君がすきだから。

 今迄、そんなこと考えもしなかった。
 だから当然予期せぬ出来事だったんだ。
 よく考えれば当たり前の事だったのにね。



 ディズニーのかわいい音楽が流れ、聖がすぐに立ち上がり、電話に駆け寄る。
「もしもし?零くんはいませーん。りっくんならいるよ、替わるね。」
 首をふるふると左右に振る、『知らない人』というサイン。
 まあ、『りっくん』って呼び方をする時はよそ行きなんだけどね。
 僕は受話器を受け取った。
「もしもし」
『零は?』
 むっ。
「生憎、不在ですが。ご用件ならお伝えします。」
 相手が女性で、しかも呼び捨てにされたことに腹が立ち、必要以上に事務的な口調で応対した。
『いいわよ、あんたじゃしょうがないもの』
 …あんた?
 …人の家に電話してて『あんた』かい。
『さっきのガキ、誰?』
 ぶちっ。
 あまりにも失礼な態度に僕の堪忍袋がブチ切れた。
「お前こそ誰なんだよ?名前くらい言えるんだろ?」
 だめだ…と、思っているのにぞんざいな口調、ああ、どうして僕はこんなに感情が表に出るんだぁ。
『いいわ、教えてあげる。その替わりあんた、そこから出ていって。あんたがいるから零がなかなか良いって言わないんだわ。』
「何のことだよ。」
『そういうこと。邪魔しないでくれる?』
 こいつ、なんなんだ、一体…あ。
「さえ…小峯さえだろ?」
『やっと気付いたの?この私が電話してあげているのに零がいないなんて失礼しちゃう。何処へ行ったのよ。』
「どうやってここの番号調べたんだ?」
『決まっているでしょ?零に教えてもらったのよ。』
「う…」
 慌てて掌で口を覆った。
 嘘、なんて言ってしまったらばれてしまう、僕たちが『同居』ではなく『同棲』だってこと。
『あんたと話しているとむかむかする。』
 そう言って彼女は電話を切った。
「誰?」
 聖が不安気に見上げる。
「小峯さえって知らない?高慢ちきなアイドル歌手。あんなにいばってどうする…って位いばってるんだ。親衛隊なんかがいるからかな?」
 パパが若かった頃、やっぱり『親衛隊』と呼ばれる追っ掛けの団体みたいのがいたらしいんだ。
 いつでもどこへでも現れるんだって。
 さえにはその親衛隊がついててお姫様扱い。
 だから自然と態度がでかくなってくるんだ。
「あの子、零が好きなんだ。」
 好き・・・そう、確かにいつもテレビ局で一緒になると零に一生懸命、話し掛けていた。
 好きな気持ちは仕方ないよね…だけど。
「むかつくー」
 思わず僕は地団駄を踏んだ。
「零と僕は、け、結婚するんだぞぉ。」
 悔しくて思わず口に出してしまった。
「そしたら、次は僕ぅ。」
 聖がにこにことして言う。



「ねー、失礼しちゃうだろ?」
「ごめん、本当なんだ。」
 夕方の小峯さえからの電話のことを零に話したら、こんな返事が戻ってきた。
「僕が教えた。」
「どうして?」
 リビングのソファーの上に置いてある、ママの手作りのパッチワーク・クッションをぎゅっと抱き締めた。
「だって…うるさいんだあの子。」
 本当にうるさそうな表情で溜め息をつく。
「あの子の事務所が大きいのと、恋愛は別だろう?なのに、『社長に言って一緒に仕事、出来ないようにするから』って言われた。僕だけの問題ではないからね、家で相手しようと思ったけど、今日だったのか…。」
 本当に困った顔で零が言う。
「零…零ってもてたんでしょ?」
 今ももてるけど。
「その時はどうしていたの?」
 零は俯いて頭を掻いた。
「…言わなかったっけ?」
 ン?
「全員…寝た、前のマンションに連れ込んで…。」
 あ…そう言っていたね、確か。
 僕の方が赤面しそう…。
「けど彼女はそれじゃあ、納得しないだろうな…」
 ――え?…納得しない?――
「零…もしかして…ずっとそうしていたの?」
 零は無言で頷いた。
「ごめん…他に方法が思い付かなくて…簡単だし。」
 瞬きをした瞬間、涙が零れた。
 …他の人を抱いた腕で、僕を抱いたの?
 僕の知らない人とキスした後、僕とキスしたんだ?
「仕方ないよね、…零は人気者だし…もてるし…」
 無理をして笑顔を作ろうとした。
 だけど頬が引き攣ってしまう。
「陸?」
「だけど…嫌だ…零の胸に顔を埋めて良いのは僕だけだって…あの日から零の腕の中に抱かれるのは僕だけだって…信じていた。」
 クッションが僕の涙を吸い取って行く。
「陸…?何か勘違いしていないか?」
 零の手が僕の肩に触れた。
 思わず僕は身体を引いてしまった。
「勘違いも何も、僕と結婚の約束までしてくれたのに…他の人と寝るんだ。零は自分の意志で僕以外の人とセックスするんだ…。」
 突然、腕の中からクッションが消えた。
 そして僕は零の腕の中に抱き締められていた。
「バカ…誰がそんなこと言ったんだよ。ちゃんと言っただろう?僕は陸のこと、諦める為に色んな人と付き合った、セックスしたって。…今は陸以外、抱けない…。そんなこと、勘違いでも思わないで欲しい。気がヘンになりそうだ…。」
 抱き締める腕に少し、力が加わる。
「零…キスして。」
 抱き締めた左腕の力を緩めることもせず、右手で僕の頭を強引に上向かせる。
「言われなくても…」
 唇が重なる。
 舌を絡め合う。
 息が出来ないほどきつく抱き締められ、激しく口付けを交わす。
 ふいに、零の腕の力が弛み、唇が離れた。
「駄目だ…我慢出来ない。」
 よいしょ…という掛け声と共に、僕は零の肩の上に抱え上げられていた。
「今夜は…覚悟しろよ。」



