ドキドキ
「いやだぁ〜」
 学校から帰ってきた聖が、いきなり泣き出した。
「そんなの、陸じゃない〜」
 なんで?どうして?


「なんか、確かに違うよな。でも今までだって徐々にそこまでになったんだから、まぁ…なぁ〜」
 零まで渋っている。そんなに変かなぁ?


「ぎゃあ〜」
 斉木くん、何も叫ばなくっても。
「おわっ」
 隆弘くんまで…。
「誰?」
 おい、剛志くん、その反応はいくらなんでも…。
「男だ。」
 当たり前です、初ちゃん。
「髪、切っちゃったんだ。」
 やっと、普通の反応が返ってきたのは、林さんだった。


「僕、変?」
 追い詰められた僕は、まだ続いていたさえ司会のトーク番組内、ギター教室の収録でさえと伊那田くんを前にして素直な感想を求めた。
「いやん、どうして電話で教えてくれなかったの?」
 いや、関係無いし。
「でも陸ならどんな髪型でも似合うもの。たまにはいいんじゃないかしら。」
 だから。そんなに媚を売ってくれなくてもいいんだってば。
「陸、髪型は大事だよ。僕らはさ、髪切るにも事務所の許可が要るんだ。ドラマとか入ると繋がらなくなるから毎日同じセットをするしさ。似合う髪型に決められちゃうんだ。」
 それは。
「似合ってる。更に中性的だけどね。」
 えっ!
「それって、男にも女にも見えるってこと?」
「そうだね。ヨーロッパ人には見えないからね。」
 自分の言ったことにかなり満足しているらしい。
「今日はやっと曲になりそうだね。」
 ふいに話が変わった。
「次のコンサートで弾きたいんだけど、自分の持ち歌でギターソロ、入れられるかな?」
 かなり真剣だ。僕は肯定した。
「カズくらい練習してくれたら教えがいがある。ちなみに僕のスケジュールはワンクール(※3ヶ月のこと)しかはいっていないよ。」
「それは平気。放送は4(よん)クールあるから。」
 …そういえば一回で三回分くらい収録するもんね。放送時間も5分間のコーナーだしね。
「髪型、合わなくなるね…」
 ふいに、さえが痛いことを言ってくれた。さっき伊那田くんが言っていたことはこのことだったんだ。
「はい、契約延長決定。」
 …やられた。


「と・と・突然、会いたいなんて言われたら、私どうしたらいいんですかっ。」
 彩未ちゃんが玄関先で喚いている。
「だって、事実だもん。あ、お母さんですか?すみません夜分遅く。」
 彩未ちゃんの後ろでお母さんも一緒に喚いている。
「直ぐに帰りますから。」
 僕は二人にも意見を求めた。
「全然。かっこいい。」
 同時に同じ返答で驚いてしまった。
「一度短い髪の陸を見てみたかったの。嬉しい。」
というおまけつき。
 だからとりあえずほっとした。
 床屋のおじさんは小学校時代の同級生のお父さん。昔はよく行っていたのに最近忙しくてずっと行っていなかった。久しぶりに級友にも会いたかったし、おじさんにも話があったから行ったんだ。ついでに長くなり過ぎたから短くカットしてもらおうとも思っていた。
 おじさんも級友も似合うと言ってくれたから自信を持っていたのになぁ。
 第三者は意外と凄いことを言い放つ。
 でも今までの自分と、少しだけ変われる気がしたんだ。鏡に映った自分の姿がどんどん変化していく過程を見ているのは楽しかった。


「指に、絡まないからね、髪が。それくらいだよ。」
 キスのあと、零が言った。
「陸は陸。何も変わらないだろう?…けどさ、男が髪を切る理由ってあるのかな?」
「失恋って奴?知らない。僕はもっと違う自分になりたかったんだよ。そうすれば新しい音に出会うチャンスに巡り会うかもしれないからね?」
「陸は仕事熱心すぎる。」
 パジャマのボタンを外す手は休めずに、少し不服そうな顔で言う。
「僕のことばっかり考えてよ。」
 鎖骨に沿って零の唇が降りてくる。
「…っ…、考えて…るよっ。」
 そんなに性急に求めないで、おかしくなる。
 だけどそれを言葉に出来ないのは、自分もそれを望んでいるから。
「零を、びっくりさせたかったんだ。」
 何も変わらないのが嫌だったんだ。幸せすぎるのが怖かったんだ。
「髪型くらいじゃ、びっくりなんかしないよ。…だけどさ…」
 一回、大きく息を吸った。
「床屋のおじさんに何の用事があったの?小学校のクラスメートって、誰?」
 …そっか。零が気にするのはそっちなんだね。
「小学校の同窓会をやることになったんだけど、見崎君が幹事なんだよ。僕が会計。おじさんが同窓会に詳しいって言うからさ、聞きにいったんだよ。」
「同窓会?出るの?」
「駄目?」
 零はとっても不服そうだ。
「…気持ち的には、嫌だけど。でも自分がその立場に立たされたら行くだろうから…許可するよ。」
「ありがとう。」
 素直に僕は喜んで、両腕を零の背中に回した。
「当日はね、ギター持って来てくれって頼まれているんだ。皆で何か歌えたらいいなぁ…なんて思っているんだけどさ。会場の迷惑にならないといいなぁ…。」
 体よく歌わされるか、伴奏に使われるか、そんなことは分かっているけどさ、みんなそれぞれ自分の道を歩いているんだから、それでいいと僕は思うんだよね。
「陸は毎日刺激のある生活を望んでいる?僕はずっと、永遠に変わらない毎日がくればいいと思っている。朝が来て、昼が来て、夜が来て…陸がいて、聖がいて、僕がいる。その中には当然、物欲があり食欲があり性欲があるんだ。」
 そうかも、知れないね。
「僕は、楽しいのがいいな。毎日、皆で笑っていられればそれでいい。」
 零の腕が再び僕に伸びてきて、捕らえられた。


