二度目のプロポーズ
「陸」
 先にベッドに潜り込んで、すでに体温が上昇していた僕は、夢うつつで名を呼ばれた。
 返事をしようと重くなった瞼と唇を、必死で動かすがなかなか動かない。
「寝ちゃったか…ま、仕方ないよな。夕べは完全に徹夜だったし、一昨日だって二時間しか仮眠とらせてやれなかったもんな。」
 零の手が額をなでている。それがとても気持ち良くてまた眠りに引きずり込まれそうになっている。
「でもさ、二日も陸を抱いてない。おかしくなりそうだ。…実際おかしいよな。弟に欲情するだけでは飽き足らず、毎晩泣かしている。でも、欲しいんだ。陸を抱いているときが一番充実した時間なんだ。陸と、繋がっていたいんだ。」
 零ってば、零ってば…
「えっち…」
 それだけ言うのが精一杯だった。
「寝言か。夢の中でお前は誰と抱き合っているんだよ。なんか妬やけるな。」
 駄目、もう意識が………


「なんか変な夢を見たんだよね」
 久しぶりに早く寝たので朝も早くに目覚めた。残念ながら世の中は日曜日で聖を学校に送り出すことは出来なかったけど、一緒に朝ご飯を作って今、零を起こしたところ。
「零がいぢわるなんだよねー、何してもNGなんだよ。」
「…僕が?」
 言いながら明らかに安堵の表情を浮かべている。
「いいじゃない、現実は甘いからさ。」
 確かに。零は聖と僕にはめちゃくちゃ甘い。でもメンバーにはいぢわるだよなぁ。
「剛志くんには特に要求が厳しいよね。」
「あいつは…やれば出来るのにすぐに放り出す悪い癖があるんだ。だから初とも相談してそういうことにしたんだ。」
「そう、なんだ。」
 剛志くんは昔、零の恋人だった。零はすっかり気持ちを切り替えちゃってるけど、剛志くんは違う。
 時々零を見ては切なげにため息をつく。僕にはよく、零の家でのことを聞いてくる。
 好きな人がすぐそばにいて、一度は身体の関係までもったのに別の人を好きになってしまったら僕なら一緒にいられない、逃げ出したい。
 だけど剛志くんはこのメンバーが好きだと言ってくれた。このメンバーじゃなかったら音楽を続ける意味がないと言ってくれた。僕はその気持ちに応えなくてはいけないと常々思っている。
「陸は僕にいぢわるだよ。」
 スクランブルエッグを器用にフォークで掬いながら、少し上目遣いで聖が呟いた。
「なんで?」
「だって…宿題手伝ってくれるっていつも言うけどすぐに寝ちゃうもん」
「それは…」
 大抵、零が悪い。
「でもお仕事忙しいもんね。あ、そうだ。僕ちゃんとギターの練習してるよ。この間はパパに教えてもらったの。でもよくわからなかった。やっぱり陸の方がいいや。」
「聖…」
 僕はいますぐ聖を抱き締めて頬ずりしてキスしたいという衝動をぐっとこらえた。
「涼さんはまず楽しくなることから始めるから。僕は楽しいことは既に前提に入っているからね。つまり、やりたい人にしか教えない。」
 そう。音楽は好きだという気持ちが大切。やっているうちに辛いことが度々あるけど好きな気持ちがあれば乗り越えられる。そう思う。
「僕はね、ギターを弾くことを仕事にしたんだから、今出せる最善の力でいつも弾きたい。それが僕らの音楽を聞いてくれる人への最良の感謝の気持ちだと信じている。僕がファンの人に返せるのはギターを弾き続けていつでも楽しい気持ちでいてもらうことなんだ。だから楽しくなかったら上手くならなくていいと思っている。」
 サクッ
 トースターから取り出したばかりの香ばしい香りを放つトーストを齧りながら、零は微笑んだ。
「陸らしい」
「そう、かな?」
「ねぇ、拓ちゃんと実路ちゃんは僕の何になるの?」
 突然、聖が全く別の話を持ち出した。
「うーん、そうだね、零の妹の子供だからいとこだね。」
「でも…陸の弟と妹だよ?」
「うん。零と聖と僕は確かに血の繋がりがあるけど聖は違うから…」
「違うよ、陸は零くんと結婚してるから、二人は僕のおじさんとおばさんになっちゃうのかな?って思ったの。」
 あ
「確かに。聖の言いたいことは分かった。でも残念なことに僕はまだ陸と結婚してないんだ。お預け食らってるんだよ。」
「なんで?結婚って大好きな人とずっといたいからするんじゃないの?」
 また、朝から難しいことを言い出したなぁ。
 だけどだけど聖の言いたいことは分かる、僕だって何度も何度も願ったことだから。
「僕が大人になって零をちゃんと守ってあげられるようになったら…ううん、僕が社会人として自信がもてるようになったら、皆に堂々と言えるようになったら、零に結婚して欲しいってお願いする。」
「零くんが他の人を好きになっちゃったら?陸は出て行っちゃうの?」
 零は聖の身体を背後から抱き締め、
「そんなことは絶対にない」
と言うけど、
「そのときは聖をもらって行くから。」
とだけ答えた。
 零に好きな人が出来たら、なんて考えたこともなかった。
 零の腕はいつだって僕を抱き締めてくれるために大きく広げられているし、その胸は僕の頭の形を覚えているかのようにいつもジャストフィットして吸い着く。僕に向けられる笑顔がいつか消える日がくるのだろうか?
 突然襲ってきた不安は僕をひたすら動揺させた。


