僕らの存在意義

「いってきまーす。」
 ママが、どうしても聖と一緒に居たいって言うから、今日から三日間聖は加月の家の住人になる。
 でもさぁ…ママったら最初に言っていたのと全然違うんだけど、まぁ仕方ないか、聖は可愛いもんね。
 だって、本当は
「陸も一緒に」
って言っていたんだよ。
 全くママの中では今でも僕は小学生のままなんだよ、困っちゃう。
「聖、国語の教科書忘れてるよ。」
 リビングのテーブルの上に『こくご』って書かれた薄っぺらい本が置いてある。
「あれれ?あっ、本当だ、てへへ。」
 ランドセルを背中から降ろしてゴソゴソ確認する。
「涼さんとママに迷惑掛けちゃ駄目だよ。」
「はーい」
「それから、夾ちゃんのお勉強の邪魔しちゃ駄目だからね。」
「はーい」
「それから…」
「陸ぅ、遅刻しちゃうよぉ。」
 何時の間にかランドセルを再び背負って地団太を踏みながら、それでも僕の話を聞いていてくれた。
「ごめんごめん。じゃあね、寂しかったら電話してね、迎えに行くから。」
「大丈夫だよ、ここから5分で行けるんだもん。学校より近いんだもん。」
「そりゃ、そうだけど…」
 聖は可愛いから夜ふらふら歩いていたらさらわれちゃうだろ…って言いたい所をグッと堪えた。
「じゃあね、陸、いってきます。」
「うん…元気でね。」
 聖は笑顔で出ていった。
 なんか…永久の別れみたいだ…、切ない。



「27回目」
 隆弘君が呟いた。
「ほっとけ」
 零が突き放す様に言う。
「いいのか?」
「構わない。」
 そう、ほっといて欲しい。
 例え僕が溜息ついてても…。
 だって…日曜日の夜にならないと聖に会えないんだよ。
 そりぁ、今までだって1週間くらい会えないことはしょっちゅう有ったけど、だけどたけど…
 今回はママが関わっているからね、心配で仕方ないんだ。
「自分の母親に嫉妬してどうするんだよ。」
 零が耳元で囁いた。
 それよりたまに2人っきりになるんだからその事を喜んで欲しいな――と、付け加えてレコーディングに戻って行った。
 新曲のレコーディングは今日1日しか残されていない。
 僕の録りはすでに終っている。
 あとは零の歌が入れば録りは終り…なのに終らないんだ。零の調子が良くない。
 もしかして…零も寂しいの?
 聖がいなくて寂しいの?
 僕は零に目で応えた――ごめん、気付かなくって――
 零の瞳が言っている――馬鹿――



「陸、ちょっといい?」
 プロデューサーの岩本さんが僕を呼んだ。
「きんちゃんと次の新曲、この間のにしようかって話していたんだけどさ。」
 きんちゃんとはディレクターの金本さん。「かねもと」って読むんだけどね。
「この間のって…?」
 岩本さんは左手の人差し指を上に向けた。
 それで僕はピンときて頷いた。
「あれでいいの?」
「うん、だからアレンジを皆に頼んどいて。」
 …ってことは譜面に落すってことかぁ、うへぇ僕苦手なんだよなぁ。
 だけど僕達の決まりごと、自分で作った曲は自分で譜面にする。
「で、急なんだけど、明日までにFAXしておいて。」
 …なんで?