 翌日出演した生放送の歌番組では、何故かずっと司会者の隣に座らされ続けた。なんでも視聴者から好評のメール、FAXが多数届いたとかで出来るだけテレビに映る位置に…というのがプロデューサーの指示だったそうだ。
「なんかペットにされそうな勢いだね。」
 司会者にそう言われ、苦笑するしかなかった。
 髪を伸ばすのは時間が掛かるけど、切るのは一瞬だからね。
 でもしばらくは又伸ばそうかと思っている。こんなに騒がれるのは好きじゃないからね。


 ところが…。


=小峯さえ 野原陸 破局=


という見出しが、スポーツ新聞の見出しを飾っていた。

「納得出来ない」
 そう叫んで電話してきたのは当のさえだった。
「だって、私は零と陸の恋を応援しよう、したいって思って、聖君に実害がないようにと考えてるACTIVEの皆の意見に賛同して陸の彼女のフリをしてきたのに、何で私が振ったことになっているのよ!」
 とても興奮していて耳がかなり痛い。
「ありがとう。でもさえに迷惑はかけないから。」
 僕はさえに謝ることにした。
「馬鹿、それじゃあ世間の目は欺けないのよ?あなたたちのことを知っている連中が記事にするタイミングを待っているのよ。零と陸のスキャンダルは書けば売れるの。敢えてネタを書かないのは温存して最大のチャンスを狙っているの。」
 さえがこんなに必死になってくれるのがなんだかとても申し訳なくなってしまった。
「でも、君に迷惑は掛けられない。」
 そう、これは零と僕、そしてACTIVEの問題。
「フェアじゃないから教えてあげる。私、結婚しているの。16歳の誕生日に籍を入れたわ。今でもちゃんと一緒に暮らしている。でも公にするわけにはいかないの。だからあなたの恋人ってことならバレないと信じた。零から陸に乗り換えたのも作戦。相手を悟られるわけにはいかないのよ。」
 なんだ、そうだったのか。
「利害は一致しているんだね?君にリスクはないんだね?」
「ないわ。」
「じゃあマスコミの取材にあったら話をする。いいね?」
「当たり前よ。」
 これで、確実にコーナー収録の前後が繋がらなくなり、延長は確定になった。

 翌日。僕は収録のためにテレビ局へ入った。各雑誌や新聞、テレビの記者が詰めかけていた。
「お二人が破局されたのは事実ですか?」
 凄く、緊張している。口を開こうとしたけれど、固まってしまったように動かない。
 すると僕のことを庇うように、林さんがみんなの前に出た。
「その件ですけど、出来れば温かく見守って頂きたいのです。お互いにまだ若いから色々行き違いが合ったりぶつかったりしてしまいがちです。だから互いの思いを必要以上に相手に向けてしまったりしてしまいます。大事に育てて欲しいんです。」
 僕が言うはずだったセリフは林さんが全部言ってくれた。
「じゃあ、その髪は?」
「カットモデルです、知人に頼まれて。どんな知り合いか、何処かは聞かないで下さい。詮索も迷惑ですから駄目です。」
 林さんがゆっくり、一つずつ回答していく。
 僕はなんて意気地なしなんだろう。自分のためにウソをつくのに、どうして林さんにしゃべらせているんだろう。
「…皆さんは、何を聞きたいんですか?」
 零と僕の関係を知っている人達まで、一緒になって取材をしている。
「小峯さんは僕にとって友達であって戦友であって相談相手であって…大切な人です。」
 そう、僕にとって今、さえは大切な人…という表現をしなくてはならない人なんだ。
「交際を、認めるんですか?」
「さえが、言っていたじゃないですか。それが全てです。」
 周囲がざわめいた。僕が彼女の名前をさんづけで呼ばなかったからだ。それは僕の計算。
「だけど…僕にはまだ、もっと大事なことがあるんです。だからそれを成し遂げない限りは他のことには力を注ぐ余裕が無いんです。」
 それは、事実。
 僕には、夢がある。
 ACTIVEという名前を、日本中、いや世界中の人に知ってもらいたい。
 零の歌声を聴いて欲しい。僕らの作った曲を聴いて欲しい。
 そのために、毎日英会話も勉強しているし(駅前留学は出来ないけど。)、新しいことに貪欲になろうと努力している。
「その間に、彼女が別の恋に出会っても、僕には責める資格はありません。だけど、大事にしているんです。」
 自分の気持ちを言うだけ言ったらすっきりしたので、その場で頭を下げ、これ以上の質問は断固拒否の姿勢で立ち去った。
 林さんが背中をポンと一つ叩いた。
 人間って、誰も思うとおりになんか、生きて行けないんだよね。頑張らなくちゃ。


「陸ぅ〜。」
 夜、帰宅した僕をいつも通りに出迎えてくれた聖。もうすっかりこの髪型にも慣れたようだ。
「今度の休み、買い物に付き合ってくれる?髪形変えたらなんだか着る物がなくなっちゃったよ。」
「いいよぉ〜。わ〜い、陸とお出かけぇ。」
 聖が楽しそうに即興で歌を歌っている。その横でテレビに向かってゲームをしている零の背中が、自分も誘ってくれといっている。
「零。」
「いいよ。しょうがないなぁ…。」
「次の僕のオフ、零仕事だったよね。」
 僕は急いでその場を離れた。だって事実だもん。