いつだって君のこと、想っているから

 7月20日。
 ACTIVEのライブツアーが始まった。

 
今回は東京から始まって札幌・仙台・横浜・大阪・広島・福岡・鹿児島、で東京の全国8箇所です。
 そして7月中に鹿児島までの予定が終って、最後の東京は8月25日…零の誕生日なんだよね。
 初ちゃんが「絶対零の誕生日にやる」って言って聞かないんだよ、迷惑な…って言ったら「零は陸だけのものじゃない」って言われた。
 ふんっ、零は初ちゃんだけのものじゃないことだけは確かだよ、…とは言わなかった。だって、ねぇ…。
 あとで零に「気にするな」って慰められちゃったよ、全く…だね。



 で、7月22日、僕達は北海道に向かっていた…。


「何?えっ?聞こえない…ちょっと待ってて、掛け直す。」
 早朝、羽田空港のロビーで零の携帯電話が鳴った。
「どうしたの?」
「うん、夾からなんだけどさ、雑音が多くて聞こえないんだ。ちょっと公衆電話から掛け直して来る。」
 零が携帯電話をポケットにしまいながら探しに行った。
「なに?どうしたの?」
 聖が心配そうに聞く。
「どうしたんだろうね?」
 僕も不安になった。
 夾ちゃんから連絡があるときは大体ママのことだからだ。
 夾ちゃんは今年の4月からH大学の医学部に通っている。
 現役で合格しちゃうんだからやっぱり零の家系は皆頭良いんだよなぁ…。
 零の後姿をボーっと見ていた。
 ちょっと動いただけですぐに見つかっちゃうんだよね、零は。
 ほら今だって何人かの女の子が零のこと見ている。
 電話を切って、小走りで戻ってくる。女の子達は遠巻きのまま、こそこそ囁き合いながら、見ている。
「陸、あきらちゃんがね、」
 やっぱり、ママのことなんだ。ちょっと居住まいを正して、心を落ちつけて聞く姿勢を作った。
「どうしたの?」
「正気に戻ったらしい。」
 戻った?
「涼ちゃんのことも、夾のこともちゃんと解るんだって。朝起きら普通にご飯作っていたんだって。」
「ホント?」
 僕よりも先に、聖が答えた。
「あぁ、とりあえずこれから病院に行ってくるらしい。でも…良かった。」
「うん…」
 ママが、元に戻ったんだ…ってことは、聖は、どうなるの?
「陸、行くぞ。」
「うん。」
 僕達は今夜のステージに立つため、搭乗を急いだ。



 控室で眠ってしまった聖を背負った零が、ホテルに向かう車に乗る前にそっと僕に耳打ちしてくれた。
「涼ちゃんと夾のことは解っても僕達のことは思い出せないかも知れないじゃないか。」
「でもさ、記憶喪失じゃないからね。」
 涼さんが昔、交通事故に遭って一部記憶が欠落している…って言うのは聞いている。
 ママのことは分るのに愛し合っていたことを忘れてしまったんだそうだ。
 当然のように零のことも実紅ちゃん夾ちゃんのことも自分の子供だっていう意識が無くって戸惑ったようだ。
 パパとママは、昔結婚の約束をしていて、でもママが涼さんと恋に落ちてしまって、パパは振られちゃったんだそうだ。
 その『結婚の約束をしていた』っていう部分だけは覚えていたらしい。
 つまり、18年分くらいのママとの記憶が全部欠落してしまったんだ。
 それ以外のことは覚えているのに…。仕事のこともちゃんとわかるのに…僕のこともちゃんとパパの子だって分かっているんだよ…勿論母親が誰かってことも。
 本当にママとのことだけ、すっかり抜け落ちてしまった。
「ママは記憶喪失じゃない、心の病だから…」
 閉ざした心が再び開けば、見えていなかったものが見えるはずなんだよね。
「そっか。でも大丈夫だよ。」
「うん…」
 いつまでたっても心配性なのが僕のいけないところ。



