ACTIVE

 難しい顔をして初ちゃんが立ってる。そんなに、深刻なことかなぁ。僕が「野原 裕二」の息子だってことが。
「はじめに言っておいてくれればそれなりに対処の仕方があったんだよ。ましてや…」
「スキャンダル?いまどきそんなこと言っているのか?誰が?」
 矢継ぎ早に零の質問攻め。
「僕と陸が義兄弟でしかも陸は裕二さんの一人息子で今まで世間に隠してて、だから、なに?陸にいてもらったら困る?」
 いつもは穏やかな瞳でいる零の目が、今日は凄く濁ってて…どれくらい彼が怒っているか分かるよ。
「初はそんな事に拘る人間だったの?」
 そんなに初ちゃんに詰め寄らなくってもいいよ、僕は慌てて零を制止する。
「零ちゃん、落ち着いてよ、そんなに怒っていたら話にならない。」

 ここは僕らのプロモーションをしてくれている会社の会議室。僕達は健全(?)なサラリーマンなんだよ。
 三澄初はベーシストで「ACTIVE」のリーダー。色々面倒なことは全て彼が背負ってしまうので神経質になるのは分かる。けど…。
「義弟だから連れてきたんだろうが、皆気付かなかったのか?なぁ、陸。」
 そう言ったのはキーボードの畑田剛志。
 初ちゃんと剛志くんと零が同じ高校のクラスメートだった。ドラムスの遠山隆弘は1学年後輩。
 本当はギタリストの人がいたけど、プロデビューすると決まったら逃げ出した。それが僅か1年前、零はお父さん―加月 涼さんね―に口を利いてもらったから順調なんだって言っているけどそればっかりじゃないと思うよ。…自分で言うのもなんだけど。
「…うん。」
 僕は剛志くんの問いに生返事をした。だって違うんだ。僕がただ零の側にいたくて涼さんにお願いした。
 それを零は知らない。
 でも今は仕事が楽しくて仕方ないんだ、零の歌う姿を見ているのだって好きだけど、僕の作った曲が皆で演奏できて、それを女の子達が口づさむ、なんてサイコーな気分なんだ。
「陸は零が好きなんだろう?」
「…剛志くん?」
 なんで、皆の前で言うんだよ、せめて僕だけに先に言っておいてくれれば…。
「ったく、ブラ・コンなんだから。見てりゃぁ分かるよ、俺はすぐにピンっときたね。」
 あ…っ、そういうこと、ね。僕は引きつった笑顔で剛志くんに答えた。
「兎に角、俺達に隠し事だけはしないで欲しい。対処が出来ないんだよ、社長に最初に聞かれるのは俺なんだから。」
 まだ、初ちゃんは文句言っている。
「もう、隠し事は、無いよな。」
「ある…けど、言えない。」
 あーっ、もう、零っ。
「わかったよ、零のことは零に聞けって社長に言っておくよ。」
 特大のため息をひとつ付いて初ちゃんは椅子に腰掛けた。
「ところでさ、」
 …嫌な、予感。
「陸って本当に男なの?」
 ほーらっ、予感的中。ここのところ隆弘くんの目つきが変だって思っていたんだ。
「線がすっごく細いのな、後ろから見ててゾクゾクしちゃう。」
 隆弘くんが部屋の隅に座っててくれて良かった、隣にいたら絶対手が伸びて来てた。
「ばーか、あの野原裕二の一人息子だぜ。よっぽど母親がブスでもない限り完璧なものが出てくるに決まってるだろうが、ましてや零と同じ母親だろ?零の顔に1点でも欠点があるか?どっちも完璧過ぎるくらい綺麗だって不思議じゃないよ。」
 そう言った剛志くんの目は――零を追っていた。
「んーっ、ステージの上ではさ、いつも陸は不機嫌そうな顔をしているんだ。それがまた、そそられるんだよね。」
あーっ、もう、お願いだから、隆弘くんそこから考えを離して。零が物凄く怒った目で隆弘くんを見ているから。
 机に肘をついて頬杖つきながら最悪の一言を吐いた。
「ねぇ、今度俺と寝ない?」
「たか…」
 バキッ、零の会心の一撃が隆弘くんの頭上に落ちた。
「いてえなぁ、冗談だよっ。」
「陸はまだ子供なんだから、そんな冗談言わないでよ。」
 怒声がとんだ。
 その時だった。剛志くんの腕が僕の腰を抱いた。すぐ近くに顔が、あった。
「陸は零と寝てるだろ?身体が言ってる。」
 一瞬にして血の気が失せる・・・頬が冷たくなった。その顔に益々剛志くんは顔を近づけて・・・唇を奪われた。
 僕は必死でもがいたけれど僕より一回りは大きい身体と腕に押さえつけられて、解くことは出来なかった。
「・・・剛志、やめろ・・・」
 なんて力の無い零の声。
「…そうだよ、陸が好きだ、だから呼び寄せて、側において・・・抱いた。」
 零・・・。
「やっと白状した、それが原因か、俺と別れたいって言った。」
 えっ、なに…?
