将来の夢
【一】
「喜之介(きのすけ)くんの夢は何ですか?」
 ボクの夢?
 幼稚園児には夢の意味がわからなかった。
「あれからずーっと考えてるんだけどさ、」
「あれから?」
「うん、幼稚園の先生の質問」
「なんだそれ?」
「莱季(らいき)は電車の運転手サーンって、無邪気に答えてたよ、そう言えば。俺は何も言えなかったんだ、なにも夢が無かったから。」
 それは今も同じである。
「喜之介は料理人が夢だと思ってたよ、ケーキ屋サーンって言ってたから。」
「それは姉貴。思い付かなかったから姉貴の真似した。」
 刃物は怖い。あの光を見ると背筋に冷たいものが流れる。
「このままだと平凡なサラリーマンになっちゃうな。」
「それも偉大な夢だけどな。俺も運転手サーンは止めたし。今は家業を継ぐことにした。」
 莱季の家は代々続く研ぎ師だ。俺の苦手な刃物を扱う。
「進路、考えないとなぁ」

2021.02.07
【二】
 莱季の家の仕事は知っている。
 なのに自分の父親がどんな仕事をしているのか未だにわからない。
 家にいるときはずっといる。いないときはずっといない。
 姉貴に聞いてもそんなことも知らないのかと馬鹿にするくせに教えてくれない。
 母親ははぐらかす。
 当人は大人になったらわかるとしか言わない。
 なんなんだ。
「殺陣師」
「え?」
「映画とかテレビとかで刀を使う時があるだろ?その演技をしたり、指導したりする仕事。」
 そんな仕事だったのかよ。
 だから家にいたりいなかったりするんだ。
「俺は無理だな。刃物が怖い。」
「え?」
 今度は家族全員が俺を見た。
「なんか、子供の頃にあったのかな?あの光り方が苦手なんだ。」
「それ…」
「喜美枝!」
 なにか言おうとした姉貴を母が止めた。
「いいのよ、男の子はいずれお嫁さんをもらって料理はしてもらうでしょ?刃物なんか扱わなくても平気。」
 母親はそう言ったが、俺はいつかこの家を出て一人にならないといけない。
 なぜなら、みんなが望むような将来を歩めないからだ。
 そのためには料理も覚えた方が良いのだろうが、手が出ない。
 鋏なら…どうなんだろう?
 テフロン加工がしてある包丁を探してみるか。

2021.02.08
【三】
 莱季は「へー、喜之介の父ちゃん、カッコいいな。つーか、家のお得意さんかもな。」と、笑ったのだが、翌日には名簿に父親の名を見つけたらしい。
「かなり高価な物らしいぞ、刀。」
「親父、真剣も使うのか…」
 刃物、真剣…ふと、脳裏になにかが見えたが、すぐに消えた。
 その答えに行き着いたのはやはり、姉貴だ。
「父さんと母さんはあなたに隠しているみたいだけど、小さい頃父さんの仕事場に行ったことがあるの。その時、大怪我をした人がいてね、それからあなたは刃物が苦手になったし、父さんの仕事も忘れたみたいなの。」
 そんなことがあったのか。
 なら、頑張れば包丁は使えるようになるかもしれないな。
 そう思って台所で包丁を手にした途端、どんな事故だったか思い出してしまった。
 鮮血が飛び散るほどの大きな事故だったのだ。
 あの人は、無事だったのだろうか?

2021.02.09
【四】
「俺さ、平凡じゃないサラリーマンになろうと思うんだ。」
 やっと決まった進路を莱季に話す。
「その為の進学先は経済学部かな?」
「お前さ、勉強出来るんだから、税理士とか弁理士とか考えてみたら?」
「いや、俺は人と上手く関わることが出来ないから、独立とか考えられない。誰かに指示を仰ぐような仕事が合ってるよ。」
 そう、会社に貢献できるような、そんなサラリーマンのエキスパートになるんだ。

2021.02.10
【五】
 俺は、本当にサラリーマンになった。
「は?」
 その日、俺が勤める広告代理店に、映画の撮影部隊が入った。
「エキストラで入ってくれって。」
「いいんですか?仕事中ですけど。」
「良い宣伝になって良いんじゃね?」
 上司は簡単にそう言った。
 予定をしていたエキストラが、電車の遅延で間に合わなくなったから、埋めてくれと言うことらしい。
 そんなことなら構わないと、俺はカメラに入る位置で普通に事務仕事をしていただけだった。
 それが、どこをどうしたら監督の目に止まったのかわからない。
 俺はその翌日、会社から出向と言うかたちで映画の撮影に参加することになり、遂には台詞が与えられ、最終的には「親父の息子」がバレて、俳優という職業に転職させられていた。

