| 朝、7時。 目覚し時計が鳴っている。
 今日は何が何でもこの時間に起きるって決めたんだ。
 聖と話が出来るのは朝のこの時間だけ。聖が出掛けた後また寝ればいいんだから、兎に角、起きるんだ。
 …パタン…
 はっ…駄目じゃん、僕…。
 
 
 「又起きられなかったんだ?」
 僕は言葉を発することも出来ずにただ頭を肯定する縦方向に動かす努力だけはした。
 「…この世の中で唯一人、僕に嫉妬させることの出来る人間は聖だな。」
 零は僕を抱き寄せた。
 「大丈夫、聖はちゃんと判っているから。それに僕達のツアーはいつだって聖のスケジュールに合わせている。」
 ライブツアーが始まると簡単に家には帰れなくなる。だから聖を連れて行ける長期休暇…ま、夏休みだね…を狙って集中的にやる。
 それ以外は出来るだけメディアに登場するようにしていた。
 しかし先日のパパが言い出したACTIVEアイドル化計画の一環で俄然注目されたのが…レギュラー化まで考えられた隆弘くんの特技…まぁいつもライブでやっているんだけど『しゃべる太鼓』だ。
 一番大きい太鼓だけを使って会話をするんだ。あれって足でリズムをとるものなのになぁ、と思っていたら「練習が長くなるとよく太鼓に文句言わせていた」と零がつぶやいた。ま、怪我の功名?偶然やっていたことがうまく出来たらしい。
 『あの人』もよくギターをしゃべらせているもんなぁ。彼くらいのギタリストになると出来ないことはないんだろうなぁ。
 この時点で僕は隆弘くんに随分失礼な考えをしていることに気付いたけど…まぁいいか。隆弘くんだっていつも平気で僕に失礼なこと言うもんね。
 「陸?」
 一人で考えごとに没頭していて、零をほったらかしにしてしまった。
 「零のCM楽しみだなぁ」
 零の背中に腕を回して胸に呟く。
 今度のCMは零が単独出演。新しい清涼飲料で「COOLに」がコンセプト。果たして零に出来るかな?見た目は確かにCOOLだけど中味はHOTだよねぇ。ちょっと不安。
 「僕より剛志だよ。映画なんて平気かな?」
 「初ちゃんだって半年間契約で雑誌のモデルだもんねぇ」
 「隆弘のトーク番組だって大丈夫なのかな?まぁ、深夜だし、相手がミュージシャンばっかりだからなんとかなるのかな?セッションばっかりになっちゃうなぁ・・・。ま、あいつも楽器は一通りこなすからどんな人とでも音合わせはできるしな。」
 皆それぞれに役目を与えられたのだ。
 「短期集中ツアーも始まる。」
 今回のツアーはシンプルに『夏』がテーマ。夏っぽい曲ばかり?かと思いきや涼しくなってもらうために《雪の歌》もある
 新曲を一人一曲作らなきゃいけなくて…あんまり聖以外のことは考えたくないなぁ。
 
