御慶






雑踏のざわめきの中、人の波にもまれながら
今年は色んな事が有ったなぁ
などと考えながら1年を振り返る。
やはり最大の出来事と言えば
「…除夜の鐘」
響き渡る鐘の音を探すよう暗い夜空を見上げてそう呟いた後、俺に澄んだ笑顔を向ける翠。
そう、今年は翠と出会った事
の一言に尽きるだろう。
高校に入学して程なく翠に人目ボレした俺は、約3ヵ月の片想い生活を経てようやく両想いになれた。俺と翠とが数奇な巡り合わせにあったのだと判ったのはそれからまだ暫く後だったが、多分俺達は成るべくして成ったのだ。
たとえそれが同性愛と言う、世間一般の目からは少し歪んだカタチであったとしても…。
翠を好きだと言う気持ちは誰にも負けないだろうし、決して恋愛の本質からは逸れてはいないはず。
本気で惚れた相手がたまたま男だったって事。
今となっては、性別の壁なんて別に大した問題じゃあない。
本人同士が幸せならばそれで良いじゃないか

「こんな人込み、久し振りだよ」
押し寄せる人の波に悪戦苦闘しながらの翠に俺はそうかと返すと、はぐれない様さりげなく翠の腰に腕を回した。が…
もっと薄手のコートかなんか、持ってないのかよ
翠の着ているダウンジャケットの厚みのせいで、細身のウエストの感触がまったく伝わってこない。
一見女の子と良く間違われる翠だが、それでも翠の意志を尊重して外での大胆な行動は控えているのだ。
せっかくのチャンスだと言うのに
物足りなさを感じた俺はそれ程ジャケットの丈が無いのを良い事に、腰骨の辺りからジャケットの中に手を忍ばせた。
身体のラインを辿る様ゆっくりとウエストまで手が辿り着いた所で、
「痴漢」
声に視線を向けると脇から翠が睨み付けていた。
俺はわざとらしく辺りを見回しながら、
「何処、どいつだ」
言った途端に回した腕を抓られる。
「こんな所で何考えてるんだよっ」
「色々」
一瞬開いた口が塞がらなかった翠は、少しむっとして見せると軽く上空を指差した。
「この鐘、何で撞いてるか知ってる?」
百八つの煩悩を除去する為。
だが
「色欲はもっと後の方って事なんだろう」
こんな物で煩悩が無くなるなら、皆こんな所に集まって来ないって
平然と言ってのけると改めて腰をしっかりと引き寄せた俺に、溜め息を一つ吐いて翠は抵抗を止めた。
素直でよろしい
心の中で呟いて、俺がほくそ笑みながら進行方向へ視線を戻すと再び鳴り響いたのは除夜の鐘。人の熱気でここはそれほど寒くは無いが、音につられて見上げた夜空はやはり冬の冷気を帯びていた。
周りの雑音は無視するとしても、天気は良いのに地上の明るさで満天の星と言えないのが情緒に欠けるか…
「ぅわっ!」
翠が突然素っ頓狂な声を出したのは俺が北極星を見つけだした瞬間だった。
何事かと振り返ると戸惑うな仕草でキョロキョロと瞳が動いている。
これはもしや
妙な具合に泳いでいる翠のその視線の端で、流れに逆らいながらそそくさと俺達から遠のく人間がひとり。
間違いない、本物の痴漢だ。
「あんのヤロー…」
人のもんに何しやがるっ
頭に来て小太りのジャンパー野郎を追い駆けようとした俺の腕を、
「いいからっ」
慌てて翠が引き止めた。
「そんな事したらはぐれる」
…ごもっとも
怒りは治まらないがここではぐれてしまっては、探し出すのはまず不可能だ。さすがにこの歳になって迷子呼び出し、なんて事は遠慮したい。
「まったく、場所を考えろって言うんだ。不届きな」
吐き捨てるよう言った直後に気が付いて、咳払いで誤魔化した。
「自分の事は棚の上」
含み笑いの翠の言葉は聞こえなかった事にしよう。
幸い警察の誘導を告げるハンドマイクの声がかなりうるさい事も有って、
「大丈夫か?」
さっさと話題転換を試みた俺だが、それだけじゃなくマジで翠が心配になっていた。
ちょっとこの人の多さは半端じゃない。
ただせさえ翠は人込みが苦手だと言うのに、おまけに痴漢にまで出くわす始末で…
「酔いそう」
既に俺の腕の中にすっぽりと納まっている翠がそう言って、トンっと俺の胸に頬を当てる。
密着度合いは悪くはないが、もっとマイナーな神社にするべきだったと今更ながらに少し後悔しながら幾つ目かの門をくぐった所で、翠が少し顔を上げた。
「もう少し近づける?」
俺は前方を睨みながら唸ってしまう。
ようやく本殿の辺りまで辿り着いた俺達だったが、確実に賽銭が届く距離まで到達するにはかなりの根性が要りそうだ。これ以上本殿に近付くと抜け出す方もきっと一苦労だろう。
「ここら辺りで済ませた方が良さそうだな」
言葉に頷いた翠を確認する。俺が賽銭用の小銭を取ろうとポケットに手を突っ込みながら、何気なく視線を向けたその先に見覚えのある後ろ姿。
俺はポケットの小銭を固く握り締めた。
さっきの痴漢野郎だ
ジャンパーの色が緑だと言う事がまた余計に俺の神経を逆撫でするじゃないか。
敵は前方約5m…よりもう少し遠そうだが充分射程距離範囲内。
グッと小銭を握り締めて腕を引きぬいた俺は、片手で大きく振りかぶった。人の波に押されながらも狙いを定め、
お前、そこ動くなよ
スナップを利かせて素早く腕を振り下ろすと、俺の指から離れた小銭の行方を追う事約1.5秒。
スコン
と、音は聞こえて来なかったが…
後頭部を抑えながらきょろきょろとしている痴漢野郎。
ざまぁ見ろだ
少し優越感に浸ろうとしかけたところで
「よよ、美都っ」
情け無い呼び声に、気が付くと側に居るはずの翠が人の波に持って行かれかけていた。
「悪い悪い」
余計な事をしてる場合じゃなかった
「…何か珍しい物でも有った?」
直ぐに追いついた俺にホッと胸を撫で下ろして見せた翠がそんな事を聞いてくる。
「前の方睨み付けてただろう?」
さっきの痴漢に報復攻撃を仕掛けていたとは言えず、
「真面目に願い事してたからな」
翠は怪訝な表情になる。
「親の敵に会ったみたいな顔してたよ」
さすがに人の表情を読むのが上手い。的は得てるが、正確には恋人の敵だ。
「世界平和を願ってたんだ」
数秒真顔で俺を見つめた翠は
「あっ、そう」
さっさと会話を切ってしまった。
さすがに付き合って半年も過ぎると、お互いの性格も良く分かってるって事か
などと考えて…
何の願い事もしていなかった事に今気が付いた。
一体俺はこの人込みに何をしに来たんだ