2021.02.11
【六】
「お前、嫌がってなかったか?」
「嫌がったよ、莱季に会えなくなるからな、数少ない友達に。なのに、親父が口を出したらしいんだ、俺の仕事に。まさか、俳優なんて…」
 流されて生きてきたツケが回ってきた。
「なら、辞めれば良いじゃないか。」
「うん。今度の仕事が終わったら、会社を辞めるつもりなんだ。」
 俺の言葉に、莱季が微笑む。
「喜之介がとられちゃうみたいで切ない。」
 その時、喜之介の中で小さなトゲのようなものが、チクりと刺さった。
 この痛みの正体について、知るよしもなかった。

2021.02.12
【七】
 しかし、何故か一年後も俺は俳優業を続けていた。
 特段難しいことがなく、与えられる役柄もスーツを着てうろうろするだけの端役だったからだ。
 これでドラマに会社のテロップが入る、会社にとっては良いことしかないのだそうだ。
 つまり、俺は厄介払いされたということなのか?
 かなり凹んだが、何処かで社会貢献出来ているのであればよしとしていた。
 ある日、準主役クラスの俳優と一緒になった。
「甲斐喜之介さん、ですよね?最近ちょくちょくテレビでお名前を拝見します」と、声をかけられた。
 会社から出向している旨を伝えると、「あなたの夢は何ですか?」と、問われた。
 「会社に貢献できるような社員になることです」と、サラリーマンを目指したときに決めたことを伝えた。
「だからかぁ、芝居をやる気が見えないナァって思ったんですよ。勿体ないなぁ、良いもの持ってるのに。」
 良いもの?良いものってなんだ?
「真剣に演技の勉強をして、本格的に演技の仕事をされてはどうですか?私がお名前を覚えているくらいですからね、甲斐さん有名人ですよ?電車に乗ったら声かけられませんか?」
「いえ、まだ一度も。」
「普段、地味なのかもしれませんね。」
 そこに、思い当たる節があった。

2021.02.13
【八】
「こんど、芸能部門とマネージメント部門を設立することになってね、甲斐君には本格的に芸能部門に移籍してもらって、俳優業を極めてくれ。どのドラマでも評判が良くてね。」
 そんな話、聞いたこともない。
「マネージメント部門からマネージャーをつけるから。」
 じゃ!と、簡単に言われた。
 俺が反論できるわけもなく、お陰で数少ない友人の莱季にも会える機械が減り、性格がどんどんマイナス思考に陥っていた。
 演技専門のスクールに通い、勉強をした。
 お陰で端役から主要な役がもらえるようになった。
 その頃から、俳優業が楽しくなってきた。
 そんな矢先、莱季からメールが届いた。
『結婚することになった』
 目の前が一瞬、真っ暗になった。

2021.02.14
【九】
「喜之介くん、なんか最近元気がないね?」
 現場がよく一緒になる人に声をかけられた。
「そうですか?諦めが着いたのかもしれませんね」
「俳優業、嫌い?」
「最近面白くなりました。」
「それは良かった。なら、何に悩んでる?あ、恋愛ごとだな?」
 したり顔で言われて少しむかついた。
「違いますよ、親友と会えなくて寂しいだけです。」
「喜之介くんは可愛いんだね。」
 いきなり頭を撫でられ、嫌悪感が走った。

2021.02.15
【十】
 マネージャーに「来週からは別現場になります」と言われ、渡された台本は公営放送の連続ドラマだった。
「ヒロインの幼なじみです」
 幼なじみにしては年齢が行きすぎていないか?と思っていたら、「甲斐さんは童顔だから問題ないそうです」そう言われた。
 しかし、親友は結婚したのに俺は高校生の役なのかと少し凹んだ。
 莱季にメールすると「益々会えなくなるな」と返ってきた。
 そこで初めて会いに行っていいんだと悟った。
 翌日、実家に帰り莱季の家に行った。
「嘘だよ。親友を結婚式に呼ばないわけないだろ?」
 莱季は笑うけど俺はかなり泣いたぞ?
 でも、まだ俺だけの親友で居てくれるみたいだ。

2021.02.16
【十一】
 連続ドラマの現場は過酷だった。次から次へと要求が出てミスは許されない。
 気付いたらエキストラなんてものではなく、立派に名前がクレジットされていた。
 放映が始まると電車通勤が出来なくなった。
 いつか、俺に「あなたの夢は何ですか?」と聞いてきた俳優が電車で声をかけられないかと言われたが、声どころではない、身ぐるみ剥がされそうな勢いだった。
 仕方なくマイカー通勤になった。
 朝早く起きるようになり、面倒になったので、公営放送の撮影に近い所に越した。
 勿論、会社経費である。
 公営放送でもしっかり協力企業名がクレジットされている。
 現場でも名を呼ばれるようになった。

