聖の恋人
「あ…んんっ…はぁっ…ん…」
 零が寝室のベッドで僕の身体を執拗に求めてくる。ダメだよ、聖がいるのに…なんで?
「やっ、やっ、ダメ…」
「何がダメなのかな?」
 耳元に囁かれた声はなぜだか尖っていて険悪だ。
「手を、放してくれないかな?」
 言葉は優しいけど確実に怒っている。
 そこで、気付いた。
 慌てて目を開ける。
 右手は零の股間にあった。思い切り握りしめていた。
「ごめん!寝ぼけてた!」
「ものすごいいろっぽい声で誘われたんだけど…欲求不満?」
 …
 …
「自覚はないけど、多分そう…」
 自分では淡泊な方だと思っていた。そりゃあ好きな人に求められたら嬉しくて応じてしまうでしょーが。
「陸はエッチだからなー」
 …
 …
「なんだよ、心外って目で見てるよ?まさか自分ではそんなにエッチだと思ってなかった?だとしたら大いなる勘違いだよ、陸くらいエッチな身体はないからなー」
「誰と比べてるの?」
「過去の恋人…って言えばいいの?」
「ごめんなさい…」
「許さない…とりあえず責任とってよ」
 言うが早いか瞬殺で組み敷かれた。
「ちょ、聖が寝てるよ?」
「自制心を削がれる行為をした人間に言われたくないね。今すぐあっちの部屋に行く!」
 防音室なら聖には聞こえないかな。…ささやかな抵抗の様な気もするけどね。



「おはよう」
「…うそつき」
 ドキッ
「今朝は陸の当番なのに」
「あ!ごめん!」
 朝ご飯の準備を忘れていた。
「明け方までイチャイチャしてるからじゃない?」
 …やっぱり気付かれていた。
「だから、それは、その…」
 聖は手元に視線を落としたまま、「僕が零くんなら我慢しない。陸を目の前にして手を出すなって無理でしょ?」と言った。
 ちょっと待ってよ?これは僕に言っているのかな?恋人に言っているのかな?
「遠慮なんかしないでいいよ。僕だってしゅ…恋人とセックスするんだから。」
 いやー!聖の口から恋人とセックスなんて…ん?今『しゅ』って言ったよね?『しゅ』ってなんだろう?…恋人の名前?しゅ…しゅうじ、しゅんた、しゅ…しゅうこ!よっしゃ!女の子の名前もある!
「何一人百面相してるの?フランスパン、切って。」
 う。最近聖は冷たい。
「聖」
 聞いてみよう。
「ん?」
「しゅって何?」
「うー…聞き逃さなかったんだね、言い直したのに。隼くん。彼の名前。」
 ガーン
 やっぱり彼なんだ。
 いや、待てよ?
 相手が男の子なら零みたいに妊娠させることはないよね?ならいいのか?でも…僕の夢、聖の赤ちゃんを抱っこするのは叶わなくなる…うーん。いや、もしかしたら聖が…うー。
 パンケースからフランスパンと食パンを取り出し、パン切り包丁でスライスする。聖と僕はフランスパンが好きなんだけど零は食パンなんだ。
「零は、僕に教えてくれないんだ、聖の恋人が誰かを。…良い人なんだよね?聖が好きになるくらいなんだから。」
 かなり躊躇しているようだったけど少し声のトーンを落として話してくれた。
「多分、零くんが言わないのは僕が本気だと思ってないからだよ。暫くしたら飽きて別れるんじゃないかって。」
 僕は慌てて聖の顔を見た。
「一番好きな人は不変なんだけど二番目に好きな人はコロコロ変わっちゃうんだ。」
 僕には返事が出来ない。
 初恋の人、一番好きな人と結ばれた僕にとって、二番目に好きな人のことを一番好きな人に繰り上げる気持ちは理解できない。
「聖」
 名を、呼んだ。
「なあに?」
 振り向いた顔は精悍な男だった。
「もしも、聖がさき…」
「待って!仮定の話ならしないで。陸は永遠に手の届かない人なんだ。理解したんだから惑わせないで。大丈夫、誰だって一度や二度、失恋するんだから。そうして大人になる。ー本当のことを言うと、隼くんとは終わったんだ。」
 え?