「陸、どっか痛いの?」
 「はい、腰が」…なんて言えない…。
「うん、ちょっとね。聖はちゃんと学校に行って来るんだよ。」
「はい。行って来ます。」
 聖の後姿を見て、思い出した。
「聖。」
「ん?」
 そう言って振り返った仕草が可愛い。
 僕が狼だったら絶対に食べちゃう…って違うよ。
「サンタさんにプレゼント頼んだ手紙、どうした?」
「手紙じゃなくて、電話した。」
「電話?」
「うん、二人がいないときに電話があったんだ。だからちゃんと言っといたよ。」
 えへへ、と笑顔で去って行った。
 誰だ?サンタを名乗ったのは?
 プレゼントどうしよう…。
 気になってベッドから這い出た。
 そこで全裸だったことに気付いて慌てる。
 シーツを剥いで洗濯機に放り込む。
 その間にも心当たりの人間を考えたが思い当たらない。
「いいこと、考えたんだ。」
 背後から零が僕を抱き締めた。
「それより大変なんだ、聖にサンタから電話が来たんだって。」
 背後で零がむっとする気配がした。
「僕さぁ、時々聖に思いっきり嫉妬しているんだけど…陸知っている?」
 零が僕の耳朶を甘噛みする。
「5年後がとっても心配なんだ。」
 スエットのズボンの中に、零の手が偲び込んでくる。
「あっ…」
 夕べ散々弄られて、何度となく放ち、やっと解放されたものが再び零の温かい掌の中で屹立する。
「駄目…また…イクっ…」
 ぎゅっ。
「えっ?何?…いやぁ…」
 根元をぎゅっと握り締められてしまった。
「サンタの正体は林さんの親父さんだよ。僕が頼んだんだ。」
 言いながら零は僕のズボンを脱がしてしまい、何時の間にか僕の半身は零の口の中で暴れまわっていた…恥ずかしい〜。



「で?いいことって何?」
 結局、再びベッドまで連れて行かれて、好き放題されて、ぐったりした身体を投げ出したまま零に聞いた。
「実は陸は女の子なんだ。」
 零はベッドの上に胡座をかいて座ったまま、その辺に散らばっている服をかき集めている。
「は?」
「だからさえだよ、さえ。」
 …馬鹿馬鹿しい。
 ずっとそれで誤魔化すつもりなのかな?
「無理だよ…僕はさえの前でいつも女の子を演じるの?」
「違うよ、『本当は女の子だけど男の子の振りをしている』んだから、全然平気なんだよ、今のままで。あの子さ、単純でね、すぐに騙されるんだよ。」
「じゃあどうして今まで騙せなかったの?」
「う…」
 手元に集まった服を黙って身に付け、零は再び考え込んでしまった。
「正直に話した方がいいと思う。零には好きな人がいるから、その人と一緒に歩きたい…って。」
「言ったよ、そんなこと。そうしたら会わせろって言うんだ。」
「…いいよ、僕。」
「陸?」
「会ってあげる。今からここに呼んで良いよ。」
「ここに?」
「1回来れば、納得するだろう?僕達が同居ではなく同棲だってこと。僕は二人のこと隠すつもりはないからね。」
 隠すつもりが無いのは本当だけど、聖のことが心配なんだ。
 このことが世の中に知れ渡ってしまったら僕達は別の意味で有名になってしまう。
 いやなんだそれが。
 僕は『ACTIVE』の音楽が認められて、有名になりたい。
 やっと最近、街の中で音が流れる様になったのに。
 リビングで電話が鳴ると、数秒遅れで部屋の子機が鳴り始める。
 零が黙って受話器を取った。
「うん、そうだよ。…だから、」
 僕は零から受話器を取り上げた。
『ねぇ零、良いでしょ?』
 受話器の向こうからは、さえの声。
「いい加減にして。零は迷惑している。」
『またあんたなの?どうして邪魔するの?』
「それは…」
 一瞬、躊躇った。
 僕が言って良いのか、悩んだ。
「僕が…零を好きだから。」
『…好き?陸が零を?』
「うん」
『零に、変わって。』
 悲鳴の様に叫びながら、彼女は言った。
「ごめん…」
 そう言って受話器を零に渡す。
「うん…好きだ。黙っててごめん。だけど言っても理解してくれないだろう?君の好意は嬉しいけど、やっぱり陸が好きだから。」
 しばらく、静かに零は彼女と話し続けていた。

