| 桜というと女の子のイメージだなー…などと考えながら聖の入学式の準備…の手伝いをしています。 入学式を三日後に控えた今日、零と僕は休みを取って(無理矢理)聖の手伝いをする予定だったんだけど、気付いたらママの手伝いをするはめになってしまっていた。
 「零、制服の丈が短いよ?」
 制服を作りに行ったのはママなんですが…。
 「大丈夫だよ、二人が行った翌日に店長に電話しておいたから。10センチなら伸びても平気だから。」
 「いや、だから短いんだってば!」
 「え?」
 零が慌てて飛んでくる。
 「やられた…」
 零は受話器を手にすると電話機の横に設置してあるメモ帳をめくり、目的の番号を見つけると一気にプッシュした。
 「もしもし?本田?え?あ、だから…ちょっ…切れた」
 呆然と受話器を見つめている。
 「僕からの電話を忘れたらしい。今届けると言っていた。…中学の同級生のうちなんだ、あそこ。」
 零も僕もこの町内で育ったから知人が多い。
 「その制服、返すんだからな。」
 なんだか恨めしそうに制服を見つめる。
 「もうっ、準備が進まないじゃないっ」
 変なところでママはキレる。
 「制服はあとでいいだろ?他に何が必要なんだ?」
 すると聖が珍しく言いよどんだ。
 「なに?足りないものがあったの?」
 「…辞書なんだけど…」
 「あ、国語辞典と英和辞典と漢和辞典だっけ?」
 「うん…零くんのが欲しいんだ。」
 「え?」
 零が驚いた表情で聖を見た。
 「零くんが使った辞書を使いたい。」
 零は少し、嬉しそうに笑った。
 「可愛いこと言ってくれて嬉しいけど辞書は買ってあげるよ。なんでかっていうと、今でも僕はあれを使っているんだ。辞書は自分専用の物を持った方が良い。」
 零は聖を抱き締めた。
 「聖が使いやすい物を探しに行こう。」
 「うん。」
 「えー!ママのをあげるのに。」
 ママ、邪魔しないで欲しいんだけど…。
 「ううん、ママもまだ使うよね?零くんと一緒に買いに行ってくる。」
 聖はとても無邪気に笑った。
 「じゃあ行ってくれば?私は帰るから。」
 あーあ、拗ねちゃった。
 「まだ制服が届いてないから僕と二人で留守番していたらいいんじゃない?」
 すると、瞳が怒色から嬉色に一変した。
 「わかったわ、じゃあ仕方ないからママは陸と留守番しているわね。」
 仕方なくなら別に帰っても良いんだけどね。
 零と聖が出掛けてしばらくすると、ママはコーヒーを淹れてやってきた。
 「少し休憩しない?」
 いつになく優しい声音だった。
 「ねぇ、陸も聖は零の子供だって思っているのよね?」
 いきなりな質問。
 「違うの?」
 「…違わない。あの頃は涼が事故の後遺症に悩んでいて性交渉をした記憶はないの。私はそれを含めて寂しかった。涼に愛されない、振り向いてくれるのは零だけで…。だけどなんで零と…自分が理解出来ないのよ。」
 ママはもしかしたらずっと悩んでいるのだろうか。
 「ママ、あのさ、僕ね…夾ちゃんと…セックスしたんだ。」
 ママの視線が痛い。
 「零の子供がいたとか騒いでいたとき。寂しかった。逢いたくて抱き締めて欲しくて毎晩泣いていたんだ。無理なのは分かっていたのに。そこに夾ちゃんがきてくれて優しくされて…抱きたいって言われた。その時の声が零に似てて…。言い訳なんだけど、ママも同じなんじゃないかな。」
 ママは俯いたまま動かない。
 「自分勝手だってことは百も承知だけどあの時は逆らえなかった。」
 しばらく俯いていたけど顔を上げ、僕を見た。
 「零を…涼と間違えたりはしないわ。分かっていたのに、私はいつも母親より女を優先してしまう愚かな人間なの…涼も裕ちゃんも愛して、零も愛した。最低ね。」
 それは自分への戒めの言葉。
 「最低…とは思えないよ。だってママは、涼さんの子だから零が大事だと感じたんじゃないかな…言葉にするとうまく言えないけどね。」
 ママが、僕を抱き締めた。
 「陸は昔から優しいのね…ありがとう。だから聖を養子には出したくないの。涼の籍に入れて置いて欲しいの。」
 ママ?
 「零から、聞いてないの?聖を陸の養子にしたいと、零に相談されたんだけど…」
 「僕の?」
 「そう…何か急いでいたみたい…」
 零…もしかして僕を疑っているのだろうか?
 「零に、聞いてみるね。」
 答えたものの半分上の空だった。
 
