エンゼルランプ
「いってきまーす」
「…いってらっしゃぃ…」
 今朝は陸が不機嫌だ。
 何故か?
 陸が休みの日は僕が出掛ける確率が高いから。
 でも、陸が休みだからと言って必ずしも隼くんも休みとは限らない。打ち合わせの予定が入っていることが時々ある。
 今日も夕方から仕事があるから約束は四時まで。
 こんな日は大抵隼くんのマンションへ行く。
 …でも…
 隼くんのマンションは前に陸が撮影で使ったからバレてるんだよね。しかも何故か壁が薄い。オートロックなのに。
「誰に言えばいいの?裕ちゃん?斎木くん?」
 隼くんに僕の言いたいことは伝わらなかったみたい。
「何?まとまった休みが必要なのは旅行にでも行きたいの?」
 ちーがーうー!全く!理解力がないなー!
「引っ越し!うちのマンション、一階が2LDKなんだけど、一部屋空いてる…って、電話で言ったのに!」
 すると隼くんは首を横に振った。
「無理無理。そんな家賃の高いところには入れないよ。」
「…ごめん、うち賃貸じゃないよ」
 そうなんだ、隼くんと僕は金銭感覚が違うんだ。


「ほら、言ったじゃないか。零が甘やかすからこうなるんだ。」
 陸は引き続き機嫌が悪い。
「だって欲しい物を我慢させることがいつも正しいとは言えないだろ?明らかに無駄な物を欲しがったら困るけどさ…」
 例えば…。新しいゲームソフトが発売された時は零くんに言えば買ってもらえる。零くんもやりたいからだ。陸は流行から外れても値段が下がってから買うタイプなので、発売前後に
おねだりしても買ってはくれない。おこづかいを貯めてとか、お手伝いをしてからなどと言われる。全て陸がおばあちゃんに言われていたことだ。
 でも、本当に僕のためになると思った物は買ってくれる。最近だと広辞苑。着る物に関しては昔は僕を着せ替え人形にしたいがために陸がよく洋服を買ってきてくれたけど、最近は僕
の意志を尊重してくれるからか自分で買って良いとお金をくれる…別に気にしないのに。
 だから僕はあまり欲しい物を我慢したことがない。
 食べたい物も大抵食べている…好き嫌いには厳しいけど。
 零くんは自分たちの仕事が仕事だから、それだけで窮屈な思いをさせていると考えているんだ。だからお金で解決してしまう。
 反面、陸は違う。窮屈な思いはスキンシップで解消したいと考える。
 出来るだけ同じ時間を共有するよう、努力する。やはり裕ちゃんがそうしていたんだと思う。
 似ているけど、違うんだ。
 それは違う家庭で育ったから当たり前なんだ。
 当然、隼くんと僕も、違うんだ。
「聖?」
 陸が不安そうな目で僕をみている。
「そうなんだよね。陸とは違うんだよね。僕は零くんと同じ意見なんだ。ある人が使えばいい。」
「聖、今はそんなことを言っているんじゃないぞ。」
 え?違うの?
「都竹は陸のマネージャーだ。聖の一存で勝手に引っ越されたら困るんだ。」
「それに新しい家に来てもらう予定だから無駄な出費は控えさせてあげないとね。」
 意外にも二人が隼くんのことを考えていた。
「会社にばれるとややこしいからだよ…」
 零くんが急にそんなことを言い出した。
「会社って、裕ちゃん?」
「簡単に言えばそうだね」
「ごめんなさい…ばらしちゃいました。」
「いつ!」
「…さっき…」


 隼くんのマンションからの帰り道。
 文房具屋を覗いていたら裕ちゃんが前を通ったんだ、当然車で。
 店の前に大きな外国車が停まったから店主は色めき立った。
「なんだ?買い物か?」
 普段の派手な出で立ちではなく、意外と質素な服装だったので、ちょっと安心して向き合った。
「うん。英語のノート。みんなは大学ノートに切り替えたけど、僕はこの線が引いてあるのが好きなんだよね。音楽の五線譜も好きなんだ。」
 裕ちゃんはふ…と微笑んだ。
「なんか分かるけどな。…乗るか?」
 僕は裕ちゃんのふかふかなソファーの車に乗って優雅に岐路に着いた。
「聖が一人でいるなんて珍しいな。」
 この言葉には裏に「陸が休みなのに」が接頭語となっているが、裕ちゃんは言い出せない。何故なら陸が休みであることを知っていること自体が裕ちゃんには後ろ暗いことなんだ。
「うん。デート。」
「聖が?」
「僕にだってそんな人が一人や二人いたって可笑しくはないよね?」
「そりゃあ、そうだが…。いままで陸にべったりだったのにな。」
「陸は零くんしか見えないんだもん。」
 裕ちゃんの返事は一瞬遅れた。
「まだ零がいいんだな。よく飽きないな。」
「飽きるの?」
 僕は真面目に問い返した。
「…飽きたらいいな…というのは俺の希望。」
「そうしたらどうするの?」
 裕ちゃんは考えている。
「零に飽きたら確実に聖が狙いにくると踏んでいたんだが…夾くん…か?でもその前に俺が連れ戻して監禁するな。」
「裕ちゃんは陸が大好きなんだね」
「聖はどうなんだ?」
「大好き。だけどね、今は隼くんと一緒にいるのが楽しいんだ。」
「隼くん?同級生?」
「ううん。都竹くん。」
「な…」
 暫く絶句していたが、一つ咳払いをすると、
「どんな遊びをするんだ?」
と、完全に子供扱いしてきた。
「色々…ねぇ、隼くん少しお給料上げてあげてよ。壁が薄くて無理なんだ。」
 裕ちゃんの顔色が白くなった。