 オーディオルームのピアノに向かって、あーでもないこーでもないと独り言を言いながら僕はおたまじゃくし君たちと闘っていた。
 時々、零が寂しそうな表情でドアを細く開けて覗いていたのは知っていたけど、兎に角僕は約束事を守らないと気が済まない性格なので、締め切りはきっちり守る。
 部屋に篭る事3時間。
 ようやく一息つこうとトイレに向かったときだった。
「捕まえた。」
 嬉々とした声が背後から僕を捕らえた。
「まだ終ってないよ。」
 僕を抱き締める腕に更に力が入る。
「駄目だってば。それに僕トイレに行きたい。」
「仕事、もうしないって言ったら行かせてあげる。」
「駄目だってば」
 零は言い出したら利かない。
「今日を逃したら明日の晩しかない…」
 零の頭の中はどんな風になっているのだろうか?
「じゃあ、手伝ってよ、ね?」
 そう言ったら、突然難しい表情になる。
「音楽は苦手だったんだよな。」
 …おいおい、今はそれで生計を立てているんじゃないのかい?
っていう突っ込みはなし。
 でも
「手伝ったら早く終る?」
と聞かれたので、僕は黙って頷いた。
「じゃあ、手伝ってあげる。」
 いそいそと部屋に入って行く。
 僕はさっさと用を足して部屋に戻る。
 零は雑誌を積み上げて即席の机を作っていた。
「聴音は得意だったんだ。ピアノの先生に良く誉められていた。」
 鉛筆を握り締めて笑顔で話す。
 そっか、零は一人ぼっちで居るのが寂しかったんだね、ごめんね。
 僕はいつまでたっても零の気持ちを解ってあげられない、駄目な奴です…。



