第十一話  東埜 芳(ひがしのかおる)
 突然、心臓を鷲掴みにされた、そんな衝撃を受けた。
 東埜は経済学部の2年。
 適当に遊んで適当に勉強してそこそこの成績を残していた。
 『ロックンロール研究会』なんて遺物に近いサークルに籍を置いていたのはたまたま地元の先輩が同じ大学にいてそこに引っ張り込まれたから。出席した記憶はない。
 服装はいつも黒っぽい色のチャラチャラした手本みたいだったけど、女の子には人気があって、先輩後輩関わらず、ひっきりなしに取り巻きがいた。
 お金は無かったけれど毎日楽しく暮らしていた。
 そんな東埜の前に突然姿を現したのが新入生の仁志だった。
 白い顔をして大きな荷物を背負っていた。バッグからは白衣が顔を出していて一目で理系であることが分かった。
 美人…ではない、背が高かったわけでも、男としてのセックスアピールが特別にあったわけでも、逆に女の子みたいに儚げだったわけでもない。
 何があったのか、東埜にも瞬間は分からなかった。
「なぁ、君一年?」
 分かっていたけれども聞いてみた。
「はい」
 声を聞いてまた、心臓を抉られそうになった。
「俺と、付き合わない?」
「…は?」
 当然だ、男が男に付き合おうと言われたら何が言いたいのか分からないはずだ。
 東埜にしたってそんなセリフを口にするつもりはなかった。鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔で聞き返してきた。
「マジ…ですか?」
「いや…その、いいんだ、気にしないでくれ。」
「気にしないでと言われても…とりあえずデートくらいだったらしてもいいですけど。」
 今度は東埜が豆鉄砲の番だ。
 こんな唐突で突飛な申し出をOKする男がいたことに驚いた。

「ん…ふ…」
 東埜と仁志が身体を重ねるのにそんなに時間は要さなかった。
 初めてのデートは友達に車を借りてドライブに出掛けた。車内でキスをした。そのままホテルへ行った。
 週に一回は仁志が東埜の部屋に来てセックスをする。東埜より仁志ほうが積極的だった。
 アパートの壁が薄いから声が出せない。仁志は必死で堪えているからそこに益々そそられる。
「和隆、俺のこと好きか?」
 愚問ばかり口にする。
「好き…だよ」
 何十回、何百回、何千回、この愚問を繰り返したが仁志はちゃんと答えた。
「芳は?僕のこと、好き?」
「好きを通り越して憎らしいくらいだ。」
 互いに何処に惹かれたのか、解らないまま身体を繋ぎ続けた。
 多分、答えを見つけるために身体を繋いだのだろう…。
 でも、答えは見付からなかった。

「いきなり、アメリカかよ…」
 東埜の就職先は外資系貿易会社だった。社員研修が終わると直ぐにアメリカ本社に配属になった。
「俺が30歳になるまで、待っててくれないか?そうしたら必ず会いに来る。その時まで和隆が他に好きな女の子が出来たら結婚したって良い、俺たちが社会的に認められる関係を築くことは100%不可能だから。だけど、もしもその時まで待っててくれたら、俺はどんな批判でも中傷でも受ける覚悟で和隆と添い遂げる。」
「うん。」
 仁志はその短い返事の中に全てを込めた。


「なんだ、俺より東埜さんの方が先に付き合っていたのか。」
「そうなんだ、実は。」
 東埜は行きの飛行機の事故でこの世を去った。
 尋胤は東埜の無念さがいかばかりであるか、推し量ることさえ出来ないでいた。
「待って、いるのかもしれない。まだ期限が過ぎていないから、僕は待っているんだと思う。芳はその日まで一切連絡はしないと言ったから。」
 尋胤だって、多分待つと思う。しかしその言葉は言いたくなかった。
「俺と、付き合って欲しい」
「ごめん、付き合うことはやっぱりできない。だけど身体の、関係だけなら…」
 仁志の意外な申し出だった。