 
 午後二時。テレビ局のミーティングルーム。
 林さんと僕は一番先に着いてしまった。
 「あ、ヒマ人」
 人の顔を見るなり、訳の分からない言い掛かりをつけてくる女だ。
 「遅刻しておいて何を言う。」
 「ミュージックステージが押したのよ。」
 偉そうに。
 「こっちは後がつっかえてますから、時間になったら失礼します。」
 さえが悔しそうに何か言おうとした時、ドアが派手な音をたてて開いた。
 「おはようございますっ、あ、野原さん、いつも拝聴させていただいてます。いいっすよね、野原さんのギター。すっげぇかっこいいっす。ライブにもいったことあるんすよ、本当。しびれました。」
 ドアを入ってきて止まる事も無く僕の隣のパイプ椅子に腰を下ろしたのは伊那田 和海だった。
 「どうもありがとうございます。」
 とりあえず挨拶。
 「何度か歌番組でご一緒しているんすけど、覚えてます?俺等のこと。」
 …僕のこと馬鹿にしてる?
 「はい、勿論です。日本で一番人気があるDisですからね。」
 「いやぁ、よかったっすっ。陸さんいつも俯いて周り見てないから知らないかと思ってましたっ」
 あ、そういうことか。それは失礼。
 「ちゃんと拝見していました。」
 テレビで。
 「なんか陸、起こってる?」
 え?
 「やだなぁさえは。野原さんはそれがいいんだよ。顔はさえなんか足元にも及ばないくらい美人なのにあんまり笑わない。謎の美少女みたいじゃないか?」
 「地雷、踏んだわよ。」
 さえが呟く。
 でも僕は動かなかった。二十歳になったから、皆に迷惑は掛けられないから。…それにギタリストは手が大事だから指を痛めるのは厳禁。
 「野原さん、恋人、いますね?」
 僕はむかついた気持ちを押さえるために閉じていた瞼を、ゆっくり開ける。
 こいつ、本当に僕に好意的なのかな?
 「あのさぁ、そろそろ気付いてもいいんじゃないの?陸は私の恋人。」
 ……………僕は頭がおかしいのか?
 「芸能界広しといえど陸がこんなに親しく話せる相手はメンバーと私だけだから。」
 確かに。それはあっている。…って、納得している場合か?
 「今年のクリスマスはどうする?でもまた仕事かな?」
 さえが妙に甘えてくる。
 「人が、見ている」
 耳元でさえが囁いた。
 「まだばれたくないんでしょ?だったら言う通りにしていなさい」
 こいつ、ボクのこと心配してくれてるの?
 なんか、もしかしたらさえっていい人なの?僕は今まで間違って見ていたのかもしれない。
 「遅れてすみません」
 番組制作担当の人が20分遅刻してきたお蔭で終了が10分押してしまった。これ以上は次の仕事に支障が出るので詳細はメールで事務所に流してもらうこととなった。
 「じゃあ、お先に失礼します。」
 「野原さんっ」
 ガッ
 と、肩を掴まれた。
 「俺も、陸って呼んでいいっすか?」
 「勿論。宜しく、かずくん。」
 少し照れたように笑う。やっぱりスーパーアイドル、かっこいいなぁ。
 「カズでいいっす。」
 僕より年上なのにずっと丁寧な口調なんだな。…ってめちゃくちゃな日本語だけど。ため口じゃないのは確かみたいだし。
 「陸」
 ドアを出たところでさえに声を掛けられた。
 「さっきはありがとう。」
 「うん…」
 「伊那田くんはゲイなの」
 耳元でそっと囁かれた。そしてすぐに部屋に戻っていった。
 閉まったドアを見詰めながら思ったこと。
 ―僕は彼の守備範囲?―
 ん〜どこまで本気にしたらいいのだろう?
 
 
 「林さんはどう思う?」
 「何が…ですか?」
 「伊那田くんのこと。」
 「ん〜微妙ですね。」
 「何が微妙なの?」
 林さんは僕の質問の意図がわからなかったらしい。
 「さっき、さえが言ったんだよ、彼はゲイだって。」
 「そう、なんですか?」
 林さんは納得していない顔つき。
 今日は道が空いているらしく信号に引っかかることなくスムーズに車が進んでいく。
 「これならそんなに遅刻しないですむかな。」
 「そうですね。」
 それっきり、伊那田くんの話は出なかった。
 
 
 「それでは、台本通りさえちゃんのMCから行きます。」
 いよいよ、番組撮りが始まった。
 「さて、今日から始まった『野原陸、ギター教室』です。ACTIVEのギタリスト、野原陸さんを講師にお迎えしてギター初心者のさえと中級者の伊那田 和海さんで毎週公開教室をお送りします。…後悔教室にならないことを祈っているのですけど・・・陸さん。」
 えっ、と…そうそう、僕のセリフ。
 ええい、とりあえず愛想笑い。
 「大丈夫、後悔はさせません。絶対好きになってもらいます。」
 しまった、『ギターを』が抜けてしまった。
 「オレ、ギター自己流なんすけど、陸さんは誰か先生についたんっすか?」
 「僕はとっても有名な先生に教えていただきました。」
 伊那田くんのアドリブが入った。
 「誰っすか?有名な先生って。」
 「ACTIVEのボーカル、加月零のお父さん…って知ってます?」
 伊那田くんはすかさず、
 「知ってる知ってる、加月涼さん!すっげー綺麗な人なんだよね。無口でちょっと影があって…」
 「零のお父さんとは思えないよね、性格全然違うから。」
 いけない、どんどん話が反れている。
 「でもとっても教え方は上手いんだよ。」
 僕はフォークギターを手にした。
 「まず。弾いてみて…って言われたんだ。初めて手にしたのに。」
 さえは後ろで相づちを打っている。
 「左手はネックに添えているだけで右手も親指の爪で一弦から弾いた。そこで間違いを指摘されると納得するんだ。」
 「あー、確かにそうかも。自己流だって誰かのを見よう見まねでやるけど知らなかったらそんなことあるかもしれない。でも兎に角楽しむことが前提なんだ。」
 伊那田くんはのりがいい。
 「そろそろさえにも教えて欲しいです。」
 「ん、じゃあギター自分が一番かっこいいと思うポーズで持ってみて。」
 さえは立ち上がり、弁慶か赤鬼みたいにギターを左手に床に突いて仁王立ちした。
 「今日はここまで!」
 「はい、お疲れ様です。10分後二回目を撮ります!」
 おーい、今のでいいのか?
 さえがメイク直しで中座している間、伊那田くんが話しかけてきた。
 「陸は加月さんの幼なじみなんだ。」
 「うん、僕が5歳のときに隣に越して来た。でも元々零のお母さんの実家だったからよく遊びに来ていたんだよね。年が近いからすっごく可愛がってもらったんだ。」
 零の話になると僕はついつい、饒舌になってしまう。
 「幼なじみで同じバンドにいて…よく一緒に暮らそうって思うよね。」
 伊那田くんの目は笑っていなかった。
 「陸の恋人って…」
 「陸〜♪」
 …重い…
 「なんだよっ」
 背中にしっかりと張り付いているのは当然のことながらさえ。
 「いつ新曲作ってくれるの?」
 ?
 「約束したじゃない、次は僕の曲を歌ってね…って言ってくれたのに。」
 言ってない、言ってない。
 「俺らの新曲も作ってよ。」
 正面にいる伊那田くん、今度は笑っていた。
 「いいよ。でも今はツアーの方で手一杯だから、秋以降でいい?」
 「いい、いい。全然いい。」
 「でも…事務所を通さなくていいの?Disの事務所って大きいから色々大変なんじゃ…」
 彼はわざとらしい笑顔を作って
 「オレの顔、立ててくれないわけないじゃん。」
 と、今時流行らない、Vサインを出した。
 「二回目の撮り、入ります。」
 スタッフに呼ばれて二回目分の撮影に入る。今日だけで4回分の撮り貯めをするそうだ。
 