2021.02.17
【十二】
 莱季に会えたのは一年後だった。
「甲斐喜之介、すっかり有名人だな。」
 莱季はまだ一人だった。
「喜之介、」
 莱季は、俺に初めて頼み事をした。
 その願いを、俺は叶えてやった。
 翌年、莱季は姉貴と結婚したのだ。
 ずっと、姉貴が好きだったらしい。
 知らなかった。
 その時、自分が誰を好きなのか、そして自分が人を好きになれることを知った。
 でも、言えない。
 今更言えない。いや、いつの時でもきっと言えない。
 俺は、友達を失いたくないから。

2021.02.18
【十三】
 私生活はちっとも良くならないのに、仕事は順調だった。
『どうした?』
 姉の家、つまり、莱季の家には頻繁に電話を入れた。
 メールではなく電話で声が聞きたかった。
『子供、生まれるんだって?おめでとう』
『ありがとう、男の子なんだ』
『もう、聞いたんだ』
『男の子が欲しかったから』
『へー』
『喜之介は、僕の義弟になるんだ』
 なんで、わざわざ、確認した?
『会社で自慢するんだ、喜之介は幼馴染みで義弟って言うとみんな寄ってくる。』
 莱季が楽しそうに話すから突っ込めなかった。

2021.02.19
【十四】
「甲斐さんって独身なんですって?」
 連続ドラマの共演者たちが口々にそう言う。みな、独身なのになんでわざわざ聞いてくるのかな?
 答えは簡単だった。
 あの人たちには「パトロン」がいたのだ。
「会社員なんで」
 そう言うと納得してくれるようになった。
 しかし、ある日、会社からメールが届いた。
『甲斐くんのスポンサーが現れた。丁重にご挨拶するように。』
 日時と場所も明記されていた。

2021.02.20
【十五】
 そこは都心の喧騒がまるで感じられない、一等地の料亭だたった。
 現れたのは男だった。
 かなりの高齢だ。
 しかし、良く呑むし食べるししゃべる。
 そして…。
「甲斐くんはあっちもイケるんだろ?」
 きた。
「あの…」
 俺は、童貞だ。
 男は金属音をたててスラックスの前を寛げた。
「ほら、早く咥えてごらん」
 腰を突き出す。
 テラテラと黒光りする、グロテスクな形。
 おずおずと舌を出し、裏スジを下から先端に向けてゆっくりと舐め上げた。
「なんだ、くすぐったいじゃないか。もっとズッポリと咥えて、」
 俺は大きく口を開けて根元まで咥えた。
「唇をすぼめて、吸い上げるように、」
 顎が疲れる。
「お、いいぞ、いいぞ」
 男は腰を揺らして、小さく呻くと意外と早くに達した。
「全部飲み込め」
 俺が屈辱的に這いつくばるのがご所望のようだ。

2021.02.21
【十六】
 俺はもう一度股間に顔を埋め、先端を丁寧に舐めて拭き取った。
「喜之介くん、バージンだってな?」
「はい。」
 態とらしくおずおずと答える。
「生憎なんの準備もしておりません」
 すると、男は徐に立ち上がり、隣の部屋へ俺を誘った。
「心配ない」
 覚悟を決めた。
 着衣を脱ぎ、裸体を晒す。
「中を洗ってやろう」
 男の手で浣腸を施され、盥の中に出すよう強要される。
 ウエットティッシュでキレイに拭われると、男は穴に薬を流し込んだ。
「もう少ししたら入るようになる。喜之介から欲するようになるぞ。女の穴同様に濡れて物欲しそうにパクパクと口を開くぞ。」
 五分も経たずに、穴のなかは熱く、むず痒くなってきたのだった。

2021.02.22
【十七】
「あ、あぁっ」
 思わず声が漏れた。
「喜之介、懇願しろ、中を突いて掻き回せとな」
「あっ、あ、お願いです、入れて…ください、中を突いて掻き回して!」
「よしよし、良い子だ。でもその前にコイツが起たなくてな。」
 男はもう一度俺にしゃぶれと言っているのだ。既に臨戦態勢は整っているのに。
 ジュブジュブと咥えて濡らしながら腰を振る。
「欲しいか、そうか!」
 男は俺を獣のように四つん這いにさせると、後ろから一気に貫いた。
「あうっ」
 流石に痛かった。
 薬を使われていても、バージンなのだから、道は狭い。
「凄い、締まるっ」
 それでもむず痒さは掻き回されることで快感に変わる。
「あ、い…」
 奥を熱い液体で濡らされた。

