人気者でいこう

 ん?
 今何か聞こえた。
 あ、ほら。
『やっぱりレイだよぉ』
『私はリクが良い〜』
 …レイって言ったら「零」だよね?で、リクって言ったら…僕かな?
 主婦が一番集まる午後4時を避け、夜に限りなく近い時間を選んで買い物に来た。
 その時スーパーマーケットの入り口でたむろしていた女子高生の集団が口にした言葉。
 最初は別の人の名前が出ていた。テレビとかで一緒になるバンドやアイドルの名前。
『私は初〜』
 …完璧。
 危なく顔を上げるところだった。
 僕の場合変装のしようがない。
 今までそんなことしようなんて思ったことなくて「憧れのロングヘアー」なんてやってたけど…免許取るか髪切るか…だな。
 なんてぼんやり考えていたら小さいときから色々お世話になった(正しくはパパが…だけど)実家の近所のおばさんと目が合った。
「あら〜陸ちゃん、また買い物現場に遭遇しちゃったわね〜。あれ?そういえばこの間何か頼まれたわよね、なんだったっけ?まぁ、いいわ、思い出せないってことはたいしたことじゃ無いのよね。それでね、お願いがあるのよー、最近零…」
「おばちゃん!!」
 急いでおばさんの言葉を遮る。
 ……遅かった。
 ザワザワ…今まで関心を示さなかった人達が一斉に振り向く。
 あー、これは僕の声が大きすぎたせいだ。
「ちょっといいですか?」
 宗教の勧誘員みたいな台詞でおばちゃんを店の隅に連れ込む。
 そして、出来るだけ小さい声で話す。
「…外で会ったときは名前を呼ばないで下さいってお願いしましたよね?僕困るんです。」
 本当に困るんだ。
 ただ買い物しているだけだと怪しい人物に見えるらしく余り人が寄って来ないのに、名前が分かると途端に人が集まる。
 そんなに有名人じゃないのに。
「そうか、そのことだったのね、悪い悪い、おばちゃん忘れちゃってたよ。
 でね、零ちゃんだけど今度サインもらっといてくれる?職場が一緒でしょ?」

 あれは、職場って言うのかな?
「いいですけど、家に届けておけば良いですか?」
「ありがとう、助かるわ〜。陸ちゃんのも頼まれているんだけど今からうちに寄ってってよ。」
 じょ、冗談じゃない、僕は忙しいんだってば。
「でも、買物しなきゃいけないし、家に預けといてください。取りに行きますから。」
「そうなの?しょうがないわね〜、わかったわ。
 まぁ、陸ちゃんも毎日テレビに出ていて忙しいからねぇ〜。」
 ポンポンって、子供を扱う様に背中を叩いて台風の目は去って行った。そしてその後にやって来たのは台風の渦…。
「いやーんっ、陸だぁ〜。」
「本物だよぉ〜」
「どうしよう〜」
 ・・・嫌なのはこっち、どうしよう〜なのも僕だよぉっ。
 今夜のご飯はどうしたらいいんだぁ〜。



