零くんも陸も、一般入試では無い。
所謂社会人枠だ。
陸は高校に通っていたから、推薦の社会人枠。
だから、普通に試験を受けたりしない。
昔は試験があったようだけど、子供の数が減っている現代、社会人が学んでくれると大学は助かる。
だから、社会人に優しい。
零くんはレポート、陸は課題の提出。それだけで進級する。
ま、二人とも既に社会人だから、就職に左右されたりしないから本人的には問題がないようだけど、僕としては試験期間に試験勉強しない二人に、ちょっと腹が立つ。
別に同じ土俵で闘っているわけではないので良いのだけれども、ね。
人間とはなんでこんなに贅沢な生き物なのだろうと、つくづく思う。
さて、今夜も試験勉強しないと、留年したら大変だ。
「え?」
なんと、あんなに騒いで入学したのに、二人は一年で修了するのだそうだ。
「知りたいことは全部終わったんだよね、一年で。」
零くんは、しれっとそう言った。
「僕はちょっと違うんだ。音楽関係の長期間の仕事が入っちゃって、通信制に切り替えて貰ったんだ。」
零くんも陸も、現役生を馬鹿にしていると思う。
「聖と一緒に通いたかったんだけどなぁ。」
陸が寂しそうに言うから、僕はホイホイと絆されてしまった。
「ま、二人とも社会人だから仕方ないよね。」
聖にはああ言ったけど、実のところは違うんだ。
零も僕も、もっと通いたかったんだ。
だけど学校側から通信制に切り替えるか、一年で修了するか選択を迫られた。
校内が浮ついていて他の学生に迷惑が掛かっているらしい。
零の周りも僕の周りもそんな感じは無かったけど、教授受けが悪かったのかもしれない。
零としては僕を通信制にするのは嫌だったらしく、少しごねたけど、渋々承諾してくれた。
ドラマや小説の読み過ぎだろうけど、教授や准教授に口説かれたら大変だと言うんだ。
昔の僕じゃ無いから、今はちゃんと言えるし抗える。
それでも心配らしい。
「零、ありがと。」
「何が?」
「うん。なんとなく言いたくなった。」
零は、僕のことをずっと、ずっと守ってくれている。
だから僕はいつまで経っても零に甘えている。
「でもさ、今は聖の心配をしてあげようよ。」
「まあ、うん。そうだな。」
聖がここから巣立つ日は、きっと近い。
大学を出るまではと言ったけど、その前に出るかもしれない、出ないかもしれない。
その日に、僕たちが足かせにならないようにしないとね。
…ま、タダでは旅立たせないけどね。
「陸、話があるんだけど。」
その言葉に心臓が跳ねた。
「うん。」
平静を装い、返事をする。
「留学したい。」
来た。
「それは、零に、」
「話した。ダメだと言われた。だから、陸に話してる。行きたい、行かせて。」
聖が僕を真っ直ぐに見る。
「零がダメだって言っているのに、僕が良いとは言えない。大体、何をしに行くのさ。」
「僕の語学が本場で使えるのか、それと経営について学びたい。涼パパは、良いって言った。ママには言ってないけど。ねえ、ダメ?」
「期間は?長いの?」
「一年。」
「そんなに!」
思わず本音が出てしまった。
この間手放すと誓ったばかりなのに。
「たった一年だよ?」
「うん…少し、時間が欲しい。」
「分かった。学校に申し込まないといけないから、あまり時間がないんだけど、待ってる。」
本音を言えば行かせてあげたい。
でも、僕の気持ちが行かせたがっていない。
聖の事を考えたら行かせた方が良い。
でも…。
零を、説得して欲しいって事か…。
「零っ、ちょっ…んんっ」
ダメだって。
僕は零を説得するつもりでいたのに、丸め込まれようとしている。
「零、」
キスで塞がれた唇を、必死で引き剥がす。
「なんで、ダメなの?」
「イギリスなんて治安の悪い国へ行ったら、聖が汚れる!」
汚れる?
「イギリスの治安は良い方だと思うよ?」
大体、治安が悪いから汚れるって、意味がわからない。
つまり、行かせたくないというただそれだけの理由ね?
「なら、零も着いていけば良いのに。」
その一言に、零の瞳が輝いた。
「その手があったか!」
結局、聖は一人で留学…と言っても一ヶ月の短期留学となった。
意外にも、夾ちゃんが反対したのだ。
経営を学ぶならアメリカだと。
聖の学校ではイギリスしか行き先がないので、ホームステイではない、マンスリーマンションに同じ学校から行く子と同部屋ならと許された。
涼さんなんかは行かせたら良いと言うのに、過保護な人間が多すぎる。…僕も含めて。
行くのもあっという間だったが、帰ってくるのもあっという間で、今、隣でお土産の袋を開けている。
「で?どうだった?」
「英語は何とかなったから、今度はアメリカに行きたい!自分でお金は出すから、9月から行こうと思うんだ。」
いや、僕はイギリスの感想を聞いたんだけど。
ま、聖が決めたのなら…ん?
「聖、今、アメリカに行くって言った?」
「うん、二年くらい。」
「ちょっ、ちょっと待った!」
「待たない!僕は僕でやりたいことを見つける。裕二さんみたいに、自分で自分の道を開いていく。」
そうだった、父は聖に会社を継がせようとしているんだった。
「僕、行くよ?いいよね?」
頷くしか、ない。
今度こそ、聖が遠くに行ってしまう。
「陸、」
「ん?」
「僕ね、気持ちを切り替えるために、日本を離れたいんだ。」
気持ちを切り替えるために?それって、失恋ってこと?え?なになに?
…と、聞きたいところだが、ぐっと我慢した。
「残念だけど、失恋じゃないよ。」
あ、見抜かれてた。
「いつまでも零くんと陸に頼っていたらダメだって。それを自分に叩き込むために…言い訳だけどね。だから、暫く二人っきりで新婚気分を味わったら良いよ。」
…え!?し、新婚!?
確実に顔が赤くなっている。
「陸は、本当に零くんが好きなんだね。」
「聖も好きだよ?」
「ありがとう。」
「信じてないな?」
「信じてるよ?」
聖が笑っていてくれるなら、僕は道化になっても良い。
聖は、何があっても、零と僕の息子。
もう何回、言い聞かせてきただろう。
いつか、僕たちの元から去って行くことにまだ心の準備が出来ていないなんて、なんとも滑稽だ。
「…帰ってくる。」
え?
「必ず帰ってくるから。」
「うん。」
「少しだけ、行って来ます。」
京都行きを阻止したツケが回ってきた感じかな。
そして、聖はアメリカへ旅立っていった。
「なんか、静かだね。」
誰もいないリビングで、そう、呟いていた。
零と二人っきりだった記憶は、遠い昔だ。
僕たちの側にはいつも聖がいた。
ま、時々涼さんに甘えたり、母に甘えたこともあったけど、聖は側にいた。
初めて、父の気持ちに気付いた。
父から離れた日を、悔いた。
もう少し、優しくすれば良かった。
「パパ、ありがとうね。」
小さく、呟いた。
しかし。
聖が通っていない大学に、未練はない。
…休学しているから、戻ってきたらまた通うけど、僕は零と同様に、二年で修了する道を選んだ。
卒業する必要性を感じられなかったからだ。
勉強なんて、学校へ行かなくてもどこででも出来る。
自分に知りたいという欲があるかどうかが大事。
聖は今、アメリカで好奇心を一杯抱いて行動している。
僕も、負けてはいられないからね。
|