ってくれる?」
「どうしたの?」
 ママが嬉々として働いている。
「零がね、どうしても聖を返してくれないって言うのよ。だから悔しいから零の部屋を聖の部屋に変えちゃうの。」
 兄ちゃんの、部屋…。
「あき、零の部屋、もうないよ。あの子はここから出て行くときに全ての荷物を整理していったから。」
 そうだ、兄ちゃんはこの家にいなかったのように何一つ残さずに出て行った。
「じゃあ、あの部屋、誰の部屋なの?」
「聖の部屋だよ。ずっと聖が使っていた。だけどあの部屋も片付けようと思うんだ。聖は多分、帰ってこない。」
 ママが寂しそうに俯いた。
「そっか。やっぱりこの家には三人しかいないんだね。」
 その時、僕は思い出した。
 ママが病気になる前はこの家には兄ちゃんがいて、実紅ちゃんがいて、僕がいた。パパだって帰ってきていた。まだ小さかった子供たちが朝から晩まで騒いでいた。
 確か、同じ研究室の奴が子犬の貰い手を捜していたはずだ。
 ママが寂しい想いをしなくても済むように、子犬を貰ってこよう。
「大丈夫、ママには夾がいるもの。」
 え?
「涼から聞いたの。夾は私の病気を治したいって言って大学に行っているんだってね。まさか夾が医学部にいるなんて思わなかったの。」
 思わず僕は笑い出してしまった。
「ママ、僕がどこに行っているか気付かなかったんだ。」
「うん…だって誰も教えてくれないし…私の中では夾はまだ小学生なんだもの。」
「そっか。じゃあこれからすこしずつ、僕は大人になっていくよ。」
 僕は、まだまだ子供みたいだからさ。



 犬を飼ったのが先だったか聖が頻繁に家に来るようになったのが先か覚えていないけどママが明るくなった。
 だから僕は家に帰るのが苦痛ではなくなった。
 大学生活は至って平々凡々でたまに呼び出されて手紙を読んで欲しいとか言われたけど、知らない人と手紙のやり取りをするような歳でもないし趣味もないので丁重に断った。それを兄ちゃん
に話したら馬鹿扱いされた。「夾は自ら恋愛のチャンスを逃しているんだ。」と言われて初めて気付いた、彼女達が持っていた手紙はラブレターという代物だったんだ。気付いたときには時既に遅く
、誰にも相手にされなくなっていた。



「加月…ってACTIVEの零と何か関係が有るのかって、妹が聞いて来いって言うんだけど…関係あるの?」
 ある日、同じ研究室の奴にそう聞かれて「兄」と、答えてしまった。
 それが原因で翌日には色紙が山のように持ち込まれるようになった。一躍有名人…という感じだ。
 色紙を持ってくる連中の中には「零と陸って幼馴染ってことでしょ?だったら加月君と陸も幼馴染?」とズケズケ聞いてくる女の子もいた。
 兄ちゃんと陸ちゃんのことを呼び捨てにされるのにも腹が立ったけど、僕に陸ちゃんのことを聞いてくるのが気に入らなかった。
 だから陸ちゃんに関しては仲が悪かったで通した。
 なんとなく兄ちゃんが隠したがる気持ちが分かった。
 陸ちゃんは短気だしね。
 …これ、兄ちゃん知ってるかな?



「あっ、夾ちゃんおかえりなさい」
 誰かが言い出したんだ、陸ちゃんは犬嫌いだと。だから陸ちゃんが来る日は犬は二階の僕の部屋のゲージに入れられている。
「今日は休み?」
「うん。聖がママのところに来たがるから監視役を買って出たんだ。ママに聖を取られたくないからね。」
「そんなに聖のこと好きなの?」
「うん、大好き。」
 そう言った陸ちゃんの横顔は今まで見せていた女の子っぽい表情でもなく、男の子っぽい優しいものでもなく、何もかも知り尽くしたかのような毅然とした大人の男そのものだった。
 陸ちゃんには色々な顔がある。今まで一緒に過ごしていて、僕にはそれが見抜けなかった。
「兄ちゃんか聖かどっちか選べって言ったらどうする?」
 すると、陸ちゃんはとっても悲しそうな目で僕を見た。
「ねぇ、夾ちゃん。学校の勉強も大切だと思うけど、もっと他にも興味を持ってみてよ。僕は零が好き、聖が好き、音楽が好き、仲間が好き、ケーキも好きだしお寿司も好き、夾ちゃんも大好き。
だから優劣なんて付けられない。…ただ…」
 恥じらいながら目元をピンクに染めて俯いた顔は、可憐な少女のようだった。
「一緒に…ずっと僕のそばにいて欲しいって、そう思うのは零だけ。」
 一緒に…ずっとそばにいて欲しい…そんな人がいる。
「羨ましいな」
「えっ?」
「陸ちゃんにそんなことを言わせる、兄ちゃんが羨ましい。」
 どうしたら僕は人を愛せるようになれるんだろう…。
「僕は、まだ恋を知らないって、この間兄ちゃんに言われた。」
「それはもったいないよ、絶対に。夾ちゃんは前ばっかり見て歩いているからいけないんだよ。たまには立ち止まったり、後ろを振り返ったりしないと、折角夾ちゃんの周りにある風景を見逃してし
まっているんだよ。春の風や夏の匂い、秋の音に冬の色。みんな違うから。」
 陸ちゃんが微笑む。
 その晩、僕は自分の部屋で初めてACTIVEのCDを聴いた。涙が零れた。
 兄ちゃんはこんな声で歌うんだ。
 陸ちゃんはこんな音を出すんだ。
 新しい発見だった。
 そしてふと、歌詞カードを見るとそこには陸ちゃんの名前が記されていた。
 僕の胸をキリキリと痛い思いにさせたのは、陸ちゃんの心が綴られた言葉だった。
 数字の羅列やアルファベットの名称ばかりを見てきた僕には、大きな衝撃だった。