「今日、帰るから。」
 零が加月の家に電話している。
「僕もぉ」
 聖が電話の横で叫んでいる…僕は、どうしよう。
「空港まで車で来て正解だったよなぁ。」
 本当は明日、仙台だから皆は直接入っちゃうんだけど僕達は急遽帰宅。朝一番で新幹線に乗って行くことにした。
「ママに会えると良いね。」
 聖がいつもと違う雰囲気なのを察知してワクワクしている。
「…零、僕は、行っても良いのかな?」
「なんで?」
「だって…」
 ママに僕達のこと、理解してもらえるのだろうか?
「僕はここで待っている。聖と二人で行ってきて…」
「駄目だ。ちゃんと、今度こそちゃんとあきらちゃんに話す。だから、傍にいて欲しい。」
 僕は眠っている聖を膝枕させながら後部座席にいたので、バックミラーから零の表情を盗み見た。
 本気なんだね?
「陸はあきらちゃんが正気じゃなかったから、報告に行ったのか?」
「違うっ、ちゃんと胸を張って言えるよ、『僕は零が好きです』って…だけどね、何も今言わなくても良いのではないかって思うんだ。いっぺんに色々あったら僕だってびっくりしちゃうよ。ママはさ、たったひとりで孤島に旅行に行っていたんだよ、やっと帰国して一気に沢山のこと言われてもパニックしちゃうよ。」
 ふぅ…っと溜息をついて瞳の色を和らげた。
「そっか、あきらちゃんは旅行に行っていたのか…随分長かったもんな。
 それじゃあ、仕方ないか。まぁ、成り行きにまかせるか。」
 こんな風に言っていたのけど、実は零も迷っていたらしい。
 後で夾ちゃんが教えてくれた。

「聖、あのね、ママは病気だから大騒ぎしちゃ駄目だよ。『こんばんわ』って言ったら大人しくお話するんだよ。」
「はーい。」
 そろそろ加月の家に着くから、聖を起こして言い含めた。
 だって聖のことだからバタバタと走りまわったりしそうだからね。
「ねぇ…ママ、僕のことぎゅってしてくれるかな?」
「今日は無理かもね、もっと元気になったらね。」
「そっか…」
 少し俯いて、でも次の瞬間
「じゃあ、代わりにぎゅうして。」
って僕に抱きついてきた、可愛いっ。
「いつだって、僕が聖のこと抱き締めてあげるからね。」
 可愛い、僕の、聖。柔らかい髪をそっと撫でてその小さな肩を抱き締めた。
 車は加月の家の駐車場に停まった。
 僕はそっと心の中で深呼吸してドアを、開けた。



「零…なの?」
 ママが零の顔を見て、名前を呼んで…額に掛かった髪をそっとかきあげ、その身体を抱き締めた。
「うん…お帰りあきらちゃん…」
 零が照れくさそうに笑う。
「ママ…」
 零の足元からそっとママのほうを見ていた聖が、いつもの元気が何処かへ行ってしまったように塩らしく声を掛けた。
「…あれは、夢じゃなかったのね、やっぱり。この子が聖…なのね?さっき涼から聞いたわ。」
 零の身体から腕を外して、一瞬だけ、聖の方を見た。
 しかしすぐに視線を自分の手元に戻した。
 ――ママ?何言っているの?どうして聖に声掛けてあげないの?どうして笑ってあげないの?――
 僕はずっと部屋の外で様子を見ていたけど居たたまれなくなって飛び込んだ、聖を抱き上げた。
「…ママ、聖だよ、ママが大事に大事に抱き締めていた聖だよ。僕知ってる、病院から帰ってきたママは聖のことずっと抱き締めていた、泣いたってわめいたって決してその手を放さなかった…ママは聖を…」
 涙をポロポロ、ポロポロ零しながら、それでもママは聖を、見なかった。
「涼…ごめんなさい…私、あなたを裏切って2人も子供を産んでいたのね?」
「ママ?」
 今、ここにはいない涼さんの名前を呼んで、両手で顔を覆ったまま、もう僕達のほうを見ることは無かった。
 そうか…ママにとって、今は涼さんだけなんだね?分かったよ。
 聖の身体を床におろし手を引いてドアに向かって動き出そうとした瞬間だった、バシンッという音がして振り返ると零がママの頬を叩いていた。
「陸と聖を傷つけるような事を言う人はたとえあきらちゃんだってゆるさないから。僕は今、2人のために生きている、2人がいるからここにこうしていられるんだ。」
 そう言い切ってくるりと踵を返した。
「いや、零…行かないで…私…」
 僕はママの場所まで戻った、そっと、零が叩いたママの頬に触れた。
「僕達、一緒に暮らしています。僕は零を愛しています、ママよりずっと…。でももう駄目だからね、零も聖も僕のものだから…絶対放さない…ママは涼さんと幸せにね。」
 ママが何か言いたそうに唇を動かしたけど、僕は何も見なかった、気付かなかった振りをして聖の手を引いて部屋を後にした。