「…それでピザ?」
「うん…」
「災難だったね…」
「うん…」
 ぐったりうなだれた僕を見て零は笑いをかみ殺しながらねぎらいの言葉を投げてくれた。
 おばちゃんのお陰であの後は悲惨だった。
 買い物なんてもってのほか、今まで知らん顔していてくれたレジのお姉さんもどっとやって来て(仕事中の人は流石に来なかったけど)収拾が付かなくなってしまって、店長に奥に避難させてもらって裏口から逃げてきた。
 店長が『今度から特別に配達をしましょう、これは私の携帯電話ですから他には誰も出ません。』と言って名刺を差し出した。
 …厄介払いだろうな、はぁ。
「買い物を楽しむことも出来なくなっちゃったよ。」
 又溜め息。
「気にしなきゃいいんだよ。」
 何を今更…と言う口調で零が言った。
「気にしていたらきりがない。大体ずっと小さい頃から好奇の目にさらされて来ただろうに、今頃じたばたしてもしょうがないだろうが。」
 そうか、零は小さい頃からもてたんだね。
「僕は目立たなかったから。」
「僕だって目立つ方じゃないよ。でもお互い親が目立ってるから。」
 あ、そういうことか。
「だって、僕はパパの子供だとは思われて無いよ。」
 パパは公表してもいいと言っていたけど、どうしてもじいちゃんとばあちゃんが拒んだ。
 「陸の幸せの為」って言うけど僕の幸せってなんだろう?
 ま、今は殆ど顔を出さないから「親不孝者」って言われているけど「親」じゃないもん、じじばばだもん…なんて零に知られたら怒られるだろうな。
 零は自分のおじいちゃんとおばあちゃん大事にしているもん。
 忙しくても時間が空いたら電話をしている、僕には絶対真似できない。
「ぼんやりしてると無くなっちゃうよぉ」
 聖が左手の親指と人差し指をなめている。
「駄目〜」
 急いで取り皿を食器棚から出してきて、自分の分を確保する。
「もっと〜ぉ」
 その台詞に思わず僕は赤面していた。
 …気付かれたかな?
「じゃあ、陸はなんであの家にいることになってたんだ?」
 零が話を蒸し返した。
「じいちゃん達の子。パパの弟。」
「だから戸籍も…あれ?ちゃんと裕二さんの子供ってなっているよな?」
「戸籍はちゃんとパパの方に入ってるよ、いくらなんでもそこまではパパだって承知しないよ。
 でもじいちゃんとばあちゃんはまだ2人の『恥かきっ子』の方が良いって言うんだよ。
 世間体が悪いからだって。
 嫁もいないのに子供だけいるなんて人に知られたら笑い者になっちゃうって…
 だけど僕はパパの子供で良かったって思ってるよ。」
 僕が涙声になったから零がそこで話を止めた。
「陸ぅ、明日はこっちにしよう。」
 聖も気を遣って宅配寿司のメニューを指差している。
「明日は零も僕もテレビの仕事が入っているから何時になるか分らないんだよね。ごめん。」
「じゃあ、明日はカレーを作っておくぅ。」
 なんか最近、聖の話し方が変わった気がする。
 学校のせいかな?
「包丁と火には気を付けるんだよ。」
「はぁーい。」
 返事をしながら最後の一切れに手を伸ばし、あっという間にさらっていった。
 そう言えば聖はまた背が伸びた。
 どんどん大きくなっていくんだなぁ。
 いつの日か僕も、そして零も追い越されて気付いたときには手元から飛び立って行くのだろう。
 僕でさえこんな気持ちを抱くのだからママが可愛いがるのは当然だよね、うん。
「やっぱり夜はご飯食べないと物足りないよねぇ…」
 な・生意気〜!
 学校へ行くと色々悪影響もあるんだよね、まったく。
 本当に物足りないらしく、冷蔵庫のなかを物色し始めた。
 そのうち冷凍庫に買い置きしておいた冷凍食品を見付け出し、僕達にも食べるか確認してフライパンを火にかけた。
「よく食うなぁ」
 零の呆れ声。
「太るよ…」
 ぽつり、つぶやいた言葉にピクリ反応した。
 急いでコンロの火を止め、冷凍食品の『海老ピラフ』を元の場所へ戻した。
「ごちそうさまでしたぁ」
 そそくさと席を立ち片付けを始める。
「いつまでも座っていると未練が残るぅ」
 あはは、笑っちゃう。
 聖のキーワードは『太る』。
 クラスで苦手な子が太っているので、太ったら似てくると思っている。
 この子は母親が物凄く甘やかして育てたらしく我がままなのだ。…と言うのは聖から聞いた話の要約。
 さっさと洗い物を片付けて聖をバスルームへ押し込む。
 明日からまた忙しくなるので、今夜は聖を思いっきり甘やかすつもりだったけど…やめた。
 聖にはいつも通りに接することにした。
 だって今日甘えたら明日は寂しくなってしまうから。
 僕がそうだった、パパがいるときはベタベタくっ付いていたけど居ない時は寂しくて辛かったから。
 ばあちゃんは口煩く行儀がどうとか勉強はやったのかとか、色々注文を付けてくる。
 でも僕はいつでも学校から帰ったら宿題は直にやっちゃっていたし解らないことは先生に聞いたし、ばあちゃんに文句言われるような行儀悪いこともしなかったはずだけど、涼さんのところにせっせと通っていたのが気に入らなかったらしい。
 干渉されるのはとっても嫌だった。
 結局ばあちゃん達とは棟を別にすることになったけど、パパに言わせればその分僕がしっかりした子になったそうだ。
 お蔭でこの頃からパパが自然に僕に振舞ってくれる様になった気がする。
 ちっちゃい頃はパパのこと表では「裕ちゃん」って呼んでいたんだ、だけど何処でも「パパ」って呼んで良いって言ってくれたし、ってそんな機会は殆ど無かったけど。
 パパと出掛けた記憶って…撮影所?くらいかな。
「もうっ、聞いてる?陸っ。」
 隣りで聖が怒鳴っている。
 何時の間にバスルームから戻ってきたのだろう?
「ごめん、聞いてなかった。何?」
「だから、今日ね、クラスの女の子が陸の話しをしていたんだよ。『陸は絶対女の子だ』って。だから『春、授業参観に来たのが陸だよ』って教えてあげたらね、『あれは陸じゃない』って言い張るんだ。まぁ、確かにテレビと顔が違っていたからね、陸。」
「あのさ・・・学校で僕のことが話題になるの?」
「うん。『ACTIVE』人気あるよぉ、『お豆の歌』みんな好きだもん。」
 零が話題になるのは解るけど・・・僕が?何で?




