スタートラインは寝不足の始まり
「あれは駐車禁止…だよね?」
「…車両通行止め」
 う…零がものすごく呆れた声で言うから、僕はひたすら落ち込んでしまった。
 零が運転する車の助手席で、僕は道路標識を見つけては零に答えを求める。
「陸はただぼんやりと助手席に座ってたんだ、お仕置きだな。」
 そう言って信号で停まるとすばやく唇を重ねる。
「!!零っ、昼間っから誰かに見つかったらどうするんだよ〜」
「そのためにフィルム貼ったんじゃないか」
「…これ、違法だよ」
「そんなことは覚えたんだ。」
 先月から僕は自動車教習所に通っている。
 本格的に車の免許を取ることにしたんだ。
 そうすれば聖ともっと一杯デートできるからね。
 ただし、今は休みというと教習所にいるから、あんまり聖に会えない。
「今日発売のシングル、ビュート〈謬頭〉のジャケ写(ジャケット写真)、いい感じに出来たよね。」
 雲行きが怪しくなってきたので、僕は話題を切り替えた。
 ちなみに新曲はこの間零が我侭言って作り上げたやつです。
「今回のタイトルは国語辞典と相談したの?」
 零に突っ込まれた。
「ううん、音がさ、よくない?『ビュート』って。『ビート』じゃなくて『ビュート』。強引に意味を持たせようと思って国語辞典を開いたら『謬』が『間違い』っていう意味で、『頭』ははじめ。だから『間違いの始まり』、いいでしょ?」
 駐車場に着いたのでバックに入れながら「そうだな」と答える。
「僕は今回の歌詞、陸のがまじで一番気に入ったんだ。」
「初ちゃんもこの間そう言ってくれたよ」
「最近の陸、詞に対しての取り組み方が今までと違うよな」
「そうかな?」
「うん」
 えへへ、なんか嬉しい。
 確かにここ何ヶ月か、僕は今まで以上に真剣に『詞』に力を入れている。
 特に日本語に重点を置いているんだ。
 だって日本語って綺麗だよね、正しく使えていれば。
 そんな所を表現できればと思い、一杯資料を買ったり、ネットで調べたりしたんだ。
「そうそう、ジャケ写で思い出したけどさ、陸、背が伸びた?」
「え?」
 知らない、そんなの。
「帰ったら測ってみよう。」
 うん、測ってみよう、すっごく気になるよ。


 マンションに帰り着くと早速リビングの壁で即席の身長計を作る…といったって、ただメジャーを合わせただけなんだけどさ。
「本当だ、1.5cm伸びてる…気づかなかった。パンツは全然変ってないから胴が伸びたのかな?なんか悲しいけど…」
「言っただろう、男は20歳になっても伸びるって。この間さ、陸と剛志が並んだ時、今までと陸の頭の位置が微妙に違うことに気づいたんだ。」
「僕もぉー」
 聖が横で僕のTシャツの裾を引っ張っている。
「えっと…」
「137cmだよ、すごい。」
 伸びているのは知っていたけど、実際に数字で見るとびっくりしてしまう。
 確か小学校に入学したばかりの頃は110cm台だったよね。
「すぐに服が着れなくなるわけだね。いらなくなった服は全部拓にあげちゃおう。」
「まだ拓は一歳になったばかりじゃないか。」
「大丈夫、少しくらい大きくたって沢山有ったほうがいいんだよ。どうせ家にはもう小さい子供はいないからさ、拓にあげちゃうんだ。」
 そして又可愛い服を沢山買ってあげるからね。
「裕二さんが買っているんじゃないのか?涼ちゃんとあきらちゃんだって絶対に着せ替え人形のように出入りして着替えさせているはずだよ。」
 …確かに…
「じゃあ、幼稚園のバザー用に寄付しようかな。零のサインつきで。」
「アホ…それより陸の服をライブの時にプレゼントしたら?争奪戦になっちゃうかもよ」
 ふふふ、と不敵に笑って、零はベッドルームに着替えに行った。
 これが僕らの日常生活…だったのだが…



