=かごめかごめ=
 いつだって僕の後ろに立っていたら見えるものも見えないじゃないか…。


 駅に着いてからずっと走ってきた。走って走って走って…今玄関前に立っている。ポケットに入れたはず
の家の鍵がないのだ。走ってきたから落としたのだろうか?でも途中で落としたような気配はなかったのだ
が…。
 しかし、半分以上正気でなかったのだから気付かなかったのだろう。
「どうしよう…」
 自分のアパートの前でヘタヘタと座り込む。
 ここまで帰ってきたのに、自ら締め出される結果になるとは。
 ドアに背を預けてボーっと空を見上げた。幸いにも雨は降りそうにない。梅雨の晴れ間…しかし僕の心は
曇っていた。
「どうしよう…」
 繰り返し吐き出される言葉。その時膝の上に置いたバッグが床に落ちた。
 中からポロリ、鍵が出てきた。
「何で?」
 全く記憶にない。自分がバッグの中に鍵を入れるはずないのだ。
 それでも部屋に入れるという結果だけを良しとして、急いで鍵穴に鍵を差し込む。
 カチャリ
 施錠が外れる、心地よい音がした。
 ドアを開け部屋に入ると、急いで鍵を閉めて靴を脱ぎ、スーツの上下を脱ぎ捨ててそのままベッドへ直行
した。
 このまま眠ってしまえば、この変な気持ちはなくなるはずだから…。


 自慢じゃないが、僕は学生時代それなりにモテた。だから恋愛で不自由を感じたことはなかった。
 それが何故だか社会人になってから全く声が掛からなくなった。
 毎日毎日、営業回りでくたくたになって帰ってきて、風呂に入って寝て、起きてまた会社に行く…なんと潤
いのない生活だろう。たまに後藤と飲みに行く程度で本当に楽しみがない。
 週末が来るのが楽しみだ。飽きるまで寝て、腹が減ったら飯を食う、そんなことが楽しい。でもこれでは何
時まで経っても恋人が出来るはずがない…。
 うちの会社は今時珍しく『社内恋愛禁止』を掲げている。まぁ、言い訳程度でしかなく、何人もの先輩は元
事務職の奥さんだ。
 しかし…何故だか社会人になったら身近な女性からモテなくなってしまった。

 今日も何時も通り、身体も頭もクタクタに疲れていた。しかし以前から決まっていた部署内の親睦会があ
りどうしても出席しなければならなくなった。
 社内の飲み会の席では出来るだけテンションを高めに維持している。でないと直ぐに滅入ってしまって暗
くなってしまうからだ。
『俺はここで何をしているのだ?何でこんなことをしているのだ?』
と、堂々巡りがはじまってしまうのだ。
「勝浦、なんか様子が変だぞ。」
 その日、俺の隣に座っていたのは横山さんだった。一ヶ月ほど前、東京営業所から異動してきた。
 既に目が据わっていて出来上がっていた。
「俺より横山さんのほうがやばいですよ。」
 そう声を掛けて席を立った。尿意を覚えたからだ。
 用を足して手を洗い、便所を出ようとした時だった。外からドアが開けられ、横山さんが入ってきた。
「おぅっ」
 右手を挙げ、楽しそうに俺を見た。と思ったら突然、抱きつかれたのだ。
「横山さん、酔っ払いは嫌です。」
「馬鹿、酔ってなんかいないよ。でもこうでもしていないとやりきれないんだよ。」
 両手で俺の頬を挟み…唇を重ねられた。
 慌てて胸に手を当てて力いっぱい押したので、舌の進入は拒めた。
「なにすんですかっ」
「勝ちゃん可愛い」
 横山さんは笑っていた。俺は彼にからかわれたのだ。
 悔しかった。
 そのまま席に戻ると、「具合が悪い」と言い訳をして、場を後にした。
 嫌なはずなのに、とっても嫌なはずなのに…。
 どうして男にキスされなければいけないんだ。何のために俺はこの会社に入ったんだ?もう、本当に全て
が嫌になってしまった。
 なのに俺は翌日、いつも通りに目覚めて、いつも通りに出勤した。
 事務所に辿り着くと横山さんが俺を見つけて飛んできた。
「ごめん。あんなに怒るとは思わなかったんだ。許してくれ。」
「いいです、別に。気にしていませんから。」
 そう、俺は決めていた。会社を辞めようと。胸のポケットには辞表が入っている。
 すると横山さんは急に真剣な顔になった。
「俺さ、勝浦見てて思ったんだけど、、肩に力が入りすぎだよ。そんなんじゃ、潰れる。もっと周りを見て使
えるものは使え。でないと…」
 横山さんは主任を指さして耳打ちした。
「あの人みたいになっちゃうぞ。」
 主任はいい人だ。だけど人が良すぎてやらなくていいことまで引き受けていたりする。
「そんなつもりはないんですけど…」
「だったらまず、机の上の書類、本来やるべき人間に戻せ。一緒に行ってやる。」
 俺は気付いた。横山さんは優しさからあんなことしたんだ。俺が沈んでいたから、元気付けてくれたんだ
、きっと。…やり過ぎだけど。だからとりあえず横山さんの言うとおりにすることにした。
 あれから横山さんは俺を励ましてくれたり、手伝ってくれたり、時々からかわれたりしたけど良く気遣って
くれる、いい先輩として接してくれる。
 だから俺は素直に横山さんを『横山先輩』って呼べるようになった、一番信頼し、尊敬する先輩だ。…でも
禁止されている社内恋愛をしていた。相手は同僚の武さん。正直言って戸惑っている…。



