可愛い子には
「りっくんお帰り」
 玄関のドアを開けたら、拓が飛んできた。
「珍しいね。」
 拓が家に来ることはあまりない。
「パパと喧嘩した。今晩泊めて。」
 小学生がこんな口の利き方をするのか…感心しないな…なんて思うのは僕も歳をとったってことか。
「喧嘩の原因と、」
「陸」
 不意に聖が横から口を挟む。
「大丈夫だから。僕に任せてくれる?」
 高校生になった聖は急に大人になったように思う。
「分かった。」
 僕は聖に全てを託した。



 一時間後、聖は拓を家に送ってくれた…隣だけど。
「お小遣いの値上げ交渉に失敗したんだよ。で、陸にたかろうとしたんだ。」
「何が欲しかったの?」
「ゲームソフト。」
 ふーん。
「ありがとね。」
「だって、陸の性格は僕が一番よく知っている。陸が闇雲に物を与えるときは時間に追われているとき。それ以外は厳しく
追究されるから物欲が失せるもんね。」
 え?何か心外な言われ方…って、事実だけど。
「それと…」
 聖が言うかどうか迷っている。
「何?」
「半分は嫉妬」
 え?
「拓が陸におねだりして、陸が買ってあげるところを見たくないだけ。」
 へー。意外と可愛いことを言ってくれるね。
「多分、僕は拓に言われても拒否するよ。だって聖はうちの子だけど、拓は野原の子だもん。」
 そう言って、聖の身体を抱き寄せた。
「大丈夫、僕の愛情はそんな安売りはしないから。だけど一番は零だけどね。」
「わかってるって」
 耳元で聖が含み笑いをしていた。



 翌日。
 聖が学校へ行っている時間を見計らって、再び拓がやって来た。
「昨日は聖ちゃんに阻止されちゃったんだけどさぁ、僕欲しいものがあるんだよね。」
「そういうものはお父さんに頼んでくれる?うちもね、生活費は毎月決まっているんだよ。それに楽器の手入れにも色々お金が
かかるんだ。拓が思うほど家だって裕福ってわけではないんだ…だけど…労働に対する対価なら支払う心づもりはあるよ。」
「…なにをしたらいいの?」
 え?やる気なの?
「じゃあ、お願いしようかな。」
 拓を玄関まで連れて行くとシューズクローゼットを開く。
「この列が僕の靴。まずここから磨いてもらおうかな。僕のが終わったら零の。それも終わったら聖の。全部、だからね。」
 靴の磨き方を教えて、やらせてみる。
「うん、まあいいかな。聖は拓の年にはとっくに出来るようになっていたんだよ。しかも自主的に。拓はやったことないの?」
 当然と言うように首を縦に振る。
「なら、頑張って。」
 僕はその場を離れる。
「あ、今日は二時間でよろしく。明日は僕も仕事でいないから、次は明後日の夕方ね。拓としてはタイムリミットはあるの?」
「…来週…」
「うーん…なら五日くらいでできるかな?」
 暫く自分の仕事をしていた。二時間くらいしてから玄関を覗きに行ったら、三足の靴がピカピカに仕上がっていた。
 意外と筋が良いようだ。
「うん、良くできてるね。」
 声をかけると嬉しそうに笑った。
「ピカピカになると嬉しいね。」
「なら家に帰っても同じ様にやってごらん。きっとパパがご褒美をくれるから。」
「そうかなぁ?」
 僕の時はくれたけどね。
 この時期履く靴は五足。あとはスニーカーとか装飾の多いブーツだから拓には無理だ。
 零の靴は七足、聖は二足しか革靴は持っていないから実質一足。一足は学校に履いていっているからね。
「今日はもういいよ。早く帰りなさい。」
 拓の手にクッキーの缶を渡す。
「ママに聞いてから実路と一緒に食べるんだよ?」
「うん、ありがとう。」
 お、いい返事が出来るようになったな。これなら平気かな?
と、初日は思った。



 中一日空いて二日目。
 …いきなり来ない。
 ゲームはいらなくなったのかな?と、簡単に考えていた。
 しかし。
「おばあちゃんに買ってもらったー!」
という報告がきた。
 …ばあちゃん…相変わらず孫に甘い…。と思ったら…加月の方のしかも涼さんのお母さんの方。
 これは僕には言えないな…と、観念していた。
「なんだ、折角拓にやらせていたのにおばあちゃんダメだな。」
 そう言って出掛けていったのは聖。
 暫くして拓が聖と一緒にやってきた。
「りっくん、僕最後までやるよ。」
 拓は約束の時間を大幅に過ぎていたけど黙々と靴磨きをしていた…横で聖が手伝っていたけど。
 そして、無事に5日間で全部の靴を磨き上げた。
「拓、お金ってね、頂戴って言ってもらうものではないんだ、何か代わりになるものを出さないともらえないんだ。
玩具屋さんだって玩具があるからお金をもらう。拓は何もないから働く、僕も働く。わかった?」
「うん。」
「仕事は僕があげるから何でもねだるのはダメ、いいね?」
「うん。」
 何度も頷いて帰って行った。



「りっくん、僕ね、お金が欲しいから仕事頂戴。」
 翌日、また拓がやってきた。
 流石に靴はもういいからな。
 何をやらせるか…。


 零の承諾をもらったので(勿論実紅ちゃんにも承諾をもらった)レコーディングに連れてきた。
「みんなに頼まれたら自販機で買ってきてくれる?」
 レコーディング中は飲料を取ることが多いからいつもは都竹くんに頼んじゃうけど今日は拓にやらせた。
 流石に四本は大変なようなので三本ずつ買いに行く。
 休む間もなく…。


 今日も三時間の労働。
 明日はラジオ局の収録。こちらは荷物持ち。
 今回は二日で終了。
「拓、よく頑張ったね。」
 拓の頭を撫でながら褒めるのは忘れないようにしなきゃいけない。昔聖で失敗したからね。
「で?なんでお金が欲しいの?」
 最初はもじもじしていたけれども最後には観念した。
「おばあちゃんにゲーム買ってもらったからお礼をしたかったの。ボロボロのお財布を持っているから新しい
お財布を買ってあげたかったの。」
 そっか。
 拓には拓の思いがあったんだ。
「でもさ、拓。もしかしたらそのお財布、おばあちゃんの思い出が詰まっているかもしれないからさ、おばあちゃんと
お話をしたほうがいいよ。もしかしたら昔おじいちゃんにもらったのかもしれないしね。」
 うん、と頷いたけどちゃんと話し合うかな?
 子供って、いつの間にか大人になっている。
 僕らが見ていなくても自分で大人になっていく力を持っている。
 間違っていたら正しい方向に導いてあげればいい。
 それまでは黙って見ていれば…って僕の性格では無理なんだよなぁ。


 数日後。
「陸。」
「ん?」
「加月のおばあちゃんがね、拓に買ってもらったってピンクのキャラクターが書いてある財布を嬉しそうに使っていたよ。」
 そうきたか。