 ピロンピロン、ピロンピロン…
 遠くで音がする…目覚ましかな?
 もう起きる時間なんだ…手を伸ばして時計を探したがふと気づいた、あれは電話の音。
 ベッド脇に置いた携帯電話を取る。
「もしもし…」
 かなり寝ぼけた声で返事をした。
「陸?大変だっ、昨日一日で5万取ったんだよ」
 林さんがとっても慌てた声で叫んでいた。
「5万取った?何?盗まれたの?」
「何寝ぼけているんだよ、昨日の『ビュート』の売り上げが5万枚あったんだよ、完売。しかもまだ予約が殺到している。」
「??売れたの?新曲…」
 僕はあんまり自分たちのシングルが今までどれくらい売れたとか、知らないんだ。
「デイリーシングルチャート一位なんだってば。」
 一位、と言われてやっと解った。
「ビュート?一位なの?」
 その声で零も飛び起きた。
「一位?本当に?」
 僕の手から携帯電話を奪い取って言った。
「解った、すぐに行く」
 ピッ、と音を立て、電話は切れた。
「陸、やったよ、ビュートが一位だ。これからレコード会社に行くから、すぐに支度して。」
 …教習所、行けなくなっちゃうかな、なんてどうでも良いことが僕には気がかりだった。


「どうして急に売れたんだろう?」
「斉木くん、頑張っていたからね。『発売を延期してくれ』とまで言って、営業していたからさ。」
 そうなんだ、最初このシングルは一ヶ月以上前に出す予定だったんだけど、斉木くんがいい考えがあるから、4月になるまで待ってくれって言ったんだよね。
 で、何がいい考えだったかって言うと、前回同様、タイアップ作戦。
 だけど連続ドラマの主題歌だったんだ…小峯さえ主演なんだけどさ。
「何か嬉しくない〜」
「さえって人気あるんだなぁ・・・」
 僕の私情入りまくりの感想に比べて、零は至って呑気。
「絶対又あの女、零に絡んでくるよなぁ・・・」