 今日、岡部課長の結婚式の二次会に二人で現れた。
「勝、一人か?」
 左手はしっかり武さんの腰に回されている。
「いえ、もうすぐ後藤がくるはずですけど…」
 視線がついつい、左手にいってしまう。
 男同士で恋愛?なんか、変だよ、絶対に。
「ええなぁ」
 遅れてきた後藤が呟いた。
「うん、嫁さん早く欲しいな。甲斐性がないけどさ。」
「嫁さん、欲しいんか?」
「可愛い娘だったら直ぐにでもOKだよ。」
 そう答えた俺に、急に真面目な顔になって真っ直ぐに見詰めてきた。
「俺が、好きだ言うても、あかんか?俺は武さんが羨ましいねん。愛する人に追い掛けて来て欲しいねん
。あかんか?」
 後藤の手が両肩に添えられ、俺を揺さぶる。
 冗談?一年前の横山さんみたいにただのスキンシップ…待て、彼は同性愛者だ、だったら後藤も…。
 肩に置かれていた手が離れた。
「あかんみたいやな」
 寂しそうな横顔。
「んなこと、ない…けど」
 おい、俺の口!何をほざいている!
「勝ちゃん、ええんか!俺の恋人になってくれるんか!」
 無理だ、後藤相手にそんな…。
「とりあえず、デートしよ。」
 頭ん中がガンガンする。
「ごめん、俺、今日は帰る。」
 二次会が引けると、逃げるように帰路についた。
 岡部課長の二次会から逃げ帰って、風呂にも入らず布団をかぶって寝てしまおうと試みたが、駄目
だった。
 あいつが俺にそんな感情を抱いていたなんて。
 俺と付き合う?付き合って何するんだ?一緒に飯食ったり朝まで飲んだりカラオケ行ったり…は、すで
に今までもやっている。
 それ以上…一年前の横山先輩とのキスの感触が蘇った。
 男同士でキスするのか?抱き合ったり、見つめ合ったり…駄目だ、考えられない。どうやってセックス
するんだ?俺はやっぱり好きな奴とはセックスしたい。でも後藤じゃ無理だ。抱いても可愛らしくないし、
あいつが喘いでいる姿なんて想像できない。どちらかと言ったら俺の方が…―目の前が真っ暗になった。
 布団の中から這い出て、風呂場へ入った。コックを捻って頭からシャワーの湯を浴びる。少し覚醒しなけ
れば駄目だ。
 落ち着け、落ち着くんだ。駅からずっと走り通しだったから、きっと思考回路がショートしているんだ。頭が
冷えてくれば冷静になれるはずだ…。
 しかし、俺の網膜に焼きついた、横山先輩と武さんのツーショット。腰を抱いた腕、見つめ合う瞳、照れた
ように笑う口元、さりげなく気遣う仕草…全部艶っぽく映ってしまっていた。そこに自然と重なる後藤と自分
の姿。
 後藤が俺を抱き寄せたり、熱い眼差しで見詰められたり、ゆっくりと唇が近づいてくるのを俺は受け止め
ていたり…妄想がエスカレートし始める。
 気付くとベッドの上で互いの裸体を抱きしめ合い、擦り付け合い…(俺の右手も動いていた)。
「うっ…」
 達ってしまった…。後藤のこと考えながら…。
「うわぁ〜」
 危なく大声で叫ぶところだった。寸でのところで押さえて、慌てて風呂場から飛び出した。
 裸だからいけないんだ。ベッドも駄目だ。だけど台所も駄目だ、さっききの横山先輩たちが甘えるように料
理を口に運んでいたのを思い出してしまう。
 ベランダに出て、風に当たろう・・・。
 俺は四六時中あいつのことを考えさせられるという罠にはまったようだ。兎に角考えるな、そう言い聞かせ
たときだった。
 メール着信音が携帯メールが届いたことを知らせた。
 心臓が早鐘のように鳴る。
 開くと案の定、後藤からだった。
『さっきはゴメン、俺どうかしていたんだ。忘れてくれ。休み明け、無視しないでくれ』
 胸が痛い。
 あいつはこれだけの文章を俺に送るのにどれだけの時間を掛け、どれだけの時間悩んだのだろう。
 考えてみればあいつはこの一年と数ヶ月、いつだって俺のフォローをしてくれた。いつだって俺の背後で
俺を見守っていてくれた。
 多分俺は、あいつがいなかったら今みたいに頑張っていられなかったと思う。辞めようと思っていたとき、
確かに引き止めてくれたのは先輩だけど、ポケットの中の辞表を見つけたときに怒ってくれたのはあいつ
だった。真面目に、考えてみよう、後藤輝基のこと。


 結局、折角の日曜日はいつも以上に何も手につかない一日だった。


 そういえば、どうして鍵がバッグに入っていたか、思い出した。
 慌てて会場から飛び出したとき、後藤に落としたって呼び止められたんだ。でも何を落としたのかも分か
らないくらい動揺していて、黙って受け取ってバッグに入れたんだった。
 あの様子を見ていてあいつは俺が困っていると判断したんだろう。
 確かに困ってはいる。でもそれは後藤が嫌いなわけではなくて今後、どういう風に付き合っていったらい
いかということについて困っているんだ。
 今まで通り、同期として付き合っていくことは不可能だ。俺はあいつの気持ちを知ってしまったから。
 だからと言って、恋人になるのは絶対に無理だ。俺はいたってノーマルであって、女の子が好きだし、セ
ックスが好きだし、柔らかい丸いラインの尻が好きだし…。
 けど…
 このあと俺は同じことを数時間ずっと考え続けていた。
 考えていても仕方ない、とりあえず、明日の帰りはカラオケにでも誘うかな。