「おはようございます。」
 テレビ局の入り口にいる警備員さんと受付嬢(零いわく、ここの女の子はレベルが高いそうです。)に、挨拶して通り抜ける。
 最初のころは何度も呼び止められて名前を書かされた。
 名前を見てやっと解ってもらえる…って感じだった。
 今でも時々他のテレビ局に行くと呼び止められる。
 そして『本物?』って聞くんだ…どーせ特徴無いですよ、はいはい。
 ふと、背後から囁く声。
 それはいつも零に向けて言われる言葉だったので当然零が駐車場からたどり着いたのだろうと、僕は振り向いた。
 誰もいない。
 ――気のせい?――
 自分に言い聞かせる。だって…
『いつ見ても素敵よね』
なんて、空耳だな。



「あのさ…いつも言ってるけど陸は魅力的だよ。女の子の言う『かっこいい』が何を指しているのかわかんないけど、その中性的なとこも無口なとこも…きれーな顔で挑発的なとこも良いと思う。大体、零に惚れられたっていう自信はないのかい?」
 控室にたどり着いたら珍しく隆弘くんが先に来ていた。
 僕は今入り口で感じた『違和感』をすぐに聞いたところの回答がこれだった。
「僕、魅力的…なの?だって隆弘くんみたいに上手に会話出来ないし…本当はこんな中途半端な顔立ちも嫌い。隆弘くんみたいな男っぽい精悍な顔に憧れてるんだ。太い眉・大きな口・浅黒い肌…いいなぁ。」
「そんな陸はイヤだ。」
 入り口にたって拗ねるような顔でこっちを見ている。
「ほら、彼氏もそう言ってるじゃん。」
 からかい口調…全く、こっちは真剣なのに。
「でも、自信ないんだ。」
 ちょっと作った表情で二人に視線をやる。
「スーパーをパニックにした張本人が何を言う。」
「でも…」
「何?なんの話?スーパーって?」
 隆弘くんに零が昨日の話をする。
「陸らしい」
 ……笑われた。
「答えは今日の出口で出るよ。」
 出口?なんで?



