STAGE

 僕の好きな時間のひとつはステージの上。
 でも女の子達の視線が零に集中しているのが妙に気に入らない、だからどうしても笑顔が持続できないんだ。お陰で皆には不機嫌そうだって言われるし女の子達は遠巻きにしている。別に怖くないんだけど、ね。

 アンコールまでの幕間、剛志くんは何も無かったように僕に話しかける。本当にもう、平気なの?零の心を手に入れる代わりに彼が選んだのは仲間としての自分?
 僕は自分の幸せに酔いすぎていて人の心を思いやれなかった。
 出来るだけここにいるときは皆に接するのと同じように零と話をするようにしているつもりだけど…。
 やっぱり嫉妬している自分に気付いて俯く、それを見て零が声を掛ける、そしてまた甘えている自分がいる。あぁ、悪循環…。
「陸。」
 初ちゃんに声を掛けられて動揺した。また、怒られちゃうようなこと、したかな…。
「剛志にはちゃんと別に恋人がいるよ、そんなにびくびくすること無い、陸は胸を張っていれば良い。」
 何、それ…じゃあ、零は『遊び』だったの?ただの好奇心?色々知れば知るほど深みに填まって行く。
「ほらほら、そんなに湿気た顔していると、」
 きゃーっ、何時の間にか隆弘君が後ろに立っていた。
「犯しちゃうぞ。」
 そればっかり…。
「僕は浮気はしないもんっ。」
 精一杯の強がり。
「恋人に不満があったら恋人に言えよ、俺達には関係無いだろ。」
 それは、この間初ちゃんも言っていた「ごめん」そういうしか、無いな。
「それより、零は大丈夫なのか?」
「えっ…」
 まさか、僕は恐る恐る振り返った、ソファの上で零が突っ伏していた。
「だから言っただろう、ちゃんと治しておけって、風邪。」
 先週の末からなんとなく熱っぽかった、何度も病院へ行けって言ったのに「大丈夫だから。」って言って聞かなかった、それが当日になって悪化した、簡単なこと、零が馬鹿なだけ。
 意地張って、無理ばっかりして、僕にいつも「陸は子供っぽいんだから。」って笑うけど、自分の方がよっぽど子供じゃないか、心配ばっかりかけて。
「このままここにいて、今日はもう出なくて良い。」
「陸っ。」
 全員が大合唱、当たり前だ勝手にボーカルを引き摺り下ろすなんて、前代未聞だろうな。
「そう言うことは、皆で話し合ってだな…」
「話し合う余地は無い、強がっていた分今は全然力が入らないはずだ、立っていたって邪魔なだけだ。」
 全員唖然として見ている。
「僕が…代わりに行く。」

 前にも言ったけど、僕はステージの上であまり素顔を見せたことが無い、いつも不機嫌にしているって言われてて、だからもちろんMCも一言も発したことが無い。その僕が…何考えているんだ。
 本当は心臓が口から飛び出してくるんじゃないかって思うほどドキドキいってて視界がぼやけるほど緊張しているのに、皆に笑いかけた。
「僕は零の弟だ。」
 だからなんなんだよっ、なんの説得力もないだろう。
「…そっか。」
 初ちゃんは何故か納得していた。
「陸なら出来るかも…まぁ、少々変でも愛嬌と言うことで、アンコールだし。」
 …愛嬌で金を取るな。
「大丈夫、僕が何とかする。零はここにいるんだよ、絶対出てきちゃだめだからね…せめて一曲分だけでも我慢してて。」
 アンコール、三曲分の一曲だっていい、話も出来ないほど息が上がっている零を休ませて上げられるだけだって違うと思うし…自分に言い聞かせる。
 震える足に心の中で渇を入れて1歩踏み出す。零の為なら、なんだって出来る。
 薄暗い通路から燦然と輝くスポットの下、僕はいつもの零の定位置に立ち、ひとつ深呼吸。会場がざわめく。
「零が熱出して辛そうなので少しだけ僕に付き合ってください。」
 もう一度深呼吸。
 隆弘君がスティックを鳴らしイントロを演奏し始める、あと一小節で…と、口を開きかけた時肩を叩かれ物凄い力でグッと後ろに引っ張られた。
「ここは僕の場所だから、取るな。」
「零」
 控え室での零は零だったのだろうか、確かに瞳は充血したままだけど僕よりもしっかりした足取りで立っていた。 一瞬の静寂の後いつものように零に向かって女の子達の嬌声が飛び交った。
 もう一度背中を押された、零の手が熱い。
「零、歌えるの?」
 瞳が微笑んだ。そしていつものように零の、歌声。