「零っ、おめでとう〜やっと私に釣り合う程度に売れてくれたのね〜でもこれも私の力かしら?」
 …久しぶりにムカつく!!
 やっぱりいたのかよぉ、相変わらず媚売りまくりのポーズで零に近づいてくる。
「でもね、今の私は昔とは違うのよぉ。」
 ふふんっ、と僕に挑発するように笑う。
「見て」
 そう言うと思いっきり胸を反らせた。
「どう?」
「?」
「分からないの?じゃあ、こっちは?」
 今度は僕の前に顔を近づけた。
「なんだ、整形したのか・・・ってことは豊胸手術もしたってこと?」
 すると見る間に顔を真っ赤にして彼女は怒り始めた。
「馬鹿にしないでよねっ。胸はダイエットと運動で大きくしたのっ。顔はマッサージで小さくしたのよっ」
 …はぁ…どうしてこの女は僕にばかり突っかかってくるんだろう、疲れるなぁ。
「男に揉んでもらったんだろ?」
 ふいに背後から声がした。
「剛志君っ、げ・下品なこと言わないでよっ」
 僕まで小峯さや口調になってしまった。
「本当にっ、失礼な人っ」
 ぷんぷん怒って彼女は部屋の隅に行ってしまった。
「気をつけろ、あの女、陸にターゲットを変えたぞ。」
「えっ?」
「元々、零じゃなかったのかもしれない」
 すると今まで黙って聞いていた零が身を乗り出してきた。
「大丈夫だよ、僕が陸の貞操は守ってあげる。」
 にっこり微笑まれたけど、僕の貞操?
 零が言うの?
 …とっくの昔になくしているけど。
 さて。
 何故に小峯さやまで此処にいるのか、それは一応彼女も歌を歌っていて、同じレコード会社の上、それが剛志君の書いたものだったりする。
「小峯さんとACTIVEの関係をもっと強めようかと思うんです。そのためにはもう一曲、小峯さんに曲を提供して今回の『ビュート』を持って歌番組で共演させてもらうんです。」
 そう言ったのはなんと斉木くん。
「その企画は…」
 初ちゃんがびっくりした顔で斉木くんに聞く。
「もう上には通してあります、あとは曲を完成させて、と思ったのですが、僕的には『selection selection』のアレンジを変えて…」
「えーっ、あれをさえが歌うの?」
「えーって何よっ、ムカつくわね、あんたっ」
 僕のクレームにさえが食って掛かってきた。
「私は嫌よ、陸の作った歌なんて絶対に歌わない」
 プイッと横を向いた。
「さえちゃん、さんきゅ」
と、初ちゃんが何故か彼女に礼を言った。
「『selection selection』ってファーストアルバムに収録されている曲で、まだデビュー前のライブでしか演っていないのに知っててくれたんだね。」
 …そっか、そうだよね。
 この曲、テレビでも歌ってなくて、CD買ってくれなきゃ知らない曲だもん。
 それを知っててしかも僕の作った曲って知っているんだから、買ってくれたんだよね。
「あったりまえじゃないっ、私、ACTIVEがデビュー前するから零のファンだもん・・・アマチュアの頃、ライブハウスで見たんだもんっ」
 再び、大きくなったらしい胸をグンと反らして鼻高々…といった態度で上から物を言う。
「ライブハウスって、さえちゃんが来たの?」
 初ちゃんはびっくりしたようだ。
「…零の歌を聴いて、私も歌手になりたいって思ったのよ、悪い?」
「全然。ありがとう。」
 僕はおもわず小峯さえの手を握ってお礼を言っていた。
「零の歌って、一度生で聴いちゃうと絶対に忘れられないよねぇ…」
 僕は相当うっとりとして言っていたのだろう、「ばっかみたい」と顔を背けられてしまった。
「じゃあ『LoveSong』でいいんじゃないか?」
「待って、あれは…」
 あの曲はまだ僕たちが付き合い始める前に零が僕のことを思って作ってくれたって言っていた曲だから、出来れば他人に譲りたくないのに、
「いいじゃん」
と、隆弘くんの発声により満場一致で決定していた。
「さえ、言っておくけどこの曲は僕の大事な想い出が一杯詰まった曲だから大切に歌ってくれないと困る」
 零が小峯さえに向かって言った、そして
「アレンジとプロデュースも僕がやっていいでしょうか?」
と、レコード会社のさえ担当者に聞いた。
 勿論返事はOK。
「レコーディングの予定は?」
「来週ですけど…」
「わかりました…それと…」
 零は斉木くんに目で合図した、それに斉木くんが応じる、…何かちょっとムッとするのは僕が嫉妬しているから…。
「初、僕は『ビュート』にACTIVEのバンド生命を掛ける、いいだろう?」
「ああ、俺はいつだって心中できる。」
 初ちゃんが頷く。
「林さん、入れられるだけテレビの仕事取ってください。歌番組でプロモーションビデオを流すところはバラの出演が可能か確認して下さい、全て誰かが出演したいと思っています。それとこれから三週間後に押さえられるライブハウス、何処でもいいので今日中にお願いします、今夜のラジオで告知します。…陸はちゃんと時間を作って教習所に行くこと。勿論仕事も目一杯入るから、きっちり調整するんだぞ。」
「は・はい」
 いつもの零とは別人のように…いや、多分林さん、斉木くんとは打ち合わせ済みだったんだろう、テキパキと僕たちに指示を出していく。一位獲得用のVTRを撮影後、僕たちはそれぞれの担当に散っていった。僕は教習所に行くために一度家に帰る。零はこのまま残ってさえ用の曲に取り掛かる。
「あ、そうそう。陸。」
 零がいないので電車で帰ろうとしていたところを呼び止められた。
「聖はしばらく加月の家に預けてくれるかな。それと帰りは誰かに送ってもらうんだぞ、絶対電車は駄目だからな…斉木も却下だ。」
「零くん、私が送るから心配しなくていい。」
 林さんがにっこり微笑んで合図した。
 流石に零も苦笑していた。
「今回は斉木が仕切ってくれるから、私は用事が無いんだ。」
と、言いつつも嬉しそうだ。
 きっと林さんが斉木くんに指示したんだろうな…まるで斉木くんが考え出したようにして、林さんが上手く操縦する…得意技だもんね。