 
 「次も、僕が着いてきます。」
 何故か斉木くんがとっても怒っている。運転が心配だ。
 「この間の打ち合わせのとき、さえが言っていたんだけど、伊那田くんってゲイなんだって。」
 「絶対に違いますね。彼はマスコミの犬ですね。」
 「犬?」
 「陸さんのこと、嗅ぎ回ってんです。だから彼女がやたらと纏わり着いているんですよ。」
 「そう、なの?」
 気付かなかった。
 「同じ、音楽の世界にいるのにね。」
 「自分より人気のある人間が気に入らないんじゃないですか?彼はトップアイドルと呼ばれる人種ですからね。」
 斉木くんの鼻息が荒い。
 「陸さんと零さんの生活は僕が守りますから。」
 え?
 「もしかして、僕たちが一緒に暮らしているのって、とっても面倒なことなの?」
 「いや、初さんよりは…全然OKなんですけどね。」
 あっ、初ちゃんの彼女はアイドルだもんね。
 「陸さん…もっと郊外で広い家に住みませんか?そうしたら僕の部屋も作ってください。」
 ……………
 「悪いけど…部屋が20個余ってても断るよ。」
 全部屋防音にしたって駄目だからね。
 「どんなヤツからも、僕が二人を守ってあげられるのに。」
 斉木くんは真剣な目をして言っている。
 「あ、でも目の前でいちゃいちゃされたら嫌だな。今でも楽屋とかでいちゃいちゃしてますもんね。」
 「な、そんな、してないよっ」
 「いいえ、陸さんの目はいつだってピンクのハートです。」
 そ・そんな…
 「だから感付かれるんです、あんな男に。」
 「気を付けます…」
 本当に。折角三人で暮らせているのに。折角、僕の理想の家族が出来上がったのに。
 車は静かにエントランスの前に停まった。
 「じゃ、ここで。」
 「うん。明日は10時に事務所だよね?」
 「そうです。」
 「おやすみなさい。」
 「おやすみなさい。」
 ドアを閉めると、斉木くんの車はまた、静かに発進した。
 オートロックの鍵を解除し、エレベーターのボタンを押す。これにはカードキーが必要なのだ。最近このマンションのエレベーターが故障したので最新式のものに変わった。お陰で知らない人と一緒にならなくなった。カードキーが刺さっている間は他の階でボタンを押しても通過してしまうのだ。
 だから忙しい時間には困ってしまうけど、それでも不振人物と遭遇しないのはうれしい。
 エレベーターは7階で停まった。
 聖の待つ部屋に帰ってきた。
 「ただいまぁ〜♪」
 しーん
 しまった、聖は寝ている時間だ。
 スススッと奥でドアの開く音がする。
 「おかえり」
 「零?どうしたの?聖と一緒に寝ていたの?」
 珍しい、零が聖と一緒にいるなんて。
 「うん。今夜は意外と早く帰れたから、二人ですき焼きにした。で、一緒にお風呂に入って、少しだけゲームして、宿題見てやって、今寝かしつけたところ。」
 なんか…いいないいなっ、僕が聖にやってあげたかったことだ。
 「陸も一緒にお風呂に入ってあげようか?」
 「別にいいよっ」
 「何拗ねてんの?」
 「拗ねてなんか、いないもんっ」
 ぎゅっ…
 「聖が陸に『ぎゅっ』てして欲しいってさ。」
 「本当に?」
 最近、聖は大きくなったから『ぎゅっ』はしないって照れるのに。
 「陸の『ぎゅっ』がないと寂しいらしい。」
 「僕も…僕も零の『ぎゅっ』がないと寂しい。」
 零の腰に腕を回す。
 「うん」
 「好き…」
 世界で一番、好き。
 「僕も…好きだよ。」
 顎に手を掛けられ、零の舌が僕の唇の輪郭をなぞる。
 「そんな、可愛い顔で誘うなって。」
 言いながら人指し指で輪郭をなぞる。
 「すごく気持ちよさそうな顔してる。なんかやらしい。」
 僕に反論の暇を与えずおしゃべりな唇は獲物を捕らえた。
 身体が宙に浮くほど強く抱き締められ、舌が痺れるほど深く口づけた。
 「こっちは?」
 零の手が下着に侵入しようとしたその時、
 「あ、陸だっ」
 「わあ、聖起きてきてくれたの?」
 僕は零の腕から抜け出すと聖を『ぎゅっ』と抱き締めた。
 「聖、だ〜い好き」
 「僕も陸が大好き」
 零よりずっと弱い力で、でもしっかりと腕が僕の背に回された。
 「なんだよ、ふたりとも僕のときは『好き』だったじゃないか!」
 「だって〜!」
 「なんで〜?」
 僕らは互いに顔を見合わせ思いっきり笑った。それでも零は不服そうだったけどね。
 
