=幸福の、駅=
 いつだって心の奥にずっととどめておくはずだった。

 横山さんが赴任してきたとき、武さんがとても幸せそうに見つめていた。だから二人の関係は直ぐに分か
ってしまった。
 自分は、誰にも悟られないように、同期の枠を越えないように、必死で耐えてきた。あの2人も同様に同期
であり、ライバルであるはずなのに幸せそうだ。
 誰かを恋うことがこんなに辛いと思ったことは未だかつて無かった。
 初恋は幼稚園バスの運転手さん、次が小学校で新任の体育教師、魚屋のお兄さん、友達の兄貴、クラス
メート(男子校)…と、いつも同性。それが変だと言われて初めて気づいた。
 俺はゲイだ。
 いつも自分より年上とか背が高いとか、兎に角自分を上から見下ろしてくれる人を望んだ。
 しかし、周囲に簡単に同じ嗜好の人間がおらず、未だに童貞のままである。女に興味はない、ハッテン
場は嫌だ。
 一生童貞でもいい、好きになる人間に好かれたい…そんな子供じみたことを願っていた。
 大学時代、初めて付き合ったかな?という男ができた。
 そいつとは社会情勢やら宇宙理論やら色んなこと話した。たまにデートもした。でもそれだけだった。キス
もなければセックスもない、本当に恋人だったのか、あやしいもんだ。でも、別れるときはかなりもめたか
ら、やっぱり付き合っていたのだろう。
 社会人になり、勝浦と出会った。
 あまりにも俺の理想の男だった。一本気で熱くて単純。ルックスもどこか少年ぽさを残した顔で身長はほ
ぼ俺と同じ。ま、贅沢言えばもっと馬鹿だったらよかった。
 横山さんがゲイだって気づかないくらい、真面目な奴だった。そう、勝浦は違うんだ、ノーマルなんだ。
 悩んだ。こいつならきっと自分をもっと自分らしくしてくれる運命の人だと。
 少女のような漠然とした思いはある日確信となる。


「テルちゃん、ちょっと手伝ってよ。」
 横山さんが俺を呼んだ。ただ隣にいたからだと思うのだが、なぜかその日の夜、(俺としてはデートのつ
もりで)居酒屋で二人っきりで飲んでいたら、突然に怒り始めた。
「横山先輩、テルに気があるのかな?武さんでもなく、俺でもなく、テルに仕事を頼むんだもんな」
 いくら偶然、入り口でダンボールを積み上げていた横でFAXを送信していたと言っても納得しない。
 なんだか情けなくなってきた。俺が大事に愛を育てようとしていたのに、いつも横山先輩に邪魔される。
「勝っちゃんは横山さんが好きなのか?」
 一番知りたくて一番聞きたくないことを敢えて口にした。
「好きだよ、尊敬してる。」
 その後何回か同じ質問をしたが回答も同じだった。
「テルも大好きだぞ」
 そんな取って着けたように簡単に言うなよな。
「勝っちゃん、横山さんは武さんが好きだと思う。」
 思い切って言ってみた。
「そりゃあ、同期だもんな〜」
と、軽く流されてしまった。
 勝浦には好きの意味が違って解釈されるらしい。
 その晩は何か変だった。
 勝浦は酷く酔ってしまい、俺は部屋まで送り届けた。
 誰もいない部屋に置いて来れなくて、―半分は下心半分は好奇心―万年床の隣で寝た。
 勝浦は寝相が悪く、何度も蹴飛ばされて目覚めた。
 布団を掛け直してやったとき、一度だけそっと勝浦の足に触れた。それが精一杯だった。
 その時だ、勝浦は突然起き上がり、俺に抱きついたのだ。
「テルちゃん…」
 確かにそう言った。
 しかし
「変な顔」
とも言われた。
 心臓が飛び出すかと思った。勝浦が抱きついてきて名前を呼んで(ちょっと違う気もするが…)くれ
た。
 翌朝、何も覚えていない勝浦にがっかりさせられたが…


