MY SWEET HOME

「ただいまぁ〜」
 
聖が待つ新しい部屋に一目散に帰りついた。聖は必ず満面の笑みで僕達を出迎えて…あれ?
「せーい?」
 返事が無い…何かあったのか?
 慌てて荷物を玄関に置いたまま廊下を走った。
 突き当たりのドアの先にリビングがある。
 そしてその左側に聖の部屋、この家<マンション>で1番広い部屋が聖の部屋。
 しかしそのどちらにも聖の姿は無かった。
 りビング入り口のドアを入った左手にキッチンがあり、そこを抜けた所がダイニング。
 ここにもいない。
 リビングを挟んで聖の部屋の反対側に客間兼リビング兼聖の遊び部屋がある。
 普段はリビングと続きで使っているけど引き戸が着いていてソファーベッドを置いてある。
 隠しクローゼットがあって聖はここが気に入っているのだ。
 だからここでまた遊んでいるのかと思ったけどここにもいない。
 キッチンの反対側のバスルーム、隣りのトイレ、どちらにもいない。
「あっ、分かった。僕達の部屋でまたプラネタリウムしているんだな。」
と、ひとりごちながら玄関右の僕らの寝室に入ったけど…静まり返っている。
「聖…どうしちゃったんだよ…。」
 不安な気持ちを抱えながら僕は携帯電話を握り締めた時だった。
 微かに音楽が漏れてきた。
 僕らの寝室の反対側に楽器とかステレオを置く部屋を作った。
 ちゃんと防音にしてあるんだ。
 だから引越しに時間が掛かっちゃったんだ、お金も掛かったけど…。
 ゆっくり扉を開ける。
 案の定大音量で零の歌声が流れ出た。
「☆△×○□!!」
「××?」
 会話にならない。
 ステレオのスイッチを切った。
「だめだろう!そんな大きな音で聞いたら。耳がおかしくなっちゃう。」
「おかえり〜陸」
 ぎゅう〜って聖にしがみつかれちゃうと僕は何も言えなくなっちゃう。
「すごいね、これ。零君の声だよ。パパのもあったの。でも…ママは無いんだね。」
 聖?
「陸の声もあったのに…ママだけ無いんだね。」

 聖は母親に甘えたいわけじゃないらしいんだけど…。
「確かにあきらちゃんは病気になってから会話らしい言葉は発していないよな…元気な時は煩いくらいお喋りだったのに。」
 帰ってきた零に早速報告したらこんな言葉が返ってきた。
「このままで…いいの?」
「じゃあ、帰す?」
「いやっ」
 零が右手の人差し指を立てて僕の唇に押し当てた。
「聖が起きちゃうだろ…で、陸は何て言って聖を納得させたわけ?」
 う…
「えっと…その…『聖のも無いでしょ…だからママのも無いんだよ』って…」
 そうしたら頭をくしゃくしゃにされて「可愛い」って連呼された…。
「聖にはもっとあきらちゃんの話しをしてあげないといけないね。陸と、僕が知っている限りのあきらちゃんのことを話してあげようね。」
 そうだね、もっともっとママのこと教えてあげなきゃいけないよね。
 聖が知らない事を一杯教えてあげたい、聖が知りたい事は全て教えてあげたい。それが僕達の使命だって思っているしさ。
 でも…必ずと言って良いほど「聖を家に帰す」って言葉がどこかにあるということ。
 これが悲しい。
 僕は零にいつも言っているのに、「聖の帰る場所はここしかない」って。
 もちろん、僕の家もここにしかない、零のいる場所が僕達のいる場所。

