恋するメンメン
「陸…ちょっと聞きたいことがあるんだけど…。」
 聖が神妙な顔で隣に腰掛けた。
 今日は朝からずっと家にいたのにどうして夜中の、零がお風呂にはいっているこのタイミングなんだろう?
「零くんに初めて抱かれた日って、怖くなかった?」
 ははーん、そういうことか。
「怖くはなかったよ。だって好きだから。それに抱いて欲しいって僕から押し掛けたから、初めから覚悟っていうかその気だったからね。」
 そっか…と呟いて自室に消えていった。
 この間、ラジオの放送日に聖の部屋に都竹くんが泊まったことは零から聞いた。
 僕は既に起きている都竹くんに会ったからいつもと変わりなく飄々としたイメージだったけど、零には飢えた獣に見えたらしい。
「隼くんは痛かったみたい…。」
 突然、ドアが開いて少しだけ顔を覗かせると、聖はそれだけ告げた。
「ちゃんとしてあげなかったんじゃない?」
「あ!そっか。」
 おーい!聖。それは拷問だよ。
パタン
 再びドアが閉まる。
 聖は今、恋に悩んでいる。
 なんて…なんて羨ましい。
 僕なんてもう、悩むことは何もないからなー。
 愛し愛されているから、ね。
「なにニヤニヤしてんの?」
 バスタオルを頭から被った零が、クッションを抱き締めてニヤツく僕を見て気味悪がる。
「僕は零に愛されてるなーって思ってたところ。」
「ふーん…聖は?」
 あら?さらりと交わされた。
「部屋に戻ったよ。」
 へー、と言いながらドアをノックした。
「聖、入るぞ。」
 部屋の中で何か話しているけど内容は聞こえない。
 しばらくすると「じゃな。おやすみ」と言いながら出てきた。
「どうしたの?」
「仕事の依頼。同級生にイラストの上手い女の子がいないか探してもらうんだ。」
「女の子?」
「そう」
「ふーん。」
 何で女の子限定なのかな?と疑問に思っていたら、
「ドラマの中で使うんだ。リアルな方がいいらしい。聖の同級生でいないかと監督に言われてさ。監督まだ若いから適当な知り合いがいないんだろうな。」
と、説明してくれた。
 最近、零はドラマの仕事が多い。しかも監督はずっと同じ人。
 初ちゃんと剛志くんもモデルの仕事。
 隆弘くんは音楽番組の司会。
 実は僕だけ今仕事がない。いや、ACTIVEの曲作りとコンサートプランを練り上げるという重要な任務はあるけどさ、なんか中途半端な位置なんだよね。
 とりあえず、新曲を最低5曲作らないと。


 今日も朝から家の中で悶々いや、鬱々…も違うな、ぼんやりが適切かもしれない、イメージが膨らまずに曲作りが難航していた。
 今回はみんなが忙しいからと半分僕が受け持つと宣言してしまったのがいけなかった。
 なんだか斬新さを求めてしまうので、頭の中に浮かぶメロディーが全て陳腐に思えてしまう。
 …CDショップに行って新しい音楽でも仕入れてこよう。
 僕は一人で気分転換を兼ねて散歩に出掛けることにした。


 新譜コーナーには沢山のCDが並んでいた。
 知らない名前のバンドがあったりして自分の勉強不足を恥じた。早速手に取る。
 最近はインターネットでダウンロードできるから、わざわざCDで購入する人が減っているんだという。
 僕は大好きな曲だったらCDで手元に置きたいと思うんだけど、パパの若い頃はレコードという、黒くて大きくて曲がりやすいプラスチックみたいな物に、溝を掘ることで録音してダイヤモンドの針で再生するんだけど、これが劣化するのが早い。真っ直ぐに立てて置かないと曲がって針が飛び、音も飛ぶ。年月による劣化も激しいらしく、ブチブチと雑音が入る。まあ、エジソンの発明品だからね、歴史はあるよ、うん。
 このレコードを大事に聴いているんだけど、音が悪くて聴くに耐えないんだ。
 そういうことを考えたら、メディアを介さないダウンロード方式の方が劣化の心配はないのかもしれないな。
と、一人納得していたら、
トントン
背後から肩を叩かれた。
「あの、失礼ですがお一人ですか?」
 ?なんだ?いつもの『見つかっちゃった』感とは違う雰囲気だ。
「はい、そうですけど…。」
「失礼しました。わたくし、こういう者ですが…」
 手渡された名刺には

安藤法律事務所
弁護士
都竹武

とある。
「都竹さん…たけしさんですか?」
「たけると読みます。苗字はご存じでしたか。」
「はい、僕のマネージャーが同じ苗字です。」
「マネージャー?」
 あ!しまった!
「もしかして…野原さん…ですか?」
 あれ?気付いていなかったんだ。
「はい…」
 都竹さんは、
はぁ
と、落胆のため息をついた。
「そうですか…いつも弟がお世話になっております。」
えーっ!


