普通
 ―あった―
 思わず叫び出しそうになったのを寸でのところで止めた。
 高校受験で番号を見つけたときより嬉しい、普通自動車免許取得試験、合格―。


「すごいじゃないか、二回目だっけ?仮免は一回だったもんなぁ」
 帰って早速零に一番に見せた。
「聖、今度二人でデートに行こう」
 ドライブに誘ったら丁重に断られた…どうして?
「まだ死にたくない〜」
ってそれはあんまりだよ。
「わかったよ、聖は乗せてあげない、ね?零」
「ね?はいいけどどの車、運転するのかな?」
「…二人とも嫌い…」
 いいよいいよ、わかったよ…パパに借りるよ。


 数日後。
「ね?ひどいと思わない?」
 ダイニングテーブルで日本茶を啜りながら、久しぶりにじいちゃんとばあちゃんに会いに来た・・・と言うと自主的のようだが、正しくは実紅ちゃんに呼び出されたのが正解。
「…陸、そんなに必死にならなくてもいいじゃない。そんな生活、長く続ける気なの?そろそろ帰ってきても良い頃だと思うの。あなたの弟妹も増えたのだし、楽しいわよ?」
 わかっていた、これが目的なのは。
「ばぁちゃん、ばぁちゃんは好きな人の妹が父親の奥さんだったらどんな気がする?」
 視線をウロウロさせながら巡らせる。
「自分の姉が父親の妻だったら?僕には我慢出来ない。」
 視線をさ迷わせるのを止め、僕をじっと見詰めるとワザとらしく大きなため息をついた。
「いい?陸の母親はあのボケ女なんかじゃない、陸を生んで直ぐに死んでしまったの。だからばぁちゃんがお前を必死になって育ててきたんでしょ?実紅ちゃんはお前の姉なんかじゃないのよ?」
 まだ言っている・・・どうしてばぁちゃんはママのこと、認めないのだろう?
「あの娘が、裕二にどんな仕打ちをしたか・・・私は許せないんだよ。嫌いになったんならそう言えばいい。なのに自分の気持ちだけで行動して裕二を傷つけて・・・」
「ばぁちゃん、その話はもう何度も聞いたよ。それでも僕はママのことはママだって思っている。僕もママのことは嫌いだけどね。」
「そうよね?あの女、嫌いよね?」
「うん、だって僕から聖を取り上げようとするから。」
 ばぁちゃんは絶句した。
 ばぁちゃんには100年経っても理解できないだろう、僕の気持ち。
「陸は・・・どうして零君が好きなの?」
「ばぁちゃんだって零のこと、好きじゃないか。」
 口の中でもごもごと何か言っていたけど、聞こえなかった。
「僕のことも好きでしょ?」
 にっこり、微笑んでみる。
「あっ、陸来てたんだ。」
 外出先から戻った実紅ちゃんが大きな荷物を抱えていた。
「今夜は御飯食べていくでしょ?実紅ちゃん、料理上手になったわよ。」
「そうなの?でも聖の方が絶対に上手だと思う。なので僕は帰るよ。すぐ近くなんだから、たまにはばぁちゃんも家に来てね。」
 ばぁちゃん、いつでもいいから、僕たちがどんな風に暮らしているか見て欲しい。特別なんかじゃない、本当に普通の、ばぁちゃんが望んでいる「普通」の生活をしているからね。
「陸、拓と実路には会って行ってね。」
「うん」
 ばぁちゃんは昼間、大体実紅ちゃんと一緒にいる。拓と実路に会いに来ているらしい。
「じいちゃんは?」
「下で郵便作っている。」
「え?」
 すると実紅ちゃんが助け舟。
「ACTIVEの会報の発送に嵌っているの。」
「なんで?」
「人手不足・・・というのは表向き。陸が可愛くて仕方ないみたい。」
「僕、帰る。」
 いてもたってもいられなかった。慌てて席を立ち玄関を飛び出した。
「じいちゃん、ごめんね。」
 一階の元事務所跡、現在は郵便室になっている。パパやACTIVE宛のファンレターが人別に保管されていて、事務所に届けてくれる。ファンクラブの会報もここから発送するので、全然人がいないわけではない。
「なんだ、陸来ていたのか。」
「うん、僕、車の免許を取ったんだよ。だからその報告にね。」
「そうか。だったら車を買ってあげなきゃな。」
「大丈夫だよ、僕これでも少しは貯金があるから、自分で買えるよ。」
「なんだ、つまらない。陸は最近全然じいちゃんを頼ってくれないから寂しいよ。」
 そうだった、僕は子供の頃、じいちゃんっ子だったんだよね。何時だって家にいないパパに代わって参観日や運動会に来てくれたし、よく動物園にも連れて行ってくれた。
「今度、僕の運転で動物園に行こうね。」
「いや・・・もう少し長生きしたいから、それは遠慮しておく・・・」
 なんで、じいちゃんまで・・・。