 聖を部屋に残して昼過ぎにスタジオ入り。
 今日も昨日迄の続きで音合わせやら進行のことやら細かい作業だ。でも山場は越えたのであとはライブ当日、万全の体調を整えることが大事な使命となる。
 夜のお勤めが減るのは…無理だろうな。
 突然、背後から抱き寄せられ、耳元に囁かれる。
「好きだよ」
 零の声、僕の大好きな零の声。
「嫌いに、ならないで。」
 零?もしかして零も不安になっていたの?だからここに来る間、車の中で異様にはしゃいでいたの?
「うん。」
「結婚、しよう?陸を束縛したい。なにもかも、全て僕のものにしたい。これは約束だから。裏切らないっていう、僕の陸への約束だから。もしも陸に好きな人が出来たら…僕は毎日不安なんだ。僕以外の誰かを好きになる可能性なんていくらでもある。それを止める術を僕は知らない。」
 零の熱い息が頬にかかる。
「帰りまでに考えておいて」
 珍しく、零が回答を急がせるのにはわけがあるのだろうか?
「んなとこでいちゃいちゃしていると荒木監督にどやされるよ。」
 いけない、リハーサルの途中だった。
 隆弘くんの声に弾かれる様に僕らは慌ててスタジオに飛び込んだ。


「で?答えを聞かせて欲しい。」
 車に乗り込むや否や、零は僕の顔をのぞき込みはっきりとそう言った。
「どうして急ぐの?」
「さえが真面目に陸に惚れたらしい。」
 そんなこと…
「あいつだけじゃないよ、陸を狙っている人間は五万といるんだ。」
「僕は…零にもしも好きな人が出来たらって思った。でもね、考えても無駄なんだ。心が離れたら、いくら何かをしても変わらない。だったら僕が努力する。零にずっと愛されるよう努力するよ。…って、何を企んでいるのかな?」
「え?」
 明らかに動揺している様子だ。
「聖と二人でなにを企んでいるのかな?」


「駄目だったよ。」
「なんだぁ〜」
 マンションに辿り着くなり零は聖にむかってこう発したのだ。こいつら…反省していないのかな?
「陸の花嫁姿、見られると思ったのになぁ。」
 花…嫁?
「そろそろ女装させるのは限界だよな。最近、陸の身体の線が変わってきてる。」
 え?
 僕の心臓が驚きでドキドキいっている。
「僕を誘ってる。」
 …動揺して損した。
「誘うってなあに?」
「陸がなんにも言わないのに、僕がいたずらしたくなるってこと。聖も陸にいたずらしたくならないか?」
「なるぅ!」
 な、な…。
「何考えてるんだよ!ふざけるのもいい加減…」
 僕は思わず手を振り上げていた。その手を止め、零は僕を見つめたんだ。
「ふざけてないよ。僕は素直に答えた。陸が大人になろうと、老人になろうと、僕の気持ちは変わらない。だから、結婚、しよう?形だけでいい。この間の陸の誕生日に集まってくれた仲間達にちゃんと伝えたい。」
 零は本気で言っているんだ。
「外に漏れないようにする、約束する。僕だって聖がいじめられるのは嫌だから。でも…」
 言葉を切る。俯いて、しばらく間をおいてまた顔を上げる。
「僕と聖は親子なんだ。でも陸と聖はこのままでは兄弟なんだ。陸とパートナーの契約をして、二人できちんと聖の親にならないか?」
「そんな契約、どこも受付てはくれないよ?」
「二人の間で交わせばいいんだ。」
「なら今だって変わらない。」
「気持ちの問題なんだよね。」
「気持ち…」
 なぜか、零が焦っている気がした。
「誰にも、陸は渡さないって、僕の覚悟かな?だから陸もそろそろ覚悟する気持ちを固めてよ。」
 こくん
 僕は無言で頷いた。