 ある晩、パパとママがリビングで話をしているのを偶然耳にした。
「零と陸って…身体の関係があるのね。この間、零に聞けないから陸に聞いたの。そうしたら零が物凄く怒ってね、私の目の前でペッティングを始めるの。陸ったらそれで失神しちゃったんだか
ら…なんだか私どうしたらいいのか分からなくなっちゃった。」
 身体の…関係。
「零ももう21歳だから。ちゃんと分かっているんだと信じてはいる…。でもあきらにこんなこというのは酷だけど、芸能界には結構多いんだ。裕二さんは良く男性に誘われていた。受けていたかど
うかは知らないけど。」
 裕二さんが誘われる?
 僕は頭の中が混乱してきた。
 男性が、男性とセックスするって普通のことだったのか?
 だけど裕二さんはどちらかといったら美人系だし、陸はママに似てるけどやっぱり裕二さんの息子だから美人系で…誘われる?
 誘ったら、男性でも抱かれる人種がいるのかな?
 僕は…誘われたら抱かれるのかな?
 どうやって?
 僕はパパとママに気付かれないように自室に戻ると、パソコンを起動して急いで調べた。
『男性同士のセックスの方法』
で検索したけど詳しい方法が出てこない。
 色々検索ワードを変えて分かったことは、アナルを使うか、素股という太腿の間にペニスをはさんでするというものがあるらしい。
 でも…どっちも、怖い。僕は受け入れられない。
 だけど。本当に、死ぬほど好きになった相手がもしも男性だったら…抱かれても、いいと思うのかもしれない。



 しばらくの間は学業が忙しくて、愛だ恋だセックスだなんて全く考える暇がなかったし、陸ちゃんに会うこともなかったから平々凡々と時間が過ぎていった。
 なのに。
 ある日突然、兄ちゃんから電話がきた。
 陸ちゃんが二十歳になるから結婚するという。
 男性同士の結婚なんて勿論今の日本では認められていない。
「いいんだ、敵を減らすためだから」
 兄ちゃんはそう言った。
 その言葉が妙に引っ掛かった。子供の時から両親より誰より、兄ちゃんを慕い尊敬して生きてきた。兄ちゃんみたいになりたいと、兄ちゃんみたいに堂々と生きていけたらいいと思っていた。
 その人が愛した人は男性だった。血の繋がった弟だった。
 それに対して僕が抱いたのは嫌悪ではなく憎悪だった。
 僕から最初にママを奪い、兄ちゃんを奪い、聖を奪って行ったのは紛れもなく野原 陸。
 だけど僕の憎悪の対象は何故か兄ちゃんだった。





