要るもの要らないもの
 零の三十回目の誕生日から遡ること半年。
 いよいよ間近に迫った新居への引っ越し準備を事前に始めようということになりました。
 そのためにはまず片付けが必須。既に自分たちの物以外に預かっている段階なのでかなり荷物は多い。
「要るものはダンボールへ、要らないものはゴミ袋へ入れる、いい?」
 そう言ったのは一週間前…。

「聖、あのね?荷物整理の意味、わかる?」
 学校から帰ってきてもリビングのソファでボーっとしていることが多く、片付けをしている気配がない。
 まぁ2週間前まで受験勉強を頑張っていたのだから抜け殻なのはしょうがなぃ。だけど、全然高校生活を新居で始めるためには引っ越しが必要なわけだ。
それを理解しているのだろうか…ってしていないわけはないのだが…。
 むっくりと起き上がった聖が、予想だにしなかった言葉を吐き出した。
「あのさ、このマンションは、どうするの?」
「防音室があるから隆弘君が興味を持ってくれてるけど?」
「僕がここに住んだらダメ?」
 は?何言ってくれちゃってるの?
「ダメ!聖の一人暮らしなんか許さないよ?」
「一人じゃなきゃいい?」
「だ・だ・だ・誰と?」
 平常心ではいられない、どもってしまった。
「夾ちゃん。」
 は?
 夾ちゃん?
 即答されては二の句が継げない。
「僕が夾ちゃんと話しても良い?」
「いいよ。」
 聖が何を考えているのか分からなくなってきた。


「いいんじゃない?」
 仕事から帰ってきた零は意外にも反対しなかった。
「そのうち泣きついてくるから。」
「そうかな?今日の様子だとかなり自信ある感じに思えたけど?」
「…それは多分、僕のせいだな。」
 そう言われてしまったら身も蓋もないけど、確かに零は中学生の時から一人暮らしをしていた。
「でも、状況が違うからさ、」
 そうだよ、零の時とは状況も生活環境も世の中の情勢も違う。
 僕の表情を見て、零は聖を説得する努力はしてくれると請け合ってくれた。
「もうっ、荷物整理も忙しいのにさ、腹立つよね?」
 その言葉に、零は何故か苦笑するばかりだった。


「知らないよ。」
 翌日。
 勇んで夾ちゃんが今住んでいるマンションを訪問した。
「僕はここで良いかと思っているんだよね、学校近いし、一人は楽だし。両親に付いていようと思っていたけどさ、家族と一緒なら
別に僕が居なくても問題ないだろ?」
 聖の話から反れてしまった。
「そっか、夾ちゃんは一人暮らしになるのか…。」
 なぜか、そんな言葉が口をついて出た。
「寂しいって思ってくれるんだ?」
「当たり前だよ!夾ちゃんは僕にとって大事なお兄ちゃ…え?」
 夾ちゃんの手が僕の手の上に置かれた。
「まだ、諦めきれない。」
 ちょっと待った!夾ちゃんこれは反則、だよね?
「聖と、一緒に暮らしたら襲うかもよ?いいの?」
「ダメ、聖は、」
「もう都竹くんと寝たのに?」
「!」
 分かってるよ、でもさ、最近やっと父の気持ちが分かったような気がするんだ。聖を手放したくない、寂しい、ただそれだけ。
「陸、聖に伝えて。その相手は僕じゃないって。間違えたらダメだ。そして陸は早くこの部屋を出る。わかった?」
 さっき、夾ちゃんは冗談っぽく言ったけど、真面目なんだ。
「夾ちゃんこそ、間違えてる。夾ちゃんにふさわしい人は僕じゃない。」
「うん、それもわかってる。」
 夾ちゃんの笑顔は、瞳が寂しそうだ。



 夾ちゃんの部屋から戻って、仕事へ行く支度をする。
 今日はレコーディングスタジオへ行くので、自分で車を運転して行く。
 でも。
 ふと思い立って、電車に乗ることにした。
 帰りは零と一緒にタクシーを拾えばいい。零は今朝、隆弘くんに拾って貰って出かけて行った。
 駅に着いてICカードを使う。ちゃんと買ってはあるんだけど、チャージしてあったかな?
 自動改札を抜けると、残高が1,887円という半端な金額を表示した。そうだった、消費税が8%になった時、電車賃に1円単位が出来たんだったと
納得しながらホームへ向かう。
 ホームで電車が来るのを待ちながら、4月から聖はこの電車で高校に通うんだと感慨深くなる。
 今までは公立小学校、中学校と進学していたから、全て徒歩圏内。だけど高校は郊外にあるから遠くなる。
 学校の近くに行きたいと言われなかっただけましかもしれない。
 窓に映る自分の姿をぼんやりと眺めて、聖は一緒に暮らしたい人がいるんだと、その結論に思い至った。
 電車は目的地に着き、開いたドアから吐き出される。
 電車に乗っているときは、意外と互いの顔など見ていない。
 誰も僕の存在には気づかない。
 聖の視界から、僕も見えないのだろうか…。


「馬鹿じゃん。」
 隆弘くんが僕のことを一刀両断した。
「聖くんは、陸の所有物じゃない、家族じゃん?」
「うん」
「家族っていうのは、それぞれの成長を促すものであって、摘み取ったらだめなんだ。陸は聖くんが離れて暮らすのは寂しいからダメなんだろ?それは
違っているってわかるだろ?聖くんは男になろうとしているんだ。」
「誰かと暮らすっていうのは、」
「陸を心配させないためじゃん、な?零。」
「多分。」
 零は渋々頷いた。
「零は分かっていたの?聖は初めから一人で暮らすってこと。」
「それもあるだろうけど、多分違う。」
「違う?」
「待っているんだ。だから離れたくないんだ。」
 待っている?何を?ううん、誰を?
「陸だって分かっているんだろ?分かってて、目を瞑っている。」
 そうだ。
 僕は認めたくなかった。
『聖がまだ、都竹くんを待っている』なんて。
 都竹くんから別れを切り出したのに。
 都竹くんから聖を突き放したのに。
 都竹くん…のこと、そんなに好きなの?
 都竹くん、優しいもんね。
 都竹くんは、良い人だもんね。
 聖…。
「泣くなって、おいっ。」
 遠くで、隆弘くんの声がする…。



「これは…要るもの。こっちは…置いて行くもの。」
 新しく箱を追加した。
 聖の為に置いて行くもの。
「これは、」
 聖が僕たちの許へやって来たばかりの頃、零と一緒に一杯写真を撮った、その時のアルバム。
「置いて行くもの、だよね。」
 聖は、置いて行くものなのかな?
「置いて行くんじゃない、これは聖のものなんだから聖用の箱に入れるものなの。」
 自分に言い聞かせるように表現を変えた。
「聖は、僕たちのこと要らないのかな…」
「陸、それは違うよ。」
 パタパタと背後から駆け寄ってきた聖が、背中に抱きついた。
「僕、もっと大人になりたい。決して急いでいるわけじゃないけど大人になりたいんだ。」
 聖の言いたいことはわかる。
「零くんと陸と、並んで歩けるようになりたい。まだまだ臑齧りだけど、いつかまた一緒に暮らしたいって言って貰えるようになりたい。」
「うん、わかった。」
 いつでも帰っておいで。
 要るものでもなく要らないものでもなく、当たり前にそこに存在して居る、そんな風になれたら、しあわせ。




 ん?
『いつかまた一緒に暮らしたいって言って貰える』
って、老後ってこと?
「聖」
「ん?」
「下の世話、してくれるの?」
「なんのこと?」
「何でもない」
 まぁ、いいか。