| 理科準備室には仁志のための机が一基置いてある。 他にも化学教師が一名いるのだがあまり寄り付かないからいらないと言ったそうだ。
 仁志は暇ができると実験やら調べものやら何かをしている。
 「これかな?」
 ―部室申請書―
 紙にはそう書いてある。
 一度部に昇格すれば定員割れしても同好会に戻ることはない…はずだ。
 「他にも忘れ物があったんだ」
 仁志が言い訳をしながら入って来た。
 「さっき、喜多邑は先生に何を頼んでいたのですか?」
 「ん」
 あやふやな回答。
 「喜多邑には兄さんがいる…っていうのは知ってるか?」
 こくり
 南中道は頷く。
 「大学の同期なんだ。いつもつるんでた。だから時々あいつの家に行ったし…家にも来た。だけどあいつは知らないんだ、僕に恋人がいたことを…僕は喜多邑…、尋胤に会わせなかったから。」
 今は…と聞こうとして止める。
 「忘れないわけではない、忘れられないんだ」
 仁志に辛い過去があるのなら支えになりたい、しかし自分はあまりにも無力だと南中道は知っている。
 「悔しいから先生、約束の人を裏切って僕を選んで下さい」
 仁志の返事を待たずに南中道は抱き寄せた。
 「そっから先はわからないくせに…」
 尋之が扉を開けた。
 「悪趣味だな…」
 「謝る」
 南中道は尋之の顔も見ずに静かに言った。
 「やっぱり、駄目だ」
 「何が駄目なんだ?カズ君は真人を選ばない。だからこれはなかったことなんだから気にしなくていいだろ?」
 尋之の瞳は真っ直ぐ南中道を見つめていた。
 「そうだな、僕は南中道を選ばない。東埜を待っているから。」
 仁志から相手の名が告げられるとは思っていなかった。
 
 
 「あっち…行ってくれ」
 「やだっ」
 「なん…」
 「ずっと好きだったんだよ!待つって言っただろ?カズ君には好きな人がいたんだから諦めてよ…なんで…こんな茶番演じたと思って…」
 南中道の瞳は憎しみの色に満ちていた。
 「お前の気持ちが成就すればいいのか?先生の気持ちを無視することはできない」
 尋之は何故か笑っていた。
 「カズくんは真人にも恋人の話しただろう?困るとあの話をするんだ、絶対に迎えに来ない東埜さんのことだ。」
 東埜は仁志の大学の先輩だった。告白されて付き合い始めたが東埜が就職して会えない日々が続いた。
 ある日仁志の元に訃報が届いた。
 「兄貴は二人が付き合っていたのはうすうす気付いていたらしい。だけど決して兄貴には東埜さんの話はしない…なんでか解るか?カズ君は多分兄貴が気になるんだ。自覚していないけど東埜さんより兄貴が好きなんだよ。なのに恋人にはなりたくない深い訳があるみたいなんだ。カズ君とセックスしたのは最終手段だった。お前が諦めてくれるのと、カズ君が兄貴に縋ってくれる事。」
 「尋之は、先生のために、犯ったの?」
 がくん
 頭を下げたけれど元の位置には戻らなかった。
 「カズ君黙って犯られてるんだ。」
 涙声だった。
 「汚いよな、オレ、ずるいよな、けど…お前が欲しかったんだ」
 「ごめん、少し考えていいか?…まだ怖いんだ」
 尋之は顔を上げた。否定の言葉だと思っていたからだ。
 「だから、待つのはいくらでも平気だから」
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