「馬鹿、叩いたりしたら可哀想じゃないか。」
「陸だってしばらく言わないって言ったくせに自分から『一緒に暮らしている』なんて言ったじゃないか。」
「それは零があんなことするから。…違うかな?ママがあんまりにも冷たかったからかな?でもそれは分かっていたことなのにね。」
 ママは、昔からそうだ。すぐに後悔する。
 自分の気持ちに素直な癖に、後悔する。
 僕が幼稚園に行くまでは零の家はちょっと離れた所にある、マンションだった。
 それが突然隣りにやって来て。
 ママは「陸に逢いたかった」って言っていたけどパパも僕も苦しんだんだ。
 それを見て後悔したくせに、こっそり僕の参観日に来たりしてまた後悔する。
 どうして考えてから行動できないんだ?どうして相手のことを考えないんだ?



 僕、決めたよ。
 零と同じようにこれからはママのこと『あきらさん』って呼ぼう。
 でも僕の場合は零とは違う、もう僕にママは要らないってことだ。



 翌朝、零の携帯電話にまた夾ちゃんから電話が入った。
「陸、あきらちゃんから、電話。」
「出掛けるから忙しいって言って。」
「言ったけどどうしてもって…」
 声なんか、聞きたくないけど、渋々電話を受け取った。
「もしもし?」
『陸?』
「うん…」
『ごめんね…私どうかしていたの。零があの頃の涼にそっくりだったから、動揺してて…ごめんね。』
「マ…あきらさん、気にしないで下さい。でも聖はあなたのこと求めているから、だから受け止めてあげて欲しかった。もうあの子にもママはいないって言い聞かせます、さよなら…」
 僕は電話を切り、電源も落した。
 馬鹿な僕…こんなに僕だってあなたを求めている…何度裏切られても、失望させられても、きっといつか抱き締めてくれると信じている…。
 なのにこんな事言ってしまった。
「陸、大丈夫だよ。」
 零、ごめん。
 家の電話が鳴った、でも零も僕も、そして聖も出なかった。






 鹿児島から戻ってきて、3枚目のアルバム制作に突入した。
 レコード会社の担当さん(加藤さんって言います)から「そろそろACTIVEのアルバムを作らないとファンの間からクレームが出そうだ。」って言われた。
 確かにクレームが来るだろうな。2年以上アルバムが出ていないから。
 僕らがデビューしたての頃はなかなかヒットしなくって、でも徐々にシングルが売れるようになったんだ、数字で言えば初めは200位にも入っていなかったのに2枚目が突然38位、3枚目が30位、4枚目が22位に、そして遂に5枚目が14位にまでなったご褒美として初アルバム制作をさせてもらった。これも26位になった。
 この頃からライブハウスではお客さんが入りきらなくなってきちゃって、事務所からホールコンサートをしましょうって言われたんだよ。
 その、初めてのコンサートの夜が零と結ばれた日…なんだけどね。
 本当は去年の夏、2枚目を制作していたのだけれど事務所を変わったりしていたので延び延びになっていたのです。
 なので僕達はとっても張り切っていた。
 ライブで歌っている歌のアレンジを替えてみちゃおうとか、零のギターも入れてみよう、なんて色々案が出ていた。
 レコーディングもしなきゃならないので夜遅くて朝早かったり、零しか帰れなかったり僕しか帰れなかったり、そんな日が続いていて、家の留守電を全然聞いていなかった。
 10日振りに零と僕が一緒にマンションに戻った時だった、初めて電話の存在に気が付いた。
「聖ぃっ、誰かから電話があったの?」
「ううん」
 聖のいない時間か寝ている時間に掛かってきたのかな?
 点灯する留守電ボタンを押した。