「フラれたんだ。もっと大人じゃなきゃ相手にしてもらえないんだ。」
 もっと大人―それは僕も同様なことを言った気がする。
「今は一生懸命勉強してもっと色んな事を知りたい。早く大人になりたい。零くんみたいに。」
「零は学校の成績良かったみたいだよ。」
「陸の成績表は裕二さんが見せてくれた。」
 なに!
「理数系は得意なんだね」
「昔のことだし…」
「家庭教師、してくれる?」
「空いているときなら」
「やった!約束だよ?」
 安請け合いしちゃったけど出来るかなあ。零も理数系は得意なはずだけどなぁ。って、塾はどうしたんだ?
「聖、塾は?」
「あそこは中学受験専門だもん。」
 ええーっ!やられた…。


「それはまた大変な仕事を受けてしまったんですね。」
「そうなんだよー。ところで都竹くん、理数系得意?」
 今日は音楽雑誌の対談という、僕の苦手ジャンルなんだけど、相手が何度もテレビ局で会ったことのある人だから、少し気が楽なんだ。
 一人の仕事は相変わらず苦手。都竹くんがいなかったら逃亡していそうな予感。
「僕に振らないで下さい、無理です。」
 残念。
「聖も都竹くんなら懐いてるから平気だと思ったんだけどなー」
「でも陸さんにお願いしたんだから聖くんは陸さんがいいってことじゃないですか?僕がいいなら携帯に電話してくるだろうし…」
「…聖、都竹くんに携帯電話の番号、教えたんだ。ならどうして僕なんだろう?もしかして喧嘩した?聖が何かわがままでも言ったんでしょ?」
 都竹くんは黙って車の運転に集中していた。
 暫くして、呟くように教えてくれた。
「聖くんに、黙っていて欲しいと言われてるんで聞いたら直ぐに忘れて下さい。聖くんは夢があるんです。だけど他人から見たら壮大な夢…というわけじゃないんです。小さな本当にささやかな夢。叶えるためにどんな努力が必要か考えて陸さんに頼んだんです、きっと。」
 聖の夢…。
「僕には聖くんはしっかりしているなって思いますよ。普段から家を守っているって自覚があるんだけど最近は貪欲に全てを吸収しようと頑張っていますからね。零さんと陸さんに関係なく、聖くんは良い子だなーって思いますよ。手が掛からないし。」
 僕は途中から涙が出そうになった。
「聖って都竹くんから見てもそう思う?そうだよねー、良い子だよねー。そんな聖をフる恋人ってどんなヤツなんだろう?」
 あ、いけない、口が滑った。
「今のは聞かなかったことにしてー」
「あ、はい。」
 しかし都竹くんの表情は先ほどから一変して険しくなった。



「陸!」
 ドキッ。なんだろー、帰宅早々いきなり。
「僕がフラれたこと、誰かに話した?」
「ごめん。都竹くんに…」
 聖はこれ見よがしに大袈裟に溜め息をついた。
「向こうからメールが来たよ。僕は聖を振ってはいない…ってさ。…今回だけはお礼を言うけど、あんまりペラペラ喋らないでよ、相手があるんだから。」
 本当に聖の言うとおりだ。
「ごめんなさい…都竹くんは言わないと思ったんだ。」
 本当に、どうして都竹くんから聖の恋人に伝わったんだろう?
「聖の恋人って都竹くんの知り合いなの?」
 暫く呆れたように聖は僕の顔をじっと見つめていた。
「陸…斉木くんの名前は?」
 え?
 斉木くん…斉木くん…あ!
「祐一!」
「正解」
 言うと聖はテレビゲームを始めてしまった。どういうことだろう?
 斉木くんと都竹くん?
 まさか!
