Aha
野原陸『Aha』

「なんだかいやらしいタイトルだね?」
 聖に言われるまでもなく、僕だってそう思ったよ。
 だけどこの世に原盤を除いたら一名の人とパパと僕以外には持っていない、三枚だけのDVDなんだ。
 と言ってもライブや雑誌などで告知した内容は、ただ一枚のオリジナル、希望のメッセージを指定ポーズでお入れしますとして応募してもらったんだ。
 葉書、携帯やパソコンサイト、ライブ会場などあちこちで応募して内容に無理がない物を選んだ…らしい。
 当選者は僕のファンだと言ってくれた二十代のOLで、SEcanDsのグッズ売場で僕が手渡しした。もちろんサイン入りでね。
 で、撮影はと言えば…。



「ピンクのチェックですか…」
 手渡されたパジャマは衣装さん手作りの地模様がピンクのギンガムチェックで上着が若干長く出来ていて指先が辛うじて出る程度。パンツはジャストサイズ。
 衣装さん曰く、「平均よりちょっと長めに作ったんですけど」…だそうだ。なんかうれしい。
「去年は主演ドラマが好評だったよね」
と、監督に脅されながら、撮影が始まった。
 グリーンで統一されたベッド、サイドテーブルにはキャラクターの目覚まし時計と生花の飾られた花瓶。
 ベッドに潜り込むと僕は目を閉じた。出来れば寝てくれと監督に言われたのだ。
 心地いいBGMにうとうとし始めると目覚まし時計が大音量で鳴り出した。僕は思わず飛び起きて目覚まし時計を確認する。
 まだ時間はある、とばかりに再び布団に潜り込む。
と、ここまでは演技。
 この先は僕が完全に寝入ることが条件だ。
 目を閉じて何も考えないようにした。そうすればきっと寝られる…寝られる…寝られない!
 格闘すること1時間、やっと眠りに落ちたのを監督は確認するとその顔を延々撮ってくれたわけだ。この映像は一般に発売するDVDに入る。プレゼントとは違うバージョンになる予定。
 半分口を開けかけた所を目覚まし時計の音で起こされた。
 目を閉じたまま目覚まし時計を探し、見つかると思い切り叩く。しかし止まらない。
 それは普段使っている目覚まし時計ではないから。
 実は撮影に使われているのは都竹くんの部屋。撮影期間中はホテル住まいになってしまって申し訳ないけど、イイ物を作るからね!
 で、目覚まし時計は都竹くんのものなのだ。
 それをすっかり忘れて叩く、叩く…
「あ」
 気づいて諦める。
 大きく伸びをしてベッドボードに置かれたぬいぐるみに向かって「おはよう」と挨拶をする…寒い。
 何を目指しているのだろうかと思いつつ、頭の中で台本を思い出す。
 パジャマ姿のまま、洗面所に向かい歯磨きを始める。これも普段通りではNGである。歯磨き粉は少な目にしてだらだらと口から垂らさないようにしないといけない。
 洗顔をして着替えとなる。衣装は白いシャツとジーンズ。アイドルみたいだな。
 ここまでを一連で撮る。
 次のシーンはリビング。
 朝ご飯を食べながら音楽を聴いて新曲の構想を練るという感じ。
 それが難しい。
 だいたい僕は一人暮らしの経験がないから一人の時間は持て余してしまうんだ。
 そんなときは大抵ゲーム三昧だから音楽を聴く…と言われてもおじちゃんのクラシックくらいしか浮かばない。
 しかし都竹くんの部屋には意外にもアイドルやロックなど邦楽が多めにあった。
 知り合いのCDを選んでセットする。
 あー、そうそう、先日の音楽番組でこの曲演奏していたなーと思い出す。
 さすがに構想は練れなかった。
 次はギターを弾くシーン。ソファに腰掛けて延々と適当なフレーズを弾く。飽きるほど。ここ最近でこんなにギターを弾いたのは久しぶりだ。レコーディングでもあり得ない。
 次が料理を作るシーン。
 夕飯に恋人を招待しているという設定。
 楽しそうにやってくれと言われて聖に朝ご飯を作るイメージで演りました、はい。
 都竹くんの部屋はこれで終わり。
 次はアダルトビデオの監督らしく、アダルトビデオを撮影させてくれるスタジオがあってそこで入浴シーンを撮ったんだ。
 画面には普通のシステムバスに映るけど実際は湯船だけしかない。
 裸で(肌色のパンツだけは履かせてくれた)湯につかるんだけど温いんだ。
 汗をかかないように、カメラのレンズが曇らないようにという配慮。演者は無視。
 幸せそうに浸かるのは至難の業だった。考えてみてよ、温いお風呂に長時間浸かる辛さを。風邪引くって。
 ここで。当選者の希望ポーズを撮った。
 両足を伸ばして少し足先を縁に出し、両手は胸の辺りに漂わす。
 で、台詞は何故か「零」ただ一言。
 僕はドキドキしたよ、正直に。
 監督にはやけに色っぽく言ったなと突っ込まれたし。
 散々だ。
 室内の撮影はこれで終わり。あとはスーパーでの買い物シーンとファンサービスカットとやらで動物園デート…を一人でやったんだけどね。お客さんが一杯いたから恥ずかしかった。
 …さらりと説明したけど実は寝起きと浴室のカットにやらしいのがある。
 使えたかどうか…は、はっきり言って一部使われてはいるんだけど流石アダルトビデオの監督だけあってエロなんだよねー。
 都竹くん曰く「予想以上のエロ」だそうです。
 イヤだなー。…パパが持っていると思うと憂鬱です。


