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浪漫倶楽部
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義男さんのお言葉〜!
グッバイが好き

 

THE GOOD−BYE  ちょっとプロフィール  直接じゃないけどグッバイ関係の話


2004.11.26〜12.04 THE GOOD-BYE アンコール公演
「READY GO !」
名古屋公演 2004年11月26日(金) 名古屋ボトムライン
大阪公演 2004年11月28日(日) 新大阪メルパルクホール
横浜公演 2004年12月4日(土) 横浜BLITZ

2004.12.04 横浜BLITZ
当日の演目 約170分
forever friend
MC
シングルABメドレー
   DANCE×3
   気分モヤモヤサラサラチクチク
   涙のティーンエイジブルース
   浮気なロンリーガール
   モダンボーイ狂想曲
   YOU惑-MAY惑
   ペパーミントパティ・テレフォン
   にくめないのがニクイのサ
   とLOVEるジェネレーション
   気まぐれONE WAY BOY
MC
Midnight Train
Doll
Don't Make Me Blue
摩訶WHO SEE議
MC
聖 Yeah!!
MC
華のお江戸は華ざかり
MC
のぞいてFeelMe,TouchMe(アコースティックバージョン)
MC
想い出のロングバケーション(アコースティックバージョン)
MC
二人だけのクリスマス(アコースティックバージョン)
MC
Lonely Night(アコースティックバージョン)
Presentにはハムスター
白夜のRevolution
ANOTHER WORLD
HONG KONG ブルース
LET'S GET TOGETHER
    (間でアンケート)
Real Me
YES!YES!!YES!!!
アンコール
メンバー紹介
死ぬまでRock'n Roll
悲しきRadio Girl
残業
赤いポルシェ
Good-byeのテーマ〜テープ〜


13年の活動休止からついに始動!!
一夜限りの活動再開が再始動のきっかけとなるよう、応援しよう!!

当日の演目
TAKE OFF
MC
シングルメドレー
気まぐれONE WAY BOY
涙のティーンエイジブルース
モダンボーイ狂想曲
YOU惑-MAY惑
にくめないのがニクイのサ
MC
SHOCK ME
Don't Make Me Blue
I don't know
MC
HOBO'S BLUES
MC
花のお江戸は華ざかり
MC
素顔のままで
MC
LOVE AGAIN
MC
wendy people
MC
のぞいてFeel Me Touch Me
浪漫幻夢
グローイングアップデイズ
Hong Kong Blues
Mass Comunication
Let's Get Together〜の間にMC〜
TWO NIGHTS
REAL ME
YES!YES!!YES!!!
祭り気分でTAKE A CHANCE
アンコール1
メンバー紹介
死ぬまでRock'n Roll
めちゃめちゃRock'n Roll
アンコール2
僕色に染めて
Foever Friend
Good-byeのテーマ〜テープ〜



