レベル7
第一話  レベル7
 天窓から空を見上げた。
 星が降るように瞬いていた。
 …目眩がした。


「おばさん、お邪魔しました」
 居間の明かりに向かって声を掛けた。
「いつも遅くまでありがとう、おやすみなさい」
 声はすれども姿は見せず…。はっきりとは言わないが迷惑だと思っているようだ。
(なら、息子に言えよな)
 心の中で悪態を付く。
玄関を出て、廊下を真っ直ぐ進み、角を直角に曲がると同様に廊下の先に玄関ドアがある。二棟のマンションが廊下で繋がり、それぞれワンフロアに
一部屋という作りだ。
 碧樹 僚摩(あおき りょうま)、神奈川県立高校の三年。
 玄関ドアを開けると先ほど出てきた部屋と左右対称の部屋がある。
 …先ほど出てきた部屋は小学校からの同級生、赤城 拓真(あかぎ たくま)の家だ。
「ただいま」
「お帰り」
 返事を返してきたのは母親。
「ねえ、毎日通っているけど、僚摩の勉強の方は大丈夫なの?」
「うん。今更ジタバタしてもどうしようもないから。」
「拓真くんはしてるのに?」
「拓真は論外だよ」
 嘘だ。拓真は受験に際しては何の不安もない。
 しかしなぜか僚摩が家庭教師をしている。
 僚摩と拓真は小学校に入学する三日前にこのマンションに引っ越してきた。以来、たまに離れることもあったが、ほぼクラスメートだ。
 ただ。これだけ家が近いにも関わらず、僚摩は拓真とあまり馬が合わなくて、つるんで何かすると言うことは無かった。
 たまたま実験のグループが同じになったとき位にやっと話をする程度だった。
 それが毎日家庭教師として通うようになったのには、僚摩自身納得はしていないが理由がある。


 ちょっとだけ遡って高校三年に進学した日。
 自分のクラスを確認するために昇降口の壁に貼られた模造紙を見上げていた。
「なあ。なんでお前と俺って同じクラスになるんだろうな?嫌われてるのに。」
 振り返ると拓真が真後ろで話していた。
「別に嫌っている訳じゃない、ただ単に話が合わないだけだ。」
「それは好かれていないだろ?」
 拓真は僚摩の顔をじっと見た。
「俺はお前に凄く興味があるんだけどな。」
「何に?」
 拓真はそれには答えずににやりと笑った。
「ま、焦らず一年掛けてじっくり教えてやるよ。」
 そういうと、肩をポンと叩いて去っていった。…そんなキャラは似合わないな…と思いながら僚摩は後ろ姿を見送った。
 教室に入ると黒板に座席表が貼られている。
 僚摩と拓真は碧樹と赤城なので大抵前後になる。
「歳が同じで、家も近いし、出席番号も近い。懇意になる条件は揃ってるんだよな。なんでいままでツルまなかったんだろうな?」
 僚摩の背後で拓真が独り言のように呟く。僚摩は聞こえない振りをしていた。
「俺の部屋からお前の部屋が見えるんだ。」
 僚摩は慌てて振り返る。
「見た?」
「見えるからな。」
「…目的は何だ?」
「今日、一緒に帰らないか?」
「…分かったよ…」
 言ったものの、本当に見られたのか疑心暗鬼になった。…
 クローゼットの裏に隠してあるのに…と、考えながら。



「僚摩は大学、どこへ行くんだ?学部は?」
 拓真はなかなか本題に入らない。
「まだ決めてないけど…なあ、見たって誰に話した?」
「俺さ、東京に行きたいんだ。一緒に行かないか?」
 ついに無視してきた。
「行かない」
「クローゼットの裏にさ…」
 本当に見たんだ…。
「わかった、行くよ。」
 …脅しに使われた。
「で?どこに行くんだ?」
「六大学なら何処でも良い。学部も拘らない。」
 かなり無茶な注文だと思ったが、僚摩は拓真の学力について全く無知だったので、適当に相槌を打っていた。
「…お前さ、俺の成績知らないだろ?」
「知る訳ないだろ?」
 二人の通う高校では成績の発表はしない。個々に何人中何番目であるかを伝えるだけだ。
「…教えてくれないか?勉強。お前成績いいじゃないか。」
 言われて焦った。六大学に行きたいヤツが自分に勉強を教えろと言ってきたなんて初めてのことだ。
「待て。どうして赤城は僕の成績を知っている?」
 しかしまたもや拓真は不敵に笑うだけで答えはない。
「お前は文系理系どっちも得意みたいだからとりあえず数学からでいいか?」
 拓真は僚摩の意思を完全に無視してどんどん話を進める。
「じゃあ、今日からよろしく。家に来てくれ。」
 エレベーターを降り、拓真は左へ僚摩は右へ。
 そんな風に帰宅したのは初めてだった。


「大きな声、出すな。」
 部屋に入るなり手のひらで口を押さえつけられた。
「母親には勉強をしていると言ってくれ、お前の母親もだぞ。」
 言うとドアに鍵を掛けた。
「こういうのって、男だけで観るもんなんだろ?一度やってみたかったんだ。」
 拓真が出してきたのはアダルトDVDだった。
「高三にもなって観たことないのかとか言うなよ?観たことはあるよ。ただ、こんな風に誰かと観てみたかったんだ。」
「…僕が、どんな反応するか、か?悪かったな、童貞で。」
「僚摩、童貞なのか?良かった、俺もなんだ。」
 確かに、拓真に浮いた話は聞いたことがない。
 しかし、来る日も来る日もDVD観たり、ゲームしたり(しかもエロゲー)、マンガ読んだり(やはりエロマンガ)、勉強らしきことは皆無だった。
「拓真、お前僕をどうしたいんだ?」
「べつに。つまらないか?一緒にいて。」
「いや」
 つまらなくはないが面白くもない。
「僕さ…性的興奮をしたことがないんだ。」
 拓真に、自分の弱点をさらけ出した。
「アダルトDVD観ても、ゲームもマンガも全然ダメなんだ。」
「まじで?ならずっと苦痛だったな。悪い…」
 素直に謝られてしまうと、それ以上は言えない。
「本当は…」
 突然、拓真が語り始めた。


