僕の歌は君に届くだろうか
 パーティーの後。
 車の中で寝てしまった聖を、部屋まで運び込んでベッドに寝かせてリビングに戻ると、今度は零がソファーで眠り込んでいた。
「零、こんなところで寝たら風邪引くよ。」
 身体を揺すってみるけど少し身じろぎしただけで目を覚ます気配が無い。
 仕方が無いので寝室からタオルケットを引っ張ってきて着せ掛ける。
 零、今日は疲れちゃったよね、でも…僕はとっても嬉しかった。


***************************************************************


 ママの中でとくんとくん…って呼んでいるのは――だあれ?
 どうして僕を呼んでいるの?
 ねぇ?


「零は本当にこの子が好きなのね。実紅や夾の時には見向きもしなかったのに。」
 ママが僕をみてニコニコしている。
 でも絶対にパパの前ではそれを言わない。どうして?
 春の陽射しの中、その答えはわからないまま、僕を呼んでいた誰かは…僕の前から姿を消してしまった。


 僕は随分早熟な子供だった。
 両親の仲が異常に良かったからかも知れないが、絶対に自分が誰よりも性に多大なる興味を持っていたからだと思う。
 小学校五年生の時には既に一通りの性知識を持っていた。
 初めての相手は小学校六年の時、高校生の少女だった。
 他人より大人に見えたらしく、その少女は僕を中学生だと信じていたので、僕も別に訂正する必要も無かったからそのままにしていた。
「僕、初めてだけどいいの?」
 少女は俯いて首を上下した。
 ぎこちなく愛撫を何度か繰り返し、一気に性器を押し込んだ。
 少女は悲鳴を挙げてのた打ち回った。
 それでも両足を押さえ付けて僕は腰を打ち付け…三回程で抜けてしまった所で呆気なく果てた。
 その後、少女は僕がランドセルを背負って歩いている所を見つけて、言われも無いことで散々罵られた。
 次の相手はクラスメートの母親だった。
 なんだか分からないけど、気付いたらクラスメートが塾に行っている間に部屋に連れ込まれて事に至っていた。
 二ヶ月ほどそんなことをしていた記憶がある。
 だけど、いつも虚しかった。
 心にぽっかりと穴があいていた。
 誰かが埋めてくれるはずだと信じていた。


 中学に上がって直ぐだった。父が交通事故で記憶の一部が欠落し、母は泣いてばかりいた。
 母の支えになるのは、僕しかいなかった。
 でもどうしたらいいのか分からなかった。
 僕の、心の穴を埋めてくれるのは母だと、思った。
 そして母が抱えている"穴"もきっと僕が生めることができると信じた。


 その後、僕は母から解放され再び穴を抱えて、彷徨っていた。
 僕は、中学二年になっていた。


「零ちゃん」
 いつも、僕のあとを着いて来ていたのは実紅でも夾でもなく、陸だった。
 祖母の家だった時から、僕は足繁くこの地に通い、陸と一緒に居た。
 陸も一人っ子だったから、僕を兄と慕ってくれた。
「いつも、どこにいるの?」
 僕は実家を出て、父が使っていたマンションに転がり込んでいた。
「どうして、お家に帰ってこないの?」
 瞬きしたら、瞳がこぼれ落ちるのではないかというほど大きな目が、僕を責めるように射貫く。
 だから、僕はそこに居られなかった。