2021.02.23
【十八】
「二発だからな、流石にもう出ないぞ。」
 男は立ち上がると、ディルドを手に戻ってきた。
「仰向けに寝て足を開け、そして後ろにこれを入れてみろ」
 自ら挿入しろと言う。
 上手く照準を合わせられず苦戦したが何とか入った。
「自分で動かして気持ちいいところを見つけてみろ」
 この男はサドなんだな。
 腰を浮かせてディルドを出し入れすると、何処に当てたら気持ちいいかがわかり、没頭していった。
「あ、う、いい」
「喜之介の可愛いおちんちんから愛液が零れているな。」
 男は俺のモノを咥えてストローのようにして精液を飲んだ。

2021.02.24
【十九】
 それから週に二回、男は俺の部屋にセックスしに来る。そこで初めてこの部屋の意味を知った。
 そして、平凡なサラリーマンと言う、俺の夢ははじめから実現されることがなかったことに気付いた。
 全て、父が仕組んだことなんだ。
 この男は元々父のパトロンだったんだ。
 殺陣師なんて言いながら、あの人はただの時代劇俳優だったんだ。
「やっ、もう、中…擦らないで」
「イイ声で鳴けるじゃないか、よく貫太郎に似ている。」
「いやっ、父と、比べないで」
 男の膝の上で貫かれ、揺さぶられ、俺は首に腕を回してしがみつき、あんあんと鳴いている。
「よしよし、良い子だ」
 背を撫でられ、肩口を甘噛みされた。
「ああん」
 もう、どうとでもなれ。

2021.02.25
【二十】
「喜之介は、映画を観たことがないのか?」
 男は不思議そうに問う。
「はい、父から許しが出ませんでした。」
 シャワーを浴び、バスローブで身を包み、髪を拭きながらベッドに腰かけた。
 男は既に身支度を整え、帰宅するばかりだ。
「だから、貫太郎が時代劇俳優だと知らなかったのだな。殺陣師なのは確かだ。腕を見込まれて主演俳優になったんだ。そこにつけこんで私がバックアップを申し入れた。」
 男が俺の唇を奪う。
 クチクチと水音がする。
「今は、お前に夢中だがな。次、大河の主演が回ってくる。いよいよ貫太郎の出番だ。」
「父の?」
「刀」
 あ。
 刀。
 途端にフラッシュバックに襲われた。
「嫌だ…怖い。」
「喜之介の実の父親が死んだ事故か?」
 え?
「実の、父?」
「それも知らないのか…あの男は全て私から語らせるつもりか。」
 男はネクタイを緩めた。
「今夜は、帰らないぞ。」

2021.02.26
【二十一】
「ん…ああっ」
 深く、浅く、男の楔が出入りする。
「もっと、もっとして」
「そんなにショックか」
 それには答えずに、俺はひたすら喘いだ。
 父は、俺から実の父親を奪い、役も奪い…母親も寝取った。簡単に言えばそう言うことだ。
「喜之介、あれは事故だ。故意ではない。」
「イヤ、聞きたくない」
 俺を、女みたいな身体にして、どうしたいんだ。
 男の下で蛙みたいに脚を開いて尻穴掘られて毎回鳴き狂い、男の威厳なんて全てなくなった。
「それに、貫太郎はゲイだ、女は抱かない。喜之介だって、そうだろう?」
 俺は、俺は…。
「最初の時呼んだのは男の名だろう?ラ…」
「イヤだ、言うな、そんなわけない、そんな、俺が、男を好きだなんて、何かの間違いだ。俺は…」
 その事実は永遠に俺の胸の奥にしまっておくんだ。
「ライキ…喜之介の義兄だな?」
「止めろ!止めてくれ、違う、絶対に違う!」
「喚くな、千切れる!」
 男は慌てて尻穴から自身を引き抜いた。

2021.02.27
【二十二】
 男は翌朝帰っていった。
 俺は身体中精液でベトベトだった。
 シャワーを浴び、急いで実家へ向かった。
「神崎川(かんざき)さんがそう言ったの?」
 母が俯く。
「お父さん、ずるいんだから。」
「事実なんだ?」
「喜美枝は、お父さんと私の子よ。喜之介は…お父さんの妹さんと同僚の子で、養子なの。」
「ありがとう、それだけわかれば十分だ。」
「お父さんは、あなたに実の父親の望んだことをして欲しくて…無理をしたの。」
 俺は、母の顔を見た。
「俺が望むものは、どうでも良いんだ?俺は平凡なサラリーマンになりたかった。」

2021.02.28
【二十三】
 莱季にフラれたって良い、告白すれば良かった。
 手に入れられないと、はじめから決めつけずに、一言好きだと伝えれば良かった。
 結局、男相手にセックスしたりして、諦めた甲斐がない。そんなことをぐるぐると考えていた。
 やがて父が帰ってきた。
「神崎川さんは、良くしてくれるか?」
「よく?ええ、週三でマンションにやって来てはセックスして帰って行くよ。父さんによく似ていると言われた。」
「なんだと?」
 突然、父が立ち上がると部屋をうろうろして、思い出したように携帯電話を取り出すと電話を掛け始めた。
「もしもし?神崎川さん?話が違うじゃないか!え?駿河?でも、今回は私がお願いしてちょっ、」
 携帯電話を見詰め、ため息を着いた。