 アンコールの予定を強引に一曲に変更してライブを終了させた。ギターに付着した汗やゴミも拭き取らず弦を緩めることもせず無造作にケースに突っ込んで後のことを全部皆に頼んで、僕はマネージャーを伴って零を連れ帰った、多分10分と掛からなかっただろう。
 翌日になって気付いたのだが一番大事にしていた愛器をステージの上に置き去りにしていた。初ちゃんが預かってくれていると留守電に入っていた。
 マネージャーの運転する車の中でぐったりしている零を抱きしめて僕は祈っていた。熱が上がっているのだろうか微かに身体が震えている。
 早く、お願い早く零をベットの上に横たえさせてあげて、これ以上零を苦しめないで。
 零には掛かり付けの医者がいる。そこに立ち寄ってもらって老医師を叩き起こした。
「この馬鹿は俺が嫌いなんだよ。」
 平然として老医師は言う。
「大丈夫だ、こいつの大嫌いな注射を一本打っておいたから。」
 豪快に笑うけど、本当に大丈夫なのだろうか。
 目を覚ますまで不安で仕方なかった、ステージを降りてからずっと眠ったままだ。
 眠そうな目をこすりながら聖が出迎えてくれた。
「どうしたの?」
と、心配そうな瞳で零の顔を覗きこむ。
 ごめん、今は聖のこと考えられない、零…なんで僕のいうこと聞いてくれないの?すぐに医師に掛かっていればこんなに苦しむことは無かったでしょ、本当に大馬鹿だよ。
 寝室へ運びこんだ。そのままマネージャーを帰して僕は眠りつづける零の顔をずっと見つめていた。
「陸…」
 聖が僕の背中に半べそをかきながら頬を押しつける。
「大丈夫だよ、聖ちゃんは寝てていいよ。朝になれば元気になっているから。」
 背中に向かって声を掛けた。
 聖の手を引いて部屋に連れ戻す、
「僕も寝るからね、聖もちゃんといい子で寝ること。」
 言い聞かせてぎゅっと抱きしめて寝かしつける、――本当は今ここで思いっきり泣きたい気分なんだ、どうして不安なんだろう、たかが風邪で伏せっているだけじゃないか、今日に限って…。
 寝室に戻って零の額に僕の額を当てる、あぁまだ、だめだ…。
 リビングへ行き体温計を探し当ててそれを口に突っ込む、ちゃんと計れるだろうか…。5分きっかりに取り出すと目盛りは7度6分まで下がっていた。さっき老医師が打ってくれた注射のお陰かな?。
 冷凍室に入れてある保冷剤を袋に入れて脇の下に入れた、こうすると良いって前に零のおばあちゃん…僕にとってもおばあちゃんなんだけどね…が、教えてくれてここに置いて行ってくれた。以前は良く顔を出していたらしい、最近は…来てくれなくなっちゃったけどね。
 こんな時は自分の非力さに歯噛みしてしまう、僕じゃない人が側に居れば良かったのじゃないかって。
 僕がここにいなければおばあちゃんが来てて、愛さなければ剛志くんが今こうしていたかもしれない。でも、現実問題僕がいる、僕が零の手を今こうして握っている。
 いつしか僕はベットの側らに座りこんだまま眠ってしまっていた。

