「やだ、歌えない。」
零は一言そう言うとスタジオから出て行った。
僕はあっけにとられてただ立ち尽くしていた。
「久しぶりだな、零女王様のわがまま」
「陸が来て始めてだろ?」
僕は黙って首を縦に振る、あんな勝手なこと言う零は始めて見た。
家でも我侭放題にしていてもこんな勝手は言わない。
時間は10分だけ前に戻る。
新曲の発表が決まり、まずどのアレンジにしようかと、とりあえずいつものスタジオで相談を兼ねた音合わせ。
今日はいつもより張り切っている零(理由は言わない)が、珍しくギターを持って鼻歌を歌っていた。
遅刻して斉木君が駆け込んできたときは「女連れ込んでいちゃいちゃしてたんだろ?」なんて軽く言っていたのに、「違います」と断言されてから少し不機嫌になった。
僕のアレンジと初ちゃんのアレンジを組み合わせてさらに剛史君が微調整…僕は斉木君と明日のスケジュールに関して説明してもらっていたら突然
「出だしさぁ、もっと柔らかくしてさ、不思議な雰囲気に出来ない?」
なんて言ってきた。
「不思議じゃわからない、もっと具体的に言ってくれ」
確かに尤もな意見を初ちゃんに言われるとさっきまで弾いていたギター(僕のだけど)を抱えてメロディーを奏でた。
「こんな感じで」
と返した。
「出だしがそれだと全体的にまとまらない、却下だな」
……で初めにつながる。
一体、何が気に入らなかったんだろう。
その日、僕は斉木君に家まで送ってもらった。
「陸さん、免許取らないんですか?」
「んー欲しいけど今のところ必要ないんだよね。帰りは大抵零と一緒だし、駄目なら誰かが送ってくれるし。」
「その誰かが狼だったらどうするんですか?」
は?
「僕だって隙あらばってクチですからね、安心しないでくださいよ。」
そして斉木君はバックから週刊誌を取り出した。
「38ページを見てください。」
やだな、こんなえっちな雑誌…って?
「男が寝てみたい男?なんで僕?」
その雑誌には男性読者アンケートの結果が出ていて、『恋人にしたいアイドル』とか『寝てみたい芸能人』なんかが出ていた。で、その一項目に『寝てみたい男』っていうのがあったんだ。
「陸さんが5位に入っているんです、その意味分かりますか?」
「僕って男好きする顔?」
「顔よりも身体かな?色っぽいんですよね、腰と背中のラインとかちっちゃなお尻とか。一回でいいから思いっきり泣かしてみたいって思っちゃうんだよな…」
だって…これ以上太れないんだもん。ちなみに零が10位に入っていたんだけど、どうしてそっちには触れないわけ?
「だから、最善の注意はしてください。僕だって陸さんを守りきれる自信はないです、申し訳ないけど。」
がーん…
「分かったよ…免許取るよ…」
しかし。斉木くんが見せてくれた雑誌は男性向けの雑誌であって、決して女性向けではない。
女性の間では僕のような恋愛をしている人たちを喜んでいる(でも実際にそんな場面に出くわしたり、現実に突きつけられたら嫌悪な表情をする)けど、男性の間で『同性愛』なんて受け入れられるのだろうか?
「陸さん、男なんて誰でもいいんじゃないんですかね?可愛い顔した子なら、勃つモンは勃つし、入れられれば同じモノが付いてても電気消して見えなきゃ平気なんじゃないかな?」
がーん…。
「女の子の代用品…なの?」
「多分…陸さんだったらきっと鳴き声だって可愛いだろうから、大抵の男は出来ると思いますけどね。」
「僕…可愛いって言われるの好きじゃない。」
すると斉木くんは思いっきりびっくりした顔で言った。
「そりゃあ、無理ですよ。僕は陸さんに今でも片想いしているんです、陸さんが世界で一番可愛いと信じています。」
…これって…これって…さっき言っていた狼に変身?
