失敗したなぁ、ママにあんなこと言わなきゃ良かったよ…。 「仕方ないだろ?」
零が僕の表情を見て笑いながら背中をポンと優しく叩いた。 「でもなぁ」
どうしてあの日、ママの前であんなこと、言ったんだろう…。
『おかえり』
雑誌の撮影が終わり、夜九時にマンションへ辿り着いた。ドアを開けると何時もなら足元灯しか点いていないのに、リビングが明るい。しかもテレビから零の声が聞こえていた。 『あきらちゃん…』
うんざりした声で背後から零が声を掛けた。 『そんなに露骨に嫌な顔しないでよ。』 『…じゃあ、聖を帰して。』 『やだ、なんでわかったの?』
本当に。僕は慌てて部屋を覗いたが聖はいなかった。
『拓と遊んでいるのよ。』
『こんな時間まで裕二さんが子供を遊ばせているわけ無い。うちだって聖には八時には寝るように言い聞かせている。』
『…零は、意地悪だわ。』
そんな風に拗ねて零に甘えるママは…女の顔になる。
『あきらちゃん、そんなこと言うためにここで待っていたの?』
『子供達に会いにきたらいけない?零も陸も聖もみんな私の可愛い子供達。』
僕は、零がママと話をしている時って苦手だ。何時だって僕たちを困らせることばかり言う。
バンッ
突然、零がリビングのテーブルをグーで叩いた。
『いい加減にしてくれないか?聖を、返してくれ。』
『母親に、そんな口の聞き方するなんて…可愛くない子。』
そう言うとママは立ち上がった。
『聖は暫く私が預かるから。たった一人で留守番させるなんてどんな神経しているの?』
『あなたは・・・僕になにをしました?』
まずい、零がすっごく怒っている。
『陸だって一人ぼっちにさせていたじゃないか。そんな母親、いらない。子供を生むだけのそんな母親、いらない。』
『零、駄目だよ、そんなこと言ったら。ママだって寂しいんだよ。夾ちゃんは学校が忙しいし、実紅ちゃんは拓とパパにべったり、涼さんは最近、メディアに出始めたし。ママ、寂しいんだよ。』
言っておくけど、僕はママが嫌いだ。いつだって何か不都合なことがあると、零を頼る。僕の零の心を掻き乱す。
『…そうっ!!そうなの。ママね、寂しいのよ。だから一週間ほど聖を預かるから。でね、次の金曜日、お休みでしょう?うちまで迎えに来てほしいの。いいわね?』
それだけ一気に言うと、ママはスタスタと玄関へ向かい、『戸締り、ちゃんとするのよ。』と言うと、とっとと帰ってしまった。
…なんか、罠に嵌められた…。
「あきらちゃんが何か企んでいる時はいつだって僕の目を見ないで話をするんだ。僕を見るとばれるからね。」
そうなんだ、零は人が何を考えているか、わかっちゃうんだ。但し、僕と聖は駄目なんだって。
約束の金曜日、ちょっと時間が遅くなってしまったけれど、僕たちは加月の家に向かっていた。
零も僕も、ティーシャツにジーンズという至って軽装で出掛けた。
家の前に辿り着くと何故か実紅ちゃんが出迎えてくれた。
「なんて格好で来たのよ、全く。…ママったらこんな時だけ予感的中させるのよね…。ちょっと来て。」
勝手に納得した実紅ちゃんは、零と僕の腕をグイグイ引っ張って、野原の家に連れ込んだ。
「はい。こっちが零ちゃん、こっちが陸ね。上の陸の部屋で着替えて来て。」
「僕の、部屋?まだあったの?」
「拓が大きくなったら、もらっちゃう予定。でもまだ空けておくだけの余裕があるからって裕二さんが…。」
実紅ちゃんは何故かもじもじしながらそう言った。
袋の中から出てきたのはシルクのシャツにウールのパンツだった。
まるでホストか宝塚だよ…一体、何があるんだろう?