 同期入社で入社試験がトップだったのが勝浦、次が俺。営業成績も他を抜いて俺たちが一、二を争っ
ていた。
 仕事に追われながら時々飲みに行く程度の同僚の範囲から抜けられない…。
 ある日、願ってもないチャンスが到来した。
「出張…ですか?」
 岡部課長が告げた。
「あぁ、横浜営業所で、大手との取引が成立したので応援だ、二泊三日で行ってきてくれ。」
 横浜といったら勝浦の実家から近いのではないか?
「家?うちは横須賀だからちと遠いよ、宿泊代は浮かせられないなぁ」
 本気だかなんだかわからないことを言っている。
 出張当日、二人で新幹線に乗り、二人で先方へ行き、二人でホテルに泊まる。
「ツインにしてください。」
 は?何を?
「折角だから一緒に泊まろうよ。」
 こいつ、俺の下心見抜いてる?って違うだろうが!
「すいません、予約通りシングル二つで」
 慌てて訂正を入れる。
 鍵を受け取り部屋へ移動する際、「なんだよ、いつも泊まりにくるくせして」と、ぶつくさ言っていたが無
視した。
 それとこれとは話が違うんだよ!
 ま、結局シャワーを使った後、ずっとこっちの部屋にいて、明るくなってから引き上げたので言ったとおり
になったのだが…
 翌晩。
 前夜同様俺の部屋で持ち込んだビールを片手にベッドの上に座っていた勝浦が、徐ろに床に降りて座り
込んだ。なんだか妙にそそられる。
「明日、何時に終わるんだっけ?」
 唐突に部屋に備えつけの地図を見ていた勝浦が聞いてきた。
「七時には帰れるんちゃうか?」
「そっか…新幹線の最終って何時だろう?」
「八時三十八分のを渡されたんやけど…」
「交換してもらおう、テルを連れて行きたいとこがあるんだ」
 ドキッ
心臓が跳ねた。
「俺、大学が横浜だったからさ、このへんはちょっと詳しいんだ」
 そう言って見上げた瞳が重なる。
「あの頃付き合っていた子が好きでさ、結構いいんだぜ」
 跳ねた心臓が急速に下降した。
 彼女、いたようなことは聞いたけど具体的なことはつらいな。
「いいよ、思い出の場所だろう?」
「いや?絶対にテルは気に入るって」
 なんでそんなに連れて行きたがったのか、行ってみてわかった。
 海が見渡せるレストランで、カップルでも家族連れでも気軽に入れる店だった。少しだがアルコールも置
いてあった。
「いつもさ、テルが大阪で色んな店に連れて行ってくれるじゃん。だからお返し。」
 窓際に陣取って海を見ながら、勝浦は言った。
 お願いだ、こんなことしないでくれ。俺は過度に期待してしまう。
「なぁ、テル…俺、女心がいまいち分からないんだ…」
 俺に聞いたってわからない。男心もわからないのに…。
 第一俺は男にしか興味がない―ということはその時点では言えずに結局、最大のチャンスを俺は自ら不
意にしてしまったのだった


 テルちゃん―と、最初に呼んだのは横山さんだ。あの人は皆を愛称で呼びたがる、ただ一人を除いて。
 その頃から勝浦も俺のことをテルと呼ぶようになった。俺は初めから勝ちゃんと呼んでいたけど。
 横山さんの真似だろうか?
「テル、明日暇か?」
 明日は祭日、俺は実家から通っているので家事雑用は関係なかった。
「暇だったら映画、行かないか?」
「女の子を誘えばええやんか」
 心にもないことを言う。
「誘う子がいたら誘うよ」
 なぜか勝浦は大坂女性からは人気が薄いらしく、俺にとっては幸いだった。
 映画はホラーだった、得意先でもらったそうだ。
「この間、自腹で接待したお返しのつもりみたいだ…導入が先送りになったからな」
 お詫びにホラーとはなんか謎めいているが…。
「実は折り入ってお願いがあるんだ…ま、合コン、なんだけどさ、男の知り合い三人くらい見繕ってくれ
ないかな?」
 いつか、言われると思って―ん?男?
「テル、男子校だから男の知り合いしかいないって言ってたじゃないか、だからちょうどいいんだ。」
 男なら、何人でも紹介できるが…お前が女の子と話しているのは嫌だ。
「テルのタイプ、教えてよ、準備してもらうから。」
 なんだよ、それ…心では思っても口に出来ない。
「女の子はどないなってるんや?」
「ん、横山先輩が連れてきてくれる。」
 なに?あの人は…俺を裏切るのか?俺が勝浦に片思いなの、知っているくせに…叶わなくてもいい…
って言ったけど…。
「テルみたいな雰囲気の男が数人いると良いらしいよ。」
 ん?
「『背が高くて〜無口で〜色んなこと知ってて〜』だってさ。」
 はぁ…


