作業の手を止め、ショーウィンドウ越しに街を眺める。ボクはこの風景が好きだ。
高校を卒業して、製菓学校へ入学した。そこで2年間勉強し、念願のケーキ職人になった。
パティシエなんてカッコいい肩書きでなくていいんだ、街のケーキ屋さんになりたいんだ。
誕生日に、クリスマスに、あの店で買いたいと思ってもらえる、地元に密着したケーキ屋さんになりたいんだ。
しかし、ボクの父親は度々雑誌にも特集を組まれるほどの有名な『パティシエ』である。
修行と称して家を出たかったのだが、父の知名度が邪魔をして実現しなかった。
あとは、資金を貯めて独立するしかない。
早く一人前になりたいと、日々願っている。
「いらっしゃいませ」
もうすぐ閉店という時間に、一人の男性が扉を開いた。
今日の閉店時の店番はボクの担当だ。
精一杯の笑顔で、客を迎え入れた。
「あの、一人向けのバースデーケーキ、ありますか?」
この声、聞き覚えがある。
「申し訳ございません。生憎一人向けのバースデーケーキはご予約となりますので、店頭には置いてないのですが、デコレーション違いのミニサイズでの商品がございます。」
ボクはショーウィンドウの位置を示した。
「あ、これが良い、これを頂けますか?」
間違いない、この人…、
「ありがとうございます、サービスでプレートをお付けできますがいかが致しますか?」
「それじゃあ、」
男性はこれまた聞き覚えのある女性名を告げた。
「少々お待ちいただけますか?」
冷蔵室からチョコレートプレートを持ち出し、名前を書き入れる。
ケーキの上に飾り付け、箱にしまった。
「お待たせ致しました。」
金額を告げ、会計を済ませると、扉まで見送る。
「ありがとうございました、是非またお越しください。」
「はい、是非。」
男性は笑顔で去って行った。
その人は、アイドルグループ「Hearts」のメンバー、二葉遙(ふたばよう)さんだ。
ボクの唯一の趣味はHeartsのファン、所謂アイドルオタクだ。しかも男性アイドルグループ。
そして、二葉遙さんの担当。
チョコレートプレートに書き込んだ名前はお母さんの名前。
今日は遙くんのお母さんの誕生日なんだぁ。
なんか、凄くラッキーだなぁ。
また、来てくれないかなぁ…と、ワクワクしながら今日の仕事を終えた。
翌週の同じ曜日、再び二葉遙くんが現れた。
「いらっしゃいませ…ぁ」
この日もボクが店番。
「こんばんは。また、来ました。」
「ありがとうございます!」
ボクは浮き足だった。
「今日はホールケーキを二つ、頂きたいのですが。」
前回は一人用で今回はホールか。
「どのような物がご希望ですか?」
「一つは生クリームたっぷりでイチゴが載っているもの、一つはフルーツ多めでタルトであればなお嬉しいです。」
どっちも、厨房に行けば揃えられる。
「少し、お待ちいただけますか?奥へ取りに行って参ります。」
その時、満面の笑みで「ありがとう」と言われ、ボクは動揺した。
どちらも、ボクが一〜二時間前に作ったものだ。
「お待たせ致しました。こちらで宜しいでしょうか?」
内心ドキドキしながら披露する。
「はい、思った通りの品です、よろしくお願いします。」
前回も思ったけど、遙くんは言葉遣いが綺麗だなぁ。
一人で持ちやすいように包装して手渡す。その時、高校生みたいに手が触れてしまったことで、今度こそ表情に出てしまっただろうほどに動揺した。
「申し訳ございません。」
「そんな、気にしないでください。それよりケーキを落とさないで居てくれた方が有り難いですから。」
あー、完全に動揺を見透かされてしまった。
「また、来ます。」
明らかに瞳をキラキラと輝かせたであろうボクであった。
翌週の同じ曜日、ボクは厨房にいた。今週はボクの店番ではなかったのだ。
遙くんが来るのに。
しかし。