「皆、僕のこと信用していないのかな・・・」
「僕は、乗りたい…です、はい」
 斉木くんだけが立候補してくれた。
 零は皆がからかっているだけだと言うけれど、かく言う自分が真面目な顔で朝運転を拒んだ張本人だ。
「何かあってからじゃ遅いんだ」
 なんで〜?
「陸のスペアはない。」
と言われて納得した僕は馬鹿だ。


「僕さ、白い軽自動車を中古で買おうと思うんだ。」
 帰りの車の中で相変わらず助手席に座らされている僕は、ちょっとふてくされながら、それでも希望を話していた。
「絶対に駄目。」
 眉一つ動かさずに言う。
「何で?」
「軽は軽いからぶつかったら一貫の終わりだから。」
 又、零に行く手を阻まれている。
「零は心配しすぎだよ、だったらどうして免許取るって言ったときに反対しなかったの?」
 その問いに関しては返答がなかった。
「わかったよ、そんなに僕にぶつけてほしいんだ?じゃあ一生懸命運転するの止めた。」
「いい加減にしろよ。」
 マジで怖い顔をしたまま怒る。
「僕はさ、陸が心配なんだ。なにかあってからじゃ取り返しがつかないだろう?」
「でも零が免許取ったとき、誰も文句は言わなかったよ?」
「そりゃあ、こっそりやったからね。」
「ずるい…」
 零は最近二台目の車を買った。黒のセダンだ。
「仕方ないな…これだったら乗ってもいい。でも絶対に自分で買うときは僕に相談してくれ…」
 今まで乗っていたのは赤のスポーツカー。いかにも…って感じ。
「あっちは駄目だぞ、ぶつかったらつぶれる。」
「スポーツカーなのに?」
「そんなもんだ。」
「ふぅん…」
 車のことは全然わからないから仕方ない…。


 家に帰ると留守電のメッセージランプが点滅していた。
『親父がドライブに連れて行けとさ』
 パパからだった。じいちゃん、気にしてたんだ、いつも僕を心配してくれる、でも一番理解してくれる人だ。
『で、どうして俺に報告がないのだろう?』
 おーい、パパ。大人なんだからぁ。
 なんとなく、わかった、やっぱり僕は皆に愛されているんだってこと、だけどここでひきさがるわけにはいかない、だって忙しいさなか、必死で通って取得したのだから。
「サン×サンは9、サン×ヨンは12」
 リビングのソファで、聖が掛け算九九を覚えている真っ最中だった。
「聖、変わった覚え方しているね、普通は『サンイチが3サンニが6サザンが9サンシ12サンゴ15』じゃない?」
「そうなの?…あれ?どこまでやったっけ?忘れた…」
 ぶつぶつ言いながらまた同じように覚え始めた。
「いいんじゃない?聖の好きなように覚えれば。」
「うん」
 何でも人と一緒が良いとは限らない。聖がそのほうがいいのなら、彼に任せよう。困ったら手を貸してあげればいいんだから。考えてみれば『普通』じゃなくても良いじゃないかと言っているくせに人には『普通』を押し付けている自分がいる。
 大体『普通』ってなんだろう?
 誰とでも同じ、飛び出さないことが『普通』って言っている様な気がする。


