よそほふ
 深夜2時。マナーモードに設定してある携帯電話が静かに鳴った。
 都竹は液晶画面を見て慌てた。
「もしもし?どうしたの、こんな時間に。」
 電話には出たものの急いで店の外へ出た。今はまだ仕事中、明日の打ち合わせを兼ねた食事なのだ。
「もう寝ていなきゃいけない時間だよ?」
 ガサゴソと衣擦れの音がするところから察するとベッドの中だろうか?
「ごめんなさい。コンサートで四国にいるのはわかってる、隼くんが零くんと陸と一緒にいるのも分かっている。だけど声が聞きたかったんだ。」
 胸が熱くなる。
「可愛いセリフだね。でももう止めようよ。」
「止める?何を?」
「だめなんだ、本気にしそうなんだ。」
「本気にって…いままで僕の気持ち、信じてくれてなかったの?そんな…。」
「だって、聖くんは陸さんが好きなんだよね?」
「陸とは違うんだよ、考えただけで胸がきゅーってなるんだ。これが好きって気持ちじゃないの?」
「好き?僕を?」
「隼くんが好き」
 気付いたら携帯電話を強く、握りしめていた。



 今日は愛媛、明日は香川でコンサートです。
 前夜から入って朝からリハーサル、夕方から本番…。
「零、聖に電話した?」
「してない。いつもしないけど?」
 ええっ!そうなの?知らなかった。
 ホテルの公衆電話(ボックスタイプ)から聖の携帯に掛けた。
 何回コールしても出ない…出ない…。
 あ、公衆電話だからだ。知らない電話には出るなと言ってあったんだった。
 慌てて携帯電話に切り替える。
「もしもし?」
『陸かぁ〜。朝からなあに?』
 むっ。
「朝からってもう六時だよ。」
『そうだよ?土曜日のね。』
 は!しまった。公立中学は土日休みだ…っていうか曜日の感覚がない。
「実紅ちゃんに頼んであるから英語をみてもらうこと、いいね?」
『はーい。もう切るよ。』
「あと…ちょっと!」
 聖のヤツー!電話切った!
「陸、時間!」
「はーい!都竹くん、聖に電話して午後から実紅ちゃんに英語で、午前中は部屋の掃除だって言っておいてね。」
 そう言って携帯電話を都竹くんに預けた。
「聖の携帯、番号入ってるから!」
「あ、僕…」
 都竹くんが何か言い掛けたけど片手でお詫びのポーズを作り急いで零の後を追った。



 困った。ええいっ、とりあえず掛けよう。
 一回、二回、三回…コールするが出ない。
 陸さんの携帯電話を閉じて自分の携帯電話を取り出す。
『もしもし?』
 …出た。
「おはよう、都竹です。」
『…陸が近くにいるの?』
「いや、伝言を頼まれたから。午後は実紅さんで午前中は部屋の掃除だって。」
 何度も二人がラジオの生放送時に留守番に行っているから聖くんとはタメ口なのはスタッフ仲間も承知だ。
「じゃあ、そういうことだから。」
『待って、切らないで。…あのさ、夕べね、オムライスを作ったんだよ、陸が零くんに初めて作った料理。今度作ってあげるね。』
 夕べの今朝だから、痛い…ココロまで痛い。
「あの…話、あるんだ。」
『うん』
「コンサートが始まったら…電話する」
『夜まで待ってる』