 家が引っ越ししたのは俺が幼稚園を卒園した翌日だった。
 今までは会社の社宅にいたんだけど、35年ローンでマンションを買ったんだ。
 その引っ越しの日は、僚摩の家と一緒だった。
 エントランスは両家の引っ越し業者が犇めきあっていた。
「俺、僚摩と初めて会ったときのこと、よく覚えているんだ。エントランスで身体よりでかい箱抱えてやけに楽しげだった。」
 俺はちっとも引っ越しが嬉しくなかったんだけど、僚摩と同じマンションなら楽しいだろうと思い直した。
「でもお前は俺をずっと避けていた。」
 だから…。


「クローゼットの赤い水玉の袋、鈴木さんのリコーダーだろ?俺が入れた。」
「え?」
「僚摩なら気付くと思ったのに…何にも変わらなかった。」
 僚摩は突然、拓真に手を取られた。
「俺なら性的興奮、させてやるよ。」
 耳元で囁くように言われた。


「え?」
 担任にこっそり教えてもらった事実。
 それは衝撃だった。
「碧樹だからだぞ。」


「あいつ、俺にもそう言った。」
 拓真は大きくため息を付いた。
「元々ムリがあるんだ、こんなこと。」
 僚摩は立ち上がった。
「どうしたんだ?」
「帰るよ。」
「な…なんでだよ?」
「帰って勉強しないと追いつけないからな、受験までに。」
「帰らないでここですればいいだろ?」
 僚摩は又、拓真に抱き締められた。
「同じ大学、行くんだろ?」
「放せよ、気持ち悪いだろ?」
 拓真が飛び退いた。
「気持ち…悪い?」
「だって男同士でベタベタしたら変だろう?」
 僚摩はその時ふと、気付いた。
 元々ここに通う羽目になった原因は既に解決している。リコーダーは捨てた。もう何も怯えることはない。
「全部、無しだ。」
 僚摩は部屋を取び出し自宅へ帰った。


 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬となった。
 過去11年同様、いやそれより悪い、必要以上の会話すらしなくなった。


 やがて春になり、拓真は東京の大学へ、僚摩は長野の大学へそれぞれ進学した。
 二人の道が初めて分かれた。


 長野での生活は寂しい。
 夜になれば真っ暗になり、朝になれば明るくなる。当たり前のことだけど知らなかった世界だった。
 そして、拓真がいなかった。
 ―あいつ、僕をどうやって性的興奮させるつもりだったんだろう?―
 最近、僚摩が思うことはそんなことばかりだ。
 しかし、一人の部屋で自分を慰めても相変わらずぴくりとも反応しない自らの半身に苛立ちを覚える。
 フローリングの床にゴロリと寝ころび、大きなため息をついた。


 僚摩にとっては何の思い出もない一年が過ぎた。


 ガタガタガタ
 ピンポーン
 僚摩の部屋の前で、大きな音が止まりインターホンが鳴った。
「はい?」
 ドアを開けるといきなり訪問者は室内に乗り込んできた。


「っ…」
 声、出したくない。
 ケツにナニを出し入れされ、女みたいに扱われている。
「気持ちいい…」
 拓真は言うと中で己の欲望を弾けさせ、僚摩の上に覆い被さった。
「…女を抱けない身体にしてやるよ。」
 突然現れた拓真は部屋に入るなり僚摩を押し倒すといきなり刺し貫いた。
「痛いっ、止めろっ」
 いくら抵抗しても拓真は止めなかった。
 中に出されたものが潤滑剤代わりになり、僚摩に痛みはなくなっていただけではなく、下半身が反応していた。
「ん…ぁ…」
「気持ち…良いのか?」
 ぐ…と、中の体積が増した。
「う…ふ…っ」
「僚摩、好きなんだ!」
 カエルの解剖みたいな格好をさせられ、しかも犯された形で告白されても色よい返事は普通ムリである。
 しかし。
「お前、人の話何にも聞いてないだろ?性的興奮をしないという事は起たないんだよ。だから女は抱けないの。」
 拓真に犯されたのに、何故か嫌悪や軽蔑はしなかった。
「え?そうなのか?」
 なのに拓真の声は震えていた。


 その後、何度となくイカされ、いつの間にか時間は昼間になっていた。
 僚摩は腕を伸ばし、拓真の身体を抱き締めた。
「この一年ずっと、考えていた。なんで拓真と接点を持たなかったのか…。怖かった。真実を知るのが怖かった。」
「なんで、怖かった?」
「拓真に拒まれるのが、怖かった…起たないし…」
 僚摩の中に入ったままになっている拓真の欲望は果てない。再び息を吹き返した。
「起たなきゃ、起たせりゃいい。」


 拓真は編入試験を受け、長野に来た。
 今までの穴を埋めるように毎日身体を繋いだ。
「拓…真」
 天窓から見える夜空は、高校まで見ていた夜空と全く違い、無数の星に埋め尽くされている。
「空に…落ちる…」
 前後左右が分からない。
 僚摩と拓真ただ二人きりの世界。


 一目惚れだった。それが恋だと気付かない子供だっただけ。

「もう、離さない」