「陸、留守電のランプが点滅してるぞ。」
 …そう思ったら自分で再生して聞けば良いのに…と、ちょっぴりぶつぶつ思いながら、でも決して零には言えない…ってことで、自分で電話まで行く。
 ニコニコと僕の顔を見ながら電話機を指差している…もしかして零、再生方法知らないのかな?
 用件は五件、入っていた。
 うち二件は無言電話…なんか嫌な感じ。
「なんだろうな?」
 零も気になったらしい。
 そして最後の用件に入った。
 最初の10秒ぐらいに「んー…」ってうなり声があったんだけど、その声で僕は誰だかわかった。
『−こんばんは…っておかしいな、その…裕二です。何回か電話したけど留守みたいなので…。実は今日実紅と正式に結婚…っていうか入籍しました、一応報告と思って。実紅は今まで通り陸の姉だけど…義母にもなったわけで…その…10月に陸も兄貴になるということです。あー…じゃあ、また。』
 …なに?…
「陸?」
 あ…零が呼んでる…でも…声が出ない…。
「ショックだったの?」
 頭を動かす事も出来ない。
「陸のパパがやっと幸せになれるのに…陸はパパが取られるのが嫌なんだ。」
 零は楽しそうにそう言うと僕の身体を抱き締めた。
 …違う…違うんだ、零…10月に実紅ちゃんが…僕の弟を産むってことが…。
 頬を涙がつたって落ちた。
「陸には僕がいるじゃないか、馬鹿だなぁ…何泣いてるんだよ。」
 零の唇が僕の唇を捉えにきた。
 なのに僕の唇は震えていた。
「零…れい…」
 その夜、僕はずっと零にしがみついたまま泣きながら眠りについた。

 

「聖、ちゃんと遊んだら片付けなきゃ駄目だって言っただろう?」
 僕はいつもの朝と同じように聖のことを叱りながら零と一緒に朝食の仕度をしていた。
「ここに鋏を置きっぱなしにしたら危ないでしょ?もしも聖が一人でお留守番しいてるときに踏んだらどうするんだよ。」
「んー…実紅ちゃんにお電話するぅ。」
「実紅はもう来ないよ、ママになるんだからね。」
 とたんにパッと明るい顔になって「実紅ちゃん、赤ちゃんいるの?」と問い掛けてきた。
「そうだよ、陸の弟が産まれるんだ。」
「違う…」
 僕はとっさにそう叫んだ。
「…僕の弟は聖だけだよ。」
「陸、違うよぉ…僕は陸の弟じゃないよ、陸の…子供だもん。いつも陸が言ってるんだよ、
『聖はママが僕の代わりに産んでくれた零と僕の子供』って。だから実紅ちゃんの赤ちゃんは陸の弟、僕は陸の赤ちゃん。」
 零の左手が陸の髪の毛をくしゃっと掴んだ。
「早くしないと学校、遅れちゃうぞ。」
「うん」
 洗面所に飛んで行った聖を見送りながら僕は涙で瞳を潤ませ視界が悪くなってしまった。
「ごめん…聖…僕は聖に気を遣わせちゃったんだね。」
 目玉焼きを作ろうとしていた零が
「いいんだって、聖は親思いの良い子だから。」
そう言ってポンと卵の殻を割った。
 僕達がこの問題から解放されるにはママが元気になってくれることと、僕がもっと大人になること、そのためにはもっともっと色々な事、頑張らないとね。
 色々なことって何だろ?
「零君、目玉は硬くなるまで焼いてくれなきゃやだ〜」
「えーっ、半熟の方が美味いって。」
「僕は硬いのがいい〜おソースかけて食べるの。」
 なんてやりとりをしている2人をずっと見ていたいから、だから僕は頑張らなきゃいけない、全てに関して。
「聖、今日は僕ずっと家にいるから早く帰っておいで。」
「はーい」
 小さな身体に大きなピカピカのランドセルを背負って玄関を出て行った。
 よし、聖が帰ってくる前に洗濯して掃除もして、買物も済ませておこう。零はお昼過ぎに仕事に行くから、それまで寝かしておくか…って思ったのに。
「いいって零、僕がやるから寝てていいよ。」
 零の手から朝食で使った食器を奪い取ったらちょっと曇った表情のまま言われた。「陸、別に家の事全部陸にやらせるつもり僕はないんだよ。僕だって出来るんだからちゃんと分担してやろうよ、な?それに僕、洗い物とか好きなんだよな。苦手な掃除の方、頼んだからさ。」
 ううっ、僕だって掃除は苦手だよ。でも2人で家のことするのって…いいな。
 こうなったらパパパパッて済ませて零が出掛けるまでくっ付いていよう、えへへ。