遙くんは店の前を通ったのに、ドアを開くことはなかった。t
店の造りは、右側が店舗、左側が厨房。どちらもガラス張りで見通せる。
厨房には職人が三人。オーナー(父である)と、先輩とボク。
店舗には販売スタッフが三名、常にいるのは二名で交代制。夕方6時から8時は、販売スタッフが一名になるので、厨房スタッフが一名交代で入る。
ボクは、ガラス張りの厨房から、遙くんを見ていた。
でも、店を覗くこともなく通り過ぎた。
二週続けて来てくれたのは偶々だったんだと、かなり寂しい気持ちになった後、もしかしたら先週販売したボクの作ったケーキが口に合わなかったのかと、後悔の念に駆られた。
翌週も、翌々週も遙くんは来なかった。この二週間、ボクも店番が出来なかった。
三週間後の同じ曜日、久しぶりに店番に入った。販売スタッフの人は、今日は早番でボク一人だ。混んできたら厨房から見ていてヘルプに入ってくれる。
そろそろ、遙くんが通る時間だなぁ…と、ドアを見た瞬間、開いた。
「ここ三週間見なかったけど何かあったの?」
遙くんはドアを開けた瞬間、そう言った。
「あ、店のこと、ご覧頂いていたのですね。実は私、あちらの厨房におりまして…」
自分が職人であること、常に店にいるわけではないことを説明した。
「良かった…この間のお礼が言いたくて、毎週通る度に覗いていたのですけど、そちら側を確認できなかったので…そうか、職人さんだったんですね。」
明らかに安堵した表情に、ボクの方が安堵した。
「あの…お店は何時に終わるのですか?終わったら食事に誘いたいのですけど。聞いて頂きたいことがあるのです。」
え?
今、ボクは遙くんにデートに誘われた?ボクが?
「イヤ、ですか?」
「いえ、嬉しいです。」
咄嗟に言っていた。
閉店後、ボクはケーキの箱を手に、店頭で遙くんを待っていた。
自分で作ったケーキを、プレゼントしたいと思った。
遙くんは車で現れた。
「乗ってください。」
遙くんが運転する車に乗せて貰った。
向かった先は、一軒家のレストランだった。
料理は所謂日本の洋食で、オムライスが美味しいと言われた。
「すみません、食事に誘ったのに、お名前を伺っていませんでした。」
ボクはまたまたパニック状態だ。
「え、あ、わ、私は都々楽経(つづらけい)です。」
「経くん、ですね?」
「は、はい!」
「私のことはつかさと、呼んでください。因みに対策用のセカンドネームです。」
つかさ…セカンドネームまでカッコいい。
「更に言うと樹の「幹」一文字でつかさって書きます。」
「ステキなお名前ですね。」
「母の幹栄(みきえ)から貰いました。芸名を使えば良かったと後悔しています。」
「そう言えば私に何かお話があるとか。」
「あ、そうでした。先日のホールケーキ、大変評判が良かったのです。それで出張サービスをしていただけないかと思ったのですが、あれは、経くんの作ったケーキですよね?」
「そうですけどなぜ、そう思われましたか?」
「なんか…貴方が職人さんと聞いた瞬間、勘、です。」
こういうときの勘は当たるものらしい。
「聞いて頂きたいというか、どうしてもやって頂きたいのです。来月の第二火曜日、私の所属事務所の社長が誕生日なんです。その時にバースデーケーキを作って頂きたいのです。」
え?
遙くんの事務所の社長って、フランスと日本のハーフと言われているあの、有名な?
「あの、私一人…でしょうか?」
「可能であれば。この間と同じ大きさで良いのですが。ただ…」
「ただ?」
「会場で作って頂きたいのです。。設備に関しては専門家に任せますからご安心ください。」
設備に問題が無いのであれば、やりたい気持ちはある。
「事前に、設備チェックとか出来ますでしょうか?」
「はい、それは勿論。あ、なら、これからどうですか?」
これから?
