それでも、好きだから
 朝からオーディオルームに籠もって曲作りに没頭していた。
 女の子の恋する気持ちと切なさを曲にしたい。
 折角さえがやる気になったからね。
 化粧品のCMかぁ…。爽やかな音がいいな。


 音作りに行き詰まってきたので休憩しようと部屋を出た。
ピンポーン
 もの凄くタイミング良く玄関チャイムが鳴る。
 今日は零も聖もいない。普段はオーディオルームにいると全く音が聞こえないので居留守を使う形になるんだけど、出てきたので仕方がない、応対に出る。
「夾ちゃん…」
 二人きりで会うのは久し振りだ。
「零くん、いる?」
 リビングに招き入れてお茶を淹れながら少し話をした。
「今日はCMの撮影に行ってるよ」
「何の?」
「確か…缶コーヒー…」
 確か、は余計。ちゃんとメーカーまで分かってる。
「あぁ、相手役変わったよね、小峯 さえから来生 茅野(きすぎかやの)だっけ?」
「うん」
 来生 茅野…直接会ったことはないけど人伝てに聞いたところ零のファンらしい。社交辞令であってほしい。
「零に話があったんだっけ?」
「うん…結婚が決まった。」
「へーおめでとう…って誰の?」
「誰って…うちにさ、聖以外の結婚できる年齢の人間って他にいる?…僕だよ。研修先の医者。年上だよ。僕は研究室に残るからしばらくは彼女の方が稼ぎが良いだろうな。」
 女医さん?そんな話聞いたことない。
「今の家、建て直すらしいんだ。だからそれまでは外に新居を構えるけどいずれは彼女が両親のそばにいてくれたら心強いだろ?零くんも気に掛けていてくれるけどやっぱり僕の方が適任だしね?陸が零くんと一緒に暮らしているって知ったらあの人腰抜かすな…陸の大ファンだからね。あ、隣にいたことは話してない、零くんのことは言わないわけにはいかないけどさ。」
「…紹介して。零の…パートナーだって。」
「陸…」
「夾ちゃんは…苦しくないの?」
 僕は最低だ。
「言っただろ?陸のことは本当に諦めたんだ。彼女とは話が合うし一緒にいてお互いに利益があるんだ。」
 利益がある?
「ちょっと待った。陸は損得で結婚を決めるのは嫌なんだろ?だけど僕たちはそれでいいんだ。お互いに嫌な思いをしないで、有益に過ごせるから一緒になる。…恋人がいても構わない関係だよ。」
 恋人がいても構わないと言うことは例の後輩とは続いているのだろうか?
「うん。あいつは結婚出来ないのわかっているから今回の結婚に賛成している。…学会に出席するのに独り身には辛い風当たりがあるんだ。彼女も仕事を続けていく上で無駄な労力は使いたくないらしいよ。」
 僕は返事が出来なくなった。
 だって一緒にいたいと思う相手じゃないのに一緒にいるなんて変じゃないか?
「一緒にいたい人と一緒にいるためなんだけどな。」
 僕には分からないよ、夾ちゃん。



「うん、夾には合ってる気がする。年上の女に甘えたらいいんだ。なんだかんだ言い訳しているけど好きじゃなかったら一緒に暮らそうなんて考えないと思うよ。」
 なら…祝福していいのだろうか?
「夾は子供じゃない、自分のことは自分で決められる。」
 そうだね。でもなんだか寂しいのはなんでだろう?
「実紅だって自分で決めて裕二さんと結婚しただろ?みんな決断が必要な時があるんだよ。」
 実紅ちゃん?
「ちょっと待ってよ。パパは、…僕の替わりじゃないよね?ちゃんと二人は…ごめん、わかったよ。」
 二人が今は愛し合っているのは分かっている。だけど確かに実紅ちゃんに好きだと言われた記憶がある。…いや、忘れていたわけじゃない、封印してしまっただけ。
 夾ちゃんも同じになるのだろうか?
「でもさ、陸にとって実紅と夾と聖は特別なんだな。」
 零が複雑な表情をしている。
「それは…零の弟妹だから…」
 僕にとっても兄姉だけど、零の弟妹って意識の方が強い。
「それって僕が特別ってことだよね?ありがとう…」
 零の腕が僕の身体を抱き締める。
「陸に愛されることが僕にとっての一番幸せなことだって、気付いたんだ。」
 あぁ、零の言いたいこと、分かる。
 平凡な幸せは愛し愛されることがまず前提にあるということ。そしてそれがあれば何もいらない…ということ。
「大好きな人に大好きと思われるのは確率的には低いことなんだね。」
「きっとそうなんだと思うよ」
 夾ちゃん、ありがとう。



