好きも嫌いも時の運
「陸は嫌いな人って居る?」
 折角、二所帯に改装したのに、聖は相変わらず僕たちのリビングに居る。
「なんで?」
「嫌いな人と苦手な人は別なのかなって思ったんだよね。」
「居るよ、嫌いな人。思い出したくもないくらい。」
 聖はそれで気付いたようだ。
「ごめん…嫌なこと思い出させちゃったね。でもさ、その人は仕事に一生懸命だったんじゃないかな?今ならそう思う…決して許されることではないけれど。」
「うん。」
 そう、やったことは許せないけど、ちゃんと謝りに来てくれたから彼のことは許した。
「けど…嫌いだ。彼も僕のことは嫌いだと言った。」
「それは、仕方ないよね。」
 僕はマグカップにコーヒーを入れ、両手に持ってソファに腰かけ、聖に一つを手渡した。
「で?誰かと折り合えないのかな?」
「うん。商店街に新しく出店した若い人なんだけどね、協調する気はないと言うんだ。やたらと突っ掛かってくるし…その…零くんと同じ苗字なのも気に入らないと言うし…苗字が同じ人なんて沢山居るのに…それから、店の前の道に棚を置いて道を不法占拠するんだ。おじさんたちは若い人に嫌われたくないと言ってなにも言わないし…嫌いって感情は何なんだろうね?」
 聖は一気にしゃべると溜め息をついた。
 僕はふと思った。
「嫌いって、もしかしたら運かもしれない」
 聖が不思議そうに首を傾けた。
「運?」
「だって、その人が何か言うなりやるなりしなければ、嫌悪感を抱くときがない。好意を抱くときも何かアクションを起こしてくれないと、ないよね?」
 聖がポンと掌を拳で叩くと、パッと笑顔になった。
「彼は、僕と話がしたいんだね?」
「多分」
 僕としては違う意味で言ったんだけど、聖がそう理解したのなら、それで良い。
 …因みに敵意を抱くなら関わらなければ良いと、僕は考えたんだけどね。
「最近はね、近隣の商店街からも活性化について話を聞きたいって言ってもらってるんだ。カウンセラーみたいだよね。」
 聖は、笑顔が似合う。
 聖には、いつも笑っていて欲しい。
「聖。」
「ん?」
「都竹くんは、優しい?」
「え?」
「都竹くんは、ちゃんと聖を叱ってくれる?」
「うん…って、どうした?」
「聖が幸せになってくれるなら、それで良いんだ。」
 僕は、空のマグカップを手にソファから立ち上がった。
「来週からアコギツアーで九州に行くから、暫く留守にするからね。留守番よろしく。」
「はーい」
「僕は…聖が好きだよ?でも、ママは苦手だ。」
 聖が小さく首を左右に振った。
「陸は、ママを嫌いになろうとしているだけで、本当は大好きなんだよ。だってさ、陸も僕も…零くんも、ママから生まれたんだから。」
 頭では理解していることを言葉にされると反発したくなってしまう。
 僕は、弱い人間だ。
「だから、苦手。あの人は、女を武器にしている。女は愛される対象だと甘んじてる。…そう言う僕も、零の愛情に胡座をかいているけどね。」
 聖をリビングに残し、僕は荷造りするために寝室へと向かった。

「運?」
 聖と話したことを夜、零にも伝えた。
「零が僕を好きになってくれたことも、僕が零を好きになったことも、運だと思う。タイミングがずれたら、」
「ばーか、運じゃないよ、運命。運命は運とは違う、生まれる前から定められたこと。嫌いになる人も運命かもよ。嫌なことがあるから嫌いになる…あ、でも生まれる前から嫌いじゃないから違うか。そうなると陸の言う通り、嫌いな人は運かもな。」
 ビールの缶をぐっとあおると、ニヤッと笑った。
「それよりさ、アコギツアーでさ、やりたい曲があるんだよ。」
 零にとって、嫌いな人はどうでもいいらしい。
 なんか、零らしくて笑っちゃうな。
「なにがやりたいの?」
 零と回る初めてのツアー。今度はゲストじゃないんだよね。
 零の告げた曲のタイトルは、activeで初ちゃんが作ったものだった。
 人を好きになる過程の歌。
 初ちゃんのラブストーリー。
「あの二人の馴れ初めって、あまりにも普通すぎて笑っちゃうけどさ、僕だってあまり人のことが言えないくらい、普通と言ったら普通だよな、幼馴染みだから。そんなもんだよ、好きになるのは。だけど、嫌いになるのは、何か大きな理由がある場合が多い。心理的要因や外的要因。だから、運とは違うと思うな。」
 零は運ではないと言いたかったのか。
「如何なる原因があろうとも、それもまた運ではないのかな?タイミングが違えば、好意的になれたかもしれない。例えば、零が僕に優しくしてくれるから嫉妬した…とか、肩が触れたことに気づかずに敵意を抱いたとか。気付いていたら好意的になっていたかもしれない。」
「なるほど、そんな考えもあるのか。」
 零は、このことについてあまり深く考えたくないようだ。早々に切り上げたさそうな言葉尻だ。
「僕が、零を好きにならなかったかもしれない理由があったら、見付けたいかもな。今のところ何一つ見当たらない。」
 すると、零は嬉しそうに笑った。
「良かった。」
 なんだ、ただ単に不安だっただけなのか。
「それを運と呼ぶなら、僕は運が良かったんだな。愛する人に愛されるなんて。」
 そうだよ、零。
 自分が愛した人が無償の愛を返してくれるチャンスは、実は数少ないんだ。
 それを胸に抱いて生きていかないと、大きな落とし穴に落ちる。
 何時、運が転ぶか解らない。
 あなたに、嫌われたくない。
 そう思える人は、貴方だけ。
 それだけは断言できる。
 世界中を敵に回しても、貴方にだけは愛していて欲しい。
 それが、僕の願い。
 その事を今日、思い知った。
 答えを、得たわけだ。
 早くに知り得て良かった。
 危うく失うところだった。
「零」
「ん?」
「『ある日』、譜面あったっけ?」
「どうだったっけかな?パソコン探してみるよ。」
 そう言ったのに、抱き寄せられ、口付けた。