 その晩、ベッドの中で零は優しく腕枕をしてくれ、何も言わずに寝息を立ててしまった。
 僕はモンモンと考え続けていた。


「夕べのことだけど…」
 まだ夜も明けきらぬ時刻、僕は眠っている零を強引に起こして自分が一晩掛けてだした結論を伝えた。
 零の手が優しく僕の額に触れる。
「いいんだ。陸の思うこと、教えて欲しい。」
 こくん。
 僕は頷いた。
「零を、守れる男になりたい。今の僕は零に頼ってばかりだから。でもね、そんなこと考えても簡単に強くはなれないんだ。だから…」
「言っておくけど。僕は一度決めたら絶対に離婚はしない。その覚悟はしておいて。」
「うん。」
 そっと、左腕を零の首に回すと耳もとへ唇を押し付けた。
「結婚したら、浮気は許さない。」
「当たり前だよ。」
 零の身体がふわりと浮いたかと思うと僕の身体を跨いでそのまま抱き込まれた。
「良かった。さよならを言われるかと思った。」
 そう言うといつものように僕のパジャマを剥がしに掛かった。


「おはよう、聖。」
「おはよう。今朝は早いんだね。」
「うん、目が覚めたから。」
 いや、正確には寝かせてもらえなかったのだが。
「聖。」
「ん?」
「今日から、僕も聖のパパになる。」
「えーっ!やだよぉ。陸はママじゃなきゃ駄目。」
「それは無理だよ。」
 そう、それは無理。
「いいの。僕が決めたの。で僕が大きくなったらお嫁さんになってもらうの。」
「ごめん、それも無理。だって僕、零と結婚したから。」
「えっ!零君のお嫁さんになっちゃったの?」
 いや、だから…。
「そうそう。だからよこしまな考えは起こさないでしっかり勉強すること。」
 パンツ一枚で寝室からふらふらと出てきた零が聖を抱き込むと、僕を見た。
「一番の理由はこれかな?」
 これ?聖?だっていじめられたらって言ってたのに。
「聖は涼ちゃんとあきらちゃんの戸籍に入っている。僕の弟なんだ。」
 うん?
「いずれ養子縁組、しようと思う。僕の子にちゃんとしてやるんだ。だから今は思い切り愛してあげたい。」
 うん。
「頼りない父親だけどね。」
 ううん、零は頑張ってるよ。
「もっと早く、聖が小学生になる前にそうすれば良かったんだけどね、勇気がなかった。」
 聖は零の腕からすり抜けると
「僕、零君にも陸にもパパにもママにもみかんにも、いっぱい愛されているよ。」
 そう言ってランドセルを背負った。
「行ってきます」
 ペコン
 頭を下げちゃんと挨拶の出来る子。一人で大人しく留守番の出来る子。時々子供らしいわがままの言える子。それが聖。
「仕事も大切だけど聖がもっと大切なんだ。」
 うん。
「僕達があの子にイケナイ環境を作ったら駄目なんだよね。」
 イケナイ?
「愛し合っているからって節度のないことしたらイケナイってこと。」
 毎晩身体を求めることかな?
「陸にも分からないみたいだね、ま、いいか。」
 頭をかきながら寝室に消えて行った。
 愛し合っているだけではイケナイこと…それが結婚に拘った理由なのかな?





招待状
加月 零と野原 陸の結婚披露宴を開催します。
訳あって二年ほど延期しましたが、この度両家の合意を得ましたので結婚という形をとらせていただきます。
零の誕生日、ライブの打ち上げと一緒にささやかながら仲間うちでと思っております。
是非ご参加下さいますよう、お願いいたします。。

※なおこのことは外部並びに本人達には秘密です。絶対に漏らさないでください。