2021.03.01
【二十四】
「彼は、見返りを求めない…人だった。まさか、喜之介を…許せ。」
 父が手をついて謝ってきた。
「別に、平気。だって俺は…ゲイだ。」
 父の両目が目一杯開かれた。
「駿河巳之助、それが喜之介の実の父親の名前だ。彼は私の同僚の殺陣師で腕は一流、二枚目だったからすぐに俳優に転向したんだ。なのに…珍しく大物俳優の相手役として出演していて…あいつのバカ息子のせいだ。あんなやつがいたから、巳之助さんは巻き添えを食らった。」
「父さんの妹…俺の母親は?」
「既にこの世にはいない。喜之介が生まれてすぐに亡くなった。不治の病を押して、喜之介を産んだんだ。親父に結婚を反対されて駆け落ちした。」
「そっか」
「神崎川さんが、喜之介は私にも似ているが駿河に似ていて欲望に勝てなかったと言った。もう、相手はしなくても良いそうだ。スポンサーとして応援してくれる。」
「はい」
 その時俺は、安堵よりも寂寥を抱いた。

2021.03.02
【二十五】
「喜美枝の夫か?喜之介の相手は。」
 俺は父を見た。そしてゆっくりと首を振った。
「俺は、姉貴が大好きなんだ。だから姉貴が親友と幸せな家庭を築いているなら俺も幸せだ。」
「そうか。」
 それ以上、父はなにも言わなかった。
「俺、明日も仕事だから帰るよ。…今度、殺陣師の仕事を見に行って良い?大河って殺陣が必要だろ?少し教えて欲しい。」
 父は大きく頷き、笑った。

2021.03.03
【二十六】
「あんっ…んっ」
 俺は相変わらず神崎川さんとセックスしている。
 俺から神崎川さんにお願いした。
「巳之助は、いい男だった。正義感が強くてオトコマエで、頭もいい。愛情が深くて仕事はきっちりこなす。喜之介はいいところを受け継いでいる。」
 愛情か?と、自問自答した。
 神崎川さんに愛情なんてない、あるのは野心だ。
 セックスすることで大きな仕事がもらえるなら、いくらでもしてやる。
「もっと、抉って」
「喜之介、もう止めよう。これ以上エロチックな身体になってしまったら、威厳のある役が出来なくなる。女を覚えろ。」
 なんだよ、今度は女かよ。
 どうでもいいや。

2021.03.04
【二十七】
「喜之介?」
 久し振りに莱季に会ったら、いきなり疑問形で名を呼ばれた。
「なんだ?」
「垢抜けたな、やっぱり俳優だ。しかも来年はお義父さんの後を継いで遂に殺陣師としても表舞台に立つんだな。」
「あぁ」
 大河に出る為に、父に殺陣を習った。
「見てくれよ、手が豆だらけだ。」
「本当だ。」
 そう言って莱季は俺の手を握った。
 ドキドキした。
「喜之介がドラマに出ると観ちゃうよな。まさか喜之介が俳優なんて…」
 莱季は、俺の手をぎゅっと握ったまま離さない。
 このまま、言ってしまおうか。そう思った時、姉が莱季を呼んだ。
「パパ、来夢を見ていてくれる?」
「ああ、いいよ。ママは買い物?」
「パパとママなんだ。」
「そうよ、いつまでも新婚気分ではいられないから、ね?」
 二人は顔を見詰めあって微笑んだ。
 言えない。
 姉の幸せは壊せない。
「莱季はいつから姉貴のこと好きだったんだ?」
「ずっと。初めて会ったときから。」
 莱季の視線は姉に注がれたままだ。
「喜之介と同じ血が流れているんだ、美人だしね。」
 ふと、胸に冷たいものが走った。
 血は、繋がっている、けど物凄く薄い。

2021.03.05
【二十八】
 まず、アダルトビデオを買った。
 そして、女の裸を見て勃起するか確認した。
 無理だ。
 それを、素直に神崎川さんへ伝えた。
「巳之助はどっちもイケた…それじゃあ、プロデューサーに紹介するか。」
 神崎川さんは二度と手を出しては来なかった。代わりにいろんな人がやって来た。
 二人掛かりで犯されたこともある。
 段々、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなってきた。
 そして、実の父親は、俺に何を求めていたのか、考えてみた。
 こんな、爛れた性生活なんか、望んでいないはずだ。
 ふと、父のことを思った、母のことを思った。
 そうか、二人にとって、俺は人質なんだ。
 初めから、あてがっておいて金づるになるならラッキー程度の考えなんだ。
 なら。