「嘘って伝えといてって。」
 朝、開口一番に聖が言った言葉。
「何が?誰から?」
「昨日のこと。夾ちゃんから。」
がーん
「からかわれた?」
「さあ?」
 聖はキッチンに消えた。
 何が嘘なんだろう?
 まさか、結婚自体嘘?
 わからないー
って言うか、何で聖経由?
「陸ーっ、携帯がシンクの中で暴れてるー」
 そうだった、キッチンの調理台に置きっ放しだった!
 慌ててキッチンへ走り、電話を握りしめた。
 液晶の表示は夾ちゃん。
「もしもし?」
『なんだー出たかー。あと一回鳴らして出なかったら永遠に黙っていようと思ったのにな。………』
 なかなか本題を切り出さない。
『何か言ってよ。』
「嘘はどれ?」
『んー。結婚はする。加賀原…あ、例の後輩ね、とは付き合い続ける。』
 再び沈黙が襲う。
『愛してる』
ツーツー
 電話は一方的に切れた。
 …愛してる…
 夾ちゃん、優しすぎるよ。
 涙が知らぬ間に頬を伝って落ちた。
「陸、夾ちゃんは零くんに負けたんだよ?陸が泣くことないんだってば。…でも僕は負けないから。」
 僕の目の前に立つ少年はいつの間にか背の高さが同じになり、男の匂いを身に纏っている。
「だから夾ちゃんの為にもう悩まなくてもいいんだってば。たった一回の肉体関係なんて蚊に刺されたようなもんだよ。」
 …ちょっと待てよ?僕は聖に夾ちゃんのこと話した?零が話した?まさかね。
「なんで知ってるの?っていうか、なんて…」
 言い掛けて止める。聖が言ったことは全て理解しているみたいな、そんな気がしたからだ。
「いつ?誰と?」
「なにが?」
 聖が不敵に笑う。
「誰といつ寝た?」
「セックスしたかってこと?同級生の女子は見つかっちゃったもんね。今度は年上の人。」
 一気に顔が熱くなった。
「もう少しだけ、可愛い聖でいて欲しかったのに…」
「無理だよ、僕は陸が好きなんだもん。一日でも早く大人になって零くんから陸を奪うんだもん。」
 聖の腕が僕に伸びて…
バシッ
 しかし、あっさりと払われた。零に。
「朝っぱらから何事かと思えば、また陸を口説いてるのか?そういう目で見るなら一緒に暮らすのは止めるからな。」
 零の突きだした指先が辛うじて聖の鼻先に届く。
「だったら初めから僕が行きたいって言った中学に入れてくれれば良かったのに!」
 微動だにせず、聖は応酬した。
「…行くか?まだ編入試験受けられるぞ。」
 その時、初めて聖の瞳が伏せられた。零の瞳も揺れていた。
「わかったよ!零くんは何でも陸が一番なんだ。僕なんていらなかったんだよね?ママとセックスしたかっただけなんだよね?初めから僕のこと無視してたし…変態!」
 僕は…聖を抱き締めた。
「違う!僕は聖がいてくれて嬉しいよ。いらなくなんかない、みんな生まれてくるのには意味があるんだ。」
 零はゆっくりと、僕から聖を取り上げ、抱き締めた。
「僕は…本音を言えばあきらちゃんが妊娠するなんて夢にも考えていなかった。だからどうしても子供が欲しかったわけじゃない、叶うことなら産まれてこなければ良いとさえ思った。だって、今の聖と同じくらいの歳だったから、責任なんてとれない。初めて後悔した。だけど、聖を初めて見た日、愛おしかった…この子は僕の子だって確信を持った。涼ちゃんに違うと言われても聖は自分の子だって自信がある…。あの時の気持ち、忘れてはいない。」
 零はママの出産に立ち会っていない。涼さんが立ち会った。退院してしばらくしてから零は聖に会いに来た。
「僕は、聖を愛してる…だけど陸は譲れない。陸のことだけはたとえ陸が聖を選んだとしても譲れない。忘れないで欲しい。陸が聖のものになることは永遠にない。あんな思いは二度とごめんだ。」
 静かにそう言うと零は俯いた。
 あんな思い…僕が夾ちゃんとしたことは零を思った以上に傷つけていた。
「ごめん…聖、僕は零と一緒に歩いていきたい。どんな困難も二人で乗り越えたい。」
 小学生に話してもわからないだろう。
「待って欲しいなんて言ってない。僕は零くんから奪う自信があるんだ。零くんも陸も普通でいてくれたらいいのに。」
「で?誰と寝た?」
「秘密。」
 聖は全く意に解せずという出で立ちで普通に学校へ出掛けて行った。
「あ」
 そうだ、今の聖みたいな曲を作ろう。
 強くてかっこよくてでも儚げで頼りなくて支えてあげたくなるような…。
「なんでそこで仕事モードになるかな、この可愛い人は…」
 零が何か言っていたけど全く耳に入らなかった。


「凄い評判良いですよね、例の化粧品のCM曲。」
 あれからかなり難産だったけど無事さえの詩に合う曲が出来上がった。
 お陰でヒットしているし、さえの株も上がりつつある。
「さえがあとは自分でどれだけ営業できるかに掛かっているんだよね。」
 もう、僕の出番はない。
「着きましたよ、お疲れさまでした。」
 都竹くんはかなり運転の才能がある。音もなく発進し、滑るように進み、鳥のように停める。大袈裟か。
「地下の駐車場に停めてよ、ご飯食べてくでしょ?」
「いや、今夜は帰ります。」
「えー!今日も?」
 最近、都竹くんが怪しい。行動が怪しい。
「全然来てくれなくなったよね?聖も会いたがってるのに…。」
 俯いて小声でぽつりと呟いた。
「…家に、早く帰りたいんです…」
 やった!
 絶対に恋人だ。
 よーし、つきとめるんだからなー。
 ふふふ。


 しかし。
 都竹くんの恋人はそれから何ヶ月もわからないままだった。