付け入る隙を与えません
 もう既に三十分は悩んでいる。
 隼くんの洗濯物を僕が洗っても良いかどうか。
 隼くんは休みの日に洗ってくれる。でも、隼くんはイヤかもしれない。
 よし!とりあえず、シーツを洗ってあげよう。そうして、帰ってきたら確認しよう。
「陸?」
「おわっ!」
「どうした?」
「きょっ、きょっ、夾ちゃん!」
 夾ちゃんは今、実家に戻っている。
 恩師の教授が、大学を替わったので、一緒に着いていったのだ。
「お、夾。ちょっといいか?」
 なんだ、零が呼んだのか。
 さーてと、隼くんのシーツを取りに行こう。

「陸さんっ!」
 夜。帰ってきた隼くんが、自室に引っ込んだと思ったら直ぐに戻ってきた。
「洗濯物!」
「ああ、洗濯物を洗って良いか悩んだから、シーツだけ洗った。そこのランドリーボックスに入っているのを洗っても良いのかな?」
「そ、そ、そ、そんな!陸さんのお手を煩わせるなんて事、恐れ多くて出来ません!自分で出来ます。」
 隼くんは真っ赤になって恐縮している。
「気にしなくて良いよ、隼くんは聖のお嫁さんなんだからね」
「へー」
 防音室から、零と夾ちゃんが出て来た。
「あれ?まだいたんだ。」
「冷たいな、陸は。」
「晩御飯食べてく?」
「それより。隼が嫁って、遂に腹をくくったのか?」
 隼くんが黙って肯く。
「なーんだ、残念。俺も狙ってたのにな、隼のこと。」
 そう言って夾ちゃんは、ニヤリとした。
「夾が狙ってるのは、聖の方だろう?」
「そうなの?」
「そうなのか?ダメだぞ、聖には嫁しかもらわないからな!夾が嫁になるなら考える。」
「考えないでください!」
 隼くんが慌てて否定した。
「私が養子になれば良いんですよね?でも、誰の養子になれば?」
「聖は、僕の…養子なんだ。だから、僕の養子に入ってくれるか?」
「え?」
 零さんの実子じゃないのか?
「色々あってさ、やっと父から許しが出た。きちんと僕の養子にはなっている。だから嫁とは言っても戸籍上は兄弟になる。」
「あれ?聖は零くんの養子になってたんだ。もう、僕の弟じゃないんだ。」
 零が余計なことを…と言う風に「そうだけど?」と、返事をした。
「なら、僕も権利はあるのか。」
「夾?」
「隼、ボンヤリしてると攫ってくからな。」
 おいおい、隼くんをイギリスに行かせた張本人が何を言う。
「はいはい、その話は追々でいいから、晩御飯にするよ〜」
 僕は二人を放置して、キッチンに移動した。
「今夜はカレーだからね。ナンを焼いたから早く食べよう?」
 大の大人がイソイソと食卓に着いた。

 夜遅くに、夾ちゃんからメールが届いた。
 このメール、読んだら消しといて。
 隼に気を付けて。
 陸を、狙ってる。
 まさか。隼くんは聖が好きなのに?
 でも、前にそんな話をしたような気がして、何だか不安になった。

 零の帰宅が深夜になる日がある。
 深夜ラジオの生放送の日だ。
 他のメンバーは週替わりの交代で出演するから、僕は家に居る、そんな日だった。
「ただいま帰りました」
 珍しく隼くんは遅くにお酒を飲んで帰ってきた。
「おかえりなさい。お風呂沸いてるから。」
 それだけ伝えると、僕は寝室に篭もった。
 隼くんは隼くんなりにケジメを付けている。だから、大丈夫。
 隼くんは聖のお嫁さんになるんだから。
 零に、早く帰ってきて欲しいと伝えてあるけど、今夜は剛志くんが一緒だから無理かもしれない。
 スマホがメールの到着を告げる。
 夾ちゃんからだ。
 今夜、隼と飲んだんだけどさ、かなり拗らせてるように思う。きっちり拒絶した方が効果あるかもしれない。…僕が言うのもなんだけど。
 怖い。
 隼くんが、怖い。
 どうしよう。
 悩んでいても仕方ない。
 僕は部屋を出た。

「はい、好きでした。」
 した?
「もう、10年くらい前かな?陸さんのことが好きで就職を決めました。聖に手を出したのは陸さんのことを忘れるためでした。なのに、こんなにあの子のことを好きになるなんて思わなかった。まさか、嫁に来るなんて思いもしなかった。」
「聖が、好き?」
「はい、好きです。もう一度やり直したいからイギリスまで行きました。両親には結婚を諦めて欲しいと伝えています。一度見合いをして婚前交渉が出来なくて。それを伝えたら諦めてくれました。」
 なんか、夾ちゃんが言っていることと違うんだけど?
「陸さんが好きな気持ちは、遠の昔に思い知らされました。大丈夫です、夾みたいなことは誓ってしません。聖に顔向けできませんから。」
 隼くんの指が、僕の頬に触れた。瞬間、身を固くした。
「そんな怯えている人を襲ったりはしません。…今でも、陸さんは魅力的ですけどね、聖の方がそそられます。」
 惚気られた。
「年末、日本に帰るよう、聖に伝えてくれる?話があるからって。」
 おやすみなさいと手を振り、寝室へ戻ったのだった。