 翌朝、僕は再びじいちゃんの所に顔を出した。相変わらず郵便室で発送準備をしていた。
「じいちゃん孝行がなかなか出来なくてごめんね。」
 僕はじいちゃんの横に座り込んで会報を三つに折りたたみながら話し掛けた。
「何言ってんだ、私はまだ68だ、そんなに老け込んではいない。もっと年をとってから年寄り扱いしろ。」
 笑いながらそう言うじいちゃん。
「いつも僕の味方でいてくれてありがとう。」
 すると驚いたように僕を見た。
「大人に、なったんだね…」
 しみじみ言われると照れくさい。
「僕が零を好きだと言ったときも、反対しないでくれたのはじいちゃんだったよね。」
 すると動かしていた手をふと止めて僕の頭を優しく抱き寄せた。
「なぁ陸、人間は動物だから本能に従って種を保存しようとする。だから男は女を抱けるとわかったら本能で行動する…でも家の家系はちょっと違うみたいなんだ。じいちゃんはさ、ばぁちゃんじゃなきゃ駄目だったんだ。裕二もあきらちゃんじゃなきゃ駄目だろう?実紅ちゃんと一緒になったのだってあきらちゃんの娘だからだろう。それと陸を愛するがあまりだと思う、実紅ちゃんには悪いけど。実はお前の曾じいちゃんもそうだったし、じいちゃんの弟もそうだったんだ。何故かたった一人の人しか愛せない、それこそ『運命の人』じゃないと愛し合えないんだ。あきらちゃんは自分の心のままに行動したんだろうけど、裕二にはそれが全てだったんだ。だから不憫で仕方なかった。ばぁちゃんには分からなかったんだ、裕二の気持ちが。陸のたった一人の人は零くんだったってことだけだろう?別にじいちゃんはびっくりしなかったよ。」
 そうなんだ、知らなかったよ。じいちゃんはばぁちゃんしか知らないんだね。でもそれってとっても素敵なことだと、僕は思えるよ。パパだってなんだかんだ言いながら幸せそうだもん。
「ばぁちゃんは陸に普通に高校を出て、それなりの大学に行って、平凡に就職して、結婚して欲しかったんだと思う。でもじいちゃんは陸の信じる道を進んでいいと思うんだ。躓いたら助けてやる…ってこれは本人に言うつもりはなかったんだけどなぁ。」
 腕をじいちゃんの背中に回して、ぎゅっとしがみついた。じいちゃんの、懐かしい匂いがする。
「こんなとこで浮気していたんだ。」
 戸口で零が腕組みしながら壁に背を預けていた。
「おじいちゃん、その血筋、陸にはあてはまんないんだよ。陸ってば浮気ばっかりするんだ。尻が軽くて僕は悩まされてばっかりいる。」
「そんなことない、僕は零としかセックスしないもんっ」
 じいちゃんの腕が僕から離れた。
「そういう話は2人だけでしてくれ…」
 でもそう言いながらも、目は笑っていた。
「零君、陸は一人っ子だったし、私たちが甘やかしすぎたから我侭なんだ。欲しいと思うと何としてでも手に入れようとする。無理だったら無理だと言うことを諭してやって欲しい。それから何故か知らないがこの子はコンニャクが嫌いだから…」
「れ、零、もうそろそろ仕事行く時間かな?」
 慌てて間に入ったが間に合わなかった。
「だから肉じゃがに白滝が入ってないのか…」
 零の地獄耳はいまさらじゃないからね…。
「けど僕が作った田楽は食べるよな…」
 ふふふ、とじいちゃんは不敵に笑うと、
「それは零君が好きだからだよ。ちっちゃいときから陸は零君一筋だったからなぁ。」
と、的を得た答えが返ってきた。
 ふと、僕はじいちゃんなら答えをくれそうな気がした。
「ねぇじいちゃん、ばぁちゃんがいつも言っている『普通』って何だと思う?僕には分からないんだ。」
 じいちゃんはチラッと零を見た。零はにっこり微笑んだ。
「じいちゃんはさ、今、毎日ここにいるんだ。ここで零君や陸の仕事振りを確認しながら手伝っているのが楽しい。ばぁちゃんは拓と実路の世話をするのが楽しい、で零君と陸は仕事が楽しい、聖君の成長を見続けるのが楽しい。それが『普通』ってことだと、じいちゃんは思うんだ。特別じゃない、自分の居心地のいい場所が普通なんだと思う。自分の置かれている立場の中での枠の中からはみ出さないことが普通なんじゃないかな?ま、ばぁちゃんが言っている『普通』は自分の位置から見ているだろうけどね。零君、そろそろ時間だろう?行っておいで。」
「はい、行ってきます。」
 零が深く、深くじいちゃんに頭を垂れた。
「じいちゃん、又来るね。」
「ああ、お前の家はここにもある。いつでも遊びにおいで・・・って歩いて5分だからね。」
 相変わらず『普通』の意味が掴めなかったけど、じいちゃんにバイバイと手を振って、僕たちは部屋を後にした。


 一週間後、パパからプレゼントが届いた。今までパパが使っていた右ハンドル仕様の外国車だ。『名義変更をしておいたからいくらでもぶつけていい、これだったら少しくらいぶつかっても死なないはずだ。』というメッセージつき。とりあえずありがたく頂いておくことにした。
「パパ、本当にもらっちゃっていいの?」
『ああ、それ使っていなかったから丁度良いんだ。』
「じゃあ、早速じいちゃんに電話しよう、じゃあ…」
『ちょっと待て…』
 何か言っていたけど、切った。長くなりそうだからね。
「あっ、じいちゃん。今度の水曜日なんだけど…」
「あっ、陸ずるいっ、僕も行くぅ」
 じいちゃんとのデートの約束をしていたら聖が纏わり着いて来た。幸い(?)にも水曜日の午後は聖も学校から帰ってきているので出掛けることは可能だ。
「僕の席も空けてあるだろうな?」
 電話を切った後、零がぽつりと言った。
 全く、2人とも絶対に乗りたくないといっていたのに、現金なんだから。
 わーいわーいとはしゃぎながら、聖が脱衣所に走って行った。暫くしてお風呂の中から大きな声で一の段から掛け算九九を唱えているのが聞こえた。あっという間に九の段まで暗唱し、再び一の段に戻って初めから…を何度も繰り返していた。
「だって『インイチが1』の『イン』が意味わかんなかったんだもん。『クイチが9』の『ク』とか『ハッパ64』の『ハッパ』とか呪文みたいで何の数字だか分からなかったんだよ。でも先生が教室の壁に表を作ってくれて、いつも見ていたら覚えちゃった。」
 お風呂上りの聖を捕まえたら、そんな答えが返ってきた。
 じいちゃん、何となく枠からはみ出さないっていう『普通』の意味が分かったよ。
 水曜日のデート、じいちゃんと一緒に行った動物園に行こう…と、心の中で誓った。