「おつかれー」
「っしたぁ。」
 様々な労いの声が飛び交い、無事収録が終わった。
 時刻は22時ちょっと過ぎ。
 心の中で目一杯、聖に謝りながら仕事を終える、いつものこと。いつか聖を一人っきりにしておく罪悪感から脱する日が来るのだろうか?
 その日は…聖が僕らの手元から飛び立つ時…駄目駄目、そんなこと考えると哀しくなっちゃう。
 無事に今日も仕事が出来ました、ありがとうございます。何もないのが一番……ん?
「陸、こっちきて。」
 突然血相を変えて林さんが飛び込んで来た。
 強引にウイッグを着けられ(物凄く格好悪い奴で表現出来ないよ)、汚いジーンズにシャツ…ADさんみたい?
「何?なんなの?」
「凄いよ、こっちが聞きたいよ、なんなんだよ。」
 林さん、パニクってる。
 とにかく彼の言うとおりにした。
 いつも使う出演者用の出入り口を使わずに、一般用の出入り口を目指しているようだ。
 ここで働く人は一般用を使う人が多いんだ。
 理由は…あっちは『出待ち』をしている女の子や男の子で溢れていて込み合っているから。
「お疲れ様でしたー。」
 スタジオでいつもお世話になるADさんに会って思わず声を掛けてしまった。
「マネージャー役の方が良かったかな?」
 じろり、睨まれた。
「先輩にお会いしたら挨拶しないと駄目なんです、ごめんなさい。」
 僕は与えられた役に成り切る。
「今はそれどころじゃない、弁当50個買い出しだ。」
 なんだ、林さんもやる気満々だね。
「出来るだけ堂々と歩くんだよ。表で斉木くんが待ってるから車に乗り込んで。」
 そう、このテレビ局の欠点は地下に駐車スペースが無いこと。
 必ず人目にさらされて駐車場に行かなければならない。
 おっといけない、斉木くんのこと話してなかった。
 新しいマネージャー…候補かな?つい最近採用したんだ。
 もともと学生時代バンドをやっててメジャーデビューを夢見るもののあっという間に仲間割れ。
 で、夢は諦められずバンドボーイ志望でやってきた。
 そこを林さんが上手くいいくるめ…もとい、説得して現在に至る。
 なんて説得したか教えてもらったんだけど、『君のルックスでは零くんには勝てない』だよ、普通こんなんじゃ納得しないよね?……もしかして僕がからかわれたのか?
 表の出口はぽつりぽつりとしか出待ちをしている人が居なくて、難無く車に乗り込んだ。
「みんなは大丈夫かな?」
 自分の思考で気分悪くなったので、斉木くんに話を振った。
「んーどうでしょう?野原さんがいないのに気付いたらみなさんもみくちゃですね。」
 斉木くんは僕より二つ年上。
 実紅ちゃんと同い年。
 だけど僕らのこと「さん」付けで呼ぶ。
 これも林さんの指示。
「昨日ですね、お昼の歌番組があるじゃないっすか、」
 ――あったっけ?――
「いつもまとめて録画しているやつっすよ、菅藤なんとかっていうお笑い芸人が司会の。」
 ――菅藤いちぢくさん、だね?――
「その番組一カ月位前に録画したじゃないっすか。」
 ――その時、斉木くんいたっけ?――
「いましたよー、林さんにとりあえず来てご覧って言われた翌日っす。」
 ――うわっ、なんで声に出して無いのに解るの?――
「以心伝心っす。」
 ――………――
 突然斉木くんは声をあげて笑い出した。
「すいません、冗談です、だって陸さんってば顔にすぐ出るから。ステージで不機嫌なのもどうしてかやっと解りました、可愛いいっすね。」
 涙を流しながら笑い転げている。
 やっと笑いを収めて気付いたらしい。
「すいません、今私、名前呼んじゃいました。」
 違うー、笑われて不愉快なんだってば。
「で、その番組で加月さん、野原さんの話したじゃないですか。」
「なにを?」
「『家では可愛いい』ってこと」
「そんなこと、言ってないよ。」
 確かに、一緒に暮らしていることは公になってる。
 でも『何も無いとこでこける』とか『リビングで独り言言ってる』とか『ゲームで登場人物が死ぬと泣いてる』とか、とにかく失敗談ばかりだったのに。
「失敗談が受けたらしくて『どじな陸が見たい』って女の子が集まっちゃったんす。大騒ぎっすよ、出口。」
「どこがいいのかわかんないね、それじゃ。」
 まったく、とほほだよ。
 とんとん
 窓ガラスをたたく音。
「誰だろ?」
「待ってください、私が。」
 そういって斉木くんは表に出た。

 何か話している声はするけど会話までは聞き取れない、余程小声で話しているのだろう。
 しばらくして斉木くんが車内に戻ってきた。
「ひとりづつ表玄関から出てるんっすけど、時間の経過とともに人が増えているらしくて。」
「僕、行くよ。」
「え?何言って…ちょっ、待ってよ、こらっ」
 ぷっ、言葉遣いが素に戻ってる。
 ドアを開けかけた瞬間だった、背後から…抱き締められた。
「お願いだからおとなしくしてて下さい。」
 この場合、何を指して「おとなしく」なのかな?
「僕が行けば収まるよ。」
「半端な数じゃないんです。今まで遠い存在にしか見ていなかった人が自分の身近にやってきた、って感じで。 零さんに憧れていたのに、陸さんに…」
 そこまで言って突然突き放す様に腕を離された。
「だから、ここでおとなしくしてて下さい。今、林さんが頑張ってますから。」
「でもね。」
 僕は斉木くんの瞳を見詰めた。
「僕のこと慕って来てくれたんだよ、こんな遅い時間まで待っててくれたんだよ。会えなかったらかなしいと思う。大好きな人に会えなかったら…」
 僕は変になりそうだった。
 零に会えない日々は地獄だった、だから会いに行った。
「やっぱり行ってくる。」
 今度は引き留められることが無いよう、素早くドアを開けて表に出た。
「陸」
 取り乱した斉木くんが追い掛けてくる。
「車、ちゃんとロックした?」
 振り返って声を掛ける。
「あ」
 慌てて運転席まで戻ってキーを抜く。
「全く、斉木くんってばおっちょこちょいなんだから。」
 きょとん、とした表情で僕を見る。
「行くよ?」
「あ、はい」
 僕は表玄関を目指して歩いた。
「僕だってさすがに向こうに行く勇気は無いよ。」
 斉木くんの方を向いて歩いていたので後ろ歩きになっていた。
 なので背後に神経を集中させていたつもりだったけど…ぶつかってしまった。
「ごめんなさいっ。」
 急いで振り向き、謝る。
 ぶつかった瞬間、相手は「いたーいっ。」と、叫んでいた。
 けど振り向いたとたん、無口になった。
「いえ、あ、全然、頑張って下さい。」
 支離滅裂。
「本当に、ごめんなさい。」
 再度謝罪の言葉を口にした。
「ねぇ、斉木くん。みんなもう帰ったかな?」
「あとは加月さんだけです。」
「そっか、じゃあ…」
 適当にその辺にいた子に声を掛けてみる。
「零、見なかった?」
「は・はい、見てませんっ。」
「そっか、さんきゅ。」
 再び斉木くんに声を掛ける。
「先帰るって電話入れとくね。帰ろ?」
 これだけ言っておけば平気だろう、30人くらいいたし。
 そのまま、車に戻った。
「何人くらい気付いたかな?」
「多分みんな気付いてたと思うんすけど、突然背後から現れたので茫然としていたのでは?」
「でも、僕が帰ったのは解ったよね。」
「たぶん」
 斉木くん、呆れてる。
「勢い良く出ていったから裏口に行くのかと思ったっす。」
「まさか。僕だってもみくちゃにされるのはいやだもん。」
「そうっすよね、それでこそ野原さんっす。」
「それってどんなの?」
「野原さんは『クール』なイメージです。」
「仏頂面なだけだよ。」
 零に注がれる視線に嫉妬しているだけ。
 そう思ってしばらくの間、無口になった僕に、何を勘違いしたのか

