―何かやりたいことはあるのか?―
 允巳は父に聞かれて返答に窮した。やりたいことなどない。
 大学の先輩が大学生活の片手間に立ち上げた小さなプロダクションを手伝い、アーティストの発掘を手がけた。
 大手プロダクションのような大々的なプロモーションは出来ないが、音楽的な実力はさておき、容姿に関しては允巳の目に狂いはなかった。モデル並の男性アーティストが少しずつ脚光を浴びている。
 今、口説いている男は公私ともに脈がありそうだ。
 そんなとき、「エステ業界に進出しようと思うのだが、お前に一任したい」と言われた。
 エステに興味があったのではない、新規事業を一から任されることに興味があった。
 それに他人を綺麗にして自信を持たせるということには少しだけ自信があったのだ。


 允巳は新卒の最終面接会場に無理矢理入れてもらった。片腕になりそうな人物がいるかどうか確認したかったのだ。
 既存の社員はエステとは無縁だ。今後スタッフは募集するが将来経営陣として共に闘える人材を確かめたかったのだ。ダメなら来年でも良い、そんな気楽な気持ちだった。
 ―次は、逆囲篤基…か―
 カクカクと四角い文字の多い名前だ…なんてことを思いながら、彼が入ってくるのを待った。
 ドアが開いて、彼が姿を現した。
 視線が釘付けになる。
 こんな衝撃はいままでにない。今までにないが、何が自分のアンテナに掛かったのかは分からない。
「逆囲篤基です。宜しくお願いします」
 腹の底に響く低く通る声。
 部屋を出るまで、目が離せなかった。
 あとから思い返しても何がそんなに衝撃的だったのかわからない。
 だから尚更、気になったのだ。
 お陰で本人に加え、以降の面接者は何を話したか、全く覚えていなかった。


「允巳のお陰で、まさきも無事軌道に乗ったし、これでうちも暫く安泰だ。助かったよ。」
 先輩の手伝いに一区切りをつけ、父親の会社に入社を決めた。運良く手がけていた最後のアーティストー七瀬まさきーが、時代の波に乗りヒットしてくれたので、上手く抜け出すことが出来た。
 ただ一つの失敗はまさきに手を出したことだ。
 しかし手伝いを辞めることで公の関係は切れる。これからはプライベートで会うことが可能だ。
「今度は父の会社でエステ業界に進出します。またプロデュース業ですけどね。」
 その前に、新入社員として営業職に就くのだが、不安はなかった。


「嵩羽師、成績は良いんだが、よくない噂が出てるぞ。」
「先方の女性社員を片っ端から口説いてるーってヤツですか?口説いてはいないですよ?ただ美辞麗句を並べているだけです。交渉を有利に運ぶために使えるモノは全て使います。安心してください、噂だけで身体の関係はありませんから。」
 いけしゃあしゃあとそんな事を言う、入社二年目。既に允巳の名は社内で知れ渡っていたー出来る新入社員ーとして。
 嵩羽師は母方の苗字。本名は長柄(ながら)だ。
 允巳が社長の息子だというのはごく一部の人間しか知らない。
 既にエステ部門は作られ、允巳は長柄允巳として副社長職をつとめていた。
 営業では嵩羽師、エステでは副社長と呼ばれていたので気付く人も少なかった。


「そろそろ営業の仕事はいいだろう?エステの方に本腰を入れてみないか?」
 入社して二年が過ぎたとき、父親に言われた。
「エステは良いけど、そっちはどうなってるんだ?」
「エステが軌道に乗ったら縮小する。」
 ―縮小したら篤基はどうなるんだ。―
 二年間、特別仲良くしたわけではない。同期といえどもライバルだ。
 成績は允巳ととんとん。篤基はとことん営業畑の人間だった。
 いつも真面目で仕事第一。未だに取引先との付き合いを大事にする営業マンは貴重な存在だ。
 毎日顔を会わせても篤基から声を掛けてくることは皆無だ。毎回允巳が話しかける。いい加減にネタも尽きてきた。
「あと半年、待ってくれないかな?」
 その間に、エステを大きくする。