 パタン
 携帯電話の通話を切り、閉じた。
 一番好きな人は手の届かない人。だから忘れるために他の人に目を向けた。
 同級生の女の子は扱い方が分からなかった。高校生は子供扱いする。
 他に誰がいるかと考えていたら、留守番に都竹くんが来てくれた。
「聖くんが中学生になったら一人でも平気だと零さんが言うので今夜が最後だよ。」
 突然突き放されて動揺するのと寂しさが同時にやって来た。
「やだ!都竹くんとはずっと一緒にいたい!」
 都竹くんがびっくりしていた。
「呼んでくれたらいつでも来るよ。」
 都竹くんは携帯電話の番号とメールアドレスを教えてくれた。
 それからすぐにデートに誘った。
 都竹くんの仕事が休みの日は陸も休み。だから内緒で会うのは至難の業なんだ。
 だけどそのスリルがたまらなかった。
「どうやって抜け出してきたの?」
「レコーディング中は意外と用事がないんだよ。斉木先輩もいるしね。」
 初めてのキスも僕からだった。
「まだ寂しいの?」
 二人がラジオで居ないときは当然家に呼び出した。そして…。
「中学生になるまでだめ!」
 都竹くんは拒んだ。僕との性交渉はダメだと拒んだ。
 中学生になってすぐ、呼び出した。
「聖くんの気持ちの整理がつくまではダメ」
「いやだ!」
 胸がドキドキした。
 今じゃなきゃダメだと思った。
 …僕は童貞を喪した。
 都竹くんがそれを望んだから。
 その日から僕は都竹くんじゃなく隼くんと呼ぶようになった。
「隼くん…」
「ん?」
 隼くんと初めてセックスしたあと、僕は隼くんの腕の中でうつらうつら気持ちよくなってつい、口走っていた。
「ずっと、僕だけ好きでいてくれる?」
 隼くんの身体が硬直した。
「…聖くんは、好きだけど…ずっとっていう保証はできない。だって恋愛感情じゃないから。」
 暫く瞬きすることを忘れていた。
 でもショックをさとられたくなかった。
 だってそうしたら離れていってしまうと思ったから。
「じゃあ、好きな人が現れるまでで良いから、今日みたいにセックスしてくれる?」
 僕にはセックス=恋愛だった。
 隼くんが許してくれたという事は僕を愛してくれているんだと思った。
 でも違った。
 違ってもいい、そばにいたい。
「言っただろう?性交渉はダメ。聖くんが大人になったとき後悔する。」
「しない!」
 本当はセックスなんてしなくてもいい、陸以外の人に初めて愛着を感じたんだ。




『もしもし』
「ごめん、遅くなっちゃって」
『ううん、隼くんは今夜忙しいんだもん、平気』
「じゃあ、単刀直入に言うから。恋人ごっこは終わりにしよう。」
『ごっこじゃない!』
「人の話は最後まで聞け!」
『…はい』
「ごっこじゃなくて本当の恋人になれるよう努力するから暫く距離を置きたい。僕に零さんを親戚だと思える度胸をくれ…まだ自信がない。」
 電話の向こうで小さく声がした。
「笑うなよ」
『ううん。笑ったんじゃなくて泣いてたんだよ。隼くんが僕のことちゃんと考えてくれて嬉しい。大好き。』
 都竹の心臓が大きく跳ねた。
「僕、……て…。」
 電波が邪魔をして聖にはよく聞こえなかったが都竹が意を決して言ってくれた言葉はちゃんと伝わっていた。



 パタン
 ピピピッ
 着信履歴を消去する。
 僕が隼くんと関係がある痕跡は全て都度消している。
 都竹くんに迷惑が掛からないようにと、自分の保身のため。
 隼くんのことは大好き。
 だけど一番じゃない。
 一番じゃない人と付き合うのは一番の人が他人のものだから。他人じゃないけど。
 聖はずるい。聖は卑怯者だ。僕は陸にそう言われたいのかも知れない。
 聖が一番好き。聖を愛している。僕は隼くんにそう言わせたい。それは愛情なのか愛着なのか執着なのか独占欲なのかまだわからない。
 だけど、隼くんが陸と一緒にいることが最近イヤだと思うことがある。
 陸が隼くんといるからイヤなのか、隼くんが陸といるからイヤかがわからない。
 まだ、自分がよくわからない。
 隼くん、ゆっくりでいいよ。
 まだ時間はあるから。