「解ってます。…林さんから聞きました。苦労されてるんですね。」
と、斉木くんがふってきた。
「なにが?」
「その…お母さんが…」
「いないこと?」」
「じゃなくて。加月さんのお母さんが野原さんのお母さん、なんですか?」
「斉木くん、この仕事、好き?」
「はい、大好きな音楽にかこまれててなんか天国です。これが天職だって思ったっす。」
「じゃあ」
 僕は零を待つ間、斉木くんに全てを話した。
「あ、じゃあ、兄弟だから同居しているんじゃなくて…恋人だから同棲…なんっすか…。」
「ごめん、気持ち悪かったかな?」
 顔面蒼白の斉木くんに僕は恐る恐る尋ねた。
「いえ、それ、解りますから。」
「ありがと。」
「…です。」
「何?」
「好きです、野原さんのこと。だから解ります。」
 ――何っ――
「教えて下さってありがとうございます。憧れで終えることが出来そうです…このままだったらきっと…襲ってました。そして天職と思った仕事失って…やっぱり野原さんが好きです。素敵です、だからクールなままでいて下さい。これ以上、ファンを増やさないで下さい。ACTIVEのファンで良かった。」
「斉木くん…」
「私が…」
 とんとん
 窓をノックする音。
「おまたせ、帰るよ。」
 零の笑顔。
 僕も釣られて笑顔になってしまう。
「あーあ、本当なんですね…」
 斉木くんがオーバーアクションでがっかりしたポーズをとった。
「なにが?」
 零の問いかけに斉木くんと僕は「秘密」とだけ言って笑った。
「加月さん、」
「ん?」
「世界制覇します、私が必ずACTIVEを世界に連れて行きます。」
「張り切ってるね。」
「はい」
 力強く返事を返した。
 でも。
「世界制覇って?」
「日本から世界に通用する音楽を発信しましょう。国内で満足してちゃ駄目です。」
「頑張れよ」
 零は一つだけ年下の斉木くんを眩しそうに見詰めた。
「それが斉木の夢なら、僕はとことん付き合ってあげるからさ。」
「はい」
 斉木くんの夢。
 きっとそれは自らが進もうとしていた道。



「一年後、絶対に僕の方が苦労するんだ。」
 斉木くんと別れた後、車内で零が独り言のように言った、けど明らかにそれは僕に向けられた言葉。
 だって零は気付いたはずだから、斉木くんが僕に気の有る素振りをしたことを。
 あんなの御愛想に決まっているのにね。
 でも…世界制覇かぁ…零なら、ううん、ACTIVEなら出来るような気がする。
 …その前に日本でもっともっと活躍出来るようにしないといけないんだけど、実力と実績があれば…なんて強気な発言はできませんっ。精進あるのみです。
 ACTIVEが今以上にメジャーになりますように、今以上に人気者になりますように。
 僕はその夜、ベッドの中でそう祈って眠りについた。
 明日もまた頑張らなくっちゃ。