 剛志くんの僕の腰に回された腕に今までより更に力が入って自然と背筋を伸ばすような形になる。
「痛い、よ…離して…」
 顔を背けて抵抗した。
「零はセックス上手いだろ?俺の直伝だから。」
 奥二重の瞳が妖しく光る。零が剛志くんの身体を抱きしめた、いやだ、僕以外の人に触れないで。
「陸には手を出すな…僕のことは、好きにしていいから。」
 僕を抱きしめていた腕が解かれて零の頭を鷲づかみにし、自分の胸にグッと押し当てた。
「初は知っているよなぁ、俺が零のこと口説いて口説いてやっと落としたこと…陸の代わりだったのか?」
 零を拘束している腕にすがりついた、懇願した、
「零を愛してるんだっ、もう、ずっと、子供の時から。」
 言ったとたん、身体中の力がいっぺんに抜けちゃって僕は床にへたり込んだ。
「知らなかったんだ、零がお兄ちゃんだなんて。気持ちの方が先だった、事実が後からついてきた。パパを恨んだ事だってあった、どうしてって、でも、その感情が人と違うって気付いて戸惑って。それでも諦められなかった。一緒にいられるのが嬉しくて、そうすると零の気持ちが知りたくて…お願い、僕から零を奪わないでっ、他のものだったら何でもあげる、僕の命だってあげたっていい、でも、零だけは、嫌だっ。」
 ずっと椅子に座ったまま状況を見守っていた初ちゃんが僕の横に立っていた。
「うちのファンの子達って大体が零を目当てにやって来る、っていうのは分かってるよな。だから零には自粛して欲しいんだ、さっきも言ったようにスキャンダルは出来るだけ出したくない、それが俺の本音だよ。で、陸、」
 厳しい目つきのまま僕を見た。
「零が連れてきた時あんまり子供っぽかったんで大丈夫かなって不安になったけど、期待以上、いや、今では陸がいなけりゃここまでやって来れたか自信が無いくらい、陸の存在は大きなものなんだ。ありがとう。」
 初ちゃんが僕に微笑んだ、でも僕には俯く事しかできないよ、今の状況では。
「剛志、往生際が悪い。――恋愛を職場に持ち込むな。俺はここで音楽をやりたいんだ、俺達の俺達だけの音楽を奏でたくってここにいる。剛志が誰とどうなったって俺には関係無い、人の恋愛に興味は無いから。でも、仲間割れの原因は作らないでくれ。俺はこのメンバーが好きだから。」
 ポンッとひとつ、剛志くんの肩を叩いて初ちゃんは部屋を出た。
 傍観者と化していた隆弘君が相変わらず頬杖をついたままことの成り行きを見ているようだった。
 剛志くんは零の身体を離して力無く両腕をだらりと下に降ろした。その手を両手で包みこむように零が握り締めて、
「剛志、ごめん。僕はもう一度君に対して不誠実な行動を取ろうとした。もう、剛志を受け入れられない。君の言うとおりだよ。あの後僕の心は行く場所が無くてさまよってさまよって陸のもとに辿り着いた。なぜ、陸だったのかなんて分からない。でも、僕にとって陸はこの世の中で一番綺麗な場所に置いておきたかった人なんだ、それで…剛志の気持ちを受け入れる振りをしていた。」
「はいっ、おしまい、スタジオ行こう、新曲のアレンジは剛志の担当だろう。」
 隆弘くんが背中を押してドアの方に歩かせていた。
「隆弘、俺は一人相撲、とっていたのか?」
「俺に言わせるなよ。」
 振り向いて僕達に目配せして出ていった。
「零…僕…剛志くんに悪いことしたのかな。」
 ちらっと零の方を見た。
「ごめん陸、一人にしてくれないかな…。」
 顔を背けた。僕は黙って頷いた。
 ドアの外に隆弘くんがいた。