「都竹、ちょっと話があるんだけど。」
 コンサートが終わってすぐ、零は都竹に声を掛けた。
「コンサートの最中、ずっと気になっていたんだけどさ、やっぱり君だよね?聖の相手。」
 都竹は零から視線を逸らすことが出来なかった。
「…はい」
 零の顔が急に晴れた。
「そっか、良かった。ならいいや」
「えっ、あ、その」
「なに?」
「すみません、挨拶が遅くなって…その…」
「…まさか本気なのか?違うよな?聖のわがままに付き合ってくれてるだけだよな?無理しなくて良いから、子供相手に将来まで考えなくても構わない、ただ聖がちゃんと真っ直ぐ人を愛せるように導いてくれるならそれだけで僕は満足なんだ。子供の恋愛に口出ししたくないからね。…ただし陸には内緒だよ?うるさいからさ。」
 零は都竹が重荷に思わないよう、助言したつもりでいた。
 しかしそれは都竹を更なる苦悩に導いただけだった。


「陸」
「ん?」
 明朝は移動があるため又朝が早い。
 メンバーとスタッフで遅い晩ご飯を済ませるとさっさとホテルの各部屋に引き上げた。
 ちなみに剛志くんと斉木くんは別々の部屋だ。
「聖のことだけどさ、留守にしているとき、しょっちゅう電話しなくてもいいから。自立できなくなることもあるけど、陸は聖の気持ちに応える気はないんだろ?なら出来るだけ突き放してやらないと可哀想だよ。留守のことはあきらちゃんと実紅に頼んであるから大丈夫だよ、な?」
 僕は直ぐに返事が出来なかった。
 聖を突き放す?
 可哀想?
 ママに頼んである…。
「零はちゃんと聖のこと考えていたんだね。」
 急に寂しくなった。
「聖を、いつか手放す日に僕は笑って見送れるだろうか?」
「大丈夫。世界中の親たちは経験して実行している。」
 そうだね。
「努力する」
 僕は零の胸に顔を埋めた。
 零の腕が僕の肩を抱いた。
「今夜は寝るよ」
 頭を上下に動かすことで了承を告げた。
「聖とずっと一緒にいられると思っていたんだなー、僕。聖だっていつかは好きな女の子が現れて結婚するー!なんて言い出すんだ。」
「そうだね、女の子ならね。」
 ん?
 なんだか意味深なんですけど。
 そんなことを考えているうちに零の寝息が聞こえてきた。早すぎだよ、寝付くの。




 翌朝。
 目覚めて身支度を完了させて、いつものように携帯電話を握りしめていた。途中で零に言われたことを思い出してジーンズのポケットに押し込んだ。
「零、行くよ!」
「了解」
 零が荷物を肩に掛けたのを確認して僕は旅行鞄を手にした。




「朝早くからどうしたの?」
『陸から連絡がないんだけど、何かあったの?』
 都竹は首を傾げた。
「別に何もないけど。いつも通り移動の車の中ではしゃいでたよ。…もしかして陸さんはツアー中ずっと聖くんに連絡していたの?」
『うん、毎朝必ず。だから何かあったのかと…ううん、何でもない。』
 聖の慌て方に都竹は気付いた。
「聖くん、僕で陸さんの代わりになるの?」
『代わりじゃないよ。隼くんは隼くんだもん!陸はずっと一緒にいてくれたお兄ちゃんだから。…お父さんじゃないもんね。』
 都竹が笑む雰囲気がした。
『隼くんが電話くれたら嬉しいな。』
「いいよ、別に。」
 電話を切って都竹は大きくため息をついた。
 聖は子供なのに、どうしてこんなに振り回されるのだろうかと。
 聖に陸以外の好きな人が出来れば自分はこの立場から解放されるのに…。
 そんな風に考えていた。