 翌朝、僕はベッドの上で目覚めた。
 昨晩、零に手伝ってもらったら早い早い。
 本当に音楽は苦手だったのかな?
 でも零は小さい時からちゃんと先生についてピアノを習っていたから、譜面には慣れているんだよね。
 僕はどうしても変調とか苦手で、記号がめちゃめちゃになってしまうんだよね。
 出来あがってすぐに、岩本さんにFAXを流した。
 これで安心して眠れる…なんていうのは夢だった。
 当然、目覚めた僕は一糸纏わぬ露わな姿。
 零の両腕が僕の身体をしっかりと抱き締めていた。
 シーツと僕の身体には夕べの情事の跡がくっきりと残っていた…。
 もぞもぞと身体を動かした僕に気がついた零は眩しそうに細く目を開けた。
「起きたんだ、おはよう。」
「うん、おはよう。」
 零は目を閉じる。
 キスの催促だ。
 最近はキスをしないと起きないんだよね。
「朝ご飯の仕度、してくるね。」
 本当は今日、零の番だけど特別だからね。
 ゴソゴソと簡単に身支度をして部屋を出る。
 キッチンに辿りついた時、心臓が止まるほど僕はびっくりした。
 電気ポットが湯気をたてて沸いている途中。
 オーブンの中では香ばしい匂いを漂わせて、グラタンが焼けている。
 零は…寝ていたよね?
 じゃあ、どうして準備が出来ているのだろう?
 聖が帰ってきたとしてもグラタンなんてまだ作れないし…。
 あっ、もしかしてママから貰ってきたのかな?
 そんなことを考えながら僕は聖の部屋のドアに手を掛けようとしたその時、―コトン―リビングの奥…客間になる部屋で、音がした。
「あ、おはよう。」
 少女のような微笑を僕に投げかけたのは、ママだった。
「今日は零も陸も、夕方まで家に居るって言うから、来ちゃった。」
 そう言って肩を竦めて見せる仕草まで少女の様だ。
「聖は?」
 ママ一人で来たのだろうか?
 まさか、ね。
「寝てるわよ、部屋で。」
「いつ来たの?」
「11時くらいだったかな?声を掛けたけどなんか忙しそうだったから。」
 11時って言ったら…まだ仕事していた。
 ってことは…。
「ママ、どこで寝たの?」
 心臓がドキドキ鳴っている。
「聖のベッドで。聖ったら大きなベッドで寝ているのね。一人で寂しくないのかしら?」
 聖と?
「僕…も、零も、全然気付かなかった…」
 あっ、なんか全身の血が下がって行く気がする。
「そう?私も眠くって、すぐに寝ちゃったからね。」
 気付いていない?
 いや、その…僕達のことは知っているはずだけど…聞かれるのは…その…。
「陸」
 ドキッ
 ママの顔がそっと近づいてくる、そして耳元で囁かれた。
「聖の寝顔ね、零の子供の頃にそっくりなの。」
 ふふふっ、と無邪気に笑うママ。
 気付かなかったのかな、良かった。
 ママが心の病から戻ってきたのは、涼さんの献身的な看病があったからだそうだ。
 普通、家庭に入ってしまった主婦だってあんなに一生懸命何もかもを犠牲にしてまで看病は出来ないらしい。
 でも零が言うには、涼さんは今でも本当は全部の記憶が戻っているわけでは無いらしいのだ。
 それでも一生懸命になったのは、一つはママのため、一つは愛し合った日々を忘れてしまった罪滅ぼし、一つは全てを背負ってしまった零を解放するため…そして嫉妬もあったらしい。
 涼さんは記憶を失って、愛したことも忘れたのに…再びママに恋をしたそうだ。
 以前よりも深く、大きく、暖かく…。
 僕も涼さんのような愛し方が出来る人間になりたい。
 パパはママを傷つけてしまったこと、後悔している。
 僕がいることは凄く喜んでくれるけど、でも実紅ちゃんと幸せな今、無理矢理に僕をママに産ませたこと、後悔しはじめているんだ…。
 だってパパは実紅ちゃんと絶好調のラブラブなんだ。
 拓が産まれたばっかりなのにもう来年、『妹』と断言しているパパがいる。
 …そう、実紅ちゃんは再びパパの子を妊娠したのだ。
「ねぇ、ママ…あのさ…」
 ここまで口にしてしまってから僕は悔いた。
 やっぱりこんなこと聞いてはいけない気がする。
「なに?」
 何の不審も抱かない、ママの横顔。
「ん…ママは女の子に産まれて良かった?」
「うん、良かったと思うわ。だってこんなに沢山、素敵な子供達をこの世に贈り出せる手助けが出来たもの。私が女じゃなかったら一人もこの世にいなかったんですもの、感謝して欲しいな。」
「僕…」
 そんなこと聞きたいんじゃない、でも…聞けない…。
「陸?」
 ママの腕が僕を抱き締める。
「どうしたの?」
「ううん、僕…幸せだなって思ったんだ。」
「そう…ねぇ、いっこだけ、質問しても良い?」
「なあに?」
 僕はこの後、話を続けたことを後悔した。
「零と…セックスするの?どうやって…するの?」
 ママの瞳が突然灰色になった…明かに嫉妬の眼差し…。
「どうやって…って…」
 なんて答えたら良いんだろう…正直に答えるの?
「知っててそんなこと聞くなよな。決まってんだろ?ママも好きなお尻だよ。」
「零」
「零!!」
 僕もママも、同時に名前を呼んでいた。
「もっと詳しく知りたい?だったら見せてあげるよ。陸、おいで…」
 零が僕の身体を抱き寄せた。
「陸はね…」
 唇が突然首筋に降ってきた。
「あん…」
 僕は思わず声をあげてしまった。
「ここが感じるんだ…」
「れ…い…やだ…」
 するするとシャツの下に潜り込んでくる長い指。
「ほら、もうこんなになってる…陸は淫乱だからね。」
 探り出されたのは…一番敏感な部分。
 ビクン…身体が正直に反応する。
「そんじょそこらの女の子よりずっと感度が良い。世界中捜したってこんなに可愛くって愛しくって…エッチな子はいないなぁ…」
 今まで饒舌だった口はすぐに僕の唇を塞ぎに来た。
「ん…く…」
 もう頭の中が真っ白だ…でもこんなとこで…嫌だよ、零…
「あぁ…駄目…いやんっ…」
 零の指が淫らにピッチを上げて蠢く。
「あん…や…ん…はぁっ…」
 …#◎*★$!…
 ぐったりと、零に身体を預けている僕がいる…ようだ。
 もうすでに意識が飛んでいたから…夢うつつ…