「おかしいな?」
 夾ちゃんが首をひねる。
「不穏な空気がだだ漏れていたんだけどな?」
 翌日、夾ちゃんの部屋に苦情を言いに行ったのがいけなかった。
「陸、君は警戒心ってモノがないのかな?僕は君を強姦しているんだけどな?」
「あれは…和姦だから。そして夾ちゃんはもう二度とあんな事しないって、知ってる。」
 夾ちゃんの指が顎を捉え、そのまま口吻られた。
「んっ」
 両手で胸を押したけれど、止めなかった。
「僕は、陸とのキスが好きだ」
 僕は、好きじゃない…零とよく似ているから、混同する。
「陸とのセックスも、好きだ」
「夾ちゃん、僕が浅慮だった、ごめん」
 もう一度、胸を押す。今度は離してくれた。
「解れば、いい。ま、普通は男なのにってなるんだけどな、陸は別だ。出来れば一人でふらふらしない方が良い。だから、零は陸と一緒に居られる仕事を選んだ。陸が一人にならない仕事を選んだんだ。」
 零は、そこまで考えてくれてたの?
 そんなに前から、こんな関係になる前から、僕のこと考えてくれてたの?
「一緒に暮らしている弟が、別に暮らす弟に嫉妬するくらい、兄は別に暮らす弟を気遣っていたよ。そうか!」
 突然、大きな声で合点がいったと手を打つ。
「隼のこと、零が何も言わなかったってことは気にならないってことか。」


「少しだけ、気にはなる。けどさ、聖のこと本気なのかどうかを計るには一番だろ?陸を犠牲にすることとなるけど、今までマネージャーとして着いていたんだから、自制心はあるはずだし。自制心がないのは夾のほうだな。あいつは、僕のモノを欲しがるんだ、昔から。」
 隼くんは今夜も遅いようだ。零と二人で夕飯の席について、隼くんの話をしていると、僕のスマホが着信を告げる。
「聖だ!」
 慌ててスピーカーにして、電話を受ける。
「聖、久しぶり」
「陸!電話代がかさむから手短に伝えるね、年末は帰らない。その代わり一月いっぱいで日本に帰る。」
「進級か?別に一年くらい多く通っても構わないぞ。」
「うん、零くんならそう言ってくれると思ったから、陸に連絡した。僕は早く街の活性化に携わりたいんだ。いずれ日本中の商店街をプロデュース出来るようになりたいんだ」
 言うだけ言うと、通話を打ち切った。
「夾のマンション、リフォームが間に合わないな」
「リフォームしてるの?」
「新婚用にな。ワンルームにして、リビングからベットスペースに直ぐ移動できる。防音完備だ」
 なんでかな?零が言うとエロい。
「勿論、何れはここに呼び戻すけど、最初は二人っきりが良いだろ?ま、聖が隼の下で喘いでいる声は聞きたくないしな。」
 止めてー、即物的!
「聞きたくない!」
 …見たいけど。
「だから!陸は聖に恨まれないよう、隼に付け入る隙は与えるな、いいな。」
「うん」
 夾ちゃんの言うとおりだ。
 零はいつでもみんなのことを考えていてくれる。
 なら、僕は精一杯零のことを考えよう。
 玄関で隼くんが帰宅する音がした。
「ただいま帰りました」
「おかえり。聖が戻ってくるって!」
「あ、はい。」
 …そっか。僕らより先に伝えてるよね。
「二人のことだけどさ、別に戸籍がどうのって、どうでも良いよな?僕たちも何もしてないし。」
「パートナーシップ証明もしてないんですか?カミングアウトもしたのに?」
 僕たちは顔を見合わせた。
「なに?それ?」

 隼くんに言われて、調べた。
 残念なことに僕たちが暮らす街では、導入されていない制度だったが、夾ちゃんのマンションがあるところは導入していた。
「住民票だけ移す?」
 ボソリと提案してみた。
「いや」
 零が冷淡に答える。
「役所に、圧力掛けよう」
 怖い。

 役所に圧力掛けるより、父に頼んだ方が早かった。
「それなら天野に言えばすぐやるだろ?」
 天野さんはこの街のトップだ。父の同級生なんだそうだ。
 「後援会長だしな。」と、父は楽しそうに言った。脅すな、あれは。
 あれから一ヶ月ほどで制度が成立したと回答があった。
 僕たちはこの街で最初の同性でパートナーとして認められたカップルとなった。
「聖に負けなくて良かったな」
 意外と零の方が嬉しそうだ。
 もう少しで聖が帰ってくる。
 アコギツアーも再開しよう…と、決意したとき、初ちゃんから、レコーディングの連絡が届いた。
 ACTIVEの全国ツアーをして欲しいと、大きなスポンサーから依頼が来た。