第八十二話  終着地点
 はぁ

 一人の部屋はため息まで反響する。

「よっ!」
 呑気に航の肩を叩いたのは遥。
「やあ」
 軽く手を挙げた。
「兄貴と潤、修羅場だったんだって?悪かったな」
「遥が出て行ってから運がなくなった」
「そうなのか?」
「違うよ。真に受けるな」
 肩をポンポンと叩いて去って行った。
 本当は抱き寄せたくて、口付けたくて、肩に顔を埋めたくて…胸が苦しかった。
 でも、ここを乗り越えたら、きっとまた笑いあえると信じていた。


「遥、残酷だよ」
「航か?仕方ないよ、院内で会うんだもん」
「そうだけどさ…僕なら泣いてた」
「見てたのか?」
「カルテ返しにな、医局へ」
「なら声掛けてくれればよかったのに…」
「噂、聞いたぞ」
「ごめん、噂じゃないんだ。」
「当直室でっていうのもか?」
「うん。まずいよな…」
「遥より、航だろう」
 噂とは航が着任した日の夜のことだ。
「まだインターンだもんな」
「だよな…」
 その時、エントランスでインターホンが鳴った。航だった。


「悪い、せっかく二人で居たところを。」
「大丈夫だって。何気にしてんだよ。変だぜ、航。」
「うん。実はさ、母校に帰ろうかと…遥とつき合えると思っていままでやってきたけど、こっちにいる意味がなくなったんだ。別に嫌みじゃない、祖母の医院は大阪の堺なんだ。だから関西の大学に行ったんだ。」
 遥は泣きそうな顔で航を見ていた。
「泣かないでくれよ、未練が残るからさ。今なら離れられる。」
「航、聞いて良いか?なぜ六年も遥を放って置いたんだ?」
「良いかって聞いて返事を待たないんだな。いいよ、答えてやるよ。…遥が響を選ぶこと、分かってた。冷静に考える時間が欲しかった。それだけなんだよ。…遥以外の奴とも寝た。けどさ、身体が勝手に遥の線を辿るんだ。遥の身体は響の形になっているのに、僕の身体は遥に馴染んでいた。それだけ。」
 ふぅーと、深呼吸をして続けた。
「言えば言うほどいいわけジミてるけどさ、遥を忘れるための六年だった。でも離れていたら想いは募るんだな…」
 遥の瞳から大粒の涙が落ちた。
「ごめん」