 林さんの車の助手席で僕はノートパソコンを開いた。
「『ACTIVE、悲願の一位奪取』だって、凄いよ、トップニュースに出ている。」
 インターネットの芸能ニュースを開くと、どこにも同様の記事が出ていた。
「もうしばらくしたら、零のコメントが載るんだよね。」
「陸ちゃんのも載るよ」
 正面を向いたままニヤリと微笑む。
「陸ちゃんだってACTIVEのメンバーだし、十分注目を浴びているんだけどな。自覚が全然無いでしょ?もしかしてACTIVEは零くんの人気だけだと思っているかもしれないけど、零くんと人気を二分しているのは陸ちゃんなんだよ。」
「ちょっと、待って。そんな話聞いたこと無い。」
「そりゃあ、零くんが隠しているからね、陸ちゃんの耳に入らないようにと。」
「どうして」
「嫉妬しているからに決まっているだろう?いいね、陸ちゃんは愛されてて。」
「林さんは…気持ち悪くないの?零が僕と恋人関係だって言っても全然驚かなかったよね。」
「私の周りには多いからね。それに二人の場合、なんとなく容認できてしまうんだ。」
 僕はネット回線を切断しパソコンを閉じた。
「この間、ACTIVEのホームページじゃないんだけど、他の人のページでそんなことを読んだんだよね、『芸能人でゲイが多いのは狙われて犯られちゃって目覚めるから』…って。やだな、そんな風に思われているなんて。そんなこと無いのに…」
「陸ちゃんは『普通』が好きなんだ。いつも言っているもんね、僕は特別なんかじゃない、平凡な男の子だって。」
 ちょっと僕は意外な気がした。
「どうして?本当に僕はただの平凡な男の子だよ。…ただ、皆よりちょっとだけ幸せなだけ…かな?」
 言ってから、これは惚気かな?と気づいて、適当に笑ってごまかしてしまった。

「でもこれで成功したらメンバーそれぞれにマネージャーが必要になるね」
 僕はこの言葉に過剰に反応してしまった。

「大丈夫、陸ちゃんは私が担当するからさ」
「そんな、林さんは統括マネージャーとして指揮してくれないと困るよ。」
 自分の大人気なさに心の中でため息をつきながら、それでも林さんには笑顔で応えた。
「陸ちゃん、」
 ふいに真顔で林さんが話し始めた。
「あの時…もしも片平君が考えていることに気付いていたらとか、私が一緒に着いて行っていたらとか、いつも考えてしまうんだ。陸ちゃんにばっかり辛い思いをさせてしまって、零ちゃんに全て処理をさせてしまって、私は役立たずの無能マネージャーなんじゃないかなってね。だからもう、君たちには辛い思いをさせない、絶対に成功させてみせるって誓ったんだ。」
「林さん…あれは進入禁止だったっけ?」
 僕は照れ隠しに道路標識を指差した。
「えっ?あ、ごめん、見ていなかった。」
 ――ありがとう――林さん、僕ってやっぱり誰よりも幸せだって思うよ。
 あれは…あの二年前の強姦事件のことはもう大丈夫だから。
 僕がパパの子供だってことを必死で隠してくれている林さん、零と僕、初ちゃんと新人女性ボーカリストのまゆちゃんの同棲を隠してくれている林さん、僕らは私生活で色々迷惑と面倒を掛けているのにちっとも嫌な顔をせずにいつでも笑顔で頑張ってくれているんだ。
「…今度、特別ボーナスが出るといいね。」
 林さんがにっこり笑った。