2021.03.06
【二十九】
 大河が終わると長い休暇をもらった。
 神崎川さんにも会わなかった、いや、会わなくてもすむほど、俺は仕事に恵まれていたのだ。
「喜之介、もうこんな風に気軽には会えないかな?」
 俺のマンション(以前とは違う、神崎川さんの知らない部屋だ)に、度々やってくる莱季は、最近おかしい。
「喜之介はいいなぁ、独身で。」
「姉貴の悪口は聞かないぞ?」
「悪口じゃない、本当のことだ。もう、全然相手をしてくれないし、子供のことばかり。家にいても寛げない。なぁ、平日、ここにいてもいいか?」
 願ったり叶ったりだ。
「構わないよ、向こうの部屋が空いてるから、好きに使ったらいい。」
 あの部屋は、莱季のための部屋だ…呼ぶ予定のなかった部屋でもある。

2021.03.07
【三十】
 平日、莱季はこの部屋に帰ってくる。
「喜之介はなんでも出来るんだな?」
 ダイニングテーブルの上を見て、莱季が感心する。
 そんな時、玄関ドアが、なぜか開いた。
 リビングにやって来たのは姉貴だった。
「なんのつもりよ!」
 姉貴は、俺の頬を叩いた。
「あんたが、莱季のこと好きなの、知ってるわよ!」
待て、待ってくれ!
「だからって、こんな嫌がらせ…ホントの姉弟じゃないから?だからこんなことが出来るんだ?」
「姉貴!莱季は何も知らない!」
 莱季は、狐につままれたように、ポツンと座っていた。

2021.03.08
【三十一】
 なんとか宥めて、姉貴を家に帰した。
「喧嘩、した。俺が、喜美枝を抱きたいと言ったら、そんな気になれないって。それがもう、何年も。なんか、俺だけ変態みたいに言われて…嫌になった。」
 腫れ上がった頬をアイシングしながら、莱季の話を聞いた。
「夫婦になったら、恋していたらいけないのかな?俺は、本当に喜美枝が好きで、どうしたらいいかも分からないくらい好きで…そう言えば喜美枝、変なこと言ってたな?喜之介が俺のこと好きとか?当たり前か、好きじゃなきゃ親友にならないよな。」
 今の話を聞いて、誰が本心なんか伝えられるのだろう?
 本音を言えば甲斐の家なんかメチャクチャに壊れてしまえばいいと思っている。でも、それでも大学を出るまで育ててくれた家族だ、父の死を伏せてくれていたことも感謝はしている。
「…当たり前だ。莱季のことは、この世の中で一番信頼しているし、本気で俺に付き合ってくれるし、好きに決まってるじゃないか。それに、そんなヤツだから、姉貴に紹介した、だろ?」
「だよな。」
 今、その肩を抱き寄せられたら、その震える唇に自分の唇を押し付けることが出来たら…その一歩が、俺には踏み出せない。
 生涯の夢、だな。

2021.03.09
【三十二】
 莱季を連れて莱季の家に向かった。
 姉貴はどれだけ莱季に愛されているか、男は結婚しても男女の仲を求めるものだと、必死に解き、納得させた。
 お陰で俺の心のなかは再びぽっかりと穴が空いた。
 仕事に復帰し、舞台を踏んだ。
 ドラマや映画と違い、最初から最後までを通しで演じることに楽しみを覚えた。
 毎日同じ演技を求められることもなく、等身大の自分で演じられた。
 この舞台で、高校時代の莱季の面影を湛えた青年と出会った。
「甲斐さんは、結婚しないんですか?」
 胸の傷を抉るような質問を浴びせかけられた。
「モテないんだ」
 苦笑いで答える。
「好きです」
 え?
「甲斐さん、こっちではかなり人気です。」
 こっちとは、そういうことだ。

2021.03.10
【三十三】
「あぁっ、甲斐さん、もっと、もっとしてっ」
 身体の関係になったのは早かった。
「武蔵、まだイクなよっ」
 夢中で愛撫した。
 これが莱季だったら、この腕が莱季だったらと、想像しながら武蔵を抱いた。
「奥、当たるぅっ」
 背後から突きまくり、射精させる。
「あぅっ」
 コンドームの中に、白濁した精液が溜まる。
「喜之介…さん」
「可愛いよ、武蔵」
「一緒に、暮らしたい。」
「いいよ、越しておいで」
 俺は、男を飼うことにした。
 毎晩のように強請られ、身体を繋ぐ。
 一緒に暮らして気付く。こいつはセックスしかしない。
 喘ぐ顔とイク顔と寝ている顔しか見ない。そして、莱季になど、似てもいなかった。
 俺が仕事へ行っている間、勝手に家の中を彷徨き、家捜ししているようだ。
「武蔵」
「はい?」
「出て行け」
 もう、要らない。
 神崎川さんといい、武蔵といい、俺を愛してなどいない。
 そういう俺も。