 
 一時間後。零と聖は帰宅し、ママは家に帰った。
 「…あきらちゃんには仮の話というものが出来ないんだな。…相談したよ。僕と聖には血の繋がりがあるから陸には羨ましく映っているようだからさ、陸の養子に入ったら安心するのかなぁって。だけどよく考えたら陸だって聖と繋がりがあるわけだから余計な心配だったんだよ。それにさ、涼ちゃんの籍に入っていた方が聖にも利点がある。養子ってなると色んな詮索もあるし、僕らはマスコミに近い関係にあるんだから好奇の視線に晒される可能性もある。僕は聖を弟と呼ぶことは厭わない。親子だなんて名乗りはあげなくても、聖が理解しているならそれでいい。」
 零には零の考えがあったんだ。僕は下衆の勘ぐりをしてしまった。
 「結局、小学校の卒業式も中学校の入学式もあきらちゃんが行くだろ?ただ一緒に暮らしているだけのような気がする。一緒に暮らすことで自己満足に浸って、聖を苦しめているんじゃないかな?あの子は陸が好きだから…」
 一緒にいることはいけないことなのだろうか?
 「桜…咲いてるよね?見に行こうよ。」
 僕は夕方を過ぎているというのに、零と聖を花見に連れ出した。
 
 
 「うわぁ〜、綺麗。」
 ライトアップされた桜は昼間見る豪華さとは違う優雅さを纏った気品さえ感じられた。
 聖はずっと木を見上げている。
 「三人で、幸せになりたくて同居したんだ。苦悩するためじゃない。当たり前のことを当たり前にしたいだけなんだ。」
 零と僕は生涯を共にする誓いをたてた。
 その中に聖を含めたら、聖の幸せを二人で見届けることを付け加えたらダメだろうか?
 「ママがね、聖は涼さんの子供としておきたいんだって。なんとなく分かる気がするんだ。ママにはママの涼さんに対する負い目があるんだと思うよ。だから涼さんはいつも聖は自分の息子って譲らないじゃない?記憶がないからわからないって言うけどわかっていると思うんだよね。」
 その時、自分が饒舌になりすぎたことを悔やんだ。
 「陸は、どうして聖のこと、気付いたんだい?」
 「気付いたんじゃない、見たんだ…」
 言ってしまって誘導尋問に引っかかったことに気付いた。いままで零にはどうして聖のことを知っているのか言わずに来たのに…。
 「やっぱり…」
 零がため息を付く。
 「そうじゃないかと、なんとなく思っていた。陸に見られていたんじゃないかって。カーテン、閉めなかった時があったから。」
 零はあの時のこと、今でも覚えているんだ。
 「廊下の窓から見えて、慌てて零の家に飛んでいって…ドアの隙間から覗いてた。最初はイジメているんだと勘違いしたんだ。だけど違うって、なんとなくわかった。わからないながらもイケないことだと思っていた。そのあと色々調べたんだよね。そうしたら学校でタイミング良く性教育があった。そういうことかと、零はママが好きなんだとショックを受けたよ。」
 零が僕を見ないで、桜を見つめたまま、
 「あの時は本当にあきらちゃんが好きだと思っていた。だから抱いた。」
 と、教えてくれた。僕には大事な、告白だった。
 零がママを好きだったのなら良い、変に言い訳しないでいい、だから聖がいるんだと、分からせて欲しい。
 「零くん、」
 いつの間にか聖が隣にいた。
 「僕、いまでも陸が好きなんだけど…他に好きな人が出来たんだ。」
 やっぱり零は微動だにせず、桜の木を見上げている。
 「知ってる。初めての人…だろ?」
 零は聖に視線を落とさずにささやくような声で言った。
 「うん。」
 それっきり、誰も何も言わずにただ桜を見上げていた。
 沈黙を破ったのは、聖だった。
 「零くんの気持ち、少しだけわかったよ。好きな人を大事に想う気持ち…誰にも渡したくない気持ち、いつもそばにいたい気持ち…。だけど僕はまだ子供だから、やらなくちゃいけないことが沢山あるんだ。大人になる準備もあるしね。」
 やっと、零が視線を聖に移した。
 「ごめん、僕は聖を抱き締めてやる資格がないんだ。涼ちゃんがいないと、聖を守ることも出来ない。あきらちゃんを苦しめ、涼ちゃんを苦しめ、陸を苦しめ…聖を苦しめている。今頃事の重大さに気付いているバカなんだ。でも、どの場面でも気持ちを止めることは出来なかった。聖の言うところの大人になる準備をしていなかったんだ。…いまでもまだ途中だけど。」
 零が自重気味に笑う。
 「誰も、自分が大人になった確信なんてないと思うよ。場面場面で責任の重圧に耐えながら実感して成長を繰り返すんじゃないかな?二十歳になったから大人ですって言われても反抗している人たちもいるし、早くに両親と離れて自活している人もいる。自然と、個性に合わせて段階を踏んでいくんだよね。」
 それは自分自身に言い聞かせていた。
 そこに。
 携帯電話が鳴った。
 馬砂喜くんからだ。
 『久しぶり!』
 確かに。かなりご無沙汰だ。
 『聖くん、中学校の入学式が近いんだって?』
 今回はどんなキャラなんだろう?
 『中学生で父親になった男の話。主役なんだ。隆弘に話したら聖くんと零さんに話を聞いたら良いって言われたけど零さんって怖くないか?』
 「馬砂喜くんに怖いものがあったんだ、意外。」
 『いっぱいあるよー。…隆弘もそのうちの一人だけどさ。』
 「怖いの?優しいのに。」
 『嫌われたくないからさ。』
 声のトーンが変わった。
 「へー。上手くいってるんだ。」
 『まあね。いつまでも過去に囚われているのも悔しいからね。』
 過去?
 『隆弘が前に好きだった人には負けたくない…ってこと。』
 「それは大丈夫、隆弘くん、馬砂喜くんにメロメロだからね。」
 『だと嬉しいな…って違う、仕事の話だよ。零さんに聞けってどうしてだろう?』
 「本人に聞いたら?今から帰るから一時間後なら家にいるよ。」
 『わかった。ありがとう。』
 馬砂喜くんとの通話を終わらせ、僕らは帰路に着いた。
 
