第五十二話  約束
 深夜と呼ぶにはまだ早い午後十時。
 仁志のマンションからほど近い公園。入り口に人影が現れた。それが東埜であると仁志にはすぐに分かった。
 一歩、そしてまた一歩、東埜が近づく。それに合わせて一歩ずつ後ずさる仁志。
「どうして、僕から逃げたんだよ。」
 自分の判断が間違っていたことに仁志は気付いた。会えば愛しいと思っていた頃の気持ちがよみがえるのだ。だからこの間もすぐに寝てしまったんだ。
「それが、君のために一番良いと考えたからだ。…人間なんて離れていれば簡単に忘れることが出来る。現に和隆、君は新しい恋を見つけたんだろう?」
 仁志は俯いた。
「…僕は今、高校で教師をしている。で、行動心理学研究会なんてやってるんだ、笑っちゃうだろ?そこで恋占いみたいなことをするんだ、人の行動からその気持ちを推し量るっていうことなんだけど、実は僕が一番診断してもらえば良かったんだ。」
 顔を見て話をするとやはり愛しいと認識する。
「そばにいてくれないと気持ちは萎えるんだよ!」
「それが狙いだと言っただろう?俺がアメリカに発つ時、別れの言葉をくれたじゃないか。」
 仁志は黙って頭を左右に振り続けた。
「俺は今でも和隆は可愛い女の子とささやかな幸せを見つけた方がいいと信じている。」
「ダメなんだ。僕はもう、ダメなんだ。誰かに…男なしでは生きられない!」
 東埜は仁志を抱きしめた。
「ごめん、逃げられないようにして置き去りにするようなむごいことをして。愛している。君を愛している。」
「ずるい。今の僕には答えられないのに…。」
「毎日、抱いてやる。好きなだけ…。」
「違…」
 違わないことに気付いていたがそれでは悩み抜いて出した結論はどうなるのか、仁志は考えていた。
「南中道くんはいずれ両親と両祖父が経営する会社をどうにかしなければならないんだ。」
 仁志は両親が会社を経営しているのは当然名簿で知っていた。しかし両祖父というのはなんのことだか知らなかった。
「喜多邑くんの会社が母方、オレの会社が父方の祖父だ。そして両親共に一人っ子なんだ。彼が意に染まない結婚をすることは必須だ。全てをグループ会社にして彼がまとめることになる。そのために彼は経済学を学ばなければならないんだ。」
 仁志は頭の中が真っ白になった。
「オレが知ったのも最近だ。南中道くんは和隆の手をとることは君の夢を奪うことだと分かっていたんだ…」
「…んな…僕の気持ちはみんな無視なんて…」
「和隆?」
 仁志はその場に崩れ落ちた。
「真人…」
 東埜は仁志を抱き締めた。
「約束は反故だ。今からオレのものにする。…抱え上げて行くか?自分で歩くか?」
「歩く」
 仁志はふと思い出した。
「奥さんと子供は?」
「同期の籍に入っている。死んだのは本当だ。だけど死ぬ前に籍を入れていたんだ、あいつ。」
「その…同期の人が好きだった?」
 東埜の表情が揺れた。
「…和隆と、だぶらせていたのは事実だ。でも好きだったという自覚はなかった。」
 初めて仁志が笑った。
「今夜は帰って欲しい。明日、南中道と喜多邑を交えて、話す。」