「零ちゃん、話があるんだ。」
 僕の気持ちは誰にも言えない。ずっと胸にしまっておこう。そう思っていたのに。
 陸ちゃんが突然、都竹くんと僕を付き合わせようと企んでいる事に気付いてしまった。なんだか情けなくなった。
 都竹くんが同級生でクラスメートだったからってどうしてそういう展開になるのかが分からなくって、だんだん腹が立ってきた。
 絶好のタイミングで零ちゃんにトラブルが発生した。僕はそのタイミングを利用した。
 長い、長い片思いに終止符を打つ。
 長いって言ったって一体全体、いつから陸ちゃんを想っていたのかさえ、全然分からないうちに好きになっていた。
 もしかしたら僕は陸ちゃんしか見ていなかったのかもしれない。
 二人の暮らすマンションに、陸ちゃんが眠っている、陸ちゃんを抱いたベッドの横に座らされた。
「嫌がらせ?」
 零ちゃんはニコリともしなかった。
「このベッドで、陸を抱いたのか?」
「そうだよ。」
「もう、兄とは呼んでくれないんだな。実紅と同じだ。」
 実紅ちゃんは陸ちゃんが好きだから、零ちゃんを兄とは呼べなかった。
「…好き…なんだ。陸ちゃんが好きなんだ。」
「それは夾のエゴじゃないのか?僕だって陸が好きだった。ずっとずっと、好きだった。だけど封印した。何でか分かるか?世間で認められることではないからだ。陸が後ろ指を指されて生きていくこと
を支えることが出来ない自分が告白したって何にもならない。だったら黙って見守っていてあげようと決心した。陸が一歩踏み出してくれたから同じ職場で陸を守れると確信が持てたから、だから二
人で堕ちていこうと決心した。…夾は、堕ちたら駄目なんだ。日向を歩いて欲しい。」
「だけど!!」
 僕は陸ちゃんを犯した。騙して犯したんだ。責任を取らなきゃいけない。
「ちゃんと言うよ、僕は陸ちゃんが欲しい。」
 零ちゃんが大きく溜め息をついた。
「陸がそう言ったのか?」
「零ちゃんに話して譲ってもらうとは言ってある。」
「陸は犬か?譲るって何を考えているんだよ。」
 僕は内心、敗北を感じ取っていた。それでもなんとか頑張っていられたのは、陸ちゃんが目覚めた気配があったからだ。陸ちゃんには最後まで僕が君を愛していることを分かって欲しかった。
「陸ちゃんは僕に抱かれることちゃんと承知したんだ。こんなボロボロにしたのは零ちゃんだろ?見ていられない、僕が…」
「どこへ連れていく気だ?家はじいちゃんばあちゃんが反対するぞ。大体お前に陸は養えないじゃないか、収入もまだ最低4年はないんだろう?」
 分かっているよ。僕は親のすねかじりで、まだまだ子供だってこと。
「零ちゃんに勝てるなんて最初から思ってない。だから弱味につけこんだんだ。正気になったら陸ちゃんは零ちゃんを選ぶに決まっているから犯したんだ。結果的には実紅ちゃんと何も変わらない。
実紅ちゃんに陸ちゃんの子供を生ませなかったのは僕の嫉妬だよ。あの頃から自覚しない恋愛感情を持っていたみたいだ。」
 陸ちゃんの顔を見た。
「僕のせいで痛い思いをさせたね、ごめん。」
 陸ちゃんはゆっくり目を開けた。
「零。僕はやっぱり夾ちゃんの言う通り、零を選ぶ。だけど夾ちゃんと寝たことを後悔していない事は分かってほしい。」
 陸ちゃんが身体を僕に向ける。
「夾ちゃん、僕のこと、好きになってくれてありがとう。だけど僕はこれまでも、これからもずっと零だけを見て生きて行きたいって、今回のことでよく分かった。零が僕のこと、いっぱい愛してくれてい
ることも、分かっていたけど身体で思い知らされたし、夾ちゃんと愛の無いセックスしても僕の身体はちゃんと反応するんだってことも分かった。だけどね…あのとき…強姦されたときは感じるとか善
がるとか、そんな感覚は無かった。本当に嫌で嫌で仕方なくって、早く終わって欲しくて、僕は何も感じなかった。」
 零ちゃんはもう、陸ちゃんしか見ていなかった。
「ごめん、つらいこと思い出させて、ごめん…」
「ううん…だけど、夾ちゃんのことは大好きだから。もう一回って良い雰囲気で誘われたら拒める勇気は無いんだ、これも断っておくね。」
 零ちゃんの肩が確実に拒否反応を示す動きをした。
「陸ちゃん、僕にはもうそんな勇気は無いよ。」
 僕は、負けたんだ。
「今度こそ、ちゃんと失恋したから、先に進める。ありがとう、陸ちゃん。」
 僕は席を立った。そして部屋を出た。振り返らずに玄関へ向かい、靴を履いた。
「夾」
 零ちゃんが追ってきた。
「僕さ、二人がセックスしているところ、覗いたことがあるんだ。陸ちゃんの欲情した顔、兄ちゃんの上に跨り腰を淫らに振る肢体、突き上げる兄ちゃんのエロチックな腰つき、…羨ましいと、思ったんだ。
いつか、欲しい。陸ちゃんのあの顔を自分のものにしたい、兄ちゃんを越えたいって初めて願ったんだ。」
「兄ちゃん」
「零で、いい」
 零ちゃんの腕が僕を抱き寄せた。
「夾の目指すところへちゃんと行き着いて欲しい。それから、正々堂々と戦いたい。それまでは僕が陸を独占する、いいだろう?」
 僕は曖昧に笑った。
「聖も、ライバルだからな。」
 え?
「加月の人間は陸に弱いらしい。」
 耳元で、そう囁かれた。



 やばいっ。
 また、兄ちゃん信仰が始まりそうだ。
 やっぱり零ちゃんはカッコいい。僕の憧れだ。
 待っていて、いつか零ちゃんに追いつく。そして今度こそ、僕もライバルとしての名乗りを上げたい。
 何故と聞かれても…それが恋だから。



                                                                                                             <何故と聞かれても・・・>END