「ま、こんなことだろうと思ってた。」
「零は知ってるの?」
「知らないよ、でもあきらちゃんの考えてることだからね、大体察しは着く。」
そっか…僕は全然、わかりません、お手上げ。
「行くよ」
「うん…」
どうか、痛くありませんように、怖いのも嫌です。
「陸、可愛い〜」
部屋に通されると、いきなり飛びついてきたのは聖。
「一週間、僕がいなくて寂しかった?」
黙って頷くと、「ごめんね。」と、可愛い瞳が濡れそうになったので抱き締めた。
「僕は聖がいないと悲しい。愛してるよ。あれ?聖も社交ダンスみたいだね。」
僕個人の趣味なら絶対にピンクハウスだ。男の子だって可愛いからね。
聖とハグしてから冷静になって周囲を見渡すと、涼さん、ママ、夾ちゃんに実紅ちゃん、拓に実路もいた。
一体、何があるのだろう…
キッチンから大きなお手製のケーキが運び込まれた。 「聖、お誕生日おめでとう」
正確にはまだ早い。でもママはちゃんと覚えていてお祝いしてくれた。 「良かったね聖、みんな覚えててくれたよ」
聖が僕の手をぎゅっと握りしめる。 「当たり前よ、自分で産んだんだもの」
ママからそんな言葉が出るなんてびっくりだな。 「で、折角みんな揃っているからママの宝物を見せてあげる。」
おーい、ママ、今日は聖の誕生日会じゃないの?
ママはいそいそとリビングの壁を押す。するとそこは隠し扉になっていて、中には膨大なビデオテープを並べた棚がしつらえてあった。 「涼と零と陸のテレビ番組を録画したものと…みんなのビデオ」
みんな? 「小さい頃、それぞれのビデオを撮ったの。陸もあるわよ。」
僕?
「運動会にお遊戯会、入学式に合唱コンクール。聖のビデオもあるわよ」
ママは棚から一本のテープを取り出した。聖がそのあとについて行き特等席をゲットする。50インチの大型液晶テレビに、聖の顔が大きく映し出された。
産まれたばかりの聖、ママにだっこされてすやすや眠る聖、ベビーベッドで手足をバタバタしながら笑っている聖、ハイハイしながら何かを探している聖、つかまり立ちを始めた聖…。 「涼がね、ずっとビデオを撮っていてくれたの。」
ママは嬉しそうに画面を見ている。 「聖が、一番可愛いかもしれないわね。」
それには僕も賛成。
「零と陸のもあるのよ。」
ドキッ
「…といってもテレビ番組ばかりだけど。最近、やっとビデオの撮り方が分かるようになったから嬉しくて。」
もしもし? 「もしかして、それまでは夾が撮っていたの?」
零の問いかけに、夾ちゃんが頷く。 「ママに逆らうと怖いからね。」
…ご愁傷様。
「一年くらいの間にこんなにたまったの。それ以前のものはどれ位あるのかなぁ…。」 「うちに一杯あるよ。」
実紅ちゃんがポツリ、言った。
「裕二さんがずっと撮っていたものがあるよ。…これより多いかも。」
…パパ〜ぁ。
こうして一時間くらい、ママの手作りケーキ、実紅ちゃんの手料理を食べたりビデオを見たりして過ごした。 「さてと…そろそろ裕ちゃんが来る頃だわね。」
ママがゆっくり立ち上がる。
すると計っていたかのように玄関チャイムが鳴った。 「来たかな?」
ママがエスコートしてきたのは、パパたった。 「はい、では聖のお誕生日会はここまでです。」
そう言うと突然、ママが僕のことを抱きしめた。 「お誕生日、おめでとう。」
なに? 「こんなに、大きくなったのね…」
ママ? 「陸、二十歳になるんだろう?」
パパの声が頭の上から降りてきた。
「当日は、二人で過ごすんでしょう、だから今日、せっかくお休みだって聞いたから、聖とずっと一緒に準備していたの。」
聖…。
今日は、聖の誕生会じゃなかったんだ。 「裕二さん、これで良かった気がします。」
涼さんがパパに歩み寄った。 「うん…ありがとう。」
パパはそれだけ言うのが精一杯、という表情で僕を抱きしめた。 「陸、ここまで育ってくれてありがとう。」
ママと、パパが始めて揃って僕の誕生日を祝福してくれている。 「当日は、残念だけど仕事なんだよね。」
淋しそうに零が呟いた。 「そうなの?」 「うん、陸のバースデーライブ。」 「うそ」
「うん、ずっと前に決まっていたけど、今日ほど陸がびっくりしないだろうからバラした。」
確かに。今日以上のびっくりはないかも。 「陸」
パパの手が、僕の頭を引き寄せ、そっと抱きしめる。
「二十歳になったらもう大人なんだから、パパは何にも言わない。だけどつらいことがあったらいつでも頼って欲しい。陸のしたいことがあったらすればいい、応援はするから。」
うん。
心の中でそう答えたけど、声にはならなかった。
僕の家族と、みんなが用意してくれたプレゼントに囲まれて、僕は至福の時間を過ごした。
本当に、本当に幸せだよ。
その夜。
僕の身体は火照ったままで、いつまでたっても冷めることがなかった。
翌日。
涼さんが早朝からやって来た。
「ごめん。こんなに早く。でも時間が無かったからさ。」
涼さんはそう言ったけど、中々本題に入らない。
「…まだ、そんなに経っていないでしょう?じいちゃんとばあちゃん、帰ってくるの?」
「うん…」
何?なんのこと?