前触れもなくブレーキを踏んだので、僕は前のめりになった。
斉木くんは黙って、素早く右手でシートベルトを外し、僕の身体の上に身体を重ねてきた。
僕は左手でモタモタしていたのでシートベルトを外すことも出来ずに、斉木くんの身体を身体で受け止めることになってしまった。
「人の恋路、邪魔しないでください。」
右手でいつの間にか窓を開けていた彼は、外にいた(らしい)人影に話しかけていた。
微かに人の気配がした。
「キスして…いいですか?」
今度は僕に言ったらしい。
「駄目」
「したい」
「…明日から、どんな顔して会うの?」
「今まで通りにしていてください。僕はあなたを零さんから奪いたい。」
斉木くんの顔がゆっくりと近づいてきた、必死で顔を背けて遣り過す。
「目、離していたらこんなことになっても知りませんよ。」
再び、斉木くんは外の人影に話しかけた…って誰がいるんだろう?
僕には全然見えない。
外からドアが開けられた。
「いい加減にしねーと、クビにするぞ。」
「零さんがそんなこと言ったって、絶対に陸さんが庇ってくれるから大丈夫です、ね?陸さん。」
零…さん?
「陸っ、馬鹿が移るから離れろっ」
思い切り僕の身体は車外へと引っ張り出された。
「零さんがいけないんです。…僕はちゃんとはっきり零さんに告白したのに…どうして陸さんの前であんなこと言ったんですか?」
何?何のこと?
「…ごめん…つい…自分のほうが優位に立っているって優越感に浸っていた…」
「…そんな自信家なとこ、僕は尊敬しているんですけど、今回だけは許せません。」
そう言った斉木くんは、ゆっくりと車から降りてくると、僕の身体を零から奪い取るように力ずくで引き離し、自分の腕の中に収めると、瞬きする間もなく、唇を重ねられたのだった。
そして思いっきり力強く抱きしめられて、僕の耳に「愛しています」と囁いたのだった。
気づいたときには僕の身体は零の腕の中にあった。
「今度からは絶対にあんなこと言わないでください。例え陸さんが気付いていなくても嫌なんです。」
「僕だって嫌だよ…」
拗ねたように零が呟いた。
そのまま斉木くんは車に乗り込むとさっさと帰っていった。
僕たちは少し離れた場所に置いてあった零の車で家路に着いたのだった。
「ごめん、本当にごめん。」
帰るなり零は僕に謝り続けた。
「斉木には聞いていたんだ、陸が好きだってことを。だけど陸は僕のことが好きだから見ているだけで我慢するから、絶対に陸を泣かせるようなことはしないでくれって…。それと陸にもちゃんと好きな気持ちは伝えたから、でもずっと好きでいたいから恋人は作らないって言ったんだよ。」
…わかんない?
「昼間、僕が女連れ込んでたから遅刻したって言っただろう?それが気に入らなかったらしい。僕だって嫌だよ、何時だってあいつ、陸のことばっかり見ているんだ…穴が開くんじゃないかって位いつでも陸のことばっかり見ている…嫌だ…」
僕を抱き寄せ、右手で身体の感じる部分に触れる。
「陸がこんな風に反応するのは僕だけだって信じたい…」
…零…この間、僕が零以外の人とセックスしてみたいなんて言ったから、気にしている?