「ただいまぁ、陸ぅ」
 靴を脱ぎ捨てて駆け込んで来た聖、いつもは1人で寂しい思いをさせちゃっているんだなぁ…って、こういうときに思っちゃう。
 僕が子供の時…確かに家にはじいちゃんとばあちゃんがいたけど、ばあちゃんは僕の事嫌っていたみたいだ。
 僕の事…というよりママの事憎んでいた。1日に必ず1回は悪口を言っていた。
 ばあちゃんの悪口がパパにはとっても辛かったらしい、そりぁそうだよね、パパはママのこと大好きなんだから、だから忘れられなくってわがまま言って僕を産んでもらったんだから。
 でも時々、僕はパパが強い人だなって思った、だって僕は何時だって悲観ばかりしていたのにパパは前向きだった。
 そうそう、でパパはとうとうばあちゃんの文句を聞くのを嫌になっちゃって古い家を壊して同じ敷地内に二軒、家を建ててじいちゃんばあちゃんとは別々に暮らすようになった。
 最初の頃は学校から帰ってくるとそっちに行っていたけど、そのうち面倒になっちゃってずっと自分の部屋にいた。
 丁度涼さんにギターを教わり始めた頃だったから練習もしたかったしね。
 ん?練習?
「聖、あのさ…なにか興味のあること、ないの?」
「え?なに?突然…」
 スパゲッティーのミートソースで顔をべとべとにしながらこっちを見た聖も…可愛い〜って違うよ。
「えっと、例えば絵を描くのが好きとか、ピアノが好きとか…ないの?」
 うーん…って腕組しながらしばらく考えていたけど、ふいにニコっと笑顔を作った。
「僕、本を読むのが好き。学校の図書館にある本がね、借りられるんだよ。」
 そう言っておもむろに椅子から下りて部屋に駆け込み、手に1冊の本を持って戻ってきた。
「これね、昨日学校から借りてきたんだけど読めない字にちゃんとちっちゃくひらがなが書いてあるんだ。これだったら僕も読めちゃうもんね。…意味わかんないけど。」
 小学生用の国語辞典ってあるのかな?買ってあげなきゃ。
 聖の手にある本は外国の有名な偉人の伝記だった。
「まだちょっとしか読んでいないけど凄いんだよ、あのね…」
 そっか、聖はちゃんと自分の好きなもの見つけていたんだね。
「それじゃあ、公共の図書館のカードを作ろうか?」
 聖は『買う』とは言わなかった『借りる』ことが楽しいんだと思う、それは尊重してあげたいんだ。
「うーん…いいや、まだ学校に一杯本があるから。全部読み終わったらカード作りに連れてってね。」
 …全部?読むの?学校の本?
 危うく笑いそうになるところだった、でもそんなとこも聖の可愛いところだからね。
「ねぇ陸、今日のご飯はクリームシチューが食べたいなぁ〜」
 おねだりをする時は必ず上目づかいに見るんだよね、ふふふ。
「零もそう言ってたよ、じゃああとで買物に付き合ってくれる?」
「うん…ねぇ…陸はママとお買物行った事ある?」
 僕は目を閉じて小さく首を振った。
「僕は…ママの家の子じゃないから、一緒に出掛けたとか遊んだってことは無いんだ。あっても学校の授業参観に来てくれたとか、運動会の時にお弁当を作って持って来てくれたとかしか記憶に無いよ。」
「じゃあ…パパとは?」
「パパと買物って・・・無いと思うよ、だって物心ついた時には自分で料理していたから自分で買物に行っていたもの。」
「なんだぁ、じゃあ僕ってラッキーだねぇ。だって陸といっつも一緒にお買物行くもんっ。」
「もう少し大きくなったらご飯の仕度は聖に担当してもらおうかな?」
「いいの?」
「うん、頼んだよ、だから今のうちに一杯レパートリー増やしておいてね。」
 聖には普段、夕食の仕度を手伝わせている、僕だってばあちゃんに手伝わされていたからね。お陰で一通りの家事はこなせるようになった。
 ただ、火を取り扱わせるのが怖かったんだけど今度のマンションは電磁調理器なんだ。
 ほら、僕の家はいけないことだけど一軒家だったから大事にならなければ延焼も無いわけで、でもここは集合住宅だからね、最善の注意を払わなくっちゃ。ただでさえ「子供だけで住んでいる」って思われているからね。