「…くっ、陸っ。」
 ん…なんだろう、誰かが呼んでる、でももう少し眠っていたい…。
「あっ」
 慌てて目を覚ました、寝ている場合じゃない、零は?
「そんな所で寝ていたら今度は陸が風邪を引くよ。」
 ちょっとかすれた声が言った。
「れいっ…」
 気がついたんだねって続けたかったのに声にならなかった。
「なに、風邪で死ぬと思った?」
 そう言いながらも、表情は辛そうじゃないか。
「…肺炎になったりしたらどうするの?僕の言うことなんかいつも馬鹿にして、聞いてくれなくって、心配…ばっかり…いやだよっ。」
 駄々っ子のように首を左右に大きく振りながら、訴える。
 ベットの上から零の手がスッと伸びて来て僕の頬を捉えた、あっもう熱くないね。
「ごめん、」
 最近あなたは謝ってばかりいる、本当頭にくる。
「…これ、返すよ。」
 あっ、さっきの保冷剤、もうぶよぶよになってる。引っ手繰る様にしてそれを受け取り代わりに体温計を渡す。
「…計れっ。」
 あらら、言葉遣いが悪くなっちゃった、でも、良かった。
 パクッと体温計を口に咥えて、んって顔して僕を見てる、なんか照れくさい。
 保冷剤を戻してこよう、僕は立ちあがった。けど、シャツの裾を捉えられて前に進めなかった。
「何甘えてんの、聖ちゃんじゃないんだから。」
 そう言っても零は手を離さなかった。
「お水、持ってくるよ、喉乾いたでしょ。」
 コクン、と頷く。やっと手を離した。
 今何時だろう…ちょっとリビングの時計を覗く、4時20分―んっ、もうふた眠りは出来るぞ。
 コップを手にして寝室に戻る、すると悪戯っ子のような顔で零が待っていた。
「ね、飲ませて。」
「…自分でやって。」
 ふーん、それが目的だったわけね。
「そんな恨めしそうな目で見たってだめだからね。…二人で風邪ひいたらどうするの。」
 無言で寂しそうな表情を作られると、弱いんだよなぁ。
 水を口内に含んで口移しで飲ませる、あぁんっ、もうっ、恥ずかしいよ。
 零の喉がゴクンと鳴って飲み下す、もう一回と思ってコップに手を伸ばそうとしたところを捉えられた。
「んぐっ」
 やだっ、変な声出ちゃった…ちょっと待ってよ。僕の心とは裏腹に零の手は舌は動きを止めなかった。
「ステージであんなことやって、僕を嫉妬させようって魂胆?」
 唇を離した零が言う。なんの、こと?
「あっ、体温計…何度あった?」
「6度8分、もう少しだな。おいで、布団の中熱いけど…」
「うん。」
 このとき始めて自分がステージを降りた時のままでいる事に気付いて急いで着替えた。
「次は悔しいけどあのヤブ医者のとこ行くよ。あのじじい、いつまでも人のことガキ扱いして…」
 数分後、横に潜り込むなりそう言われた。
「こじらすと今日みたいに陸が泣くからさ。」
 まだ少しだけいつもより体温の高い身体に、僕の身体は抱きすくめられた。それで、安心しちゃってそのまま零の腕の中で眠っていた。

 朝、なかなか起きない僕らに痺れを切らした聖が乗り込んで来た。
 あと1週間もすると聖の幼稚園も春休みが終わっちゃう。んーっ、朝寝坊は出来なくなるな…。
「ねぇー、陸、テレビに出てるよぉっ。」
「誰が?パパ?涼さん?零?」
「陸。」
 いっぺんで目が覚めた…嫌な予感。ベットから転がり落ちるように飛び出してリビングに駆け込んだ。あーっ、なんでだよぉ、昨日は取材関係は入ってなかっただろう…、またマナーを守らない女の子達だ。
 横で聖が楽しそうに見ている。
 …日本は平和だな…こんな僕がステージで一言話しただけで騒ぎになるようなんだから。でもしばらく電車には乗れないなァ…。

 言うまでも無いけど僕はまたステージで無口になった。だってあれから僕に突き刺さる視線が増えたから緊張しちゃってさ、ギターに集中することにした。