 僕には、解った。
 僕の穴を埋めてくれるのは…陸なんだと。
 陸しか、居ないんだと。


 僕の部屋には、毎日違う人間が居た。
 学校の先輩だったり、ゲームセンターで知り合った人だったり、クラスメートの父兄や学校の先生だったり。
 でも大抵年上だった。
 最初に関係を持った男は、父の仕事関係者…いわゆる音楽プロデューサーと呼ばれる人間だった。
 この部屋に父がいるとばかり思っていたその人物は、部屋の入り口に立った途端、僕の乱交振りに気付いたらしい。
「お前、歳はいくつだ?」
 襟首を掴まれて問われた。
「自分で、判断したら?」
 悪びれこともなく、僕は吐き捨てた。
「涼の息子だったら中学生か。」
 ふふん、と鼻で笑うと僕の身体を室内に突き飛ばした。
 片手でドアに施錠すると靴を脱ぎ捨て僕を肩に担ぎ上げた。
「どうせなら、男も知っていたほうが楽しい。」
 僕は構わない…そう思っていた。
 母は少し正気を無くしたまま、僕の子を産んでいた。僕の聖。なのに僕にはなにも出来なかった。
 穴はドンドン広がるばかりだった。
 寝室に辿り着くと、ベッドに放り出された。僕は自分から着衣を脱いだ。
「その引出しに、ゴムと潤滑剤が入ってる。」
 年上の女性には必需品。そしてゲイのセックスにも必需品…そんな知識はバカみたいに一杯持っていた。
「初めてじゃないのか?」
「自分で確かめろって。」
 男は怒ったような顔をして見せたが、内心は笑っていたに違いない。
「ほら、咥えてみろよ」
 口の中に押し込まれた、男性器。
 僕はこれでもかと言うほどいやらしい音をたてて吸った。どんどんと膨張していく。
 僕の穴はその男によって塞がれた。
「痛いっ」
「善く…してやるっ」
 そう言ったのに、自分だけ果てた。
 その男は何度か部屋を訪れたが、二度と身体は許さなかった。


「せい…」
 顔を見ただけで、涙がこぼれた。僕は聖を愛している。
 動物とはなんて哀れな者だろう、自分の遺伝子を継ぐ者に愛を感じるのだ。
 聖は、僕の子供だ。絶対に僕の…。
 だけど父は断固として否定した。
「零はまだこれから一杯やりたいことがあるはずだ。何も苦労を背負うことは無い。」
 今更、遅いよ。
 僕は罪ばかり犯している。この罪を償うには、どうしたらいいのだろう。
『聖と、二人で生きて行けたら…』
 でもその言葉は飲み込んだ。
 だって、僕はまだ自立できない父のすねをかじっているだけの存在だし、何よりもまだまだ子供だった。
 涼ちゃんを超える男になりたい。
 聖に、自分が君の父親だと、堂々と言えるようになるまで待って欲しい。
 いつか、必ず迎えに来る。
 心の中にそう誓って実家を後にした。


「零ちゃん」
 やっぱり、陸はいつでも僕を見ていてくれる。
 抱きしめてキスをして…連れて逃げたら陸はどうするだろう?
 陸と、聖と、僕と…そんな日がきたらどんなに幸せだろう。
 でも陸はまだやっと小学校六年生だった。
「今度、遊園地に行こう。」
 それだけ言って僕は逃げ出した。陸が嬉しそうに笑ったのに、僕は逃げ出した。
 こんな穢れてしまった僕なんか、陸のそばに居たらいけないんだ。
 陸はずっと僕の太陽でいて。決して光を失わずに、僕を導いて。それだけでいい。いつか、陸が恋をして誰かと一緒に僕の前から居なくなっても、それでもいい。
 僕は、陸に相応しくない。陸のそばにいるべき人間じゃない。陸は…まぶしすぎたんだ。
 その約束は結局実行に移さなかった。


 父から、陸が聖の兄代わりになってくれていることを聞いた。
 実紅も夾も、父が戻ってきて母から解放され、自分の思うことをやっていた。
 自分と歳の離れた弟に、興味は無かった。だから陸がいつも実家に来ては聖と遊んでくれていたようだ。
 祖父母は最初、陸が出入りすることをとっても嫌がった。まだまだ海外転勤が続いていたので、そんなにいつもいつも一緒にいたわけではないけれど、でも段々に母が産んだ子供だと認識するようになり僕たちと同じように接するようになったらしい。
 陸と聖が並んでいると、本当に絵画の中の少年達のように可愛らしかったそうだ。


