プレゼント
 家にいると姉貴が騒いでいて、学校ではクラスメートの女子が騒いでいる。
 バレンタインデー。女の子が好きな男の子に告白出来る日。
 でも僕には関係無い。
 好きなあの人が僕にチョコレートなんかくれるわけないんだ。


「美沙貴(みさき)」
 僕のことを名前で呼ぶのは両親と姉とこの幼なじみの潮(うしお)だけだ。
「どうした?」
「じゃん!」
 潮は嬉しそうに両手で包みを掲げた。
「どうした?」
 さっきと同じセリフを吐いた。
「どうしたって…バレンタインじゃないか。」
「あぁ、そういうことか。」
「うん」
「良かったな。」
 頭をポンと叩いてそれきり振り返らなかった。
 同じ年なのに僕より幼い感じがする、潮。
「美沙都ちゃんはどうしたのかな?」
 姉貴なんかどうでもいいだろう、この際。
「美沙貴は、もらった?」
 左手に提げていた紙袋を手渡す。
「すご…こんなにもらったんだ?美沙貴はいつも女の子の注目の的だもんね」
「潮は別のところで注目されているからいいじゃないか。」
潮は三歳の時、姉貴の弾くピアノを聴いてから一緒に習い続けている。
「そう言えば音大の付属、断ったんだって?」
「うん、僕は芸大に行きたいんだ。美沙貴も狙っているんだろ?」
芸大は、子供の時憧れた。
「吹奏楽部、美沙貴がいたから優勝出来たって言ってたよ。」
小沢征爾先生に憧れて指揮者を目指している。ソルフェージュは完璧だ。楽器もフルート、バイオリン、ピアノは手を出してみた。
「成績は良い、背も高いしカッコいいし、性格も良いし将来有望。言うことないよね。」
「でもさ、一番欲しいと願った人からは貰えなかった。」
 僕は、俯いた。
「…美沙貴、好きな人いたんだ。」
「いるよ。」
「そっか、そうだよね。」
 潮は紙袋を押し戻した。
「ちゃんと食べてあげないと可哀想だよ。」
「潮もな。」
 すると顔を真っ赤にして否定された。
「もしかして…ううん、なんでもない…」
 そう言うと俯いてそのまま黙り込んでしまった。
 家の前まで無言で歩き別れた。
「美沙都ちゃん、帰ってきてるかな?」
 別れ際に言ったのはそんなセリフだった。
 玄関ドアを閉め、帰宅を告げるとそのまま部屋へ直行した。
 紙袋、キッチンに置いてくれば良かったと、なんとなく思っていた。紙袋なんかどうでも良かったのだ。
「チョコ、欲しかったな。」
 いくら思っていても相手が思ってくれなければもらえない。切なかった。


「美沙貴」
 オーストリアにある世界でも名だたる大学に留学が決まった潮は頬を上気させ、俺を追いかけてきた。
「最後の登校日だから一緒に帰ろうって言ったじゃないか。」
「やだよ。良い歳して仲よく帰宅なんておかしいだろ?」
「いいじゃないか。中学の時は毎日だったのに。」
あれから三年、俺はなんとか私立の音大に入学が決まっていた。しかし先は見えていた。それに引き換え潮はなんて積極的だろう?
「はい、これ。」
小さな包みを渡された。
「何?」
「なんでもいいじゃないか。僕からのプレゼント。」
「なんで?」
「まったく。美沙貴はいつもどうしてとかなんでとかいちいち聞くんだから。とくに理由がないと美沙貴にプレゼントしたらいけないのかい?」
なんだよ、逆ギレかよ?
「いや、なんかさ…」
高校に入ってから僕はすっかりスランプに陥り、何をやっても伸び悩んだ。
自然と潮との距離も少しずつ離れていた。
挙げ句の果て大学受験も失敗だ。
「高校生になって美沙貴は輝いてないよ。何かあった?」
僕は思わず潮の顔を見ていた。
「気付かれてたんだ。カッコ悪いよな。」
「美沙貴はカッコいいよ。いつ見ても。」
「おや?珍しいね。最近はあまり見かけなかったツーショットだね。」
ふたりに体重をかけるように肩に手を掛け間に割って入ってきたのは美沙都だった。
「仕事は?」
「辞めた。あたし結婚する。」
は?
「誰と?」
「決まってんじゃん。」
あぁ、高校の時のバレンタインに告白して付き合い始めたヤツか。
「って、あの人まだ大学生じゃないの?」
「まぁねぇ」
姉貴って馬鹿か?
「美沙都ちゃん、ちゃんと将来のことは考えたほうがいいよ。」
潮が真面目な顔で姉貴に説教を始めた。
「どうせ、会社で失敗か何かして怒られたんでしょ?ちゃんと謝ってきなさい。」
「な、何よっ、潮ちゃんってばっ…」
どうやら図星だったらしい。
「いってらっしゃい…」
僕は姉貴の背を押した。
「…美沙貴も、美沙都ちゃんもどうしてそんなにやる気がなくなっちゃったの?前はいつだって前向きだったのに。。」
「姉貴の場合は付き合っている男のせいじゃないかな…僕は…」
俯いて、言葉を切った。
「僕は?」
潮が先を促す。
「…潮の、せいだよ。」
「え?何で?何で僕?」
本当に驚いたらしく、パニクっているのがわかる。
「潮ってさ…姉貴が好きだったんだろ?」
「美沙都ちゃん?好き…だけど。でも多分美沙貴が言う好き…とは違うと思うよ。」
気付かなかった。いつのまにか潮は僕と背の高さが同じになっていた。
「潮が、いつも僕の前を走っているから、追いつけない自分に息切れしたんだよ。」
「どうしてそんなこと言うんだよ。美沙貴は僕の憧れだったのに。」
潮が僕の左腕を掴んで揺すぶる。
それを振りほどいて僕は走り去る。
「美沙貴っ、さっきの、ちゃんと見てよね。」
さっきの?
ポケットに手を入れて思い出す。潮からのプレゼント。
立ち止まって、振り返る。
「見てやるよ。」
包みを乱暴に破く。
「何だよ、これ。」
見覚えのある包みがもう一枚現れる。
「だって、ずっと好きだったんだ。だけど、美沙貴は好きな人がいるって、だから。どうせ遠くに行っちゃうんだからもういいかなって。玉砕
してもいいかなって。」
僕は、ゆっくりと潮のところまで戻る。
「潮が、嬉しそうにこの包みを持っていたから。だから言えなかった。」
僕は、ずるい。
「潮に、好きな人がいるんだなって、だからずっと、落ち込んでて。」
「…三年も?」
「うん」
「馬鹿。言ってくれればいいのに。」
潮が僕の右手を両手で握った。
「でもさぁ〜」
通りの向こう側で姉貴が叫んでいる。
「早く行って来いっ馬鹿姉貴っ。」
「美沙都ちゃん、ファイトっ」
唇の形が「違う」という形を作り、
「潮ちゃん、良かったね。」
そう言って走っていった。
「なんで姉貴が知っているんだ?」
潮はそっぽを向いて「さぁ?」としらばっくれた。後で追求してやる。

そうそう、包みの下から現れたのは、真っ白になった板チョコだった。…食えるのかな?