兄弟
「こんばんは」
 ここは一応、挨拶だよな。
「なにがこんばんはよ。夾は2階にいるよ。」
 あきらちゃんは相変わらず口が悪い。
 昔は楚々としたレディだったんだけどなぁ…。
 でも僕は前のあきらちゃんが好きだけど、今のあきらちゃんも好きだ。
 ただし、一緒に居たいとは思えない…面倒くさいから。
「さんきゅ」
 声だけ掛けて、夾の部屋へ向かう。
 夾の部屋は、実家に帰ってきたとき泊まるための部屋と化している。
 いつかは戻ってくるつもりなんだろうけど、今は大学院の研究が忙しいらしい。
 ドアを開けると、室内にはベットとソファが置いてあるだけだ。
「どうした?急に呼び出して」
「うん…」
 僕は、弟妹に甘いらしい。聖によく言われる。
「零くんには言っておかなきゃなぁ…って思ってさ。」
 なかなか話し出せない内容なんだろうな…という推測しかできない。
 じっと、待った。
「本当は、陸に言わなきゃいけないけど、先に零くんから…」
 そういえばさっきから呼び方が昔に戻っている。
「好きな人が、出来た。」
 え?
「零くんを欺いたり、陸を騙したりしたけど、もうしない。本当にごめんなさい。」
 夾が深く頭を下げる。
 僕はもうずっと前に気持ちとしては解決しているはずだった。
 なのに何故かこの一言でモヤモヤした感情が沸き起こってしまった。
 あの日、自分の家に戻って、乾燥機の中で回っていた白いシーツ。
 僕に背を向ける、陸の背中。
 そんな映像が、頭の中をグルグルと回っている。
「その人は、どんな人?」
 小さく息をついて、視線を合わせずに聞いた。
「いつも、どんな時でも一生懸命で、決して僕を好きにならない人。」
 え?
 もう一度、僕は驚いた。
「それって…」
「陸じゃ、ない。」
「誰なんだよ。」
「聖の…元カレ。」
「都竹?」
「うん。聖と別れてからしょっちゅう家に来るんだ。聖がどうしているか知りたいらしくて。担当が変わったから、陸から話を聞けなくなったんで、
僕の所にやってくる。それが…切っ掛け。なんで僕は恋している男を好きになるんだろうな?僕に恋してくれる人を好きになればいいのに…。」
 ふっ、と笑った。
「恋をしている人って、輝いているからさ。なんとなく分かる気がする。僕の場合は偶々陸が僕に恋してくれていたけど、陸は可愛かった。」
 失敗した。なんで夾に陸の話をしてしまったんだ。
「陸、高校卒業できそうなんだってね。良かったね。」
「うん」
 そう、陸は勉強も頑張っていた。
 次の目標は大学って言っていたけど、まだ先の話になりそうだ。
「…都竹に、行くなって伝えた方がいいのか?それとも襲われるのを、黙認した方がいいのか?」
「僕より力の強い人間は襲えないよ。」
 そうだよな、夾は力が弱いからな。
「ごめん…都竹くんには言えない。けど、高校時代の同級生だから、その関係を壊したくはない。」
「僕としては、聖のことは忘れて欲しいんだ。親の意見としては、聖には健全な交際をして欲しい。まだ肉体関係は早いと…思ってるから。」
 あ、またやってしまった。これじゃあ、暗に都竹と聖はやっちゃったんだって、言っているようなものじゃないか…ちっとも暗じゃないけどな。
「聖は、男の方が好きなのかな?」
 しっかりインプットされている…。
「どうなんだろう?都竹と付き合う前は女の子の話が多かったんだよな。言ったら悪いけど、陸の代わりなんだと思う。」
 しまった、また墓穴だ。
 このままでは自爆してしまうので、さっさと話題を変えよう。
「で?」
 僕は夾を促す。
「ん?」
 しかし夾はしらばっくれている。
「そんな話のために僕を呼びつけたのか?」
 少しの沈黙の後、夾が笑い出した。