「ちょっと聖、斉木くんはダメだよ!」
「だから!斉木くんの名前!」
「まさかず…だよね?」
 なんで?
 …
 …
 あ!
 『しゅん』だ!
 …誰かいたっけ?隼なんて。
 …
 …
 都竹くん?
 名前…
 なんだっけ?
 僕は携帯電話を手にした。アドレス帳を開いてみたが都竹くんの欄に名前は書いていない。
 僕って薄情だ。自分のマネージャーの名前も知らないなんて。
「都竹くんが彼なの?」
 聖は黙って頷いた。
「なら…担当を変えてもらうよ。マネージメントしている人間の家族と付き合うなんて冗談じゃない。」
「でも、タレントとマネージャーとか、事務所の社長とかもあるじゃないか。それに僕が誘ったんだ。」
 そう言われて脳裏に浮かんだのは聖と都竹くんがセックスした事実だ。
「陸がそういう顔をするのは分かっていた。だけど、隼くんがいいんだ。」
 隼くん。
 聖がその名を呼んだとき、幸せそうな表情を見せた。
「聞かなかったことにする。だから都竹くんとも今まで通り…」
 無理だ。今まで通りなんて絶対無理。
 どうしよう。
 僕ひとりでは判断できないよ…。


「聖、陸に言っちゃったのか?」
 聖の告白から一時間後。僕から零にメールで知らせていたのだが、仕事から戻った零がリビングに入って来るなり聖に問うた。聖は無言で頷く。
「聖はいつか本当の恋に出会うから。都竹には本気になってなんかいないよな?」
 零の気持ちも僕と一緒なんだろう。
「でなきゃ、都竹が可哀想だ。あいつはノーマルだろ?」
 え?
「斉木はどっちでも構わないみたいだけど都竹は違うだろ。」
 どうだろう?
「あ、前に零と寝たいって呟いたことがあるけど。」
「え?」
 零には寝耳に水だったらしい。
「なら…ゲイなのか?」
「そういうわけでもないよ、スタジオでアイドルの娘と会うとニヤケているから。」
「え?」
 今度の驚きは聖。
 まあ、当然だね。
「でも、この間はちゃんと節度のある…いいや、聖の好きにしたらいい」
 突然、零は突き放すようなことを言った。
「零、でも…」
「都竹がどんな人間だか、陸が一番よく知っているだろ?なら大丈夫だよな?聖の選択は間違っていないだろ?」
 う…。
「うん。都竹くんはすごく良い人だよ。そりゃあ、最初のころは零を追いかけてきたって言っていたから、僕に付くのは嫌だったらしくて仕事が終わるとすぐに帰っちゃったけど、斉木くんが抜けた後はすごく張り切ってやってくれて今では何にも言わなくても全部やってくれるから、逆に僕がいい加減になっているところもあるし。愚痴だって聞いてくれるし、悩みも…あ。」
 斉木くんが剛志くんと付き合う前は、都竹くんとってもクールだったよな。でも一度も嫌悪感を表に出したことはなかった。やっぱりゲイなんだろうか?
「僕、都竹くんの恋愛相談って受けたことがないな。夾ちゃんが好きなのかもと勘違いしたこともあったけどね。」
「隼くんは、陸が好きなんだ。聞いた訳じゃないけど多分そうだよ。」
 聖が遮るように口を挟んだ。
「陸が好きで零くんが大好き…って言ったら誤解するよね、目標にしているって言ってた。だから零くんに僕と付き合うって言いづらいんだって。」
 聖は白状したから饒舌だ。
「セックスはね、一回しかしてないんだ。興味があるのはわかるけど理解してからにしようって。」
 僕は慌てて零を見た。
「都竹なら大丈夫だよ。」
 うん。
 都竹くんなら大丈夫だ。
 明日、会ったら聖をよろしくって言おう。
 都竹くんだもん、間違いはないよね。
 …何にも言わない方がいいのかな?又、聖におしゃべりって怒られちゃうもんね。