「零はさ、剛志みたいに強引な奴に弱いんだ。でも陸のこと大事にしているのはきっとファンの子達だって知ってる。気にするなって言われても無理だろうけど、大丈夫だよ剛志は打たれ強いから。」
 ポンポンッて僕の頭を2回叩いて走って行った。
 剛志くんはどんな風に零を抱いたんだろう…僕の胸の中に嫉妬が渦巻いた。
 そしてこんな日に限って零には取材の仕事が入っていてこの後別行動になっちゃったんだ。

 時計は午後9時を指していた。聖はもう寝ただろうか、今夜はきっと一人で泣いているのではないだろうか。
 あぁ、こんなこと考えたいんじゃない、でも考えたって仕方ない、彼は僕を好きだって言ってくれたじゃないか。
 出来るだけ音を立てないように鍵を差込んで回す、カチッと小さく鳴って錠が開く。ノブに手を掛けて静かに引く。 キィッなんてドアが鳴る、僕が帰ってきたことを悟られたくないのに。
 玄関の上がり框に置いてある荷物置き場代わりの小さな木製の椅子に腰掛けたら、完全に力が抜けた。
 そのまま何も考えたくなくてぼんやり佇んでいた。
 そうやって10分くらい経過したのではないだろうか、奥の方でコトッと音がした。
 パタパタ…裸足の足音が近づく。僕は何故か言い訳を考えていた。
「おかえりなさい…どうしたの?」
 聖が後ろから僕の肩を抱きしめる。僕はその手をぎゅっと握り締めた。
「今まで起きていたの?だめだよ、もう遅いから寝なきゃね。」
「ねぇ、明日の約束ちゃんと大丈夫?」
 思いきり甘えた声で尋ねる。
「うん、僕はお休みもらったから。」
 零はどうするのだろう。そう思ったら急に涙が溢れてきた。
「陸?」
 あぁっ、もう止まらない、後から後から溢れてきて…こんなに胸が苦しくて。
 聖の腕が僕から離れたと思ったら僕の膝の上にちょこんと座って、肩に手を置いて優しくキスしてきた。
「僕、零くんじゃないけど、泣かないでよ、嫌だよ。」
 僕は黙って聖を抱きしめた、なんて、なんて可愛いんだろう…聖。
「誰がいじめたの?僕が怒ってあげるから言ってごらん。」
 それはいつも僕が君に言うセリフ。
「何でも無いんだ、ちょっと寂しかっただけ、でも聖ちゃんがいるから平気だよ。」
 そのまま聖を抱き上げて部屋に連れて行った。
「今日は二人だけで寝ようか。」
「うんっ。」
 そんなに嬉しそうな顔で頷かないでよ。
 玄関に置きっぱなしにしてあったギターケースとバックをとりあえずそのままクローゼットに押し込んで、着ていた服を脱ぎ捨ててパジャマを片手に聖の部屋に向かった。――零は帰ってきた時どう思うだろう――
「陸は僕が一緒の時はパジャマ着て寝るんだね。」
 …そうなんだ、何回か見られてる、零とのセックス。
「このままで、いい?」
 トランクスひとつの姿で聖に聞く。――ちなみにいつもはこれも脱いじゃってパジャマ着るんだけど。
 少し考えてから
「どっちでもいいや。」
 ニコッ、あぁっ、理性が吹っ飛びそう。
 僕はパジャマを床に捨ててこのままの姿で聖の横に潜り込んだ。ぎゅっ、と小さな身体を抱きしめて。
 本当は、こうやって待っているつもりだったんだ、零のこと。なのに、剛志くんのこと隆弘くんのこと、色々あって疲れちゃって、そのまま眠りに落ちていた。

 深夜目覚めた時、目の前に零の顔があった。聖は僕の上に覆い被さるようにして寝ていた。―なにも、してないよな、うん。
 ピクッ、零の指が動いた。
「…陸?」
 目は閉じたまま僕の名前を呼んだ。ゆっくり頭を持ち上げて瞼が開いて、瞳が僕を捉えた。
「部屋にいないから、嫌われたのかと思って…。」
 長い指が頬に触れた。
「なんで零を嫌うの?…嫉妬はしたけどね。」