…………… * …………… * …………… * ……………







不浄なものの侵入を禁じる印として正月に張るのが注連飾り、らしい。
「へぇ…。こう言うの、今時ちゃんとするんだね」
それを眺めながら物珍しそうに翠が呟いたのは俺の家の玄関先だった。
「商売人はゲンを担ぐんだ」
ふぅんなどと言いながら翠は視線を注連飾りから外して、何やら嬉しそうに人の家の玄関先を観察している。
「注連飾り以外は別に珍しくも無いだろう? ほら、寒いから早く入るぞ」
カラカラッと扉を開くと少し表情を硬くした翠。
「緊張しなくても、皆寝てるって」
「そうなんだけど」
翠を家に招待したのは始めてだ。
「やっぱりちょっと、ね」
別に呼びたくなかった訳じゃないが、過去に起こったある出来事が理由で何となくお互い避けていた。初詣の後まだ帰る気にはならなくて、何処で時間を潰そうか迷ったのだが
『美都の部屋ってどんなかな』
確か一度だけ翠がそう言った事を思い出した俺は、さほど迷わず家に誘ってみた。
この時間なら家族の誰とも会わずに済みそうだったからだ。
「お邪魔しまぁす」
シンと静まりかえている玄関で申し訳程度の挨拶をしながらスリッパに履き替えた翠は、ジャケットを脱ぐと少し寒そうに肩を竦めて俺の少し後に付いた。
部屋に向う途中
「美都の名前って誰が付けたの?」
このタイミングでこの質問をしてくるという事は…
「お袋」
「もしかして、あれのファン?」
…やっぱり気付かれたか
「昔な」
俺の兄弟の名前。
上から順に、清志・正義・美都となるのだが、頭の漢字を並べると
”清く、正しく、美しく”
すみれの花の咲き放題だ
「兄貴達はともかく、俺だけ少女漫画みたいなんだよなぁ」
まだ都が人じゃなかっただけマシだろう
「だけど僕は好きだな、美都って名前。最初見た時綺麗な名前だって言ったのお世辞じゃなかったんだよ」
「そんな事言ってたか?」
小さく翠が笑う。
「美都、すっごい不機嫌な顔してたからね。どうせろくに聞いてなかったんだろうけど」
「とーぜん」
言いながら振り返り、翠の頬に軽くキス。
「名前、誉めてもらったお礼」
目を丸くしたままの翠に笑顔を向けると、
「ばーか」
上目遣いの憎まれ口と少し照れた笑みを返してくれた。