「どうぞお構いなく。」
「いえいえ、せっかくお知り合いになったのですから。」
 ん?僕の日本語、明らかに変だ。かなり動揺している。
 都竹さんを自宅に招いたのはいいが、特に話はない。
「僕、本当に都竹くんにはお世話になっているんです。お礼のしようがありません。」
 とりあえず都竹くんの話で繋ごう。
「あの…あなたに声を掛けたのは、お茶に誘おうとしたのです…下心で。」
 …ん?
「あなたがあまりにも魅力的なオーラを放っていたので、チャンスを逃したら一生巡り会えないと…」
 え?ええーっ!
 都竹さんはいきなり僕の手を握った。
「男性に欲情する男は変だと思われますか?」
「いえ、そんなことはないですが…。」
 …知らないんだよね、都竹くんのお兄さん、僕の性癖。だけど弁護士なんて職業でゲイなんて…なんか不憫だな。
「あの!弁護士さんって犯人の弁護とかするんですか?それとも離婚のこととか?」
 話題を変えよう!
「はい。いや、私は主に…土地の問題を担当することが多いです、敷地の争いですね。」
 都竹さんは言葉を選びながら僕にわかりやすく説明してくれた。
「へー、弁護士さんにも色々あるんですね。」
「はい。」
ニコリ
と、笑顔になるが…手は離してくれない。
「野原さん、私みたいな男はどう思われますか?」
 どう…って言われても…。
「すみません!都竹くんのお兄さんとしか思えないです!」
「そうですよね、先入観がありますよね…それではまずはお友達という定番から始めませんか?」
 うーん、困った。正直に話していいのかな?都竹くんのお兄さんだから無下にも出来ないしな。
「あの…だから…えっと…。」
「大丈夫です。あなたの身の安全は私が守ります!それともやはり女性が好きですか?」
 ここは無難に「はい」と言うべきかな…。
「えっと…る」
 あー!なぜ詰まる!自分!
「一目惚れなんです!」
 零ー!助けて〜!
カチャ
「あれ?武さんじゃないか。」
「あ。」
 神様、ありがとう!聖は今、学年末試験の最中だ、帰宅が早い!
「…陸はダメだって言ったでしょ?」
 学生鞄で頭をバシッと叩いた。
「だって…一目惚れなんだよ。」
「はいはい、分かったから離れて。」
 都竹さんは慌てて手を離した。


「武さんには隼くんの家で会ったんだ。たまたま会いに来たって言ったけど、違うよね?」
 うなだれたまま、小さくうずくまるように身体を小さくした都竹さんは
「はい。初めから陸さんを紹介してもらうつもりで行きました。隼には絶対にダメだと断られたので、こっそり調べて…聖くんと一緒に住んでいることを確認したので着けました。」
 おい、弁護士!犯罪じゃないのか…る
「良かったね、零に見つからなくて。袋叩きにされて東京湾に沈んでたよ。」
 縁起でもない!しかしあり得る…。
「零…さんも一緒ですか…やっぱり経費節減?」
 えーと、この人ずれてないかな?
「僕からは何も言いません。ただ、あなたのお申し出は大変嬉しいですが、お受けできません。理由は言えません。僕はプライベートを公にできない職業ですから。」
「そうですよね、ストーカーとかありますからね。」
 …あなたもストーカーに近いんですが…。
「でも、本当に綺麗ですね、陸さん。隼が実家に帰る度に話してくれるんです、あなたのこと。それで知りました。」
 都竹さんはわざわざ禍根のみ残して去っていった。


はぁ。
 何回目だろう。
 昼食時もそうだった。
「でさ、日本史の問題にね、」
 そして何事もなかったように話の続きに入る。
「聖、深い意味はないと思うよ。」
ピクン
 聖の肩が震えた。
「陸には分からないよ、僕の気持ち…。」
 それは分かる。聖の気持ちは分からない。
「都竹くんに聞いたらいいじゃないか。」
 今夜は聖の好きなクリームシチューにした。主食は朝から仕込んでオーブンで焼いたフランスパン。
 でも食は進んでいない。
「違うよ、僕より陸なんだなって思ったんだ。仕方ないよね、一緒にいる時間が僕より陸の方が長いんだもん。あーあ、大好きな人が恋敵になるなんて思わなかった。」
はぁ。
 そして又、ため息。
 聖は今、都竹くんに本気で恋しているんだなー。
「あー!イライラする!」
食事の途中だと言うのに、聖は部屋に行くと携帯電話を持って戻った。
 いくつかボタンを操作して通話準備に入る。
「もしもし?」
 都竹くん、今日は斉木くんたちと打ち合わせじゃないかな?
「終わった?じゃあ家に来てよ。陸もいるし…。」
 都竹くんが何か言っている。微かに声が聞こえるが会話はわからない。
「なんで?武さん、来たよ。陸を口説きに。隼くんに聞いて気になったんだって。言い訳しないの?」
 聖の言い方にはトゲがある。
「ちょっ!まっ…」
 聖は携帯電話を耳から離すとじっと見つめた。
「やましいことはないから言い訳するようなことは無いってさ。だけど武さんには会いに行くってさ。」
 半分ふてくされているが、口角が上がっている。
「愛してる。」
「え?」
「って、言われた?」
「違うよ!」
 しかし遠からず…といった表情だ。
「イライラは解消した?」
「ん。」
 あやふやな答えだな。
「都竹くん、弟になるのかな?」
 僕の独り言は無視された…というより聞こえていなかったみたいだ。