「ママ…あきらさんが聖に会いたいって言っている。」
 寝室で着替えをしていた零に僕は留守電の内容を伝えた。
「聖だけに会いたいって…僕は嫌だな、こんな時に里心がついたりしたら困る。」
「里心がついたら、二人っきりでくらしていけば良いじゃないか。聖にだって選択の権利があるんだから。」
「そうだけど…」
「その前に『会う、会わない』っていう選択の権利もあるけどね。」
「うん…」
 きっと聖は会いに行くと思う。
 ずっと憧れていたママの腕の中で、何を思い出すだろう。
 ママが聖を抱いて病院から戻ってきた日、僕はたまたま風邪をひいて家で寝ていた。
 ふと目覚めて窓の外を見た時、ママが幸せそうに聖を抱いていた…。
 僕は何故だか眩暈がするほど嫉妬した。その幸せが憎かった。
 決して僕は不幸せなんかじゃなかった、でも…。
 ててて…と、聖が僕の足元に寄ってきた。
「陸…僕、いいや。」
「え?」
「ママ、もういいの。」
「?」
「いらない。」
 聖…聖は…。
「零、僕出掛けてくる。」
 止める零の腕を振り解き、僕は加月の家に向かった。



「お願いです、聖を…聖を不幸にしないで。どうして、後悔するなら零に全てを預けたんです?パパのときだってそうだ、一時の感情で流されないで。」
 マンションから飛んできて、インターホンを押して、玄関を開けてくれた夾ちゃんにお礼も言わず僕はママの部屋に押し入った。
 ママは、病気だったのが嘘の様に季節外れの毛糸で編物をせっせとやっていた。
 僕の乱入にはちっとも動じなかった。
「…多分、陸が来ると思ったの。だから聖に会いたいって言ったのよ。」
 ママはこの間と同様に顔を上げなかった。
「裕ちゃんに聞いたわ、ごめんね。陸は沢山、我慢していたのね、ママ全然気付かなかった。抱き締めてあげる事も一緒にいてあげる事もしなかった。ただ産んだだけの女なんて母親じゃないわね。だけど…愛しているわ、陸。」
 ママは毛糸を編む手を止めゆっくりと顔をあげた。
 そして僕を手招きした。
 どうしてだろう、僕の身体は磁石で吸い付けられるようにママのほうへ動いた。
 そしていつも僕が聖にやってあげていることを僕がママに、された。
「産まれて、初めてのような気がする。…陸…」
 これが、母親なのだろうか?
 暖かくて、柔らかくて、良い匂いがする。
 涙がポロポロ零れてきた。
「聖のことだって…愛しているの、分かって。だって、陸だって聖だって、私の中で10ヶ月も一緒にいたんですもの。」
「10ヶ月…」
「陸は…零のことが好きだって言ったわね?一緒に暮らしているって言っていたよね?もうどれくらいになるの?」
「1年と10ヶ月…」
「そう…じゃあ分かるわね?一緒に居るって言うのはとっても嬉しいけど大変な事なの。私は陸も聖も手放さなかった、愛しているからよ。二人の父親が誰であろうと、愛しているの。」
 …誰であろうと?