「今すぐ、陸が欲しい、すぐに…」
「待って…聖が起きている…」
「僕に、我慢しろって言うの?」
僕の右手が導かれ、零が最も充血している部分にあてがわれた。
「熱い…」
「静めてくれ。」
ベッドに上半身だけ沈めて、下半身は零の手によって露にされた。
ベッドボードに常備されている潤滑ゼリーを左手の指に絡め取ると、性急に塗り込める。
自分にもたっぷりと塗りつけると、バックから有無を言わさずに突き入れる。
「ううっ…んっ」
布団に顔を埋めて、外に漏れないように必死で声を抑える。
それでも後から後から、喘ぎ声は漏れてきて、気づいたら布団はよだれでべちょべちょになっていた。
「うぁん、あんっ…あんっ…」
獣のようなセックス。
零の抽挿は飽くなく続く…。
「あーっ…あっあっ、でちゃうぅっ、零、もう出ちゃうよ、あっあっあ…」
僕の白濁した欲望は床を汚す程滴り落ちた。
零の抽挿は同一テンポで続いていたが、突然早くなり「イクッ、陸の中で…出るっ」と言うと熱いドロドロとした液体を僕の奥深くに注ぎ込み、果てた。
セックスが終わり、お互いに自分の姿を見て笑ってしまった。
僕は下半身だけ脱がされていて零は前たてを開けただけなのだ。
本当にただ身体を繋ぐために必要最小限のものを外しただけだった。
「零ってばえっちなんだから。さてと、早く御飯、食べよう。」
そう言って僕は部屋を出た。
零が好き、愛してる…だけど何かが微妙にずれてきている気がする…僕の中で。
「ごめんね…」
最近は困ったことがあると、隆弘くんに相談してしまう。
一番歳が近いのもあるけど、何か安心するんだ。
今も隆弘くんの部屋まで押しかけてきている。
「一時間だけだからな、そのあと恋人に会うからさ。」
そっか、隆弘くんには恋人がいるんだよね。
「隆弘くんの恋人ってどんな人?」
「陸には教えない。」
言うなり、抱きすくめられる。
「昨日の帰り、斉木くんとキスした?」
ドキッ
「何で知っているの?」
「カマかけた、あいつ陸にイカレてるじゃん、『今日はチャンスだぞ』って教えてやったんだ。この間は僕が零にやられたからな。」
そっか、隆弘くんだったのか…
「でも王子様は現れたんだろう?あの様子じゃ…」
昼間、レコーディングルームではしゃぎながらコーラスを録っていた様子を言っているようだ。
確かに今朝も、零は上機嫌だった。
大抵、零は前夜に僕とセックスすると翌日ははしゃいでいる。
しなかった日はあからさまに機嫌が悪い。
「だけど、陸の悩みは贅沢だな。恋焦がれた王子様を手に入れたのに、何かが違うと思うなんて。」
「やっぱり贅沢なんだ…」
「そりゃあ、そうだよ。僕なんていくら恋焦がれても相手にだってしてくれないじゃんか。」
「何言ってんだよ、恋人が居るのに?」
「恋愛ってなかなか思うようには行かないんだからさ。零には零の想いがあって、陸には陸の想いがある。相思相愛だって考えが違うし価値観だって違う。大体、同じ考えの人同士がカップルになったって、面白くないじゃん。…奴はさ、すっげー我侭なんだよ。こっちはめちゃくちゃ我慢しているのにさ。そうしたら今度はあっちが言うんだ、『隆弘はいっつも我侭言うから疲れる』ってさ。あぁそうか、お互いに好きでいても共感できない事や我慢しなければいけないことがあるんだなっ思ったんだよね。陸は聖くんを引き取って一生懸命頑張っているじゃん?そんなことや零の我侭が段々身体の中にたまってイライラするんじゃないか?」
フルフル…僕は大きく首を左右に振った。
「僕、我慢なんてしていない、頑張ってもいない。僕に家族らしい家族は居ないんだ。いつだって仕事でいないパパ、世間体を気にしている祖父母。母親だと言うくせに自分にはちゃんとした家族があるママ。皆僕を愛しているとは言うけど、それは都合のいいときだけなんだよね。聖は僕を信じてくれている、だからちゃんと愛してあげられるんだ。僕の愛を無条件で受け入れてくれるのは聖だけだから。零の気持ちはやっぱりわからない。零が口に出してくれなきゃ、信じられない。態度で示すのはセックスするときだけ、そんな気がするんだ。」