 
受話器を置き、僕に向き直った。
「分かってくれたみたいだ。」
 ニッコリ、微笑んだ。
 零の話しを要約すると、彼女は別に軽蔑したりすることは無かったそうだ。
 昨日の電話の雰囲気で、なんとなく察したらしい。
 とりあえず、電話をするのは止めるそうだ。
「だけど好きな気持ちは変わらないって言っていた。」
「うん。」
 僕だって聖が生まれても零が好きな気持ちは変わらなかった。
 流石に動揺したけど。



 二人でバスルームに行き、一緒にシャワーを浴びた。
 これ以上じゃれあっていると仕事に間に合わなくなるので、慌てて家を飛び出す結果となったけどね。
 今日の仕事はテレビ局の歌番組で生放送、テレビの仕事がすごく増えたような気がする。
 さえに、会った。
 彼女は僕の顔を見て一瞬驚いたように瞳を大きく見開いたが、「…確かに、美人だもんね、陸は。」と、すれ違いざま言った。
 しかし、その後「いやん、零ったらぁ〜。」と、いつもの調子で鼻に掛かった声でじゃれ付いているのを見てしまった。殴ってやりたい…。
「陸。」
 林さんが僕を見つけて走ってきた。
「はい、これ。」
「何?」
「サンタからのプレゼント。聖ちゃんのだよ。」
「わぁ、ありがとう。で、何?」
「それはサンタしか知らないんだよ。」
「それじゃ、お金が払えない…。」
「サンタはお金、いらないんじゃないかな?」
「でも…」
「良いって、気にしない気にしない。…親父喜んでいた。電話の向こうの聖ちゃんがとっても上手に応対しているのが気に入ったんだって。このまま真っ直ぐ育って欲しいって言っていた。」
 林さんに手渡されたものは、大きくてずっしりと重かった。
「そうそう、これは零に届いた手紙、でこっちは陸のだから。」
 いつもは事務所で手渡されるファンレターを何故か今日はこんな所で渡された。どうして?って顔で林さんの目を見た。
「だって今日で仕事納めじゃないか。」
「…そうだっけ?」
「まぁ、とりあえずだけどさ。次は12月31日の午後11時55分ジャストに集まらなきゃいけないんだからさ
。」
 楽しそうに林さんは言うけどその仕事、めちゃくちゃ大変なんだけど。
 僕の手の中には聖へのプレゼントと零へのファンレターと僕へのファンレター。
 零へのファンレターを1枚だけ裏返して読んでみた。
 …そうか、この子は零の歌声で失恋から立ち直ったんだ、良かったね。
 こんな風に零の歌声が大勢の人の気持ちを、優しくしたり慰めたり元気ずけたりしているってなんて素敵なんだろう。
 でも…僕は小峯さえのことで不覚にも零の前で泣いちゃったけど、零は僕のことでいっぱい、心の中で泣いたのかもしれない。
 ごめんね。
 もう、嫉妬したりしないから。
 そして僕も零が心配しない様に、軽率な行動はしないからね。
 控室のロッカーに、林さんから預かった荷物を入れて、僕は仕事モードに顔を、そして頭の中を切り替える。
 ここから先の僕はミュージシャンだから。


 クリスマス・イブ。
 今夜は1分でも早く家に帰ろう。
 そしてささやかで良いから、パーティーをしよう。



『メリークリスマス』


「ねぇねぇ、本当にサンタさん、いるんだね。」
 嬉しそうに僕達の顔を見上げる聖。
「どうして?」
「だってね。」
 ふふふ…と、笑いながら部屋に戻って聖が僕達の前に出してきた物は…。
「これでおうちでも焼肉が出来るねー。」
 …焼肉プレートだった。
 日に日に、所帯じみていく、聖…。
 ちょっと不安。