「裕二さんにも相談してさ、色々考えたんだけど、五世帯住宅にしようかと思うんだ。そうすれば聖も一人のときは家にいられる。」
やだ…
僕は心の中で叫んでいた。
自信が無い、僕は零の、ううん、ママのおじいちゃんとおばあちゃんに嫌われている。だから自信が無いんだ。 「その話、直ぐに返事は出来ない。」
零ははっきり、そう言った。
「じいちゃんとばあちゃん、陸に何を言ったか、覚えてる?僕はママが悪いんだから仕方ないと、ううんむしろ感謝している、陸を産んでくれてありがとうって。だけどあの二人は陸の顔を見る度に産まれて来なければ良かったのにって言うんだよ?」 「その話は又別の時にでも…」
涼さんは困っている。
「うちも同じだったよ。じいちゃんとばあちゃんが僕を学校に送り出すとため息が落ちた。僕知っていたよ。だからこれは仕方が無いんだ。」
「ごめん、陸。直ぐにってわけじゃないんだ。僕が二人を説得する。実紅が、裕二さんと結婚しているから少しは柔軟になっているんだけど、やっぱり古い人間だから頭が固いんだ。」
「ちょっと待って。それって陸のこと?もしかして僕らのことなの?」
零の問いかけに益々涼さんは困った顔になった。
「二人の、ことだよ。零は長男だから嫁を貰わなければいけないのにどうして二人の弟の面倒を見ているんだって言われてしまった。」
涼さんも間に入って大変なんだなぁ…。
「あの…僕たちもう少しだけこのままでいたいんです。そりぁ、聖には寂しい思いも怖い目にも遭わせてしまうかも知れない。だけど僕たち三人が一緒に大人になっていけたら、僕たちが本当に家族になれる気がするんです。」
涼さんが僕の頭を胸に抱き寄せた。
「陸は、家族が欲しいんだ。…昔の僕と一緒だ。僕の両親は今でも海外に赴任しているけど、昔から地方と海外を転々としていた。僕はずっと一緒にいられる家族が欲しかった。」
ふと、気付いた。今まで涼さんは僕のこと『陸ちゃん』って呼んでいた。
「わかった。もう言わないよ。だけど二人がツアーで家を空けるなら、聖をうちに連れてきなさい。五分の距離なんだから。自分達の好きな音楽を、自由に出来るのはその年齢の時だけだから、思う存分やってきなさい。それと…」
涼さんの腕に力がこもった。
「陸は、加月の家の家族だって、そう思っている。あきらの子供だってこと以外で、零の伴侶として。」
―伴侶―
一生、一緒にいても良いってことですか?許して、くれるのですか?
思いは、言葉にならなかった。代わりに涙がポロポロポロポロ…とめどなく零れ落ちた。
午前七時。いつもの時間に聖は起きてきた。
「おはよぉ。どうしたの?陸、目が真っ赤だよ?」
「うん、夕べ、嬉しかったからね。・・・ありがとう。」
聖を抱き寄せる。
「愛してるよ。」
「うん」
「ずっと、一緒にいてね。」
「それは無理だ。聖は18になったらここから追い出すんだから。」
僕の腕から聖を取り上げると、洗面所に追い立てて自分は僕を抱きすくめた。
「あんなの、涼ちゃんの罠だから、信じちゃいけない。涼ちゃんを全部、信じちゃいけない。」
零?
「いつか、その時がきたら話すよ。陸だって今でも言ってくれない野原家の秘密があるみたいだからね。」
確かに。
いつか、そう時がきたら僕も零に言うから。
今は幸せのまま、しばらく…時を止めて。
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