20ans〜ヴァンタン〜
「ただいま〜」
 日曜日。零と二人クタクタになって帰ってくると、室内には甘い香りが漂っていた。
 パタパタパタ…とスリッパの足音が聞こえると、聖がエプロン姿で立っている。
「ごめんね。上手く出来なかったの。」
 顔と手をベトベトにしながら俯く。
「なにが?」
「ちゃんと教わったんだけどね、でも…」
 おずおずと道を開けてくれ、キッチンへと導かれた。
「陸、お誕生日おめでとう」
 瞬間、頭の中が真っ白になり、頬を温かいものがつたい落ちた。
 何か言わなきゃいけないのに、言葉が出ない。
 聖をぎゅっと抱き締めたいのに、指先一つ、動かせない。
「うぅっ…」
 喉の奥から漏れてきた音はそれだけだった。
「ごめんね、ママに教わった通りに作ったけど、スポンジが膨らまなかったんだ」
 次の瞬間、僕は聖を抱き締めていた。
 聖の言葉で呪縛を解かれた身体は聖を抱き締めた。
「あり…が…と」
 強く、強く抱き締めた。
「痛いよ、陸。」
「ごめん…」
 聖が僕のために何かをしてくれる…そんな幸せがあっていいのだろうか?
「ママにね、ケーキの作り方を教えてって言ったの。そうしたら簡単には作れないから、ママと一緒に作ろうって言うから、それじゃやだって言ったの。だって陸のプレゼントは僕が作りたかったから。だから一週間、お家に行っていたんだよ。」
 そうだったんだ。
「そう言えば、オーブン買ってやったのに。」
 膨らまなかったスポンジに生クリームでデコレーションしたケーキを眺めながら零が呟く。
「オーブンレンジじゃ温度が足りなかったんじゃないかな?」
 カウンターの上に山と詰まれたその他の膨らまなかったスポンジが今日一日の聖の戦いを象徴していた。
「やだ、聖。こんなに焼いたんだ。これも全部貰っていい?」
「駄目〜っ。それは明日学校でおやつにするの。」
 そっか。聖ありがとう。聖のプライドだね。
「聖、夕ご飯食べた?」
「うん、さっき実紅ちゃんがお弁当もって来てくれたの、拓と一緒に。」
 ママったら聖が心配だったんだね。だから実紅ちゃんを寄越したんだ。
「じゃあ、一緒にお祝いしてくれる?三人だけのバースディ・パーティ。」
 僕の誕生日は水曜日。だけどその日は聖は学校だからケーキを作るのは無理だろう。だから今日、頑張ってくれたんだね。それに当日は…。
「陸、今年はタキシードじゃないから。」
 零?何、零も今日なの?
「ごめん、僕は今日聖がお祝いしたいって言っていたのは聞いていたんだ。まさかケーキ焼くとは思っていなかったんだけどさ。」
 一度部屋に戻ると大きな箱を抱えて出てきた。
「隠すの、大変だったんだぞ。」
 そう言うと「おめでとう」と、耳元で囁かれて手渡された。
「開けていい?」
 黙って頷く。
 ガサガサと包みを開くと、そこには普通の、本当にどこにでもあるような普通の、濃紺のスーツが入っていた。
「陸、持ってないから。」
 確かに。僕の正装は今まで零に貰った、黒とピンクのタキシード。
「大人になったら必要だよ。」
 零は十着くらい持っている。
「僕も、着るのかな?」
「そうだね。」
 そっか…大人になったらジーンズにTシャツでは通らないからね。
「陸…」
 おずおずと、聖が僕に包み紙を手渡す。
「これは僕から。」
「え?プレゼントもあるの?」
「うんっ」
 ガサガサ…ピンクのエプロン。
「あのさぁ…聖も零も、僕のことどんな風に見ているの?去年の零のタキシードもピンクだったし、基本的に僕にピンクを着せたがるの、二人の共通点だよね。僕は赤と白が好きなのに。」
「えっ!!」
 …どうやら二人は知らなかったらしい。
「でも、ありがとう。」
 最近、キッチンに立つ機会が減っているのは事実。だから聖のために料理なんて全然していない。
「今度の休みに、一緒にご飯を作ろうね。」
 そして僕たちは聖のケーキを楽しく頂いたのでした。