 
 「陸、僕にもギターおしえてくれる?」
 先日撮ったギター講座の第一回目が放送になった。それを見ていた聖が隣で呟いた。
 「聖もやりたいの?」
 「うん!」
 なんか嬉しいな。この番組を通じて一人でも楽器を演奏する楽しさに目覚めてくれたら、それだけで僕は幸せ。
 「それなら実家から僕が使っていたのを持ってくれば良い。少しこぶりに涼ちゃんが作ってくれたレインボーカラーの…」
 いきなりそっちからやるのか…
 さりげなくクローゼットの奥からケースを取り出してリビングへ移動。
 「多分これじゃない?」
 中から出てきたのは色違いだけど同じ形の物。
 「涼さんがくれた。零と同じだよって。」
 僕のはやっぱり皆がそう思っているんだね、ピンク色だよ。
 「陸のラッキーカラーだね?」
 「そうだね。」
 きっと、そうなんだ。僕は中間色のイメージなんだ。
 「何落ち込んでんの?それ元々みんなピンクなんだよ。僕のは工房で塗り替えてもらったんだよ。」
 そっか。
 「じゃあ僕も…ん〜でもいいや。」
 なんかピンクでいい気がする。だって聖がピンクのギターを抱えているのってちょっと可愛い。
 「はい、じゃあこれは聖にあげようね。」
 「くれるの?」
 「うん。ギターに興味を持った記念。ちゃんと弾いてね。」
 「うんっ」
 僕の宝物は聖。だから大切なもの位、いくらでもあげられるんだよ。
 
 
 数日後。
 歌番組でDisと一緒になった。
 「よっ」
 伊那田くんと廊下ですれ違った。
 「相変わらず、仲が良いね。」
 …零とのことを言っているんだろう。彼は僕たちの関係を疑っている?
 「陸」
 いつものように隆弘くんが背後から僕の腰を抱く。
 「今日も一段と美人じゃん。」
 そう言うと額にキスをして、去って行った。
 「陸さんっ、何してんですかっ。早く早く。」
 斉木くんが手招きしている。
 「陸ってもしかしてさ、とっても…ま、いいや。じゃあな。」
 手をひらひらとさせて伊那田くんは控え室に消えた。
 「何々?」
 僕は急いで自分達の控え室に飛び込む。
 「やっぱり、やばいですよね?」
 「うん。陸、大丈夫だ。お前は俺達で守ってやるからな。なんてったってACTIVEの姫だからな、陸は。」
 あの…僕には隆弘くんと斉木くんが言いたいことが分からないのですけど。
 ゴツンッ
 「痛いってっ」
 「ありがとう、助かったよ、隆弘のお陰で。」
 零がものすごーく、怒っている。
 隆弘くんは頭を押さえながら、俯いているけど肩は笑っている。
 その日の零の歌は物凄く冴えていた。
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