「思った程狭くないじゃん」
冷え切った部屋の中、翠は身体を抱き込むようにしながらも今度は部屋の感想を述べる。俺はそれを耳の端で聞きながら、暖房をつけようとリモコンを捜していた。
何処に行ったんだ、このクソ寒いのに
「なんか生活感が有って良いね」
物は言いよう
「散らかってて悪かったな」
翠が背後でけらけらと笑った。
せっかく招待してみたものの、俺の部屋は年末の大掃除どころか、まったくの無法地帯。
最後に使ったのは何時だ
と眉間にしわを寄せていると、寒さのせいでジャケットに再度袖を通しかけた翠の姿が目に入る。
おいおい、一度脱いだものを着るんじゃない
思った瞬間良い事を思い付いた。
「翠、こっち」
呼び掛けに顔を向けた翠の腕を掴むと、そのまま側のペットに潜り込む。
「まっ! こらっ、ななな何考えて…!」
暗闇の中で、もがきながら叫ぶ翠の上に覆い被さって
「初乗り」
「馬鹿っ。除夜の鐘、最後まで聞いただろっ」
「だから今まで我慢してた」
「1時間しか経ってないよっ」
いつに無く激しく抵抗する翠に、全体重を掛けながら
「無駄な抵抗は止めなさい」
言った直後、
「おわっ!!」
チルド室から出したてのような冷たい両手を首筋に回されて、背筋を駆け抜けた悪寒に反射的に飛びのいてしまった。
「お前〜」
心臓が止まるかと思ったぞ
ところが俺が睨んだ先で翠が負けじと睨み返されては、少し当惑の色を浮かべないではいられない。
部屋には2人っきり、時間は深夜で場所もちゃんとベッドの中。
基本的にこう言ったシチュエーションで翠は抵抗しないはずなのだ。
すると
「隣、お兄さんの部屋なんだろう?」
少し困ったふうに苦笑いを浮かべて翠が俺の疑念を解いてくれた。
珍しく抵抗したのはそういう事か
「大丈夫。隣は留守だ」
ったと思う。…多分
唯一心配の種を取り除いてやると、黙って俺を見つめる翠の頬にそっと手を伸ばし指で触れる。
ピクッと肩を竦める翠。
まだ冷たい頬をその指で辿って行き耳の辺りで遊ばせながら
確かこの辺り…
「くすぐったい」
翠がクスクスと笑う。
あの夏の夜から、幾度となく身体を重ねて来た俺達。全て知り尽くしたとまでは言う気はないが、それなりにお互いの身体の事は熟知しているつもりだ。
翠の場合感度が良すぎると言うかなんと言うか…
うっかりポイントを間違えると、事の最中に時々こうやって笑い出されてしまう。
俺の指を制止するよう重ねられる翠の手。
その行動が拒絶とも容認とも理解し難くて
「本当に、やる気はないか?」
真っ直ぐに瞳を見つめながらの問い掛けに、握っていた俺の手を唇まで運ぶと軽く口付けて見せる。次いで少し握り直した翠は、何処かで見た映画の様に今度は指に唇を付けたまま艶っぽい仕草で俺を見上げた。
それが無言の意思表示
目を細めて翠の視線を受けた後、俺はもう一度静かにゆっくりと翠に身を沈めた。

…正月そうそう
とは実際思わなくも無かったが、凛とした空気の中、静寂をまとわせて繰り広げられる性交が何故か厳かな儀式の様にも感じられて…。
辺りに漂うのは清新の気配。
薄明かりの中で探り合うように体温を交わし、身体を深く結んだまま俺はじっと翠の熱を感じ取る。
「…美都」
囁かれたしっとりと甘い声が、翠の肩口に顔を埋めた俺の耳元をかすめた。
「なんか…」
呟きは吐息となってかき消されてしまい、
「違う?」
俺が繋いだ言葉にコクンと翠が頷いて頬を俺の髪に押し当てた。行き場の無い欲情を押え込むように強く俺にしがみ付いてくる。
ほんの少しの刺激でも、俺の手の中で予想以上の反応を返す翠。
いつもなら有り余る若さと力に任せて貪り合う俺達だが、こう言う抱き合い方は始めてだった。