 高校のクラスメート数名に声を掛け、合コンに連れて行ったら、友達は目茶苦茶もてたのに勝浦は全然
駄目だった。壁の花…は女の子に使う言葉だったっけかな?でもそんな感じだった。
「女の子に勝ちゃんには好きな人がいて、今日はただのコーディネーターだっていっといた。だから今のう
ちにコクっちゃえ。」
 横山さんは女の子に囲まれながら、そんなことを簡単に言うが無理なものは無理だ。第一、なんで横山
さん、女の子もいけるのか?…武さんにちくってやる。
 帰り道、女の子が一掃され、残ったのは勝浦と俺だけだった。横山さんはトイレに行く振りをしてさっさと
逃げてしまった。多分武さんの所に行ったんだろう、「勝っちゃんは女の子にモテないって言うのをインプッ
トさせなきゃな」と、尤もらしく俺に説いて女の子たちをはべらせていたけど、何度も時計を見ていたから。
「なんかなぁ、俺、全然だめじゃん…」
 落ち込む勝浦を「俺も全然モテへんかった」と(本当は相手にしなかったんだけど)そう言って慰めておい
た。
 いいんだ、俺はある日に焦点を定めているから…。


「ええなぁ」
 岡部課長の結婚式、何故か俺が緊張してしまって開始時間を少しだけ遅れてしまった。こっそり会場に
入り、指定された勝浦の隣の席に座った。その隣では横山さんと武さんがさりげなくいちゃついていて思
わず呟いてしまった。
「うん、嫁さん早く欲しいな。甲斐性がないけどさ。」
 勝浦の返答は予想していたものだった。
「嫁さん、欲しいんか?」
 やっぱりそうなんだろうな。
「可愛い娘だったら直ぐにでもOKだよ。」
 …なんか、腹が立ってきた。完全に独り善がりの怒りなのだが、俺は考えていたことと全然別のことを口
走っていた。
「俺が、好きだ言うても、あかんか?俺は武さんが羨ましいねん。愛する人に追い掛けて来て欲しいねん。
あかんか?」
 隣に武さんがいるにも関わらず、俺は勝浦の肩を両手で揺さぶった。
 勝浦は困った顔で目を合わせない。
 肩に置いた手を離した。
「あかんみたいやな」
 そう言うしかなかった。完全に玉砕だ。
「んなこと、ない…けど」
 え?もしかして一発逆転?
「勝ちゃん、ええんか!俺の恋人になってくれるんか!」
 人の結婚式で俺は何を叫んでいるんだ。
「とりあえず、デートしよ。」
 俺は完全に舞い上がっていた。
「ごめん、俺、今日は帰る。」

 
掴まえようとしたら…逃げられてしまった。
 もう…終わりだ。
 大体、横山さんが悪いんだ、勝ちゃんはテルのこと、かなり意識している!なんて自信一杯に言うから…
信じてしまった自分が一番いけないけど。
「後藤君」
 武さんが気の毒そうな表情で僕を見ている。
「大丈夫、きっと」
 …へ?
「勝浦君は今頃、君をここに残してきたことを後悔している。」
「そんなこと…ないです。」
「二時間以上、メールするのは我慢するんだよ。それ以降にごめんって送ってご覧。」
 武さんが微笑んだ。


「テル、今日カラオケ行かないか?」
 月曜日の朝、おはようの代わりに言われた言葉だった。