チャンス
「聖くん、僕はもう君に個人的に会うことはしないよ。」
 隼くんにそう言われて半年が過ぎた。
 まだ零くんにも陸にも話していない、というより話すことが出来ていない。
 僕から、隼くんの為にさよならを言うんだと思っていたんだ。
 まさか隼くんから言われるとは思ってもいなかった。


「で?どーするんだ?」
 陸が音楽雑誌(ここをもの凄く強調していた)の取材で出掛けていて、逆に珍しく零くんが家にいる日曜日、僕はリビングのテレビを見ていた。なんとなく、見ていただけだったからどんな内容かはわかっていない。
 最近は新しいゲームも興味が沸かず、音楽にも心が揺れず、かといってする事もなくぼんやりと日を過ごすことが多かった。
「なにを?」
「うちの婿養子」
 …婿、養子?
「都竹と、別れたんだろ?」
「気付いていたんだ…零くんだもんねぇ。」
「いや、僕じゃなくたって会話に上らなくなったし、家に来なくなったりで全く気配がなくなれば気づくだろう?…陸は気づいてないだろうけど。」
 陸は常に隼くんと一緒にいるから気づかないんだよ、きっと。
 はぁ…。
 思わず大きなため息が出た。
「振られた」
「だろうな。聖がいつまでもふらふらしてるからだ。」
「だって!」
 一番好きな、理想の人が家の中にいたら、なかなか諦められないよ…とは言えない、いくら零くんでも。
「もう半年になるよ、振られてから。」
 ふぅ…。
 今度は零くんが盛大なため息をついた。
「聖に話したっけ?僕の初体験。」
 突然、何を言い出すんだろう。
「知らない」
 …って言うか知りたくない。
「年上の女子高生、小六の時。つまり、聖より早い。」
 え…
「ええ〜っ!」
 流石、零くん。
「じゃなきゃ、聖はこの世にいない。」
 えっと…そうか逆算したら…14歳だから…更に十ヶ月前?
「僕の歳より更に前?」
 あまり言いたくなさそうな雰囲気だ。
「ああ。涼ちゃんが交通事故に遭って記憶が断片的になくなって、支えを失ったあきらちゃんを毎晩犯した。あきらちゃんは男勝りな性格なのに、男に支えられないと生きられない。」
「あのさ、支えってセックスすることなの?」
「うーん、その答えは難しいな。その時の僕にはそれしか思いつかなかったんだ。現状のあきらちゃんだったら心の支えがあれば構わないだろうけど、あの時は心神衰弱状態だったから…最終的には壊しちゃったし…。僕も精神的にかなり参ってた。」
「陸もそうだった?」
「陸?」
「陸も支えてあげたかったの?」
「陸は、違う。」
 でも零くんはそれ以上口を開かない。
「どう、違うの?違うなら隼くんも違うんじゃない?」
「そうかもな、違うかもしれない。」
 陸の方の答えは迷っている。
「陸は…僕が支えているんじゃないな、互いに支え合っているんだな…きっと。」
 わかっていた、その答え。二人は確かに支え合っている。どちらかが欠けたら立っていないだろう。
「僕の支え合ってくれる相手は、隼くんじゃないよ。」
「どうしてそう思う?」
「隼くんの隣には、僕じゃなくてピンクの花柄が似合う女の子だから。」
「ふーん。分かったよ、聖がそれだけ理解しているなら、もう何も言わない。」
 僕の意に反して、零くんは納得してしまった。


 しかし。
 零くんに言われると気になる。
 しまった。隼くんに恋人がいるかどうか、確認すれば良かった。
 零くんは防音ルームで何やら作業中だ。
 …とりあえずメールしてみよう。



隼くんへ
お久しぶりです、お元気ですか?
今は撮影スタジオかなぁ?
…本題に入ります。
毎日つまんないです。
部活も辞めちゃいました。
今はなんにもやる気がありません。
なんでだろう?
毎日考えるのは隼くんのことばっかりです。
でも迷惑は掛けたくないんだ。



 送信…っと。
 でも。よく考えてみたらかなりの割合で迷惑掛けているよね。
 数分後、メールの着信を知らせる音が鳴った。

 Error

 エラーメール…。
 そっか、メールアドレス、変えたんだ。



「お疲れ様でしたー」
 やっと取材が終わり、着替えをして帰るだけとなった。
 スタジオの地下駐車場で先に来て待っていてくれた都竹くんは、車内ではなく運転席側のドアに身体を預けて、携帯電話の画面を見つめていた。
 僕は知ってる。
 都竹くんは、プライベート用に聖とお揃いで色違いの電話機を所有している。今はプライベート用の電話機だ。
「聖から?」
 都竹くんは慌ててキーロックをかけ、ポケットに仕舞った。
「お疲れ様です」
 僕の問いには曖昧な笑みで答えたきり肯定も否定もしなかった。
 答えが返ってきたのは車に乗り込み、暫くしてからだった。
「陸さんに話していないなら零さんにも話していないんですよね。…終わらせました、聖くんとの関係。」
 え?
「あ、そうなんだ。」
「なんだか、聖くんが言い出す切っ掛けをいつも探しているみたいだったから、僕から言いました。」
「…聖は納得したの?」
「たぶん。あれからメールも電話も来ないんで分かりません。半年間、鳴らない電話機に料金を払い続けてますよ。…聖くんとは恋愛しちゃ、いけないですね、深みにハマりますから。」
 ははは…と、自嘲気味な笑い声を発した。
「ハマったんなら、別れる必要ないんじゃないの?」
「聖くんが一向に振り向かなくても?…あと一年待ったらあなたは彼を手放します?」
 何?なんのこと?
「義務教育の間は無理なんで、高校生になったらあなたと無理矢理引き離したら、こっちを向くんじゃないかと考えたけど、ダメみたいです。聖くんはあなたのことばかり見ていて、僕の入り込む余地がない。…陸さんに対して、ちょっと敵意を抱いている自分に呆れています。」
 都竹くんが、一人の男の顔をしていた。
「…すみません、自分を見失っちゃいました…」
 意識を運転に集中させたようだ。
 それきり都竹くんは一言も発しなかった。