「ただいま!」
 荷物を玄関先に放り出したまま聖の姿を探しにリビングへ直行した。
「おかえりなさい」
 聖はテレビゲームに夢中だ。
「またゲーム三昧だったの?」
「わかってるよ、ちゃんとやることはやったから心配しなくていいよ。」
 聖のぞんざいな口調に一抹の寂しさを覚えた。
「お土産、買ってきたよ。」
「坊ちゃん団子?一六タルト?」
「はずれー。坊ちゃんキューピー。みんなとお揃いだよー!」
 …反応が鈍い。
「おかしいなぁ、都竹くんがこれならウケるって言って買ってきてくれたのにダメじゃないかぁ。」
 小さく呟いた時だ、「赤シャツバージョンとかもあるの?」と、食いついてきた。
「どうだろう?スーツの色が何パターンかあるみたいだけど。明日都竹くんに聞いてみるね。はい。」
 聖に手渡す。それを手のひらに乗せるとじっと見つめていた。
「聖?」
「ありがとう」
 うー!やっぱり可愛い!
 聖を抱き締めようと腕を伸ばした瞬間、「零くん、陸。話があるんだ。」と、切り出された。
「いいよ、別に。恋人のことだろ?相手から聞いた。」
 零が言った言葉に聖が頷いた。
 え?
「聖…」
 零は知っている。
「これしか仕方なかったんだ、陸を忘れる方法は。新しい恋を探すことしか…。」
「まて!聖。本気なのか?」
 零の言葉は聖の告白を否定していた。




 コンサートから戻ってすぐ、翌々日から新曲のプロモーション撮影でまた家を離れる。
「…夾に頼んでみる」
 零は電話で夾ちゃんに留守番を依頼した。生憎夾ちゃんは予定が埋まっていたけど涼さんがずっと家に居てくれるそうだ。
 零曰く、相手の子を信用していないわけじゃない。だけどまだ早い。せめて高校生になるまでは…。
「そういうことか。なら僕は手を引こうかな。零が意外に過保護だったと知ってびっくりしたよ。…零が大人になった日、僕は知っていた、小学生の時だろ?責任は親が取るから好きにさせてやりたいっていうのは僕の持論。僕が責任を取るよ。」
 涼さんがそんな事をいうとは思わなかった。
「違うんだよ、涼ちゃん。聖は…聖の相手が男だから…」
 え?相手が男って…聞いてないよ?
「零だって陸とセックスするんだろ?なら仕方ないじゃないか。親の背中を見て子は育つ。」
 僕は慌てて俯いた、でもすぐに顔をあげた。別に恥ずかしいことじゃない。
「聖が好きな人に巡り会えたのなら思い切り悩ませればいい。…夾も悩んだよ。」
 そうだ、涼さんはそういう考えの持ち主だ。
「涼さ…おとうさん、聖を一人にしてみます。相手の人はそんなに節度のない人間じゃない。だからきっと平気です。」
 涼さんは大きく俯いたけど零は非難の視線を投げてきた。
「でも零が気にしているようだから晩ご飯は家に来るように伝えておいてくれればいい。」
 涼さんは一人っ子だから大勢で食事をするのが大好きなんだ。
 もうすぐ涼さんの両親は定年を迎えて戻ってくる。一緒に暮らす予定だけど元気だから嫌がるかもしれないそうだ。
 涼さんの両親は涼さんの記憶があやふやでも構わないんだそうだ、親子だという事実は変わらないからだ。そんな風に言える強さが僕にも欲しい。
「零、聖の彼氏は誰なの?」
「言わない」
「意地悪」
「約束したんだ、誰にも言わないって」
「ふーん」
 律儀なんだかまじめなんだか…。
 ま、零のそんなところもまとめて大好きなんだけどね…口に出しては言わないよ。




「行かないよ」
『どうして?折角二人とも留守で隼くんは事務仕事を片付けているのに?』
「なんで聖くんは僕のスケジュールを把握しているんだい?」
『簡単だよ、陸が教えてくれる。』
 なるほどと納得してしまうあたり、都竹の甘いところだ。
『会いたい』
「成績が下がったんだろう?ダメだよ…今夜は予定があるし…」
『何?予定って?僕に会うより大事な予定?』
「うん。じゃあ切るよ。」
 プツッ
 強引に切断した会話。
 心が痛む。
 だけど本気になる前に、捨てられる前に、決断して終わりにしよう。
 新しい恋を探すんだ…。
 聖の頬を、何故か涙が零れた。