「私はね、裕ちゃんと結婚しようって約束していたけど、出来なかった。それは涼に出会ってしまったから…。だけど決して裕ちゃんに負い目が有ったからとかそんな事じゃない、私は、卑怯かもしれないけど裕ちゃんのことも好きだったし、彼の気持ちを大事にしたかったの。言い訳って思ってくれて良いよ、だけど…そうだね、陸にとっての零が私にとっての涼かな?で陸にとってのバンドのメンバーが裕ちゃんなの。兄であって仲間であって大事な人なの、いなきゃね、困るの。」
「パパのこと、愛しているの?」
 分かっていて投げかける質問。
「うん。」
 そうだね、あなたはそう答える、そしてパパは苦しんだんだから。
「私は幸せなの。涼に愛されて、裕ちゃんに愛されて…。だけど子供達に愛されなかったのはどうしてだろう…悲しかったな。」
「ママ?だって零…」
 ゆっくり首を左右に振る。
「零がいつも見ていたのは陸だもの。」
 なに?
「零の口から語られる人はいつだって陸だった。固有名詞が無くたって分かるわ、だってこれでも母親だもの。実紅もね、陸を見る目が優しかった。でも零は兎に角、実紅が陸と恋に落ちるようなことになったら困るもの、私は意地悪なほど陸に会えない様にしたわ。お蔭で嫌われちゃった。夾は…無口だし感情を表に出さない子だから…でも私が陸のことばかり考えている事に一番最初に気付いたのはあの子だった。なのにあの子だけはここにいてくれたのね?」
「…聖は、ママのこと愛してるよ。」
「いいの。私は聖に嫌われて良いの。」
「どうして?」
「愛されてはいけないの…」
「なんで?」
「今の聖は幸せそうだから。私がいないほうが可愛いわ。」
 …ママ、覚えているの?
 聖がここにいたときのこと、ちゃんと解っているんだね?
「私は聖を愛してあげられなったから、陸が愛してあげて。あの子は陸に預けたんだもの。」
 僕の頭を優しく両手で触れて、柔らかく微笑んだママ。
「零と二人でここに来て幸せになりたいってそう言ったじゃない。聖も一緒だから心配しないでって言っていたわ、陸。」
 あ…あの日の事、覚えていたんだね?去年の僕の誕生日に、零がママに報告に行くって言って、ここに来た。
「可愛いのね、陸。真っ赤になって。」
「あっ…ち、違うっ、でも…その…」
「それに今聖に微笑まれたりしたら私手放せなくなっちゃう。それでもいいのかな?」
「駄目」
 それだけは絶対駄目。
「じゃあ、おしまい。早く帰りなさい、陸のいるべき場所へ。私はずっとここにいる。」
 僕は大きく頷いた。
「おやすみなさい。」
「うん…今度、聖と一緒に遊びにいらっしゃい。」
「どうしようかな」
 ふふふ…と笑った。



「…ん、解った、じゃあ。」
 零は僕が帰ってきたのを見て、慌てて携帯を切った。
「お帰り」
 いつもの、零。
「仲直り出来たみたいだね。」
 ふわり…と僕の身体を抱き締めてくれた。
「うん」
 両腕を零の腰に回す。
「零」
「ん?」
「キスして…」
 僕は目を閉じる。
 そっと触れてくる唇。
「…誘ってんの?」
「ん…」
「そっか。」
 だってだって〜一緒にベッドに入るのが13日ぶりだよ、うえーん。