 ザーザーと激しい水しぶきをあげ、シャワーヘッドから湯が注がれる。
 その下でびしょ濡れになりながら互いの唇を貪り合う男が二人。
「まさき…んっ」
 息を継ぐことも出来ないくらい、延々と続く口付け。
 まさきの腕が、允巳の腰を抱く。
 欲望が擦れ合い、重量を増す。
 先端からは蜜が溢れていた。
「允巳さんは欲張りだな」
 バスタブに腰を下ろすと、身体を支えられる。首に腕を回し、挿入されるのを待つ。
「はや…くっ」
 不安定な場所で毎回困難を要するのだが、允巳の好きな体位だ。
 十分な硬度と角度で、まさきは允巳の中に己を打ち込んだ。
「あっ…」
 入れられた瞬間、快感が全身を貫く。
 これが、篤基のモノだったら、どんな快感があるのだろうか?毎回、心の奥底で思う。
 まさきは細腰の割に力があり、両腕で軽々と允巳の脚を持ち上げた。
 允巳はまさきの首にしっかりとしがみつき、まさきに激しく身体を揺さぶられた。
「あんっ、あ…んんっ」
 息も絶え絶えになるほど、射精し、された。
 バスルームから出るとベッドの上で再び身体を繋ぐ。
 まさきとの逢瀬は大抵セックス三昧だった。
「允巳さん、最近積極的ですよね?ストレスですか?」
 声も出せずにただ力なく睨むのが精一杯の抵抗だった。
「じゃあ、好きな人ができた。あたり?」
 好きな人?
 ふるふると首を振る。
「殺してやりたいくらい、憎い…」
「ふーん」
 まさきは意味深に頷いた。


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「篤基?」
「皐月?…なんで?」
「それは…こっちのセリフだわっ」
 わーっ、と泣きながら皐月ー姉ーが部屋を出ていった。
 篤基はボーイフレンドとの逢瀬の最中…つまり、ボーイフレンド宅でセックスをしていたのだ。
 そこにやってきたのが、二卵生双生児として生まれた、姉の皐月だ。
「どういうことか、説明してくれ」
 篤基はボーイフレンドに理由説明を求めた。


「つまり、皐月と付き合ってるのにも関わらず、俺に一目惚れしたーそういうことかー皐月が姉だとは知らなかったんだな?」
 ボーイフレンドがついた唯一の嘘は皐月と篤基が姉弟だとは知らなかったという部分。
 ボーイフレンドは知っていたのだ。知っていながら篤基に対して恋情を抱いた。
「なら…仕方ないな…でも俺は身を引くからな。」
 篤基はあっさりと恋人の座を手放した。
 実は皐月は知らないのだが、皐月のボーイフレンドを寝取ったのはこれで三度目だ。
 一度目と二度目はセックスの後に篤基が気付いて慌てて問い詰め皐月に内緒で別れた。
 今回で三回目…気を付けねばと思いつつも、男の趣味だけは同じなのだ。
 物心ついてから、好きになるのはタレントも、近所に住む年上の青年もずっと同じだった。
 ある時、幼稚園で好きな人を告白しあった。
「八間田(やまだ)先生」
と、皐月と篤基は声を揃えて答えた。八間田先生はアルバイトの男子大学生だった。
 すると、クラスメートから
「あつきくん、男の子なのに八間田先生が好きなんて変だよ〜」
と言われ、篤基はショックを受けた。皐月と同じ人を好きになるのは変なことなのだと…。
 小学生の間は変なことは言わないようにした。好きな人はたとえタレントでも名を口にしなかった。なぜなら相変わらず皐月と同じ人だったからだ。
 中学生になり、初めて自分が同性愛者という部類に入ることを悟った。気が楽になった。でも誰にも言わないでおこうと思った。
 高校生になり、告白されて付き合い、初めてセックスをした相手は皐月の片思いの相手だった。それが何人か続いたのだ。なぜか皐月が好きになる男は篤基に惹かれていく。
 最初は皐月も気付かなかった。しかし年齢を重ね、次第に大人の恋愛へと進んだ皐月は、今までの片思いの相手が篤基に惹かれていった事実を知った。
 二人は段々離れていき、皐月は地元の大学、篤基は東京の大学へと進学し完全に疎遠になった。
 なのに…。
 久しぶりに帰省して、立ち寄ったコンビニでナンパされ、ホテルに行った相手は皐月の恋人だった。
 東京の喫茶店でナンパされた相手も同様に出張で来ていた皐月の彼氏だった。
 近くても、遠くても、双子の運命は呪われたように重なっていく…。