「やだーっ」
「お願いだから我侭言わないで、ね?お願い…」
 聖が加月の実家に帰るのを嫌がる。
「だって…ずっとここに帰ってこられなくなったら…僕…」
 鼻をぐずぐずとしながら泣き出してしまった。
「そんなこと絶対にしない。時間が少しでも出来たら迎えに行く。ただ、しばらく戻れないかもしれないからその間、聖が誰かに食べられちゃったら、僕、零にも涼さんにもママにもどうしたらいいか分からないからね。」
「陸、困るの?」
「僕が困るのなんかどうでもいいんだ、聖が悲しかったり、寂しかったり、辛かったりするのだ嫌なんだ。」
「僕が悲しいのは嫌なの?」
「うん、凄く嫌だ」
「じゃあ、行く…絶対迎えに来てね」
「当たり前だよ」
 僕はいつものように聖を「ぎゅっ」と抱きしめた。
「聖…聖もACTIVEのメンバーになっちゃおうよ、いつか一緒にライブツアーに行こうね。そのためにはちゃんと涼さんに音楽のレッスンをしてもらうんだよ」
 聖は週二回、涼さんの下で音楽のレッスンをしてもらっている。
 今はピアノを習っているけど将来的にはギターも習わせたいんだ。
 聖が弾けるようになったら僕はサイドギターになって聖をバックアップしていく。
 素敵だなぁ…零のボーカルに聖のギター、絵になるよねぇ…
「陸?」
 はっ、いけない、想像している場合じゃなかった。
「ママに一杯お料理教わってくるね。」
 …確か前に零が「あきらちゃんは料理嫌い」って言っていたような気がするけど…ま、グラタンが教えられたから大丈夫かな?
「分かった、美味しいの、教わってくるんだよ」
「うんっ」
 こうして聖は加月の家に預けたのだった。


「どうだった?」
「ボロボロ〜、仮免までもう少しなんだけど、駄目かなぁ…」
「今日は判子もらえたの?」
「うん、なんとかね。でも次の予約は入れてこなかった、今はネットで出来るからさ。」
「そうだよね、今だけとりあえず辛抱してよ。」
「分かってるって。」
 教習所が終わったらすぐにレコーディングスタジオに戻った。
 控え室で忙しそうにパソコンのキーボードを叩いている林さんの隣を位置取った。
「教習所の隣にCDショップがあるんだ、覗いてきたら本当に一枚も無いんだよ。店員さんに聞いちゃった、いつ入るんですか?って。そうしたら『おめでとうございます』だって…ちぇっ。」
 頬杖をつきながら僕はぼやく。
 案の定、林さんは呆れ顔、「さっきあれほど言ったのに…」と愚痴をこぼしていた。
「陸、ちょうどいいところにいた、さえの音取ってくれる?」
 レコーディング室から零がやってきた。
「やっぱりあいつ、音痴だよね」
 ここぞとばかりに攻撃開始。
「いや、かなり良くなってきた。うちのより良くなるかも知れない。」
 ちぇーっ、つまんない。
 渋々ギターを抱えて部屋を出る。
「今夜は先に帰っててくれるか?もしかしたら帰れないかも知れないけど。」
「うん」
「いい子にしているんだぞ」
「馬鹿」
 零は周囲を見渡すとそっと僕を抱きしめた。
「陸の喘ぎ声が聞けないのは残念だ」
「変態」
 耳元で「まじで辛いんだから」と囁かれたけど、気付かぬ振りをした。