明日は休みだけど、どうしよう。行きたい。
「わかりました、では伺います。」
「あの…だったらこれからはタメ口で、いいですか?」
遙くんにはいちいち驚かされる。
「はい。」
「ありがとうご…あ、ありがとう。」
ボクは遙くんが運転する車の助手席に座って、また横顔を眺めていた。
「経、くん。」
「はい、」
「この先、お店に行くときはマネージャーも一緒に着いてきます。今まではグループで二人しか居なかったのに、個々の仕事が増えるとかで一人に一人、マネージャーというか付き人っていう、スケジュール管理をしてくれる人が常に私に付くことになって。」
「凄いです、自分のスケジュール管理をしてくれる人がいるなんて。ボクなんか自分で把握しないといけませんからね。」
「そうか、そう捉えれば良いのか。ありがとう。」
何だか楽しそうだ。
「実は、経くんとは友達になりたいと常々思っていたので、こんな風に話せて嬉しいです。」
タメ口でと言いながら、まだ互いにぎこちない。
車は設営会社のモデルルームに着いた。
「あちらのセットで依頼していますが、足りないものがあったら言ってください、追加します。」
実のところ、使い慣れていないと良いものは出来ない…まだ新人だから…という言い訳はしたくない。
なので、ある程度下ごしらえをしてから会場へ向かうつもりで居る。
ボクはオーブンの機種と水回りの確認をして会場を後にした。
幾つか、疑問に思っていることがある。
ボクが職人と知らなかったのに何故ケーキのパフォーマンスのようなことを依頼してきたのか?
前からボクと友達になりたかったと言うことは前からボクが職人と知っていたのではないか?
でも、店の前を素通りするときは全く店を見なかった。
謎だらけの中、ボクは依頼を受けた。
「勝手なことをするなら、辞めて貰う。」
オーナー…父に伝えたところ、事後報告が気に入らなかったらしい。
「友人の所へ行ってケーキ焼くだけなので、別に仕事ではないです。ただ、仕事と同様の行為を行うので、念の為報告しただけです。」
「経、お前はこの店の跡取りだぞ?それをわかっているのか?」
「私は、跡は取りません。佐々木先輩にお願いしてください。」
ボクより10歳以上年上の先輩を差し置いて跡は継げない。
「私の跡を継ぐためにパティシエになったんじゃないのか?」
「私は、街のケーキ屋さんになりたい。昔からそう伝えてきたのに。気付いて貰えなくて残念です。」
ボクは、家も仕事も継ぐことが出来ないから、離れよう。そう決意した。
「経は、おじいちゃんに似たんだな。職人に、なるんだな?」
おじいちゃん?父の、父親のことか?
「おじいちゃんは、職人だったんですか?」
ボクは祖父に会ったことがない。
「志半ばで病に倒れたが、素敵なケーキ職人だった。それを見て、私はパティシエを目指した。そうか、経はケーキ職人になるのか。」
父がなんだか嬉しそうに微笑んでいる。
「K駅前の店をお前にやる。そこで好きなケーキを焼いたら良い。そこはおじいちゃんの店だ。だから、おじいちゃんのケーキを私が焼いている。そうだな、佐々木に跡は任せよう。」
え?
「待って!おじいちゃんの店はお父さんが守っていたのだから、ずっと、お父さんが守り続けてよ。ボクは自分で、」
「いや、限界なんだ。私にはケーキ職人は無理だった。」
ケーキ職人は変わらぬ物を淡々と作り続けること(新作を出しちゃいけないということではない)。
パティシエは常に新作と向き合うこと。
ボクはそんな風に考えている。
「うん、お父さんは、パティシエの方が似合うよ。」
「そっか。」
オーナー…父は、嬉しそうに微笑んでいる。そしてボクの頭をポンポンと叩いた。
「善は急げだ。明日からK駅前の店を任せるから、その、友人の依頼もきちんと仕事として受けてやりなさい。」
明日から?まだ一年なのに?