 高校生になっても、僕の乱れた生活に変化は無かった。
 この頃僕の部屋を出入りしていたのは、中学時代と高校の先輩など年齢的には近い人達だった。
 剛志が僕の部屋に出入りし始めたのは高校に入学して半年位経っていた。
 剛志が僕に好意を抱いてくれていたのは薄々気付いていた。だけど剛志とは友達になりたかった。セフレは一杯いたけど友達は殆どいなかった。
 同級生の友達に憧れていたし、剛志となら友達になれると信じていた。
 僕が父から独立する方法をやっと自分で見つけた。だけどそれは皮肉にも父と同じ道だった。
「加月の父さんって有名なバンドのボーカルだったんだって?だったらさ、ちょっと相談があるんだけど。一緒にプロを目指さないか?」
 初にそう言われてバンドのボーカルになった。
 全く興味が無い振りをしていたけど、中学時代に一度だけ、バンドを組んでいた。そこではギタリストだった。
 僕が抜けて色々メンバーチェンジがあってずっと後に、隆弘が同じバンドに入ったときにはすっかり当初のメンバーではなかった。
 初と剛志と橘君は本当に友達だった。遠慮も何にもいらない、友達だった。


「知り合いに?まぁ、居ないことは無いけど…」
 心当たりは、ある。だけどそれは…。
「プロを目指すって言ったら京輔、自信が無いって言い出した。」
 確かに、彼の性格では無理だろうとは思っていた。
「ギターはバンドの要だよな。」
 父に頼めばツテで上手い人を紹介してもらえる。でも…。
「明日まで、待ってくれ。」
 僕はその時どうかしていたんだ。
 自分で陸を迎えに行くなんて。
 自分で陸との繋がりを深くしていくなんて…。


「零ちゃん、僕頑張る。」
 陸が断るわけなかった。父の元に通ってギターだけでなくベースもドラムもピアノも一通りこなせる様になっていたけど、ギターの音が断然違っていた。
「ギターが好きなんだよね。僕の思うとおりに音が出るんだ。」
 陸は既に立派なギタリストだったけど、一匹狼だった。
 誰かと一緒に演ったことはないし、協調性に欠けるからもしかしたら駄目じゃないかと思いながらも、自分の気持ちが最優先だったんだ。
 裕二さんは大反対だった。
 彼は、陸の気持ちに気付いたいたのではないだろうか。
 僕と陸が一緒にいることを極端に拒んだ。それでも泣いて頼む陸に折れた。
「練習時の門限は五時半。一分でも遅れたら今後は無い。ライブ活動などはその時に相談に乗ろう。」
 それが裕二さんの出した条件だった。
 苦しかった。一緒にいられたら幸せだと思ったのに辛かった。だから自然と笑顔が消えていった。


 陸と一緒にいるのが辛くて、僕は剛志に逃げた、剛志の腕の中に逃げ込んだ。プロポーズされて、受ける気でいた。そして、剛志を傷つけた。



**********************************************************************


「ん…」
 零が小さく呻いた。
 零の頭を覆っていたクッションにさえ、僕は嫉妬した。だから当然のように僕の膝の上にそっと零を降ろして、暫くその魅惑的な寝顔を見詰めていた。
 僕の、零。
 柔らかい髪に、指を絡める。
「陸…?」
 細く、眩しそうに目が開かれる。
「うん」
 再び目が閉じられた。
「良かった…昔の、夢見ていたんだ。」
 目尻に涙が滲んでいた。
「怖い、夢?」
「うん。陸がいなかった頃の夢。」
 髪に指を絡めたまま微笑んだ。
「僕はいつだって零の隣にいたのに。」
「そうだね、陸はいつだって隣にいてくれた。それに気付かなかったのは僕が馬鹿だったからだ。」
 両腕を伸ばして、僕の頭を引き寄せた。
「愛してる。」
「僕も。」
 そっとくちづける。
「陸が、欲しい。」
「僕も。零が欲しい。」
 僕達は縺れる様に寝室へ転がり込んだ。