 …眠い…
 あれから零は一週間、マンションに帰っていない。
 僕は帰っているけどシャワーを浴びて二時間ほど仮眠して、零の着替えを持って又出かけるという日々を繰り返していた。
 今まで出たことの無い、テレビ番組やラジオ番組、地方のテレビ局にも出掛けた。
 雑誌の取材もある。
 そして当然のように写真週刊誌や新聞の追っ掛け屋(特ダネを狙っているカメラマンのことを僕たちはこう呼んでいる)につかまらないように用心することも心に留めておかなければならないのだ。
 零が出演できるのは小峯さえがドラマの撮影をしている関係上、そこから一番近いレコーディングスタジオに詰めているので東京近郊でしか撮影が出来ない。
 なので地方は初ちゃん、剛志君、隆弘くんと僕の4人でローテーションを組んで、二人ずつ出掛けていくのだ。
 で、必ず日帰りだから参ってしまう。
 聖をママにお願いしておいて良かったとつくづく思ったときだった。
「陸」
 偶然、零がスタジオから出てきてたまたま僕が前を通りかかったときだった。
「久しぶり」
「嫌味か?」
「まさか。大変だなぁって思っていたとこだったんだもん」
「疲れた…」
 ぎゅっ…
 僕はいつも聖にしてあげるように零の身体を抱きしめた。
「大丈夫、僕が付いている。」
「ばれたか」
 零の額が僕の肩の上に乗る。
「ベッドで思いっきり手足を伸ばして眠りたい…でもこれからやっとさえのレコーディングなんだ。」
 僕らのレコーディングより過酷な労働らしい…とっても不憫だ。
「でも陸に会えたから頑張れる、じゃあ行くよ。」
 バイバイ、と手を振って再び部屋の中に消えていった。
 きっと零は偶然出てきたのではなくて、僕の気配を察したんだ。
 零はそういうところが敏感だから、絶対そうに違いない。
 僕だって零の横で手伝ってあげたい、だけど自分の仕事があってそれは無理なんだ、ごめん。
 切ない気持ちでドアの前を通り過ぎた…。



『眠いですっ』
 ラジオの向こうで、零が叫んでいる。
 剛志君が
『じゃあ、寝てれば。』
と、楽しそうに応えている。
『知ってる?』
『何が?』
『ラジオ番組って十秒間の空白があると自動的に音声が流れるようになっているんだって。』
『何て?』
『何?』
 調整室に向かって質問しているらしい気配が伝わってくる。
『えっ?聞こえない?なになに?』
『ええいっ、面倒だッ零、黙ってろ。』
『…』
 僕は確実に3秒を数えた。
『駄目だっ、僕には出来ない、だって始末書なんだろ?』
『誰が?』
『剛志…』
『まじかよ?』
『知らない』
 そういえば来週は僕の出番だなぁ…とぼんやり考えていた。
「陸っ」
 背後から突然声を掛けられた。
「ぼんやりしている場合じゃないっ」
 初ちゃんだった。
「来月、新曲を出すのが決定したから。」
 …僕の知らないところでどんどん話が進んでいるのはどうしてだろう?
「相談している暇が無いんだ。今回の決定は上からの指示だ。」
 …上って…
「野原裕二…専務」
 …やっぱり。いつの間にかパパは専務になっていた。ACTIVEを好き勝手に操作するためだ。
「でも最善の決定だと思うよ。立て続けに何曲か売れてくれればいいと思っている。そうすればある程度上位ランクに安定するようになるというんだけどさ。」
 確かにパパはいつも3位以内に入っていた常連だったけどさ…誰が曲を作るんだよ。
「だから陸、今からスタジオに篭って曲作りだ。」
 そうだよね…。
 こうして零のスタジオ篭りと交代に僕が篭ることとなった。