でも、嬉しい。
ボクの焼きたいケーキを焼くことが出来るんだ。
定番のイチゴショートケーキにモンブラン、シュークリームにチョコレートケーキ。チーズケーキとフルーツがたくさん入ったロールケーキ。
夢は広がる。
「ありがとう、お父さん。」
「うん。」
一人で6種類のケーキを焼くのは大変だ。
けど、好きなことだから苦にはならない。
その合間に遙くんのケーキをどんな物に仕上げるかを考える。
なんて、幸せな時間なんだ。
開店までに4種類までは何とかショーウインドウに並べた。
あとシュークリームを個々にカップに入れるのと、ロールケーキを切り分けてこれもカップに入れて終わり。
父は、今まではこれだけを店頭に並べていたようだけど、いずれは定番のプリンを入れたい。
それと手土産用のクッキー。
街のケーキ屋さん、これがボクのイメージだ。
あまりにも浮かれていて、遙くんに、店が変わったことを伝えるのが、夕方になってしまった。
『経くんが厨房に居ないので焦りました。異動されたのですか。お顔を拝見できないのは残念ですが、経くんの夢を叶えられるのであれば応援します。』
そんなメッセージが届いていた。
「やっと、会えました。」
誕生日会当日、遙くんはそう言って迎えてくれた。
「実のところ、芸能人以外の友人が経くんしかいないので、会えないと寂しいのです。お店の場所を教えて頂けますか?」
「あ!すみません!すっかり連絡したつもりでいました。」
ボクは早々に夢を叶える第一歩を踏み出したため、舞い上がっていて遙くんのことを忘れていた。
「でも、この間これからはマネージャーさんと一緒にいらっしゃるとか聞いたので、わざわざお越し頂くのは難しいのではないですか?」
ボクの新しい店は、商店街の一角にあり、有名人が訪れるにはむかない店だ。
「行きます、行かせてください。」
それから暫くして、遙くんが店に来てくれた。
「なんか、前のお店より経くんにあっているね。」
遙くんはやっと、タメ口をきいてくれた。
「うん。ボクの夢は、街のケーキ屋さんだから。」
「経くんっぽい。」
遙くんが笑う。
「あれ?マネージャーさんは?」
「あ、」
途端にがしがしと頭を掻いた。
「今日は、完全にプライベートで来た。経くんに会いたかったから。」
「え?あ…ありがとう。」
喜んでいいのかどうなのか、ちょっと判断に迷う。
「あのさ、」
遙くんの瞳に、迷いが見える。
だから、ボクは彼が言い出すまで待つことにした。
「その…経くんは、付き合っている人はいるのかな?」
ん?何?
「ボクの恋人はケーキだから。まだまだそんな暇も無いしね。」
当たり前のことを当たり前に伝えた。
「そっか。うん。そうだね。僕もそうだし。うん、仕事が恋人。そう。」
なんだ、歯切れが悪いぞ?
「幹くん?」
「こうして、また、来ても良いかな?」
「勿論!遊びに来てよ。顔を見せてくれたら嬉しい。」
ボク、ファンだし。
「経くん。僕は、経くんが好き。」
え?
「好きなんだ。店の外から見かけて、一目惚れして。何か切っ掛けと考えて、母の誕生日が近かったから、これを理由にって。母は、田舎に居るのにね。」
ええっ!
「幹、くん、」
「その名前、本名なんだ。」
うぇ?
「僕のこと、キミに本名で呼んで欲しくて。付き合ってくれ何て言わない。ただ、いままでみたいに会って話が出来たら嬉しい。だめ?」
「ダメじゃない。よろしくお願いします。」
遙くんには、ずっと会いたい。
ん?
「今、付き合いたいって?」
「うん。」
え?
えぇっ!
「ボクと?」
「うん」
遙いや、幹くんは真面目な顔でボクを見ている。
「だから、まずはお友達から。恋はね、知り合わないと始まらないんだよ。」
けど。
「幹くんは遙くんってアイドルだから、」
「経くんも立派なケーキ職人だよ?」
幹くんは、外から見えない厨房にボクの身体を押し込むと、「大好き」と言いながら、思いっきり抱きしめた。
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