―十周年スペシャル―
新入社員
 随分前の記憶だ、多分違うだろう。
 そんな風に高をくくっていたら向こうから声を掛けてきた、やはり記憶違いではないようだ。
「高城彩都(たかぎあやと)です」
 言うと九十度に身体を折り曲げて挨拶をした。
「…お久しぶりです」
「やっぱりそうか。多寡斗(たかと)の同級生の高城くん?」
 弟の多寡斗は名前の響きがなんとなく似ているという少年と転校初日、仲良くなったと喜々として言ったものだ。
「はい。その節はお世話になりました」
 にっこり笑うと当時の面影がある。
「小学生だったから…十三年…かな?」
「そんなになるんですね…」
「多寡斗が中学一年で死んですぐに引っ越したからな」
 多寡斗は通学途中にトラックに牽かれて死んだ。両親は多寡斗の思い出が詰まった家には居たくないと、父の実家へ居候したのだ。
「あの家に、戻られたそうですね。風の便りで聞きました。」
「俺一人だけな。」
 祖父母が相次いで他界し、すっかり塞ぎ込んだ両親を置いて逃げたのは通勤の便利さも手伝った。
「今夜、時間あるか?」
「はい」
 そう言ってとりあえず別れた。
 高城彩都は隣の部署…営業二課に配属された新人だ。
 うちにもベビーフェースの頼りがいがなさそうなタイプの新人がひとり、ぼーっとつっ立っている。
「ぁ…」
 消え入りそうな声で何かを言っている。
「まず、名前と用件」
「は、はい…本日から配属になりました、…」
 …ものになるだろうか…不安だ。


 今日は定時で終わり、新人の歓迎会は来週早々に一課二課合同で行う、と決まった。
「多寡斗が生きていたら今年就職か、早いなぁ。」
 素直に思ったことを口にしたのだが、彩都は気にしていた。
 居酒屋の隅を確保して二人で向かいあって座っていたのだが、ビールをテーブルに置くと彩都は胡座から正座に座り直した。
「すみません、僕のせいでつらいことを思い出させてしまいました…気付かなくて…僕は真砂斗(まさと)さんに会えて懐かしくて…」
 膝の上に置いた両手に涙がぼたぼたと落ちた。
「ばかだなあ、いやだったら誘わないさ。多寡斗が死んで十年だぞ、いい加減感傷的な気持ちはなくなったさ。」
 七つ年下の弟が可愛いと思っていたのは事実だが既に思い出と化している。
「高城くんは泣き上戸なのか?」
 ふるふると頭を振る。
「真砂斗さんに会えて嬉しかったからかもしれません」
「なら、うちで飲み直すか?いくら泣いてもいいぜ。」
 彩都は満面の笑みで頷いた。
 なんだか多寡斗が生きていたらこんな感じだろうかと考えていた。
 会計を済ませて駅へ向かった。


「葬式以来です、多寡斗の仏壇に手を合わせるのは。」
 涙でぐしょぐしょな顔のまま、彩都は多寡斗の仏壇の前に座っている。
「そうだよな、家が越したからなぁ。だけど仏壇は置きっぱなしだったんだ、ここに。位牌だけ連れて行ったんだけど、俺の机の中だぜ。それよりさ、顔洗ってきたら?」
 両親は異常なほど多寡斗のことを一日も早く忘れたがっていた。
 仏間…元多寡斗の部屋だが…を後にして居間へ移動した。
 顔を洗ってさっぱりすると笑顔を取り戻した。
「なんでしょうかね、やたらと多寡斗の顔が浮かんじゃいました。」
 多寡斗は、成仏していないのかもしれない、想いを残して世を去ったから。
 多寡斗の死後、部屋の中から隠すように仕舞ってあった日記帳を見つけたのは父だった。
 鍵を開けてくれと頼まれ、試行錯誤の末にマイナスドライバー一本で開いた、意外と安直な敵を倒してご満悦の真砂斗は一番最初に中身を見てしまった。
 この内容は、誰にも見せられないと判断した真砂斗は、再び鍵を閉めようと必死に格闘したが運悪く父が早くに職場から帰ってきた。
 早々に取り上げられ、両親は呆然としていた。

