もう恋なんて…
 アメリカへ向かう飛行機の中、僕が考えていたことは、一つ。
 初めての恋は、最初から負けていた。
 それは知っていたけど、何とかなると思っていた。
 2度目の恋は、何度もくっついたり別れたりを繰り返したけど、相手のことを考えたら、もう戻れないと気付いて離れた。
 そして。


「怖くないから、大丈夫。」
 ゆっくりゆっくり進み、深く繋がると、仰け反った。
 あられも無い嬌声が、室内に響く。
 なにが、怖くないんだろう?
 誰だって怖い。
 あなたの気持ちがどこにあるのかなんて、身体が繋がっていても分からない。
 それでも、指を絡めて、舌を絡めて、脚を絡めて、身体を求める。
 どこまで続くのだろう?
 いつまで続けられるのだろう?


 その人に見詰められると、胸がドキドキした。
 昔、どこかで得たことがある感じだ。
 動悸は治まらない。
 緩くて甘美な動悸。
 恋だ。
 久し振りの、恋だ。
 陸に抱いた、隼くんに抱いた、あの感じ。
 まさか、この人にそんな感情を抱くなんて、思ってもいなかった。


「聖…くんっ」
 名を呼ばれ結ばれたことを実感した。
「2年間、行ってくる。」
「待てないかも、しれない。」
「イヤだ、待ってて。」
「酷いな。そう言われたら待つしかない。」
「彩ちゃん」
 僕は、彼女を抱き締めた。
 柔らかい身体、丸い腰、弾力のある胸、何より僕自身を受け入れてくれる器官がある。
 子供の頃から知っている、大切な人。
 元々は零くんのファンで、陸のファンで、僕の友達だった人。
 何度も一緒に遊びに行った。
 彼女に恋人が出来て、僕に恋人が出来て、暫く疎遠だった。
 久し振りに電話して、二人っきりで遊びに行った。
「ねぇねぇ、彩ちゃんは、零くんと陸、どっちが好きなの?」
「聖…くん。」
 え?
「私、年上だし、聖くんゲイみたいだし、私なんか見てくれないだろうなぁって、諦めてる。」
 そう言われて、抱き締めた。
「そんなこと、ない。」
 そう、そんなことはない。遠い昔、何かしらの感情を抱いたことがあった気がする。


 『ごめんなさい』
 メールのタイトルにはそう書いてあった。
 『私は、何回貴方を裏切るのだろう?好きと言ったのに。一人では生きられないのかもしれない。会社の上司に告白されて付き合い始めました。やっぱり年上が良いの。ごめんなさい。』
 なんとなく、分かっていた。
 僕は恋愛に向いていないのかもしれない。
 一生、一人でいようかなぁなんて、考えていた。
 そして、思い出した。
 零くんも陸も互いを運命だと感じたと。
 僕は、運命を感じただろうか?


「えっ!」
 平日の昼間、リビングのソファに腰掛け、ボンヤリとテレビを見ていたら聖からメールが来た。
「どうした?」
 零が肩に腕を回してきて、スマホを覗く。
「聖が、彩ちゃんと付き合ってたって知ってた?」
 零は手にしていた文庫本を閉じ、膝に置く。
「うーん、彩ちゃんかどうかは分からなかったけど、女の子と付き合いがあるなとはなんとなく…」
 そうだった、零は人の気持ちが分かるんだった…正確には分かるのではなく、感じるらしい。
「良いんじゃないか?失恋の一つや二つ。」
 零の手が僕の頬に添えられた。
「…僕、まだ何も言ってないんだけど。確かにフラれたとはあるけど。」
 …ま、覗いてるからね。
「寂しかったんだろうね、年上だし。」
 言いながら、顔を寄せてきて、そのままキスされた。
 チュッと、リップ音を立てて離れる。
「多分、聖の運命の人は彼女じゃない。聖の近くには存在しているけど、今じゃない。」
「えっ!イギリス人?」
「そう言う近いじゃない。」
 ボスンッと、ソファに押し倒される。
「聖に、返事するの?夜中だよ?」
「んっ」
 再び唇を塞がれ、思考回路は停止した。


「元気だった?」
 日曜日の昼下がり、突然の出来事。
「うん。って、昨日もメールしたのに?」
「今は飛行機の中でも、メールは出来る。教授の付き添いでね、明後日には帰る。」
 夾くんだった。
「夕方にはホテルに戻る。」
 言いながら、抱き締められた。
「聖は良い子だから、相応しい人が必ず居る。焦るな。」
 この間送ったメール、気にしてくれたんだ。
「ありがと。もう、大丈夫だから。側にいない分、傷は浅い。」
「傷ついたなら恋してたんだな。」
「ま、ね。」
「奢ってやるから飯食いに行くか?」
「うん」
 夾くんは、僕にとっては優しいお兄ちゃんだ。
 でも、夾くんの傷口は深いらしく、中々再生しない。
 陸に恋すると、なかなか再生出来ない。
 そう考えるとあの人は悪魔のようだ。
 人を虜にしておいて自分はさっさと好きな人とくっ付いてる…って、向こうの方が先だけど。
「聖、」
「なに?」
「この部屋にもう一人住むことは可能かな?」
「奥の部屋が一つ空いてるけど、なんで?」
「副委員長…隼がさ、」
「無理!」
お願い、隼くんはダメだよ、これ以上束縛したくない。
「人の話は最後まで聞く!都竹の部下で社会人2年目の子が、この近くにあるミュージカルの専門学校があって、そこの演出コースに通うらしいんだ。部屋を借りてきて欲しいって言われたんだけど、お互いに同じ部屋に居てもらった方が良くないか?」
 部屋から5分の所にある、ステーキハウスに着いた。
「僕は別に構わないけど。」
「聖も知ってる子だよって、言ってた。名前忘れたけど。」
 夾くんにメールしたのは失敗だったかも。
 夾くんの仕事柄、海外に出ることは度々あるけど、直接会いに来るとは思っていなかった。
 里心が沸きそうだ。
「どれくらい居るの?」
「二ヶ月って言ってた。」
「なら、良いよ。東京に帰ったら誰が来るのか教えてね。」
 今回、僕の留学に関しては、学費は学校から出ているけど、家賃は零くんが出してくれている。なので融通は利く。
「じゃあ、都竹に伝えておく。」
 この時、どうして隼くんが夾くんに頼んだのか、どうして零くんからじゃないのか、想像だにしなかった。