「ごめん、相変わらず鋭いなと思って。本当に零くんには隠し事が出来ない。」
 そう言うと居ずまいを正した。
「もう少し、大学に残りたいんだけど、これ以上親の脛をかじり続けていいのか、悩んでる。」
 夾があきらちゃんの為に医学を専攻したのは周知の事実だ。
「僕は大学には行ってないからシステムが解らないんだけど、そんなにいつまでも残れるものなのか?」
「試験を受けるんだけど、教授から声が掛かれば大抵は合格するらしいんだ。ただ、」
 一度、言葉を切って、僕の方を見た。
「ただ、別の教授から研究職にって言ってもらっているから、悩んでいるんだ。」
 参った、チンプンカンプンだ。
「つまり、僕がずっと教わっている先生は自分の教室に生徒として残れって言っているんだけど、別の先生は助手として研究を手伝ってくれって
言っているんだ。僕がやりたいことはこっちなんだ。」
「じゃあ、悩むことは全くないじゃないか。角が立つとか考えたら、折角の人生、勿体ないだろ?今の先生にはちゃんと話したらいい、もう親の脛
をかじりたくないから研究職に移りたいって。」
「それがそんな簡単には行かないんだよね。しかもそっちへ行っても親の脛はもう少しカジラセテもらわないといけないんだ。給料が小遣い程度
だから。それでもそっちへ行きたいかって言われると考えてしまうんだ。」
「あのさ、僕が芸能界に身を置くことになったのには、涼ちゃんに助けてもらったんだけど、知ってる?」
「何となく。」
「なら手っ取り早い。声を掛けてくれた先生を使ったらいい。角が立たないように、面倒なことにならないように。」
「どうやって?」
「辞めればいいじゃないか。」
「あ。」
 既に夾は博士課程を終えている。だから辞めても問題はない。
「辞めてそっちに鞍替えしたらいいんじゃないか?」
「そうか、そうだね、うん。」
 やっと、夾は納得したようだ。
「じゃあ、いずれ夾は大学の先生になるかもしれないのか?」
「かも、知れない。」
 医者としての『先生』ではなく、医学を一歩先へと進めるための『先生』になるのか…。
「なんか、凄いな。」
「何が?」
「夾のやっていることが。僕なんか、考えもつかないことをやってるんだなぁって。」
 夾は、やりたいことがあるから、陸にも、聖にも関わっている暇はないってことか。
「聖の勉強は僕が見るからいいよ。いや、塾に通わせるか。」
「その方がいいと思う、大学に行くなら。」
「大学に行きたいのか?」
「知らないの?」
「うん、知らない。」
「ちゃんと聞いた方がいいよ。聖の将来のこと。」
「この間、聞いたんだけどな、この街に貢献したいって。」
「なんだ、知ってたんだ。市長になりたいって。」
 は?
 市長?
 なんだ、それ?
「いずれは総理大臣になりたいって。」
「小学生か?」
 小学生はよくそんな夢を語るけど…。
「違うよ、真面目に言ってた。誰もが差別されることのない世界にしたいって。」
 あ、そうか。そう言うことか…。
「夾、悪いけどもう少しだけ、聖の家庭教師してくれないか?」
 聖は、きっと僕には本当のことは言わない。そして陸にも。
「夾は、僕にとっては弟だけど、聖にとっては兄なんだな、きっと。」
「きっとじゃなくて事実だから。」
「そうだよ、うん。」
 兄弟には言えても、親には言えないこと。
そっか…。
「その代わり、夾が自分で食べていけるようになるまで、援助するから。その…金はある、逆に言うと僕にはそれしかない。」
 夾が、ゆっくり首を左右に振った。
「ううん、零くんには大きな愛が、あるから。」
 …
 …
 …
 愛?
 …
 …
 …
 ええっ!
 ええ〜っ!
「違う、零くん、誤解だから!」