 彩都を愛してる

 その一行のみ、記された日記帳。
 それ以上書くことが出来ずにいた多寡斗の想いの深さ。
 彩都に会いたかったのだろう。
 これで、成仏してくれ。
「真砂斗さん、飲みましょう!」
 彩都は酒豪らしい。
「明日に差し障りがあるから飲み倒すのは金曜だからな。」
 そう言ったのに朝目覚めた時には出勤ギリギリの時間だった。
「久しぶりに高城くんに会えて喜んでいたのかもな」
 通勤電車の中で彩都にさりげなく振ったつもりだったのだが、彩都から返答は無かった。
「明後日、店ではなく真砂斗さんの家がいいです。帰りを気にしないで朝まで飲みまくりませんか?」
「いいねー」
 何年か前に数回顔を合わせただけの二人は、多寡斗を介して旧知の仲になったようだ。
「多寡斗がいたら、怒られそうな会話してるな。」
 彩都は真砂斗の言葉に大きく表情を歪ませていた。
「多寡斗の供養も兼ねて…」
 真砂斗は気付いた。多寡斗が彩都を引き寄せているんだと。
 金曜が待ち遠しかった。当日は時間が経つのが遅く感じられた。こんなに気持ちが浮き立つのは、多寡斗が生きていた頃以来だ。
 多寡斗が生きていたときは毎日、その時が来るのが楽しみだった。
 彩都とは自宅のある駅前にあるスーパーで待ち合わせた。食材を買い込むのだ。
「真砂斗さん!」
 満面の笑みで彩都は店先で手を振る。
 ビールを筆頭に焼酎、泡盛と次々にかごに放り込む。
「日本酒はこの間新潟へ出張に行ったときに土産で買ってきたのがまだ開けてないんだ。」
 真砂斗は何か祝い事があったら開けようと狙っていたのだ。
 つまみは冷凍のポテトフライにピザ、野菜をしこたま買って炒め物とナムルにしようかと話し合う。
「フランスパン買ってガーリックトーストにしましょう」
 彩都もなんだか浮き足立っているようだ。
 やはり真砂斗は彩都を多寡斗と重ねて見ているようだ。一挙手一投足、言動のひとつひとつを多寡斗だったら…と思っている。



 かなり飲んで心地よい酔いがまわってきた頃だった。
「真砂斗さん、僕、多寡斗と寝たことあるんです。多寡斗も僕も…片思いの人がいたから…」
 それだけ言うと彩都はすやすやと寝息をたてて眠ってしまった。
 多寡斗と彩都が寝た?
 叩き起こして聞き出そうかと思ったが止めた。
 聞き出してどうなるというのか…
 多寡斗の片思いの相手は彩都だったのだから想いを遂げて逝ったことになる。
 規則正しい寝息を聞いているうちに苛々してきた。愛されて身体を重ねたのだと自覚しているのだろうか。
 その時、彩都の放った言葉が甦った。確か『互いに片思いの相手がいた』と言った。
 多寡斗は彩都に愛されていなかった。しかも想いを告げずに身体を重ねたのか?
 わからない。
 その晩、真砂斗はいくら飲んでもその考えが頭から離れず、酔うことも眠ることも出来ずに朝を迎えた。


「僕、真砂斗さんのベッドを占領して寝てたんですね?すみません。」
 翌朝、目覚めた彩都が恐縮して起きてきた。
「いや、それは構わないんだけど…聞きたいことがあるんだ、とりあえずシャワー浴びてこいよ。」
 まだ頭がはっきりしていないような彩都に問い詰めても明確な回答は得られないだろうから、まずしっかり目覚めさせてからと考えた。
 朝食の準備をして、彩都を待つ。
 ふと、自分は多寡斗に何を求めていたのかを考えた。
 彩都を問い詰めて何になるのだろうかと。
 多寡斗の想いを解放してやらないといけない、それが最重要課題だ。
「何笑っているんですか?」
 彩都が風呂から上がってきた。
 パンツにTシャツという姿だ。真砂斗は思わず視線のもって行き場に困り、俯いた。
「多寡斗の好きな人はあなたでした。」
 彩都の声に顔を上げた。
「毎晩、アプローチしているのに気付いてくれないと嘆いていました。」
 目の前に彩都の顔があった。
「多寡斗の口から出る言葉は真砂斗さんばかりだ。」
 彩都の瞳に怒りが宿る。
「僕は嫉妬した…。今、真砂斗さんは僕に多寡斗を重ねていたのではないですか?」
 彩都の唇が真砂斗のそれに重なる。
 深く、深く。
 彩都の両腕は真砂斗を抱きしめる。
「死んでも尚、多寡斗を想うのですか?」
 真砂斗は頭痛がしていた。二日酔いと違えるほど。
「多寡斗は、弟だ。そんな…」
 多寡斗が俺を?真砂斗は彩都の言葉を反芻した。
「ならどうして多寡斗は毎晩真砂斗さんと寝たと思ってたんですか?」
「ちが…」
 そんな、事実とは違う。しかし言葉が出てこなかった。
「いい加減もう忘れたと思っていたのに…まだ多寡斗に嫉妬し続けなければいけないんですか?」
 強く真砂斗の身体を抱きしめる。
「僕を利用してもいいです、本当の真砂斗さんを取り戻してください」
 本当の自分…?
「多寡斗が俺を好きだなんて嘘だ。あの子は…」
 多寡斗の口から聞いたわけではない。彩都に本当の気持ちを伝えていたのだろうか?
 では、あの日記は何だったのだろうか?
 分からない。
 真実はどこにるあのだろうか?
「多寡斗は、子供だったから何か勘違いしていたのじゃ…え?」
 動揺していて頭の中での処理能力が極端に低下している。彩都が言った言葉をやっと今処理した。
「君は何に嫉妬…んっ」
 二度目の接吻だったと、初めて自覚する。先ほどのはやはり動揺していてなんだか分からなかったのだ。
 彩都の肩を掴むとその身体を引き剥がし、しっかりと瞳を覗き込んだ。
「ちゃんと、話してくれないか?君が知っている多寡斗のことを。」


 あれは中学の入学式でした。
 担任の長い話に退屈してきた頃、僕の前の席にいた多寡斗からメモが渡されたんです。

 男同士でするセックスってやり方わかるか?