『すみません、兄がご迷惑掛けて…。』
「うん。ちょっと困ったかな。僕は零と結婚してますって言っていいのかどうか悩んだんだ。」
 都竹くんは実家から戻ると僕に電話してきた。
『ちゃんと説明してきました。今度勝手なことしたら二度と話を聞かせないと念を押して。しかし完全にストーカーですね、すみません。』
「ううん、ありがとう。」
『いえ。それとですね、陸さんのテレビ出演が決まりました、ギターの巨匠、』
「え!多田仲喜義(ただなかきよし)さん!なの?」
『はい。苦労しました。』
 やったー!僕ら一介のギタリストには雲の上の存在、多田仲喜義…神様だよー。
 今朝、CDショップで新譜を手に入れた甲斐があったなー。
「大丈夫、新譜もしっかり買ってあるから色々話を聞き出せると思う。」
『それがですね…』
 ん?都竹くん、歯切れが悪い。
『ギターの巨匠と天才の対談…になったんです。』
「…その言い回しだと僕が天才になるんだね?それは厄介だな。」
 多田仲さんはプライドが高いから万が一臍を曲げたら二度と話が出来なくなっちゃうよ。
「テーマ、変えられないの?」
『それが、多田仲さんの希望なんです。彼と対談するならギター持ち込んでセッションしながらがいい、なんてったって天才だからな…って。斉木先輩は当然のように頷いてましたけどね。』
 斉木くん、多田仲さんの偉大さを知らないのかな?この業界にいてまさかだよね。あ、斉木くんは元バンドマンだから知らないわけないよ、うん。
『それとですね…』
 都竹くんがなんだか言い出しかねている。
「なに?」
『叶うことなら、涼さんも一緒に…と。』
「涼さん…あ!」
 多田仲さんと零の父、涼さんは元バンド仲間だ。
「涼さんがいいなら僕は構わないよ。」
『でもそれじゃあ、陸さんがおまけになってしまいます!』
「いいよ、別に。僕は二大巨匠と同席できるだけで幸せだもん。」
『そうでした、陸さんはあの野原裕二の息子でしたもんね…別に平気なんですよね。』
 あれ?拗ねてる。
「じゃあこっちからも一つだけ条件をつければいいじゃないか。多田仲さんと二人きりで話す時間も欲しいって。」
 都竹くんはやっと納得した。
『それじゃ、話を進めますね。』
「うん…都竹くん、」
『はい?』
「聖がね、気にしてた。お兄さんに僕の話をしているって。仕方ないけどさ、気にしているから…連絡入れてあげてくれる?」
 暫くの沈黙。都竹くんはどう切り出そうか迷っていたようだ。
『陸さん。私と聖くんのこと、干渉するなとは言いませんが、私を信じてもらえませんか?頼りないのは分かってます。だけどそんなにいつも気にされていると息が詰まるんです…聖くんが。』
 はっとした。
「そっか…そうだよね、ごめん。僕だってパパに言われるのイヤだもん。」
『聖くん、まだ陸さんに気持ちを残しているから、押したら倒れます、あなたに。』
「まさか。」
 笑いを含めた声で返したら、『真面目に話してるんですけど』と、叱られた。
「零みたいな放任主義になれたらいいんだけどなー。」
『零さんは放任なんかじゃないですよ。毎日メールが届きます…陸さんの件ですけどね。』
 あ、そう…。
「わかった。必要以上には関与しないようにするよ。」
 そういって電話を切った。
 頭を切り替えよう。
 聖はもう、子供じゃない。僕は聞き分けの悪い大人にはならないつもりでいた。
 だから二人のことは見守って行こう。
 今は仕事のことにだけ、集中しなきゃ。
 まずは…まだ一曲も出来ていない新曲からだ!
 玄関ドアが開く音がした。きっと零が帰ってきたんだ。
 一杯話したいことがあるからさ、覚悟しててね。