「皐月」
「ん?」
「俺さ、一人で生きていく。親父の会社は皐月が結婚して継いだらいいよ。どうせ俺は結婚できないし…もう皐月の彼氏を寝取らないように、男遊びも止めるよ。次は真剣に探して真剣に付き合う。その時は皐月もしっかりチェックしてよ。」
 皐月は篤基も傷ついていたことに気付いた。
「篤基、私もさ、男を見る目がなかったと反省しているんだ。今度付き合うときはちゃんと篤基に紹介する。だからお父さんの会社、継いであげてよ。」
 篤基は首を縦に振らなかった。
「俺はこれ以上、親父の世話にならないで生きていく。親父を越えられるよう、頑張るよ。」
 そして、二人は別々の道を歩き始めた。


「参ったよなぁ。全然決まらないよなぁ。」
 篤基が受ける企業は実家と似たような事業を展開している企業が多かった。だからいずれ居なくなるのだろうと思われている節があった。
 思い切って実家の仕事を伏せてみた。
「逆囲くんはどんなことをしたいのかな?」
「はい。自分がどれだけ社会に貢献できるのかを知りたいです」
「うちで働くことで社会貢献が出来る−そう思ったのかな?それは違うよ。私たちが求めているのは、会社に貢献してくれる社員だ。」
 人事部長は端から篤基を採用する気がないようだ。
「御社は−自己利益のみ追求しているのでしょうか?社会への還元はあり得ないことなのでしょうか?」
 大学生の精一杯の抵抗だ。
「利益をあげることが、貢献に繋がる−それを望んでいるのかな?」
 面接官の背後で、じっと篤基を見つめていた瞳が、呟いた。


 入社式の日、その瞳を持つ人物は篤基の横の席で神妙に社長の話を聞いていた…允巳だ。
 篤基の父は篤基にこんな状況を望んでいた。今は皐月がそうしているはずだ。
「逆囲は何がしたくてここに入ったんだ?」
 面接会場で聞いていたはずなのに、何を聞いてくるのだろうー篤基は思ったが、深く関わらないようにしようと曖昧に答えた。
「別に。東京に居られればいいんだ」
「ふーん」
 允巳はまだ何か話したそうにしていたが篤基は允巳を振り返らなかった。
 篤基は允巳に自分と同じ匂いを感じた。
 それを勘違いしていたために、二人は感情のすれ違いが生じたのだ。


「本当に、帰らないつもり?」
 篤基が東京で就職して三年が過ぎた。
 まだ諦めきれない父が何度も皐月を寄越した。
「エステティシャンなんて篤基に似合わない」
 それは篤基にも分かっていた。
「なんでも俺は副社長のお墨付きらしいからな。」
 同じ職場にいながら、相手のプライベートは一切知らなかった。
「男ウケがいいのかと思ってたんだけどさ、おばちゃんウケがいいんだって。皐月もそーいえばおばちゃんウケいいよな、血筋かな。」
 篤基は笑いもせずに冗談を言う。
「篤基って今まで付き合った人に付き合ってって言った?」
「…ごめん、言ってない」
「やっぱりね…。好きなら好きって言わなきゃ。」
「好き?俺が?誰を?」
 皐月は篤基の顔をじっと見つめた。
「私に会うと必ず名前を言う人」
 篤基に心当たりは無かった。


「飯?」
 営業部の同僚たちとは行ったことがあった。しかし1対1と言うのは…ない。
 篤基の頭の中はパニックだ。
 しかも、誘われたのは允巳の部屋だ。
 ―確定―
 篤基の頭の中で緑色のランプが点灯した。


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「ちょっと、待った!」
 允巳は篤基を引き留めるため腕に触れた。
 途端に身体が火照る。
「なんだよ、『辞表』って。」
「辞めるってことだよ。田舎に帰る。」
「終わり…なのか?」
「なにが?」
「俺たち」
「…結婚、回避出来ないんだろ?無理だわ、そんなの。」
 允巳は篤基の身体を抱き寄せ、思い切り抱きしめた。
「好きだ…篤基」
 篤基の腕が允巳の背を抱いた。
「うん…おまえとのこと、遊びなんて割り切れないんだよ。だけどさ…」
「結婚は、しない」
「無理だろ?」
「無理でもしない!篤基が好きなんだよっ!」
「うん」
 篤基は決して自分の気持ちを口にしなかった。
「允巳…」
 耳元で名を囁き、身体を離した。
「悪い」
 振り捨てるようにして、篤基は允巳の前からいなくなった。