2021.03.11
【三十四】
 再び一人になった。
 もう、パトロンも要らない、ペットも要らない。
 最初から欲しかったのは莱季だけだ。
 別に莱季と身体を繋がなくてもいいんだ、心が繋がればそれでいい、莱季の心の中に俺が住んでいれば、いい。
「貴様の思うようにはさせん」
 手に模造刀を握り締め、台詞を淡々と口にする。
 周囲から絶賛の嵐。俺はいつの間にか中堅俳優になっていた。
 もう、刃物も怖くはない。原因は実父の死因にあったのだ。
 家の中で包丁を持つのはまだ少し怖い。
 だから、専ら食事は外食だ。
 時々、莱季がやって来てはストレス発散に料理を作って帰っていく。
 そんな生活に慣れていった。

2021.03.12
【三十五】
 父母が亡くなり姉貴は実家に戻った。来夢は成人し、莱季は時々我が家に居る。
「本当に、良いのか?帰らなくて。」
「いいんだ、男女の関係じゃなくなった夫婦なんて、会話もなければ趣味も合わない。なんで結婚なんかに拘ったんだろう?ずっと、高校の合宿みたいに、喜之介と暮らしていれば良かった。」
「そんなこと言ったら来夢が可哀想だ。」
「あいつは…母親に懐いてるから。研師の仕事も俺が最後だ。」
 莱季に、性的な欲求は起きなかった。
 本当に、倦怠期の夫婦のようだ。
「喜美枝といると期待するけど、喜之介ならなんの期待もしないから、気が楽だ。」
 期待、してくれよ…と、少し思った。

2021.03.13
【三十六】
 その日は莱季が、実家に戻って研師の仕事をしていた。
 武蔵とは同居を解消したが、時々身体を繋いでいた。
 舞台俳優として主役も張るようになったのに、本当に俺が好きだったらしい。
「ん…あ…喜之介さん…」
 おじさんが二人、ベッドで絡み合う姿は滑稽だろう。
 下から突き上げ、ゼイゼイと息を継ぐ。
「むさ…し…」
「喜之介?」
 不意に、寝室のドアが開いた。
 失敗した。外で会えば良かった。
「ごめん!」
 莱季が慌ててマンションから出ていく気配がした。

2021.03.14
【三十七】
「ごめんな、喜之介。俺は芸能界ってよくわからないから。その、大変なんだな。男の相手もするんだ。」
 莱季は、勘違いをしているようだ。俺が義務でセックスすると、思っている。
「…まあ、な。」
 なぜ、言えない?
 なぜ、お前が好きだと、言えないんだ。
 なにも言えないまま、別れは突然やって来た。

 莱季が、死んだ。

2021.03.15
【三十八】
 姉貴からの連絡を受け、飛んでいくと、莱季はベッドに横たわり、眠るように死んでいた。
「莱季?」
「心不全だって。」
 姉貴は、そう言うと部屋を後にした。
「莱季?返事しろよ…なあ…莱季…愛してるんだ、ずっと、ずっと…お前が姉貴を好きになるより前から…なんでだよ?なんで置いていくんだよ?莱季!」
 俺の手には今、莱季が研いだ、日本刀がある。
「莱季」
 初めて、その唇に触れた。
「喜之介くんの夢はなんですか?って幼稚園の先生の質問だけどさ、俺は、莱季が好きだと言いたかった。傷ついてもいい、言いたかった。でも、莱季を失うことの方が怖かったんだ。」
 刀の鞘を払うと、胸に抱いた。

2021.03.16
【三十九】
 霊安室に戻ると、辺りは血の海だった。
 私の弟、喜之介はずっと夫の莱季に片想いをしていた。
 同性愛者が両思いになれることは皆無に近いそうだ。
 異性愛者だって難しいのだから、更に人口が少ない世界では仕方ないのだろう。
「おじさん、お父さんと同じお墓に入れてあげるの?」
 息子の来夢も気付いていたらしい。
「知らなかったのは当の本人同士だけみたい。」
 父母も気付いていた。
「お父さんが私と結婚したのは、喜之介に執着していたからよ。」
「純愛じゃん」
「そうね」
 喜之介の実父は、喜之介に呪いをかけたのだ。父の手を取り「喜之介に、宗正を…」と、告げたそうだ。
 宗正とは、喜之介が自殺した日本刀だ。
 あの刀は、名指しされるとその人の血を求めるのだとか。
 懸命に刀とは縁のない世界に導いていたのに、何故か同じ世界に引きずり込まれた弟。
 片想いの相手が研師なんて、最悪だ。
 でも、可愛い弟だったのは、間違いない。