 その日の午後は聖の質問攻めだった。
 保育園の時は家庭の事情で片親の子がいたりしたから先生が気を遣ってくれてあまり親の話しとかはしなかったらしい。
 でも小学校ではどうしても『母親』の存在が大きくなっちゃう。だってこれから学校行事に母親が登場する回数は多いからね、って僕もそうだったからなんだけど。
「…あのね、『母の日』にママにお手紙書かなきゃいけないんだけど、ママってどんな人?」
 聖が昨日、必死になって探していた母親の声はここで必要だったんだ、そうか。
「ママは…そうだね…優しくて、わがままで、頑固で…」
 ママ…聖を1回でいいから抱きしめてあげて欲しい。
 いつも怯えた様に聖を見る目。そうして涼さんに必死になって縋りつく腕。
 でも零を見つめるときは本当に、涼さんを見るときよりずっと深い色をたたえた瞳なんだ。
「そしてね、沢山の愛を僕達にくれたよ。今だってきっと僕達の事守ってくれているんだよ。」
 気づいたとき、聖は僕の膝の上にいた。そして覗きこむように僕の顔を見た。
「あのね、僕、陸がママだったらってずっと思っていたんだ。陸が女の子だったら僕のママなんだよね?でもさぁ、女の子だからママで男の子だからパパってヘンだよ。だけど僕にとってパパはやっぱり零君なんだ。で、ママは陸なんだ…パパはパパでママはママだけど、パパは零君でママは陸なんだよ、わかるかなぁ。」
 解かるよ、聖は僕に母親の代わりを求めているんだろ?
「でも、僕は聖のお兄ちゃんでいたいな。聖がちっちゃいころは僕の赤ちゃんだって思っていたけど、でもね、違ったんだ。聖は聖だよ、そして僕は僕で…男の子だから。」
 今でも聖の事は僕の子供だって思っている、けど聖にとってそれが良い事とは思えないんだ。ちゃんと現実を見つめられる子になって欲しい。
「零と聖と僕の3人で新しい家族だからね、もうパパもママもいらない。だって僕は零と聖を1番愛しちゃってるからね。」
「陸ぅ、それずるいよ、『1番』はひとりじゃなくっちゃ。僕は陸を1番愛してるぅ。」
 ドキッ、まさか聖に1番って言われるとは思わなかった。
「じゃあ、零には内緒だよ。」
 そう言って僕は聖の唇にそっと自分の唇を重ねた。

「許せない」そう言われて僕は今夜も一晩中鳴かされ続けた…。

 

「おはよう」
 カーテンを開けると朝の陽射しが一杯に降り注ぐ寝室で、まだ寝たりないという表情の零を叩き起こした。
「今日は僕も仕事だもーん。そして今週の朝食当番は零でーす。」
 昨日の朝、零と決めたルール、家事は分担っていうのを早速実行。
 うにゃうにゃ言っている零をベッドから引き摺り下ろして洗面所に連れて行った時だった、キッチンに立っている聖を見つけてしまった。一生懸命パンにバターを塗っていた。
「な?聖は親思いの良い子だろう?」
 零の起き抜けのキスを受けとめた。
「あー、ずるーい、陸ぅ僕もぉ。」
 それを見つけた聖が飛んできて僕にキスのおねだりをする。
 んー…こんなんでいいのか?ちょっと不安になってきたぞ。

 こうして我が家は新しい家族の形を作り始めた。


新居の間取り