=恋煩い=
「武、ちょっといいか?」
 ドキドキする、誰かが武の名を呼んだだけでドキドキする。
 部長が武を呼び出し、どこかへ行った隙を狙って席を立った。
「行ってきます」
 このまま社内にいるのは身体に毒だ、得意先訪問に出掛けよう。
 金庫から車の鍵を取り出し、慌てて部屋を後にして倉庫のドアに手を掛けたときだ、
「でも・・・」
と、微かな声がした。
「だから、そんなんじゃなくて、もっと…」
 武?
「あっあっあっ…」
 艶っぽい声…ここで、何をしているんだ?
 ガッ
 俺は後先を考えずにドアを開けた。
なんだ、横山か。」
「あ、部長、得意先回りに行きます。」
「あ、ああ、そうか。よろしく。」
 訳のわからない返事をして、部長は倉庫を出て行った。
「…横山、今の、聞いちゃったんだよね?」
 泣きそうな瞳が言う、『深追いするな』と。
「本当に駄目だとなったら呼んでくれ、必ず飛んでくる」
 まさか命までは奪わないだろう。
「ありがとう」
「その代わり、今夜は家に来てくれ。」
 暗に『続きの催促』をしている。
「うん、横山の部屋に行くよ。」
 瞳が微笑んだ。
 だから俺は武を信じた。
 武が手伝ってくれ、思ったより早く荷物を車に積み込んだ。人目を忍んでキスを交わし、別れを惜しん
で車中の人となり、冷静になった。
 さっきの声、艶っぽいというよりは無理やりっぽくなかったか?なんでも悪く考えてしまう悪い癖だ。
 でも無理やり声出すのって、なんだ?
 ああ、堂々巡り…。
 聞いても武は言わないだろう、そういう奴だから。
 もしも本当に俺の手助けが必要だったらしがみついてくるだろう。相手が男だと、したくとも出来ない心配
がある。プライドを傷つけるわけにはいかないのだ。
 武はそれ以上にプライドが高かったりするし。
 その日の夜、一足早く家路に着いた俺は、ガラにも無く夕飯の支度をして待っていた。まぁ、スーパーの
惣菜ばかりの食卓だったけど。
「ん…」
 先日、やっと一歩進んだ関係を更に深めるため、俺たちはベッドの上にいた。従順に、でも確実に本能の
まま、乱れた。
「あ、あっ…」
 獣たちの象徴は、今夜も仲よく向き合って涎を垂らして待っている。
「あっ、も、駄目…」
 気持ち良い時とイク時は声にするよう言い聞かせた。快感に身を委ねた武は可愛らしく顔を歪めて射精し
た。俺は武の精液を手のひらで受け止めた。
「もう少し、前に進んでみよう」
 俺はそう言うと今受け止めたものを潤滑剤替わりに、羞恥の場所に手を伸ばした。
「なに?」
 蕾はきつく、俺の侵入を拒んだ。
「いやっ、やだ…気持ち悪っ、…」
 片手で蕾を犯し空いている手で欲望を扱く。
「んっあっ」
 快感の声に変わる。指はまだ一本だけ、焦ってはいけない…。
 武の欲望を口腔で包んだ。
「いやっいやっ」
 子供のように髪を振り乱して頭を左右に振る。前で感じているときに後ろも中で動かすと段々感じてくるよ
うになって最終的には後ろだけでイクようになる…はずだ。
「俺のもんだ…武」
「んっあぁっ、横…やぁ…まあぁ」
 翌朝、再び武は部長に呼ばれて何処かへ行ってしまった、多分又倉庫なのだろう。
「あっあっあっいっいっいっ」
 やっぱり…でも何でだ?夕べあんなに何度も俺の腕の中で愛を囁いて感じまくっていたくせに、またこん
なに鳴かされて…って違う、武を信じるんだ。
 そう思いながらも俺はドアの前を離れられないでいた。
「うっうっうっえっえっえっおっおっおっかっかっかっ」
 ん?倉庫の中では何が展開されているんだ?
 今日は開ける用事がなくて前でうろうろするしかなかった。
「もっとだ」
「あっあっあっ」
 駄目だ、我慢できない…取っ手に手を掛けたその時、
「可愛いな武は。私の言う通りにするなんて…」
「な、何するんですか?止めてくださいっ、騙したんですか?離せ…」
 ガッ
 今度は取っ手を引いた。
 倉庫の棚に両手を押さえつけられた形で武が部長に捕らえられていた。
 俺を見て部長は慌てて手を離した。
「部長、三番に奥さんから電話です。」
 俺は相当表情を凍らせていたはずだ、彼はすごすごと出て行った。
 武のそばまで行くと黙って抱き寄せた。
「怖かった…騙されたよ、入社式で挨拶しろと言われて…」
 饒舌な唇を塞いだ、武は素直に受け入れた。
「お前は声が小さいから発声練習とか言ったんだろう?入社式なんて関東の営業所から行くに決まって
るだろう?…心配だよお前…」
 仕事に関しては切れるのにそれ以外はボーッとしているんだから、心配で仕方ない。
「尚敬(なおたか)、俺のそばにいてくれ。」
「やっと、名前を呼んでくれた…」
 俺の背中に回された腕に力が入った。
 腰を抱き顔を寄せる。
「由弘…」
 武の唇が確かにそう言っていたのを見届けて、重ねた。


「横山、お前は僕の前に何人と寝たんだ?」
 夜、ソファで武の身体を腕に抱き愛を囁こうとした瞬間だった。
「何でそんなことを…」
「気になるんだ、お前の過去が。」
 素直な感情だ。そう言えば前にもそんなことを聞いていたなぁ、武。
「そういうお前はどうなんだよ。」
「僕?僕は…」
 暫く考えていたが観念したらしい、いないと寂しそうに笑いながら答えた。
「どうやら横山が初恋みたいだ。」
 そんな可愛いことを言う。
 童貞なのはこの間告白された、しかし恋愛もなかったのか。
「俺が、あんなことしたから?」
 送別会の夜だ、キスをしたから、気になったのか?