2021.03.17
【四十】
 僕には、ムリだ。

 喜之介は美少年だった。でも、ネクラで無口で目付きが悪かったから、皆が避けた。
「喜之介くん、遊ぼー?」
 幼稚園の僕は、何故か喜之介と遊びたかった。
 喜之介も声には出さないが、満面の笑みで頷く。
 ある日、将来の夢について語るようにと先生に言われ、喜之介はものすごく悩んだ挙げ句に「けーきやさん」と、答えた。

2021.03.18
【四十一】
「俺は、平凡なサラリーマンになりたい。」
 相変わらず綺麗な顔だったけど、ネクラで無口だから、友達は少ない。
「サラリーマンはもっと流暢に話せないとダメだろ?」
「経理でいいんだ。」
 経理、甘く見られたな。
「サラリーマンのプロフェッショナルを目指すんだ」
 喜之介らしい。

2021.03.19
【四十二】
 就職した喜之介が、なぜか一番不似合いなことをしている。
「大丈夫か?」
 思わず電話をかけていた。
『ありがと。やっぱり莱季は俺のことわかってくれてる』
「うーん、わかっていると言うか、努力していると言うか。エキストラ、見たよ。確かに映りは良かった。でもさ、その後のドラマ、ひどかった。」
 喜之介は嬉しそうに大声で笑った。
 こんな風に笑うのは二人の時だけだ。

2021.03.20
【四十三】
 それからは毎回、喜之介が出演したドラマの感想をメールで送っている。
 一人きりの部屋の中で、メールを見ながら、照れ臭そうに笑うんだろう、目に浮かぶ。
 それを思って、僕もまた心が温かくなる。
 どうしてこんなに喜之介に執着するのだろう?

2021.03.21
【四十四】
 喜之介が忙しくなって、会えない日々が続いた。
 僕は、喜之介と疎遠になるのが嫌だった。
 友情がなくなつてしまったら、僕たちの間には何が残るのか。
 切れない糸を結ぶ方法が、ひとつあった。
 喜美枝さんと、結婚したらいいんだ、喜之介が義弟になってくれれば問題ない。
 喜之介に、喜美枝さんとの縁結びをしてもらった。
 これで喜之介とは離れなくてすむ。
 なのに、なんか物足りなさが残った。

2021.03.22
【四十五】
 子供も生まれて、仕事も順調で、なんの問題もないのに、喜之介に会えなかった。
 計算が狂った。
 だって喜之介は、大河の主演俳優になっていたんだ。
 そりぁ、会えるわけがない。
 そう言い聞かせても、空しい。
 最近は避けられているような気がする。
 喜之介。

2021.03.23
【四十六】
 嫌がらせのように、毎日五通のメールを送った。
 それでも喜之介は毎回何かしらの返信を送ってくる。
 細い、繋がり。
 僕が嬉々として喜之介にメールを送ると、喜美枝が怒る。
「だって僕らは親友だから。知らないの?男には妻子より大事な親友がいるんだ。」
 また、怒られた。なんか疲れた。

2021.03.24
【四十七】
「喜之介?」
 テレビで見ていたのと全然違う。
 昔から美少年だったけど、色気みたいなものが加わって男の僕から見ても良い男だ。
「莱季、いつもありがとうな、感想。」
「うん、僕にはそれくらいしか出来なくて」
 なんだろ?動悸がおさまらない。
「僕にさ、笑ってくれる顔とは違うんだな、演技の顔は。」
と、告げたら逃げるように去っていった。
 やはり、避けられている。

2021.03.25
【四十八】
 喜美枝と、喧嘩した。
 大したことではない、相変わらず喜之介の話をしたら怒鳴られた。
 喜之介は、実の弟ではなく本当は従兄弟なのだそうだ。
 もっと早く知っていたら、喜美枝とは結婚しなかった。
 なんだ。だから喜之介に会えないのか。
 なら。
 会いに行けば良いんだ。

 喜之介のマンションで、半分だけ一緒に暮らした。
 物凄く心が満たされた。
 親友って、いいなぁ。

2021.03.26
【四十九】
 喜之介が、男とセックス、してた。
 ショックだった。
 なんで、ショックなんだ?
 そうか。僕は喜之介を独り占めしたいんだ。
 喜之介が好きだったんだ。
 だから、喜美枝を抱くとき、喜之介を思い出さないと勃起しなかったんだ。
 なんだ、失敗した。

2021.03.27
【五十】
 僕は、小さい頃に蜂に刺されたことがある。
 二度目は、ない。二度目は死を意味する。
 職場で、無心で刀を研ぐ。
 そこに、小さな羽音が近付いていた。
 音に気付き、振り向いた。
 姿を、確認した。
「嫌だ、まだ、死にたくない。」
 そう思ったとき、目の前が真っ白になった。
 最期の瞬間、脳裏に浮かんだのは喜之介の、笑顔。

2021.03.28 完