THE GOOD-BYE

「たのきん」野村義男が「どうしてもバンドデビューする」と言い張って結成したいくつかのバンドの最終形態(らしい)
まず、当時九州で活動していたドラムス、衛藤浩一がオーディションで決まる。
そして事務所の先輩でアドバイザーとして参加していた曽我泰久が正式メンバーに決まる。(ここが謎である、後日談とか聞いていると絶対二人でやる気だったはずだ)
さあ、5月4日(だよね)記者会見の日が近づいた。
「おいっ、ベースはどうするんだ。」
そうなのだ、曽我はギタリストベーシストを・・・。
「こいつでいいや」
ずっとヘルプをしていた加賀八郎、彼が加入。
こうしてなんかいい加減なようだけど最強のTHE GOOD-BYEが結成された。
結成は5月だがデビューは9月1日。のちに義男さんが言っていたが
9月1日は日が悪いんだって。」
(だからこの後9月に出しているものは1日以外の日である。)
シングルで唯一グッバイが何も手がけていない楽曲がデビュー曲
「気まぐれONE WAYBOY」である。この曲でレコード大賞最優秀新人賞他さまざまの賞を貰ったけど、グッバイの曲では一曲も賞を貰っていない。
この年、「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティーをしていた義男さんは一緒に紅白歌合戦を落選した小泉今日子と番組で慰め合っていたが、翌年物の見事に裏切られ、以後小泉今日子は第一線を走りつづけている。
これが縁(かどうかは本人でないので知らない)で何度か彼女とは競演、作品提供をしている。このお陰でずっと後になるが衛藤さんも幸せを掴んだ。
当時の新聞評・音楽評論家評などは全て好意的であった。
玄人には人気のTHE GOOD-BYEです。」
と本人達も言っていた。
ライブ会場で「レコードを買うときに皆ひっくり返してそぅっとレジへ行く」と、冗談っぽく言っていたが、結構事実だったりしてあせった。
1985年に野村義男・伊藤麻衣子主演で
ラ・ボエーム'85ミュージカル原宿物語」このテーマソングを手がけた辺りからグッバイサウンドが変化してきた。
第二期THE GOOD-BYEに突入、と同時に表立った活動が急速に減って行った。
最初はライブハウス活動などをしていた。この頃のファン層が急速に変化していたのに彼等は気付いていただろうか。いや、知っていたはず・・・男性ファンが増えていた、増えつづけていた最中だった。なのに彼等は結局活動休止という結論を選んだ。
哀しいことに最後のホールコンサート会場は「大阪厚生年金会館」、光ゲンジがもっと広いホールを取れたので空いていたジャニーズタレントにあてがったと言う噂が飛び交った。(事実かどうかはしーらないっ・・・でもやっちんが泣いていたって言うのが怪しいと睨んでいるが・・・)
昭和最後の日だった。
『4人それぞれの音楽性の方向が違ってきたから』が休止の理由。で、『休止』の理由は『THE GOOD-BYEが好きだから無くしたくない』
活動期間6年10ヶ月。活動休止期間13年8ヶ月
第三期THE GOOD-BYE
2003年11月15日 Zepp Toyko

にて『再会』ライブ決行
当日3000人の参加の前で再始動の約束をよっちゃんがしてくれました!!

    

    (時間が経ちすぎているため一部事実と違う点があるかもしれません、ご了承・・・できないかなぁ。)

曽我泰久
ギター・ボーカル
(現在は曾我、となっています)
1963.1.7生まれ山羊座A型  身長170p
東京都出身
加賀八郎
ベース・ボーカル
1961.2.28生まれ魚座B型  身長170p
東京都出身
衛藤浩一
ドラム・ボーカル
1963.6.8生まれ双子座AB型 身長160p
大分県出身

【直接じゃないけど『グッバイ』関係の話】

@ SMAPがまだあまり人気が無かった頃『さんまのまんま』に出演した時。
さんま「SMAPにはあだ名は無いの?」
SMAP「ないです」
さんま、香取慎吾の顔を見て
さんま「『やっちん』とかさぁ・・・、」
SMAP一同苦笑←言われすぎていたらしい
当時の香取君はやっちんにうり双子で、私達の間では例の年の離れた弟さんではないかと囁かれていました。
A TOKIOがデビューして、ファーストアルバムを出した時の評
『初期のグッバイサウンドを彷彿させるものがありますね。』
『ええ、やっぱり事務所が一緒だからかな』
『でも、好感が持てますよ。』
ここでも『玄人ウケ』のグッバイでした。
B 知人から聞いた話(10年ほど前です)
「よっちゃんって10本の指に入る(ギタリストな)んだって。」
「へぇー、そんなにすごいの?」
「うん、でも、やっちんは5本の指だって。」
「グッバイって・・・なに?」
C 『GOOD-BYE SONG BOOK』が発売になって翌年の夏
当時早起きをしていた私、NHKの「明るい農村」(懐かしすぎて涙が・・・)が点いていた・・・
「ん・・・ちょっと・・!!!」
なんとBGMが『二人だけのクリスマス』・・・でもどうして夏なの?
D (ネットで見つけたのですが今は何処にもないので・・・。)
以前JRAに『ダンスダンスダンス』という競走馬がいました。
この馬の名前はなんと、馬主さんがグッバイの曲からとったとのこと。
嬉しいお話でした〜。(既にダンスダンスダンスは引退してお母さんになっています)