「零…身代わりじゃないのね?ちゃんと陸を幸せにしてあげられるのね?」
「身代わりってなんだよ?」
「その…私の…」
「もしかして、あきらちゃんに似ているとでも言いたい?似てないよ…陸の方が美人だし、優しいし、気が利くし、料理だってあきらちゃんより上手いよ。裁縫は苦手だけどね。頭だって良いし、センスも良いし…なにより僕を愛してくれてる。」
「違う、私の身代わりなんて思っていないわ。ただ、大事な人が今後現れるかも知れないし、そうしたら陸が傷つくわ。」
「陸より大事な人なんていらない。僕には陸がいなきゃ意味が無い。」
「…聖ならいつだって私が引き取る。だからね…」
「大丈夫だよ。心配しないで。ちゃんと年に1回、定期検診も受けてるし出来るだけ中で出さないよう努力してる。」
「そんなことじゃなくて…それもそうだけど…」
「あきらちゃんの時、失敗したからね。」
「笑い事じゃないでしょ?」
「ごめん…でも聖は僕の子だ。ちゃんと育てる。大体陸が絶対に手放さないよ。僕が嫉妬するくらい、聖を可愛がっているからね。」
「聖…陸が好きなのよ。」
「知ってる。」
「知っていたらなんで…」
「人が、人を好きになるのは自然なことだよ。でも大丈夫だよ、聖にとって陸は母親みたいなものだからさ。」
「それが…昨日ね『ママは僕のママだよね。ずっと僕のママだよね?』って念を押すの。『そうよ』って言ったら『じゃあ、陸は陸なんだ』ってとっても嬉しそうに言うから。」
「僕が自分の父親だって自覚はあるのにな。ちゃんと陸が僕のもんだって教え込まなきゃ駄目かな?」
 朦朧とした意識の下、こんな会話が耳に入っていた。
 でもこの先は完全に飛んでしまって聞こえなかったんだ…。



「陸、恋でもしてる?」
 岩本さんに突然言われた。
「え?あ…その…」
「いいよなぁ、若いって言うのは。」
 ポンポン、と僕の肩を2回叩いて去って行った。
 この間、必死で仕上げた譜面を見て、岩本さんから直に連絡が入った。
『速攻でレコーディングしたいからメンバーに連絡取ってくれる?』
と言われた。
 急いで初ちゃんと剛志君と隆弘君に電話して岩本さんが押さえてくれたレコーディング室に集まった。
『これ、直にレコーディングして発売するから。』
 僕の書いた曲の発売が急遽決定したらしい。
『アレンジ、出来る?』
 そう言われて、僕は頭の中に描いていた音を皆に説明した。
『多分、大丈夫です。』
 二時間ほど時間を貰って僕達は音を作り上げて行った。
 そして出来上がったものは、僕が思い描いていた以上の出来だった。
 …この曲は僕の想い…相手は…聖なんだ。
 いつだって僕の詩の主人公は聖。
 聖ならきっとこんな恋をするだろう…そんな願いを込めて作り上げて行くんだ。
 それを聞いて零は嫉妬するけど、だけど書けないんだ。
 零を主人公にしてあげようとも思うんだけど、そうすると僕の気持ちが目一杯入りすぎちゃうんだもの。
 あの日、僕が気が付いたときには、ママと零は楽しそうに昔話…って僕の子供の頃の話しなんだけどね…をしていた。
 僕が覚醒したのに気が付いて、ママは真っ赤な顔をしていた。
 つられて僕も照れちゃったよ。
 だって零ったらママの前であんなことするんだもの。
 だけど僕は幸せだって気が付いた。
 だってママもこうして僕達を心配してくれている。
 当然涼さんだって心配だからママに来てもらったんだろうし、僕のパパだって気に掛けてくれている。
 まだまだ1人前の大人には程遠い僕だけど、理解のある大人達に囲まれて良かったって思っている。
 だから皆にも少しでも幸せな気持ちが伝わるように、一生懸命曲を書き、詩を書く。
 そしてギターを弾く。
 ねぇ、初ちゃん、剛志君、隆弘君…そして零。
 僕達は幸せの伝道師になりたい。
 僕の目指す物はそこにあっても良いでしょ?
 みんなの目指すものが違ったっていいんだ、色々な方向を向いて、色々な人に聞いてもらえる音楽を伝えて行きたい。



 それが僕達の存在意義。