 僕は当時奥手で、セックス自体意味が分からなかったんです。
 それを多寡斗に伝えました。

 兄ちゃんに教えてもらったから教えてやる

という返事がきました。
 始業式のあと、二人で僕の家に帰ると部屋に鍵を掛けて裸になったんです。
 裸になってやることがどんなことか、全く想像が付かない僕に、多寡斗は鞄から潤滑剤を出てきて、あなたからもらったと自慢し、多寡斗のアナルに自ら塗り込
めたんです。
「小学校の卒業式に教えてもらった。綺麗に洗ったから大丈夫、指で解して。」
 四つん這いになってお尻を僕に向け、真っ赤な顔して誘うんです。
 最初は一本でもキツかったけどペニスをいじったり大きく息を吐いたりして多寡斗は必死に協力してくれました。
 やがて指が三本まで入るようになり、多寡斗の息づかいが艶っぽくなっていくのが僕にもわかりました。
 僕の下半身も疼いてきて、腰が揺れてしまったんです。
「彩都の、おっきくなってる?」
 なにを指しているのかわかりません。
「ちんちん…」
 消え入るような小さな声で告げました。
「それ、ここに挿れて…」
「無理、入らないよ」
「大丈夫」
 僕は恐る恐る先端を入り口にあてがいました。
 少し力を入れて押し込んだのですが、弾き返されました。
「無理無理」
 あわてて腰を引きました。
 すると僕は多寡斗に押し倒されたのです。
 僕の上に馬乗りになると、多寡斗は腰を落とし、僕のペニスをアナルに挿入しました、一気に。
「あーっ、痛いーっ」
 悲鳴でした。
「多寡斗、どけよ」
「イヤだ、最後までするんだ!」
言うとゆっくりと腰を動かし始めました。
「いっ」
 僕の胸に手を着き、上下に動かすのです。
 僕は気持ち良すぎてすぐに達してしまい、多寡斗の中に大量に放出しました。そのせいで多寡斗の中はぐちゃぐちゃになり、滑りがよくなったようです。段々声音に変
化が出てきました。
「彩都、気持ちいい?」
「うん、凄く」
「良かった」
 多寡斗はやっと身体を放しました。
「ごめん、嘘なんだ。」
 多寡斗は今が初めてのセックスだったこと、あなたが好きだということを告白したのです。
「兄ちゃんとセックスしたいんだ、そしたら死んでも良い」
 好きな人とセックスしたいんだ…気持ち良いからかな?と、思ったことを朧気に覚えています。
「普通兄弟でセックスはしないよ」
 言いながら男女じゃないから妊娠はしないだろうと考え、なら男同士でセックスできるなら兄弟でも構わないだろうと頭の中で結論を出しましたが多寡斗には言いませ
んでした。
「…彩都となら兄ちゃんセックスするかな?」
 少し考えて「多寡斗よりは確率高いけど不可能だよ」と答えたのです。なんと残酷な答えでしょう。
 多寡斗は早熟で早くから恋愛やセックスの話をしていましたが僕はさっきも言ったとおり男女の営みも知らなかったのですから、セックスはもちろん男女交際も考えて
いませんでした。だから同性愛もピンとは来ませんでした。
 ただ…真砂斗さんが多寡斗とこんな行為をするのかと考えたら胸がムカムカして多寡斗に意地悪しか言わなかったんです。
「彩都にはわかんねーよ、兄ちゃんと普段一緒にいねーから。カッコ良いんだ、兄ちゃん…カッコ良くて頭良くてスポーツ万能で優しくて何でも出来る…好きなんだ。」
 僕にはそれを否定する言葉はありません、全く同様のことを思っていたからです。
 それから多寡斗が事故で逝くまでの三ヶ月間、毎日真砂斗さんの魅力について教え込まれました。
 多寡斗は知っていたのかもしれません、自分の命が短いことを。



「さっき多寡斗の部屋で多寡斗の声を聞いたんだ。」
 言うと真砂斗は彩都を抱きしめた。
「素っ裸にして身体の隅から隅まで舐めまわし、ひーひー泣かせて…」
 涙がこぼれる。
「今言ったことは…君に抱いている現在進行形の思いだ。」
 多寡斗の身代わり。
 やっと見つけた。

「真砂斗さんがしたいなら…」
 彩都の思いも多分身代わり。
 幻が目の前に現れたことの、錯覚。
 抜け出すことの出来ない迷路。


おわり