 
 「隆弘からは何も聞いてないのかな?」
 「はい。」
 馬砂喜くんが妙に神妙だ。
 「…僕が中学生の時、父親が交通事故で入院したんだ。母親は父親なしでは生きられない人で何も手に着かなくてね、僕が妹と弟の面倒を見ていた。それのことじゃないかな?」
 まさか自分が聖の父親とは言えないしね。
 「零さんは中学生の時には既に性体験があったって…隆弘が言ってました。今回の話は元々児童劇団に所属していた男が同級生の女の子を妊娠させちゃって、中卒で本格的に役者を目指して成功しちゃうんです。話は二十二歳になって、奥さんに不倫されて逃げられて小学生になる息子とのやりとりなんです。深夜だけど初めてのテレビドラマで主役なんですけど役作りが尋常じゃないんでどうすればいいのかと思案していたんです。」
 馬砂喜くんは真面目に悩んでいるようだ。
 「…その息子役の男の子と一杯話をしたらいいよ。愛してあげなよ。…中学時代に経験するセックスなんて興味だけだよ。ひたすら快楽だけを求めて後先を考えてはいない。現実を突きつけられたら恐怖しかなかった…。本当に大切な人は作り出すんじゃないかな?上手く言えないけど、その男にとって大切なのは息子ただ一人になるのかな…って思う。」
 一度、息を継いだ。
 「守るべき人が血を分けた人だと幸せじゃない?弟妹も三等身だけど親から分け与えられた同じ血を持つもので、やっぱり他人とは違う特別な関係だからね。」
 前に、零は同じ血に惹かれると言っていた。
 それは、僕たちがまだ子供だからなのだろうか?
 
 
 その夜、僕たちは身体を繋いだ。
 「陸…目…開けて…」
 絶え絶えの息で零が囁く。
 言われてみたら確かに僕は固く瞼を閉じていた。
 ゆっくり目を開けると、僕の上で激しく動く零が汗を滴らせて乱れていた。
 「あっ…」
 零の乱れた姿を目にした瞬間、身体の奥で強烈なエクスタシーを感じて腸壁を収縮させていた…。
 
 
 零の腕枕で夢現のところ、強引にバスルームへ連行された。
 僕の身体を洗いながら零は一人で話し始めた。
 「性欲は一人でわき上がるものなんだって。だから気持ちよくなりたいから目を閉じてしまうらしいんだ。僕は陸に、陸の中で感じてる僕を見て欲しかったんだ。予想以上の反応だったけどね。…僕をこんなに欲情させるのは後にも先にも、陸しかいない。過去は全て、自分の性欲だけだと言い切れるよ…って威張る事じゃないけどさ。」
 零はきっと、面と向かっては言いづらかったんだと思う。だからわざわざバスルームに連れてきて独り言みたいに言ってるんだ。
 「次からは、目を開けるよう努力するね。」
 …は!
 「ねぇ、零。聖の相手って誰だろう?」
 大事なことを忘れていたよ。
 「さぁ?誰だろうね?」
 …その口調は、分かっているんだ。ならいいや。いつかわかるだろうから。
 
 
 聖の中学入学式は予定通りママが出掛けていきました。
 僕たちは玄関で見送り…ました。
 「ごめん、怒らないで!」
 「やだよー!制服大きすぎだよー!」
 聖は半べそをかきながら出て行きました。
 
 桜は満開。
 聖の未来を暗示しているような素敵な朝です。
 
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