「んー確かにエロいね。」
 DVDを見終わった聖の感想もやはりエロか…。
「でも陸らしさは出ていると思うよ。」
「僕らしさ?」
「うん。素直なところ。」
「へー」
 そうなんだ。僕って素直なんだ。
「まあ、真のエロは出てないからいいかな。」
 これは零の感想。
「エロと言えば零の写真集は?」
「今撮影中。」
 結構時間がかかるんだ。
「陸は浴室でパンツ履かせてくれたんだろ?ま、動画だからなー。こっちは写真だから容赦ないよ。」
「女性カメラマンなのに?」
「女性だから容赦ないんだよ。」
 ん?女性だから容赦ない?わからないな。
「零くん、陸に女性心理を説明してもダメだよ。身内とあやちゃんくらいしか知らないんだから。」
 あー、確かに…って失礼な!
「そういえばあやちゃん、最近見ないけど元気なの?」
「知らない。」
 急に聖がふてくされた。
「大学生の男の方がいいんだってさ。」
 聖が相手の男の人に嫉妬している?
「僕の方が将来性はあると思うんだけどな」
 それを聞いていた零が突然吹き出して笑う。
「聖だって陸と同じ程度だな。」
「何が?」
 聖は笑われたのが気に入らないらしく零に食ってかかる勢いだ。
「女心。」
「どうして!」
「あやちゃんが大学生と付き合ってる訳だよ。聖は前に斉木に焚きつけてなかったか?あやちゃん。」
 ふるふると首を振る。
「そんなつもりじゃないよ。二人とも陸が好きだと思ったから手っ取り早くまとめちゃおうと思っただけ。」
 あれ?聖、もしかして?
「あやちゃんが好き?」
「あやちゃんはずっと好きだよ。な?聖。」
 零が何故か聖の加勢に入る。
「うん。僕は欲張りだからみんな好きだしみんな欲しいんだ。」
 なんだか、意味深。
「やっぱり陸が一番女心に疎いよ。」
 はいはい、そーですね。
「男心にも疎いしね。」
 ぽつり、呟いてみたんだけど二人は既に次の話題に花を咲かせていて聞こえなかったみたい。