「零くん」
 防音室に声を掛ける。
 顔がこちらを向いた。
「出掛けてくる」
 首を傾げた。
「家に行ってくる」
「なに?」
「パパにギター習いに行く時間なんだ。」
「まだ続いてたんだ」
「うん」
「今夜は僕が夕飯作るから、あきらちゃんの誘惑に負けるなよ。」
「わかった」
 零くんの手料理は美味しい。逃すのは惜しい。
「零くん」
「ん?」
「運命の人ってどうしたらわかるの?」
 零くんは僕を真っ直ぐに見て
「本当の自分を好きになってくれる人じゃないかな」
と答えた。
 本当の僕を好きになってくれる人…
「…僕の周りは運命の人だらけじゃない?」
「そうだな」
 零くんが微笑んでいる。
「運命の人は分からないんだよ。人生の最後にこの人と一緒に歩いてきて良かったと思えて、初めてわかるんだ。」
「そっか」
 その時、僕の携帯電話にメールの着信があった。


「都竹くんがそうしたいなら、今日にでも連れて行けばいいのに。」
 僕はぼつり、呟いた。
「零や僕に遠慮していたら、自分は幸せになれないよ?」
 すると、都竹くんから意外な答えが返ってきた。
「いえ、聖くんを幸せにするのは、花柄のワンピースが似合う、小さな女の子です。…じゃあどうしてあんなことを言ったのかってなりますよね。頭と心がバラバラだからです。」
 言い切って、再び黙ってしまった。
「じゃあ、新しい家が出来たら、都竹くんの部屋も用意するよ」
 また一人、家族が増えそうです。



聖くん
ごめん
自分に自信が持てないんだ。
君の視線はいつだって僕を通り越していたし、自分が君の成長を妨げていたり、可能性を失わせているのかもしれないと、そんなことを考え出したら一緒にはいられないと気付いたんだ。
いつか君が僕を必要とするときがあったらいつでも声を掛けて欲しい。電話は解約しないでずっと持っている…ずっと待っている。



「ただいま〜…あれ?聖いたの?今日は涼さんのところじゃなかったっけ?」
 メールの受信とほぼ同時に陸が帰ってきた。
 僕は慌てて電話を掛けた。
 二回のコールで繋がった。
「そのまま、そこにいて!今下りていく…おわっ!」
 玄関ドアを開けた途端、会いたい人がそこにいた。
「ん?」
 その人は何事も無かったように僕を見て微笑んだ。
「隼…くん」
「元気そうだね」
「元気なんかじゃないよ!…会いたかった。」
「うん」
 突然、視界から隼くんが消え、真っ暗になった。
「痛…い」
 隼くんは僕を思いきり抱きしめていた。
「君が飽きるまで、側にいさせて欲しい」
「いつになるか、わからないよ」
「構わない」
「…僕だって自信なんかないよ…隼くんは陸が好きだから、身代わりかなぁ、近くにいられるからかなぁって毎日悩んでた。」
「大丈夫だから」
「うん」
「あの…」
 おずおずと背後から声が掛かった。
「お取り込み中申し訳ないけど、玄関先ではなんなんで、上がったら?」
 陸だった。
 僕たちは慌てて離れた。


「で?どーするんだ?」
 零くん今日二度目のセリフ。
「嫁に出すのか?婿にもらうのか?」
「どっちも同じじゃないか」
「そーか?」
 ニヤニヤ笑いながら楽しそうに僕たちを見比べている。
「僕としては、最大のライバルと目されていた聖がいなくなることは大歓迎なんだけど、親の立場になると、」
 一度、言葉を切る…意地悪だ。
「都竹は分別のある大人だからな、大丈夫だろう。」
 零くんの念頭にはいつかの同級生を連れ込み事件がある…はずだ。
「でもさ、二人ともまだ若いんだから縛られることはない、もっと楽な気持ちでいたらいい。」
「無理だよ、聖は僕に似てるから。都竹くんも真面目だしね。」
 零くんも陸も、絶対に僕たちの付き合いに首を突っ込みたいらしい。
「新居の設計を変更しないとな。夾はやっぱり別棟だな。」
 え?なんか夾ちゃん、可哀想だな。
「思い切って十部屋くらい、賃貸にするか?だとみんな入れる。」
「楽しそうだね」
「ああ」
 夢はどんどん膨らみ、必要なお金はどんどん増えていく…。
「二人にはいっぱい稼いでもらわないとね」
「…それくらいならあるし…」
 その場にいた零くん以外が一斉に「え?」と言ってしまった。
「三軒分建てるくらいならあるよ。でも裕二さんも涼ちゃんも出せるっていうから僕は自分の家だけでいいんだ。だから平気。っていうかこれくらいは男の甲斐性だろ?」
 零くんが隼くんに向かって不敵に笑った…あからさまな宣戦布告だった。