***********************************************************************


「――僕は零ちゃんが好きなんだよ。おかしいでしょ、笑ってよ。男のくせにって、ねぇ…。分かっている、こんなこと言って迷惑なの…。でも零ちゃんの1番近くにいたいんだ、パパよりも、ママよりも零ちゃんが1番好き・・・側にいたい。」
 僕の、大きな穴が一気に消失した気がした。違う、やっぱりこの穴は陸にしか埋めることが出来なかったんだ。
 だけど僕は最後にもう一度だけ抵抗した。だって、僕が陸に相応しいわけない。ましてや陸が、僕と同じ気持ちでいるわけ無いんだから。
「ごめん、帰るね。」
 帰したくない。陸が…欲しい。
「そのままじゃ…今のままの陸じゃ、帰れないぞ。」
「僕、もう子供じゃないよ。」

 なんて、殺し文句なんだ。


 陸を初めて抱いて、
「好きだよ。もうずっと、陸だけ、見ていた。他のものが目に入らないくらい、好きだ。」
やっと言えた、たった一つの真実。
 僕は陸だけを愛してきたんだ。
 裕二さんが母に恋をして、父が母に恋をした。
 そして僕もあの時は本気だと信じて母に恋をした。
 僕が生まれるのも陸が生まれるのも聖が生まれるのも必然だったんだ。
 僕だけでも陸だけでも聖だけでも駄目なんだ。
 だって陸と聖と僕は三人で一人前なんだ。
 聖がいなかったら、僕達は結婚なんて出来なかった。



 僕達は、結婚した。
 絶対に離さない。
 君は僕の太陽だから。僕をずっとずっと導いて。


***************************************************************

「あ――ああっ、れいっ」
 枕に顔を埋め、高く尻を上げた格好で零は深く、僕の中に楔を打ち込む。僕はそれに敏感に応えてしまう。
「善い?陸…うっ、あっ、ごめ…んっ――」
 零が息を詰め、身体を小刻みに震わせ、暫くして大きく息を吐く。
 僕の奥深くに射精して物凄く恥ずかしそうに俯いた。
「ごめん、又先にイッちゃった。」
 最近、いつも零が先。でもそれって嬉しいんだけどな。僕の中で感じてくれてるってことなんでしょ?僕が零を気持ちよくさせてあげているってことなんでしょ?
「そんなに、僕ってイイ?」
 冗談半分で言ってみた。
「陸がいい。多分、陸じゃなきゃもう達かない。」
 わかっているけどそれって、僕以外の人と比べているってことなんだよね。
「馬鹿、何考えてる?毎晩陸しか抱いてないだろう?まだ足りない?もっと欲しい?」
 黙って首を左右に振る。
 零が迷って回り道をしたのは、零にとって必要なことだったんだよね。
 僕が迷って、なかなか零に告白出来なかったのだって、僕達に必要なことだったのだから。
 だけど、僕はずっと零だけ見ていたよ。本当に、零だけ。そしてこれからも。
「愛してる、零。」




「零は、子供の頃何になりたかった?」
「…なりたいもの…ってなかったな。でも欲しいものはあった。」
「なに?」
「陸。」
「馬鹿。」
「真面目に言っているんだけどな。」
「うん…」
「僕が一番欲しかったものを、裕二さんに奪われたって、思った。だけど、一番欲しい物は簡単に手に入るものではなかったんだよ。」
「そんなこと、ないよ。僕ならすぐに尻尾を振って着いて行ったのに。」
「今はお尻を振っているけどね。」
「えっち…」
「僕は…陸のために歌っている。聖のために歌っている。僕に出来ることは、歌うことなんだ。」
 零の腕は、僕の背中に回され、しっかりと抱きしめられた。
「僕の歌は、届いている?ちゃんと、陸の胸に、届いている?」
 その問いに、僕はそっと、視線を合わすことで、応えた。