「今晩は。」
 その日の夜、夾ちゃんがやって来た。
「零くんに相談があって…」
 夾ちゃんはうつむきながら話した。
「あ、うん…上がって。」
 スリッパを勧めてリビングに案内した。
 意識してしまうのは仕方ないのかな。
 夾ちゃんは零の前に座るともじもじしながら話し始めた。
「この間、陸ちゃん以外の男と…寝たんだ。」
 零の顔色が見る間に変わった。でも夾ちゃんは怯まずに進めた。
「その子初めてだったんだ…僕を好きでいてくれてさ…それはいいんだけど、わかったんだ、陸ちゃんを零くんがどれだけ大事に愛してきたか。僕さ、陸ちゃんを今でも好きだけど諦められる。僕がしたことは子供が何でも欲しがるようなものだったんだなと気付いた。」
 零は小さくうんうんと頷きながら話を聞く。
「零くん、陸ちゃん、ごめん。」
「待って、僕には謝らないで。僕も共犯なんだから。」
 謝られたら夾ちゃんが強姦したみたいになる。
「それは違う…使ったんだ。媚薬の効果があるお茶。あの日は初めから零くんが戻らないことを承知の上で酒に混ぜたんだ。薬ほど効き目が良い訳じゃないけど酒との相乗効果があるんだ。あまり公表されていないんだけどさ。」
「そういうのは俗に言う職権乱用じゃないか?」
「一種そうだろうね。研究の結果はでているけど発表しないんだから…それを一緒に研究して論文にしたのが彼なんだ。」
 零は夾ちゃんが来てからずっとソファに腰掛けて脚を組んでいたけれど、立ち上がると夾ちゃんの横に立ち跪いた。
 そして夾ちゃんをギュッと抱きしめたんだ。
「夾、僕は本当に夾のことは許しているから。もう懺悔みたいに謝らなくていい、無理して男を愛さなくて良い。苦しいんだろ?僕を悪役に仕立てて良いから、その彼とは別れろ。」
 夾ちゃんはビックリしながらでも徐々に納得した表情をした。
「ありがとう、零くん。けど彼は良い奴なんだ。今は失うことが出来ない。これは駆け引きなんだ。」
 零は両腕を夾ちゃんから放すと
「夾は夾の世界で頑張っているんだな。」
と呟いた。
「夾は僕が大好きなんだよ。」
 零はやけに自信たっぷりに胸を張る。
「だから僕が感じること、思うことを追体験したい、その結果陸に疑似恋愛した。そんなとこだろ?」
 そういうとニッコリ笑った。
「そうかも。昔から零くんは陸ちゃんのことは抱きしめるけど僕も実紅ちゃんも抱きしめられることはなかった。嫉妬かな。」
 零は照れくさそうに笑った。
「ばーか。僕はいつだって夾も実紅も分け隔て無く抱きしめていたさ。恋愛感情なしでね。」
 夾ちゃんが微笑む。
「もっと早く零くんに甘えてれば良かった。」
「そうだな。甘えていることに気付いて欲しいけどな。」
「え?」
「一つずつ解説していこうか?一晩じゃ足りないから徹夜が続くけど。」
 夾ちゃんが突然立ち上がった。
「これからレポートを仕上げないといけないから帰るよ。零くんの話はまた今度聞く。」
 夾ちゃんは心当たりがあるらしく慌てて帰って行った。


「しかし…」
 零が渋い顔をしてDVDのパッケージを見つめていた。
「一難去ってまた一難…って感じだよな。夾の件は完全に片付いたけど、今度は女性ファンがどれだけ落ち着いて観てくれるかだよ。特にファン限定のあのシーン…なんで『零』なんだ?」
「あ、分かった?音は入っていなかったのに。ちゃんと理由は書いてあったんだよね。剛志くんと演ったドラマ、零が相手役だったらと友達と話していたので、是非入浴シーンで切なげに『零』と呟いて欲しいって。監督が音が入っていないほうが切なさが増すって言うから音が入っていないんだ。僕的には凄く助かったんだけどね。」
 音が入っていたらエロが増すって言われた…監督に。
「陸。写真集、何もないからな。」
 ん?何が言いたいんだろう?と、考えていたら抱きしめられて…。んんっ。