第五十話  疑惑の二人
「遥」
 航が突然、背後から遥を抱き締めた。
「遥も一緒に薬学部行かない?」
「ムリムリ、オレには薬剤師なんて絶対ムリ。計算もままならないのに。」
 遥の声はいつも通りだが明らかに鼓動が早い。
 航は腕を解く。
「ま、専攻は追々考えよう。」
 航は再び、計算を始めた…響を追い落とすための…。


 その日の夜。
「もしもし?」
 響の携帯電話が鳴った。
『遥となんかあった?』
 当然、航である。
「なんかって?」
 遥に内緒と言われたので、あくまでもシラを切る気だ。
『言いたくないなら構わないけどさ。遥は純情路線じゃ落ちないよ。湊さんだって実力行使に出ただろ?きっと身体が淫乱に出来てるんだよ。下半身を牛耳らないと簡単に流される。僕は、学校帰りに毎日ヤってるからいいんだけどさ。一応教えてやらないとフェアじゃないかと思ったから』
 フッ
と、軽く笑われた気配を感じた。
「…鎌掛けなくてもいいよ。本当になにもない。航に遥から嫌われるように仕向けられたから僕はマイナスの出発だ、やっとスタートラインに立てたかどうか位だからな。…受験の最中にこんなにイライラさせられるとは思わなかった。」
 航は何も言わない。
「航が遥との将来まで考えているとは意外だった。出世を望むんだろうなって思ってたから。」
『薬学部は嘘だよ。僕は医学部を目指している。響みたいに街の薬屋さんに治まる気はない。』
「だから鎌を掛けなくていいから。本当に遥とは、」
『南紀白浜から帰った翌日、待ち合わせして映画館に行ったのはなんだよ?わざわざ渋谷まで出て…挙げ句の果て本屋に行って学校案内なんか買いやがって…遥を手懐けようなんて考えるなよ!』
「着けたのか、悪趣味だな。」
『響なんか…大嫌いだ。いつだって勝ち誇った顔しやがって、愛されて当然みたいに遥にまとわりついて…遥は僕のもんだっ!』
「負け犬の遠吠えにしか聞こえないけど、違うのか?」
 プッ
 ツーツー…
 通話が切れた。
 いつもそうだ。
 航は自分が優位なときは腹が立つほど落ち着き払って人をバカにするのに、不利になると放棄する。
 明日は早く予備校に行こうと思った。