 さて。5月17日、僕の誕生日当日であります。
「んんっ…」
 朝。
 8時に聖が学校へ出かけて行き、僕らは午後まで時間があるので家のことでもしておこう…と思ったときだった。
 キッチンで片付け物をして洗濯機に洗濯物を入れてスイッチを押したとたん、背後から抱きしめられ、そのまま唇を塞がれた。
「20歳の陸と、初エッチ…」
「馬鹿」
「馬鹿だもんっ」
 着ていたシャツの前は簡単に開かれていた。
「だから駄目…」
 零の手の動きの方が早くて止めようとしても追い付けない。
「イイって言って…大人になっても全部僕んだから。」
「うん」
 それは、本当。もう三年半、一緒に暮らしているけど何も変わらない、大好きなまま。
「陸の身体、形が変わってる、気持ち良い?」
 零の掌に包まれて上下にさすられる。
「はぁ…」
 ため息のような小さい喘ぎ声が自分の唇から漏れた。
 ひょい
と、お姫様抱っこをされて寝室に連れて行かれた。ドアは開けっ放し。
 ベッドの上にそっと降ろされると辛うじて腕に掛かっていたシャツははぎ取られた。
「下、自分で脱いでおねだりしてご覧。」
 やだ〜、恥ずかしい。
 でもジーンズのボタンを外し、ファスナーは降ろした。
「早く、足を抜いて。」
 そろそろと足を引き抜く。
 足元でたぐまっていたジーンズを零は部屋の隅に投げた。
「パンツも。」
 自分から好きな人に裸体を晒すのは恥ずかしい。
 腰を浮かしてパンツを脱いだ。これも零は部屋の隅に投げた。
「一杯、愛してあげる…」
 そういうと零は喉の奥まで僕を差し入れて、いやらしい音をたててしゃぶり始めた。
「いやっ…あっん…」
 零の目が、僕を見る。
「気持…ち…良い・・・んっ」
 嬉しそうな瞳の色に変る。
 零は僕を追い込んで、追い詰めて、上り詰めるまでゆっくりゆっくり、唇と舌を使って丁寧に愛撫した。
「いや…あっ…駄目ぇ〜」
 思わず、僕は零の頭を身体から引き剥がした。
「何で?」
「嫌だ。イクのは…一緒が良い。」
 顎に人差し指を当てて、ちょっと考えていた風だったが、直ぐに納得したらしくサイドテーブルからゼリーを取り出した。
「じゃあ、陸がもう一杯一杯だろうから、使うよ。」
 一度、零の掌で温めてから、僕のアナルに塗りこむ。たっぷりと拡張しながら。
「ねぇ、こんなになってる。」
 零の身体も確実に変化していた。
「今朝の陸、すっごくえっちな顔してる。」
「誰のせいだよぉ」
「決まってる、全部僕のせい。当たり前だろう?」
 そう言うと、零は僕の脚を抱え上げた。
「入れるよ?」
 声を掛けられると、ちょっと緊張する。
「力、抜いて。」
 判っている…けど。
「痔になるよ。」
「…零の言うせりふ?」
「最もだ。」
 笑いながら、でも確実に零は狙いを定めていた。
「ん…まだ、ちょっとキツイ。」
「ごめん…」
 お腹からふぅーっと音が出るように息を吐き出す。
 だけどどうしてこんなに緊張するんだろう?零とはもう何十回、いや何百回、セックスしているのに。
「くっ…うっ…」
 零が苦しそうに、だけど腰は進めている。そうしないと僕が苦しいからだ。
「んっ…入った。」
 あっ…なんか…
「…初めての時、みたい…」
「そう、だっけ?」
 そう、あの時も僕が緊張しちゃって、零が必死で入れたんだよね。どうしても欲しいって僕が頼んだから…。
「も、ギリギリ。動くよ?」
「はっ…あっあっ…」
 零の背中に軽く爪を立てる。
 必死で零に掴まっていないと、どこか違う次元にまで飛ばされてしまいそうだ。
「ごめ・・・ん…イクッ」
 身体の奥で零が弾けた。
 僕は自分で握り締めて、最後の瞬間を迎えた。
 お他互いに肩で息をしながら、ベッドに倒れこんだ。
「なんか、久し振りに緊張した。」
「うん、何でだろうね。」
 多分、それはたった二文字の重圧。
 零も僕も、もう『大人』という大きな荷物を背負ったってこと。
「ハッピーバースディ」
 零のキスが僕の顔中に降って来た。