「ふーん…そっか。じゃあ暫く離れてみたらどうなんだ?」
そう言われて僕は心臓がチクリ…と痛んだ。
「離れる…」
考えてみたこともなかった、零から離れるなんて。
「考えておく」
そこから先、僕はどうやって家に帰ったのか良く覚えていない。
気づいたら玄関の前に立って、鍵を探していた。
「零、話があるんだ。」
その晩、僕は思い切って零に自分の気持ちを話すことにした。
二人でベッドに腰掛けて、上手く話せない僕の気持ちを精一杯の思いで打ち明けた。
「…陸にとって僕との理想の関係ってどんなものなんだ?」
全て話し終え、そう聞かれて僕は返答に困った。
「理想…なんてないよ。ただね、ただ…何かが違うんだ。零のことは今だって…ううん、僕は昔より今のほうがずっと好き、愛してる。だけど…あ…」
わかった。
やっとわかった。
「零、ごめん。僕解ったよ。」
そのまま甘えながら零の腰に抱きついた。
「これが、したかったんだ。僕零に甘えたかったんだ。」
最近、仕事に追われていたり、家のごたごたがあったりして気持ちがイライラしていて…だから変なことを考えてしまったりしていたんだ。
「でね、もっともっと、零にも甘えて欲しいんだ。ACTIVEの皆には色んな我侭言ってたみたいなのに、僕には全然言ってくれない。なんか悔しい、僕だけのけ者にされているようで悔しかったんだ。」
一緒に暮らしてしまったから、気づかなかったこと。
いつも相手のことを気遣ってしまって出来なかったこと。
僕が欲しかったのはそんなことだったんだ。
「我侭だったらいくらだって言えるよ、『毎晩、陸が抱きたい。』だけど駄目って言うだろう?」
僕の髪をなでながら零はいつもより優しい声音で囁く。
「ううん、いいよ。無理矢理したっていい、僕だって本当はいつも零を感じていたいんだ、でも理性が先に立っていてなかなか自分が出てこないんだよね。いつもは聖を理由にしているけど僕だって一杯一杯、零とセックスしたい。」
ああ、どうしてこんなに簡単にことがわからないんだろう。
こんなことでモヤモヤしていたりイライラしていたのが馬鹿みたいだ。
「零がね、一杯僕を満たしてくれたら、いいんだよね。」
零が、照れくさそうに微笑んだ。
そう、零が僕を満たしてくれていれば、零だって満たされているはずなんだ。
「おはようっ、聖。」
ビクッ、と肩を震わせた。
「どうしたの?」
「お゛・お゛は゛よ゛う゛…」
小さな声で、俯いたまま振り向きもせず洗面台で歯を磨き続けている。
「聖?」
背中から抱きしめる。
鏡越しに自分の顔を見て、ちょっと驚く。
「あちゃ…どうしようかな…」
首筋にはっきりと解る、充血の痕。
「夜、陸の声、すっごく聞こえた…」
「え…」
僕はもう、迷わない。
「そっか、聞こえちゃったか。でも仕方ないよね、僕たち愛し合っているから。聖にもちゃんと教えてあげたよね。」
震える手でコップを掴み、うがいをした。
「おはようのキス、して?」
聖の小さな手が、僕の肩に掛かってそっと唇を重ねる。
「いい子だね、聖。」
思いっきり聖の好きなぎゅっ、をしてあげようね。
「朝ご飯、出来てるからね、ちゃんと食べてから出かけるんだよ。」
うん、相変わらず小さな声で返事が返ってきた。
この日の聖の気持ちは、ずっとずっと後になって、聖から聞かされることになる。
「ほら、こっちのが断然いいだろ?」
零はついに自分の意見を貫き通した。
一昨日の新曲は零の思い付きから出たイメージで作り上げられたのだった。
「絶対にこの曲は受け入れられるから。僕を信じて。」
「零は昔から音のことになると我侭になるからな。」
…音?
じゃあプライベートでは僕にだけ?
なんかちょっとだけホッとした。
女王様の自信満々の宣言は、後日、本当のことになったのだ。
この日からきっちり二ヵ月後、僕らの世界は一変した。
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