「…パパ…お父さんは、誰の心配をしているわけ?」
 携帯電話に父から電話が入った。
『あのさ、余計なこととは思うんだが…』
 父は今聖から聞いた話を電話越しに伝えてきた。
『いいのか?まだ中学生だし…』
 父の言いたいことは、分かる。
「うん。聖には聖の人生があるんだ。それを否定はできな…」
『でもそれを正しい方向に導いてやるのが、親の役目だろう?』
「…わかってる。僕はこれを間違っているとは思ってない。」
『そうだよな、陸ならそういうんだろうな…まあ、相手は都竹だというし、間違いは犯さないだろうから…うん…』
 父はなんとか自分自身を納得させて電話を切った。
 思わず、大きなため息をもらし、携帯電話を定位置に戻した。
「全く…何を大騒ぎしているんだか…すっかりおじいちゃんだよ。」
 つい、愚痴ってしまった。
 聖は恐る恐る僕の顔を見ている。
「別に非難している訳じゃないんだよ。まだ中学生だから早いってことを言いたいみたい。」
 聖が安心した表情を見せた。
 そんな時、エントランスではなく、直接玄関のインターホンが、鳴った。


「…お父さん…一番ダメなパターンだね…」
 夜の来訪者は加月の両親と父の三人。
「何がダメなのかわからないけど、当事者に会わせてくれる?」
「あきら、僕たちだって十代だったし、大騒ぎしたら聖が可哀想だ」
「大騒ぎなんかしてないわ。ただ聖と話がしたいの。」
 母の声が聞こえたのだろう、聖が部屋から出てきて開口一番、
「僕に恋人が出来たらダメなの?」
と、やや強めの口調で問う。
 しかし、母は聖の問いには答えず、
「聖、陸のことはいいの?ちゃんと区切りがついたの?」
ときた。
 これには聖も動揺した。
「ママ…ママは片想いしたことないんだよね、きっと。辛いんだよ、これ。」
 母以外は全員心当たりがあるので大きく頷いた。
「二番目に好きな人が一番好きな人になることもあるんだよ?」
 聖があまりにも大人びたことを言うから、僕は何も言えなくなってしまった。
「聖がいいなら、私は良いんだけど…」
 母が言いたいことは多分僕らが思っていることと同じ。
 だけど、聖が選んだ道だから、否定はしたくないんだ。


「二人が同じことを言っていたなんてな」
 先日、僕が都竹くんから聞いたことと、零が聖から聞いたこと。互いに互いが相応しいと思っていないけど離れることもできない恋人同士…。
「二人とも、長く一緒にいたらいけないことが判っているのに会いたい、って厄介だよな。みんなにも教えて上げたら安心するんだろうけど、言っちゃいけないよな。」
「そうだね。」
 零はため息をついた。
「都竹くんって恋愛音痴な気がするんだ。だから聖のことも零の時と同じなんだと思う。」
「僕?」
「うん。大好きの度合いが恋愛と勘違いするくらい大きくなっちゃうんじゃないかな?」
 前に零に対して憧れを抱いていたとき、なんだか変なことを言っていたから。
「でも、本物になる可能性もあるだろ?」
 確かに。
 だけど、本人達と僕ら以外にも、二人の交際を心配していた人がいたんだ…。



「斉木主任。打ち合わせじゃなかったんですか?」
 都竹は会議室に入るなり、何の資料も持たずに椅子に腰掛けている斉木に疑問を抱いた。
「いつもならファイルの2、3冊持ってくるので…」
 都竹は斉木の向かいの席に腰掛けた。
「聖くんから手を引いてくれないか?」
 都竹はいつか斉木から言われるような気がしていた。
「僕はずっと彼と一緒にいて、聖くんが繊細で優しい子だって知っている。傷つく前になんとかしてやりたいんだ。」
 都竹は斉木の顔をじっと見ている。
「なんだ?」
「僕だと、やっぱり傷つけてしまうんでしょうか…」
 斉木は都竹の反応に驚いた。
「…本気なのか?」
「主任は本気じゃないんですか?」
 その問いに斉木は口ごもった。
「…きっかけは夜、もう行かないってなったことだったんです。彼は寂しがり屋なんです。陸さんへの気持ちだって寂しかったからかもしれないんです。僕は彼が他に目を向けることが
出来るように手助けできたらいいと、ただそれだけです。」
 斉木はじっと都竹を見返す。
「いつか、彼から離れていくはずです。それまでは見守っていてもいいですか?」
「なら…聖くんとセックスするな。」
「それは無理です。不自然ですから。ただ、引っ越しは拒否しました。」
 言うと寂しげに笑った。
「でも、主任の気持ちは尊重させていただきます。出来るだけ早く、終わるように…」
「ごめん」
 斉木は都竹に頭を下げた。


 聖の初めての恋は終わりへと駆け出していた。