「いや、あのときは戸惑っていた。いつも人のこと馬鹿にしてた奴がなんで僕に?って。常に視線の先に
横山はいたから。」
 常に?
「何素っ頓狂な顔してんだよ、気になってたんだよ…それが恋だとか愛だとかは思ってなかっただけだよ
。」
 拗ねて背を向ける、それを背後から抱き締める。
「武…尚敬と愛し合う為の予行練習はかなりしたよ、それは確かだ。けど…」
「いいっ、言うなっ、恥ずかしい」
 腕の中から逃れようとするのを力ずくで阻止した。力では負けない。
「俺は言わない、尚敬から言ってくれ」
 そう言われるとは思っていなかったらしく、顔を真っ赤にして俯いた。
「言われるのが恥ずかしいんだから言うのはもっと恥ずかしいよ」
 それでも掴んだ手首の力を緩めずにじっと見つめた。
「わかったよ、言うよ、言うから手、離して。痛い。」
 ゆっくりと手を開き武の腕を解放する。
「『セックスしたい、身体を重ねたい』…これでいいか?」
「いいのか?俺は違うこと考えてたぞ」
「嘘」
「本当だよ、俺は何年でも待つって言うつもりだったのに、もう決心したんだ?」
「早まった…」
「…もう、待たない。一年だからな」
 そう、あの送別会からもうすぐ一年だ。
「それに…」
 言い掛けてためらう。
「なんだよ?」
「ん…部長に先越されたら、俺へこむ…こんなに大事に愛を育ててきたのに…」
 バチッ
 言っている途中で頬をはたかれた。
「馬鹿。僕が…僕が惚れているのはしょっちゅう計算間違いして、得意先に商品持って行くの忘れて、間
抜けなのに業績上げてる、変な奴だよ!部長になんか触られるのだって嫌だ。」
「だったら無防備に二人っきりになるな。前に迫られて困っていたんだからわかるだろう?尚敬は俺の
そばから離れるな。」
「だったら、縛りつけておけばいいじゃないか!」
 よっしゃ、上等じゃねーか。
「マジ…かよ?」
 武の顔色が変わった。でも俺は決めたんだ、今夜俺のもんにする。そして明日、部長に言ってやるん
だ。
「尚敬、抱くから。」
 それだけ言うと武を抱き上げ、寝室へ運んだ。今夜は泣いても抱く。決めたんだ。
 着ていたトレーナーの裾から手を入れ、敏感な突起を摘む。
「んっ」
 それだけで武は身体の形を変えた。だから急いでスエットのズボンを脱がした。
「武、もう恥ずかしくないだろう?」
 顔を手で覆いながらも次に俺が触れるのを待っている。
「僕の決心が揺らぐ前に…本当の意味で由弘のものになりたい。」
「違う、俺は尚敬のものでもあるんだ。お互いに…」
「わかったから…後で…」
 そうだ、今は行為に集中しよう、折角のチャンスだ、逃す手はない。
 武をベッドに残し、クローゼットに向かう。何度か買い換えたコンドームとちょっと高かった潤滑剤。暫く
用事がないと思いながらもいつかは必ず必要だからと買い置きして正解だった。
 武は顔を覆ったまま足は閉じていた。そこは変化したまま、いや更に変化を遂げていた。



「武、俺さぁ左遷になるかもしれない。」
 なんで?と言う顔で問う。
「部長に『武は俺のもんだ』って言ったら『社内恋愛は禁止だ』って言うんだ。だから『じゃ、部長は武をどう
するつもりだったのか?』って聞いたんだ。なんて言ったと思う?『私は武が心配だったんだ。横山のよう
な奴に狙われているのは知っていたから』だってさ、あほだねー」
 武は笑っていた。
 あほなのは俺だ。もうすっかり武に骨抜きにされている。
 今夜はどちらの家に行こうか?どんな風に泣かそうか…。そればっかり考えて、気付いたらニヤニヤして
いた。
「出かけてきます」
の声に顔を上げたら、所内には誰もいなくなっていた。慌てて行動スケジュールを書き込み、部屋を後に
する。
「遅い」
 駐車場には武がいた。
「今日は『横山同行』って書いて来てあっただろうが、遅すぎるんだよ。」
 『会社の顔』の武がそこにいた。
「ごめんごめん。」
 2人で車に乗り込んだら、急に
「痛くてまともに運転できないんだよ、椅子に座るのも辛い…」
「じゃ、今夜は『前だけ』、かな?」
「…」
 キーを差し込みながら振り返ったら、本当に真っ赤に熟したトマトのような『恋人顔』の武が、いた。