 翌日、僕は朝一番で聖を加月の家に連れて行った。


「全く…気が早いんだから。」
「うん」
 ママが微笑む。
 今日は庭にいた。
 公園にあるようなベンチが庭に置いてあって、そこで昨日編んでいた毛糸をやっぱり編んでいた。
「聖、おいで。」
 ママが手招きする。
「この間はごめんね、ママどうかしていたの。…大きくなったのね。」
 どう見ても緊張している表情で聖がママに抱かれている。
「ママ…僕さぁ零くんと陸と一緒にいても良い?ママのお病気が治ったら帰ろうねってパパが言っていたけど、僕帰りたくないの。」
 ママの腕の中でもじもじと聖が話している。
「僕ね、零くんと陸が大好きなの。帰ってくるの遅かったり帰ってこなかったりするけど、お休みの日は一杯遊んでくれるの。」
 必死で訴えている。
「聖、聖が好きなようにして良いって涼さん言っていたでしょ?」
 聖の目線まで下りて話しかける。
「いいの?」
「うん。良いよね?ママ。」
「勿論。聖が思う様にすれば良いわ。だけど忘れないで。パパもママもいつだって聖のこと、想っているから、大事に想っているから…。」
 嫌われて良いなんて、嘘だったんだね。
 ママはやっぱり聖が可愛いんだね。
「馬鹿ね、自分の子供が可愛くないわけ無いじゃない。」
 うぅっ、僕が考えていることなんてお見通しなんだね。
「大丈夫よ、もうすぐ私、おばあちゃんになるの。それで忙しいからね。」
 ママがせっせと編んでいたのは実紅ちゃんの赤ちゃんのためだったんだね?
「ありがとう、ママ…」
「陸がお兄ちゃんになるのね。」
「ママ、陸は僕のお兄ちゃんだよ。」
 ぎゅって僕にしがみ付いた聖。
「そうね、聖のお兄ちゃんよね。」
「でもね、陸は陸なの。」
「陸?」
「うんっ、僕には陸なの。」
「そっか。」
 ママ?
 解ったの?
 僕はどうしても聖の言っていることが理解できなかったよ。
「ねぇねぇ、陸も僕のこと好き?」
 帰り道、聖と手を繋いで歩いている時、そう言って聖が僕を見上げた。
「うん、大好き。」
「僕も陸のこと大好きだよ。」
 にっこり、微笑む聖はちょっとだけ大人になったように…思った。



 そういえば、『初心をすっかり忘れてしまった』という状態で、僕は気付いたらまた『ママ』って呼んでいたよ。


「そっか、そう言ってたのか…」
「うん」
 ママが『聖のこといつも想っている』って言っていたよ、って零に話した。
「僕だって・・・いつも陸のこと想っているんだから。」
「違うよぉ、聖のことだってば。」
「聖は陸に任せたって言っただろ?それにさ…親には親の『想い』ってもんがあるんだよ。こればっかりは親にならなきゃ解らないんだろうな…ごめん。」
 どうして謝るのさ、だって事実だもん。
「いつか、理解できる日がくるといいな。」
「駄目」
 思いっきり拒否され、睨まれた。
「陸が親になるってことは…その…だから…」
「聖の親じゃ、駄目?」
 突然視界が塞がれ唇も、塞がれた。
「意地悪」
 そっと触れ合わせたままの唇が吐き出した恨みの言葉。
 人間って弱い動物だからさ、どうしたって『本能』に忠実に生きてしまうものだろう?
 だけど僕は零が好き。 
 今はこの静かで平和な生活を守って行く事で精一杯なんだ。
 たとえ何かがあったとしても、僕は変化するつもりは無いんだ。
 それだけは…誓って言える。
 零の指がゆっくりと僕の身体を伝って下りてくる…思考が、止まる。
「零…」
「本当だよ、僕はいつだって君のこと、想っているから。」
 そして伝い下りた指が1箇所で、止まった。






 8月25日サマーライブツアー最終日。東京。
 2階席の一番前に涼さんとママと夾ちゃんがいた。
 僕が呼んだんだけどね。
 21歳になった零を見てください。
 1日、1日、素敵になって行く零を見てください…。
「じゃあ零、ステージで待ってる。」
 僕はセッティングがあるので先にステージに行く。
 1歩、踏み出した僕の腕を突然捕まえられた。
「陸、どうしよう、緊張している。」
「どうしたの?いつもと同じだからね。」
 僕の手を零の左胸に導く。
「な?すっごいドキドキいってる…」
 少し、背伸びをした。左腕を零の首に巻きつけ、唇を重ねる。
「大丈夫、僕が、ついてる。」
「うん…さんきゅ。」
 零、最高のステージを見せてね、皆が、待ってる。





 赤と緑の光がステージの上でクロスした。