 会議用の長テーブルに初ちゃんと二人、向かい合わせに座り大学ノートを広げてアイディアを出し合う。
 僕の頭の中に浮かんだのは、昼間一時間だけ時間を作って行って来た、教習所のこと。
「初ちゃんっ、『道路標識の歌』とかどう?」
「…ライブ用か?」
「じゃあ『道路交通法の歌』」
「そこかろ離れられない?」
「『東北自動車道の歌』…前に誰か歌っていたっけ?」
「それは中央高速じゃないか?」
「…スポーツカー…どんな車がある?」
 初ちゃんが腕を組んで唸っている。
「自転車じゃ、駄目かな?」
「昔、歌っていたバンドがあったよ、…コミックバンドだったけど」
 うーん…二人で腕を組んで悩み始めた。
「…長い長い坂を降りきるといきなり広がる海岸線 僕は自転車で駆け抜ける…みたいなのはどう?」
「うん、いいんじゃないか?それを音にしてよ。」
「分かった」
 これから出す曲だったら当然夏を意識してくると思うんだ。
 だから『自転車』で『風』を演出して『海岸』で夏を感じさせるんだ。
 …それを音にするのが僕の仕事。
 目を閉じてじっと、僕は考える。
 イメージが浮かぶまでじっと考える。
 今何か別の思考が入ってしまうと折角の浮かびかけているイメージの欠片が壊れてしまうんだ。
 初ちゃんもそれは分かってくれていて黙って何か考えている。
 僕はそれから30分後、一つのイメージを作り上げた。



「お疲れ〜」
 約束通り、林さんは客数300人のライブハウスを押さえ、無事本日終了。
 今回は全員無料招待だったけど、皆にちゃんと連絡が伝わってよかった。
 即席で仕上げた新曲もここで早速さわりだけ発表した。
 まだレコーディングもしていないのだから本来なら発表しないのだけど、今回は報道陣が大挙しているので特別。
 当然宣伝効果を期待している。
 僕たちだってプロとしてデビューしているのだから、当然自分たちの発表しているものを認めてもらいたいと思っている。
 ただ好きなだけで作り続けるのならアマチュアでやっていればいい。
 パパが芸能人になったのは、早く独立してママと家庭を持ちたかったから。
 手っ取り早くお金を稼げるのは自分の容姿と器用さを生かせる俳優だと思ったんだ。
 そして見事に成功した、パパはどんな役柄でもこなすんだ、コメディーだってシリアスだってミステリーだって全然平気。
 舞台もやるし映画もやる。
 営業もするし歌も歌った。
 今は下町の畳職人でおせっかい者の役をやっている。
 零のパパ、涼さんは仲間とバンドを組んでいた。
 学校の文化祭で演っていたらたまたま事務所の人の耳に入って事務所入りした。
 だけどなかなかデビューできなかたんだそうだ。
 最初の頃は授業料とか払いながらボーカルレッスンをしていたらしい。
 でもデビューしたらすぐにトップバンドに君臨した、下積みが長かったんだ。
 僕たちは零の力もあってすんなり事務所は入ったけど(僕が加入する前は色々涼さんから課題を出されたりして大変だったらしいけど、僕は知らな〜い)デビューしてからどうもパッとしていなかった。
 知名度ばっかりでヒットが無い、そんな感じ?
 やっと、第一歩を記せた、ここからが僕たちのミュージシャンとしてのスタート。
 しかし…。
「眠い〜」
 楽屋に戻った僕たちはへとへとになってソファーに身体を投げ出した。
「5分でいいから寝かせて…」
 そう言い終わる前に全員静かになっていた。
 僕は夢を見た。
 ほんのわずかの間に夢を見た。
 聖が何故だかとっても寂しそうに僕を見ている…
「あ〜っ、零っ、帰るよっ」
 僕は慌てて零をたたき起こして帰りの身支度をした。
「聖を迎えに行かなきゃ」
 やっと、二人で家に帰れる。
 だからすぐにでも聖を迎えに行く。
 絶対に怒っているはずだ、絶対に泣いているはずだ、絶対に寂しがっているはずだ…ごめんね、聖。
 三週間ぶりに、狭いけど三人でお風呂に入りたいな。
 また、背が伸びているかもしれない。
 待っていてね、すぐに帰るから。
 僕たちACTIVEはやっとスタートラインに立ったのでした。





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参考文献
道路交通法のページ http://www.geocities.co.jp/MotorCity/8739/