「聞いて、ない…」
 そう、聞いてない。
 夾くんは都竹の部下が来ると、そう言った。
 玄関ドアを開けたら、隼くんが居た。
「隼くんが来るなんて、聞いてない。」
「言わないで欲しいと、伝えた。」
 外に聞かれたくなくて、室内に導いた。
「なんで?僕は隼くんのこと、忘れるためにここに来たのに。」
 そう、僕は失恋すると、なかなか立ち直れない。
 陸のせいでも、隼くんのせいでもない。
「もう一度やり直したい、ダメ?」
「そんな!だって、隼くんは…隼くんが女の人と結婚するからって…」
「ごめん、」
 言い終わらないうちに、抱き締められた。
「言い訳、してもいい?」
 耳の直ぐ横で、隼くんの声がする。
「言い訳なんか、聞きたくない。」
 僕は、隼くんの背に、しがみ付いた。

「出会った頃の君は、子供なのに一生懸命背伸びしていて、そんな君が愛おしくて、欲しいと思った。」
 中学時代、僕は背伸びをしていたのだろうか?
「君は、陸さんばかり追い掛けていたから、僕なんか目に入らないと思っていたのに、受け入れてもらえた。それが、嬉しすぎて理性が崩壊した。」
 僕たちは抱き合ったまま、玄関ドアの前に立っていた。
「本当は、会う度に抱きたかった。」
 その言葉に、僕は初めて隼くんがどんな気持ちで僕と付き合っていたのか、知った。
「君が、大人になるまで待とうと言い聞かせているうちに辛くなった。それが離れた理由。身勝手すぎる理由。」
 腕の中で首を縦に振った。
「隼くんは僕の気持ちを無視した。」
「無視はしてない、これが君の為だと、信じた。」
 もう一度、しがみ付く手に力を込めた。
「…したい。隼くん、抱いて。」
 もう、何も考えない。

「見んなって!」
ベッドの中、背中から抱き締められ、顔を覗き込まれた。
「見たい。聖の顔が見たい。」
 隼くんが僕のことを呼び捨てにしている。
「こっち、見て?」
 もぞもぞと向きを変える。目が合う。
「結婚、してください。聖を誰にも取られたくない。」
「え」
 唐突なプロポーズだった。
「委員長…夾に、聖をもらっても良いかと聞かれた。」
 夾…くん?
「僕が本当に手放すなら、夾が聖をもらうと言われた。猛烈に腹が立った。何度も何度も聖を自由にしてあげようと思ったのに、気持ちが抑えられなくて、聖を戸惑わせて、ごめん。でも、二十歳になったから、大人になったからもう躊躇わない。」
 僕は、目を閉じた。唇に熱を感じた。
「愛してる。」
 触れた唇から、紡がれた言葉。
「もう、離したくない。離さない。」
「それは…」
 受け入れても、いいの?
「僕は、子供を産めないよ?」
 隼のお父さんもお母さんも、孫の顔が見たいと言っていた。
「夾に、聞かなかった?」
「聞いた。」
「聖しか、抱けない身体になった。」
 心なしか嬉しそうだ。いや、僕が嬉しいんだ、きっと。
「隼」
「ん?」
「もう一回、して。」


 あ?なにこれ?スゴい、なんも考えられない。
「隼っ、気持ちイイ」
「聖、もっと、いっぱい、感じて…」
 僕たちは長い長い時間、互いの名を呼び合いながら、抱き合った。


 目覚めたとき、二つの目が自分を見据えていた。
「身体、痛くない?」
「うん、平気…若いから。」
 言いながら、隼の股間に手を伸ばし、触れた。
「僕だけの、だからね?浮気しないでね。」
「さっきもいっただろ?聖にしか反応しなくなった。」
 言った矢先に硬度を増す。
「若くないのに、元気過ぎない?」
「素直と言って欲しい。…好きだよ、聖。」
「うん。」
「…聖から好きと言って、欲しい。」
 そうだよね、聞きたいよね。
「…恥ずかしい。」
「おねだりは出来るのに?」
「えっち。」
「どっちが?」
「隼。…好きだよ。」
「…狡い。」
 僕たちは、離れていた時間を埋めるように、今まで我慢していた時間を埋めるように、抱き合った。


「元サヤ」
 ふと、零が呟いた。
「なにが?」
「聖」
「あぁ、都竹くんね。今イギリスに行ってるから。」
「聖、誕生日だったしね。」
「そっか。」
 聖、誕生日だったか。
「お嫁に行っちゃうのかな?」
「嫁にもらえば良い、都竹を。あそこ、兄弟が居たよな。」
「居た。」
 二人で顔を見合わせ、笑った。
「よし。リフォームしよう」
 うん、良い考えだ。