赤く静かな炎を放つ熾火のような、たまにはそんな燃え方も悪くない





…………… * …………… * …………… * ……………







ゆっくりと茜色に染まる雲。
俺の隣で頬にほんのりとその色を移しているのは寒さのせいか、それともさっきの名残のせいか…
視線を向けると伏し目勝ちに小首を傾げる翠。
…後者の意味と解釈するか

駅まで送りついでに少し回り道をして、近くの土手まで初日の出を見に来た俺達だが、
「何処に行っても人が居るんだね」
初霞の中、土手を所在無げにぶらぶらとしている人影を目で追いながら、翠が白い息を吐きながら言う。
「今日は何処に行ってもこんなものだろう」
俺の言葉に翠は大きな溜め息をひとつ。
初詣の後翠のマンションに行かなかったのには理由があった。翠は今日これから数年振りかで父親と正月を過ごすのだ。翠は一緒でも構わないと言ったが、最愛の妻の忘れ形見にお手付きした俺としてはまだ当分ご対面は避けたかった。
「外食するって言ってたから、また人込みが待ってるのかなぁ」
「心配しなくてもちゃんと車、用意してるんじゃないか? 有名人がこんな日にウロウロしてたら大変な事になるぞ」
翠の父親は巷ではかなり有名な人気小説家だ。
「有名なのは文章の方で、顔はそれほど知られて無いと思うよ」
…うむむ
などと少し唸りながら視線を上げると東の空が明るさを増していた。
「もうすぐだ」
俺の仕草に気付いてそう呟いた翠に頷いた後、
「さっき何て願い事したんだ?」
ふとそんな事を聞いてみたくなった。
一瞬キョトンとして見せた翠は悪戯っぽく口の端を上げる。
「美都の性格が良くなります様に…って、うそっ。うそうそっ!」
語尾が悲鳴に変わったのは俺が肘で抱え込むように首を絞めたから。それでも笑いながら俺の腕からヒラリと逃れて、
「そういうのって言うと御利益無くなるんだよ」
「言わなくてもあの競争率じゃあ、叶う確立低いんじゃないか?」
翠は複雑な表情を浮かべた。
それはよっぽど大切な願い事をしたと言う事か
そんな顔をされると尚更願い事が気になってしまい、今度は視線だけで催促して見せた俺に諦め口調で翠が告げたのは…
「美都にとっていい年であります様に」
俺は驚いて翠を見つめる。
「マジ?」
頷きながら
「だけど御利益無くなった」
少し拗ねてそう続けた翠。
至福の時
とはまさしくこう言う時だろう。
今この瞬間、俺は何よりも幸せを感じないではいられない。
「キスして良いか?」
「絶対駄目」
即答して俺から3m後退ってしまった翠に思わず舌打ち。
…予告したのが失敗だったか
取り敢えず今回は諦めて、何もしないと笑顔で手招きすると警戒しながら戻って来た翠が僅かに目を細めた。
肩越しに振り返れば立ち並ぶ対岸のビルの間からが射し込む金色の光。
日の出だ
ゆっくりと強くするその光を背に俺は翠に向き直った。
そして仰々しく頭を下げながら、
「明けましておめでとう」
するとそれに合せるように、翠も新年の祝辞と共に深々と頭を下げてみせる。
馬鹿丁寧な挨拶は此処までとして…
多分神社で俺が願っていたであろう今年の祈りは、今となっては別に神様に頼る必要も無いものになってしまった。
何故かって
「翠の一年は俺が良い年にしてやるよ」
それで俺達の願いは叶う訳だから。
大きく瞳を見開いた後、翠は綺麗な綺麗な満面の笑み。
しっかりと初日を受けながら頷いて、
「これからも宜しく」
翠の言葉に俺も頷き返した。

そう
今年も…ではなく、これからも、だ
俺達はまだまだ始ったばかりなのだから







いつもお世話になっている聖さんのHP1周年のお祝いとして作らせて頂きました。
美都と翠のラブラブな1日と言うリクエストでこのような作品に仕上がりましたが、
私はHシーンがあまり得意でないので過激さと言う意味では全然物足り無かったかも…。

本編をご存知無い方は分かり難い部分もおありでしょうが、
一応それ以外の補足説明として2つほど。

題名の御慶はギョケイと読みます。
新年の祝辞の事です。

それから”清く・正しく・美しく”ですが、
確か某有名音楽学校(歌劇団の方だったかもしれない)の
校訓だった様に思います。
でも、間違っていたらごめんなさい (^ ^ ;

それでは聖さん、1周年おめでとうございます。
これからも頑張って下さい。

'00.1 春眠