 零の顔を見たとたん言ってやろうと思っていたことが全部消えてしまった。代わりに又涙が溢れてきて…僕ってこんなに泣き虫だったかな。
 胸の上で眠りこけていた聖がむっくり起き上がり、手を伸ばしてきた。
「聖ちゃん…?」
「ん…おにぎり…」
 夢を見ているんだね、ゆっくり頭を撫でてあげたら嬉しそうな顔をして再び僕の上で寝息をたてていた。
 聖のお陰で涙が引っ込んじゃったよ、零に向かって笑いかけることも出来た、ありがとう。
 顔だけ零の方に向けて、そうしたら最初は優しくでも途中から乱暴に唇を貪られた、僕もそれに応えていた。
「二人が寄り添うように眠っているのを見て、決めたんだ。これから僕が二人を守る、どんなことがあっても…陸を悲しませない、だからずっと側にいて。ここに…僕の横に。剛志のことはちゃんと話して分かってもらうから。好きなのは陸だけだって、ちゃんと話す。」
「僕はずっと信じていたよ、零のこと。だからいいよ、ここにいてあげる。」
 言葉にしたら身体が疼いてきて、どうしようもなくて、聖をそっとベットの上に降ろして僕達は二人の部屋に行った。

 聖が起きるより先にキッチンに立ってお弁当を作る。夕べ寝言でリクエストしていた『おにぎり』を握ってあげるからね。中身は鮭とたらこと梅干し。卵焼きを焼いて聖の好きな『赤いソーセージ』をたことチューリップの形に切ってフライパンの上に乗せる。隣でプツプツと鶏のから揚げが浮いてきた。家の中が香ばしい香りで満たされて行く。
 今日は聖とデートの約束、電車に乗って奥多摩まで足を伸ばそうと思っている。
 零も誘ったんだけど行くって言わないんだ。
「りくぅっ、昨日途中でいなくなったでしょう。」
 起きてくるなり言われてしまった。
「零くんと仲直りできた?」
「別に喧嘩していたわけじゃないよ。」
 わぁっ、どうしよう、顔が赤くなっちゃう。
 あの後ベットでの零は今まで以上に優しくて…激しかった。僕は何回昇りつめては突き落とされただろう…。
「あっ、お弁当。」
「あっ、こっちは零の分だよ。聖のはこっち、だめだめ後の楽しみが無くなるからね、開けるのは食べる時ね。」
 恨み言を言っていたのは忘れたかのように、楽し気に洗面所へパタパタと走って行った。
 零はまだ寝ている。ねぇ出かける前にもう一度僕に囁いてよ、『好きだよ』って。
 その時聖は洗面所に行く途中で思い立ち、寄り道をして零の横で自慢話をしていたらしい…。
 だから零が素っ裸でキッチンに慌てふためいて飛び込んできた時、何があったのか分からなかった、手には枕を抱えていたしね。
「何?地震?まだ油が冷えていない…」
「違うっ。…なんでも、無い。」
 クルッと僕に背を向けて立去りかけたけど耳が真っ赤だった。
「聖が『陸とキスした』って言うから…その…ごめん。」
「零」
 背中に声を掛けた、
「大好きだよ。」
 剛志君くんと零が恋人だったのは寂しかったけど、零は僕の手を取ってくれた。
 初ちゃんのいう、スキャンダルに巻き込まれるのなら絶好のネタだね、義兄弟で愛し合っているなんて。
 でも僕には零が義兄だっていう自覚が全く無い、あるのは優しい隣のお兄ちゃん。
 その『隣のお兄ちゃん』は僕を守ってくれるって約束してくれたじゃないか。
「僕も行こうかな。二人っきりにすると聖がなにするか分からない。あいつに陸取られるなんてカッコ悪いから。」
「カッコ悪いから?」
「…側にいたいから…」
 じゃあ、零に荷物持ちを担当してもらおう、良かった。

 リビングの窓を全開にして、僕は空を見上げた。雲一つ無い青空が広がっていた。