「ライブ?」
「何処で?」
「誰がそんなこと言った?」
「今日はミーティングだって言ってあったよね?」
「寝ぼけたんですか?陸さん」
 な、な、な、何だよ!皆して!
「だって!今日は僕の誕生日だからって…」
 ポロポロ…あれ?おかしいな?怒っているのに涙が出る。
「泣くなよ、ごめん、僕が悪かった。」
 なんで零が謝っているんだろう?
「兎に角、ミーティングするから。」
 そう言うと林さんはなぜかドアを指さした。
「ちょっと今までと毛色の違う仕事だよ。」
 嬉しそうに微笑む林さんを見ていたらなんか怒るのがあほらしくなってきた。
 またまた何故か、タクシーに分乗して現場へ向かった。
「ここだよ」
 そこは廃工場の様だった。
「なに?」
 メンバー全員、動揺した表情。
 重い扉を開けても何も現れなかった。あるのは沢山のドア。
 その中の一つに林さんが手を掛け、僕は背を押されるように部屋へ強引に押し込められ…ドアが閉まった。
 室内は真っ暗だった。
「嫌だよっ、出して…」
 言い終わる前に電気が点いたかと思うと、正面にメンバーが立っていた。さっきまで僕が抱えていたギターを零が持っている。
「我が愛する野原陸、二十歳のバースディ、おめでとう。」
 剛志くんのキーボードが鳴り、隆弘くんのドラムがリズムを刻み、初ちゃんのベースと零のギターが歌う。
「陸、これからもよろしくっ、今度こそ、セックスしような?」
 隆弘くん!
 零が振り返り、隆弘くんが舌を出す。
「おい、なんでリーダーが中途半端な順番なんだよ。ま、いっか…」
 こほん、とひとつ咳払いして、
「うちのバンド、最初にドラムが抜けて、そのお蔭で零が加入してくれて隆弘が見つかったんだけどさ、ギターは零がいなかったら巡り会えなかったんだよね。で、今は感謝している。音もそうだけど曲も、そしてハートも陸からもらった。さんきゅ。これからもよろしく」
照れながら話す。
「初、長すぎ。陸…おめでとう、今度二人で飲みに行こうな。」
 剛志くんは困ったように俯く。
「陸ちゃん、二十歳になったんだね…おめでとう。だけど私のこと、頼って欲しいな。」
 林さ〜ん、勿論です!
「そうだ、ここ、今改装中なんだけど裕二さんがライブハウスにするそうだよ」
 パパったらまだあれが忘れられないんだね。
「陸さん、やっぱ好きです!振られたら僕のこと思い出してください。」
 斉木くん〜
「じゃあ、陸のためだけに開く超シークレットライブだよ」
 零の合図でハッピーバースディの曲が流れる。零の優しい歌声が何もない空間に響き渡る。

 又、僕の頬を涙がつたい落ちた。でも今度の涙は理由が判っているからね。
「陸、やっぱり陸のギターが一番やりやすい。俺さ、何があっても陸とはずっと演っていきたいんだけどな。駄目かな?」
 初ちゃんからいきなりのプロポーズ。
「初、それは駄目だ。だって絶対にACTIVEは解散しないから。もしもはありえない。」
 剛志くんが胸を張って断言した。
「思うんだけどさ、音楽が好きなだけなら何処でも出来るんだけどこのメンバーじゃないと駄目だと感じるんだ。だから解散するときは音楽を捨てる時なんだ。」
「僕は…」
 皆の視線が集中する。
「皆大好き」
 コツコツと靴のかかとを響かせたのは林さん、そっと抱き寄せられた。
「私も皆大好きだと言えるよ、ありがとう。」
 素敵な誕生日を、ありがとう。

「折角機材も運んだんだから何か演らない?」
 隆弘くんがリズムを刻む。
「ACTIVE全員大人になって良かったねライブ〜」
 背後のドアが開いた。
「聖〜っ」
 奥の部屋から駆けてきて、僕に抱きつく。
「陸ぅ〜」
「あ、零のライバル」
 初ちゃんが呟く。
 聖と林さんと斉木くん、三人の観客…ん?
「世界一陸を愛していて、世界一寛大な人間はだーれだ?」
「零…って、パパ、どうしたの?」
 聖が出てきたドアからパパが現れ、仏頂面で立っている。
「…陸、答え違う。どうしてパパと言えない?ここをライブハウスにしたら毎月ACTIVEのライブをやるんだ。」
 『え〜、パパの趣味が先でしょ?』とは言えない。
 観客が一名増え、僕らの演奏が始まる。
 デビュー曲、アルバムの曲、シングルの曲、皆が学生当時やった曲、コピー曲、今一番流行っている曲…それぞれが好きな曲などなんでも演った。
 僕が加入したときは既にデビューが決まっててアマチュア時代を知らない。きっとこんな風に楽しかったんだろう。
 ただひたすら好きなものだけやる、なんて楽しくてなんて幸せ。だけど今、自分達が置かれている環境も凄くしあわせだから、振り返ったりしない。
「ずるーいっ、私も入れてよ〜」
 気づいたらママがいて涼さんがいて実紅ちゃん、拓、実路、夾ちゃんと、彩未ちゃん、何故かさえもいて、なんと初ちゃんの彼女までいた。
 ママたち女性陣は隣の部屋に料理を用意してくれていて、いつの間にか立食パーティーと化していた。
 楽しい宴は深夜まで続いたのでした。


 帰りのタクシーの中、零からそっと手渡された。
「ビー玉に続く第二段!」
 楽しそうに笑った。
 ダイヤモンドとエメラルドの付いたブレスレット。誕生石ということはエンゲージリングの代わり?
 零の顔をみた瞬間、左手の薬指にシンプルなデザインのリングが填められた。
 マリッジリング…という文字が頭をよぎった。
 部屋に帰ったら聞いてみよう。
 でも…
 今日は無理かな?だってとっても眠いから。
 剛志くんがくれたオレンジジュース、おいしかったぁ…


 僕の膝の上で聖が何か寝言を言っていたけど…僕も夢の中…。