僕は、冷たくも優しくも出来ないんだ
『ごめんね』
 電話の向こうで、さえが泣いている。
「どうしたの?」
『私、自分のためなら陸にどんなウソでも言わせてしまう、酷い女なの。』
「どうして?今度のことは僕のせいだよ?」
 そう、先日僕の不注意で髪を切ったために、折角さえがわざわざカムフラージュしてくれている、恋人ごっこのウソがばれそうになったんだ。
『私ね、彩未ちゃんに嫉妬していたの。』
「彩未…ちゃんに?彼女は聖の友達なのに?」
 そう、彼女は僕のファンでいてくれるけれども聖の友達なんだ。時々僕たちがいないとき、聖が一人で留守番しているときは遊びに来ているらしい。
『それ、さっき零に聞いたの。知らなかったの…ごめんなさい。』
 それだけ言うと、電話が切れた。
「なんだった?」
 ここはテレビ局の楽屋。これからトーク番組の収録が待っている。トークのメインは大抵零と初ちゃん。剛志君、隆弘くん、僕は後ろに座っていればいい。
 さえからの電話を気にしている零に、彩未ちゃんのことを話した。
「ああ、さっきね。来る時廊下で会ってさ、聞かれたから答えただけだよ。」
 僕にはさえが何を言いたかったのか、全く分からなかった。


「聖、ただいまぁ」
 陽が沈む前に家に辿り着けた日は、聖が真っ先に迎えに出てくれる。
「おかえりなさぁーい。今夜はね、あやちゃんがご飯作ってくれたの。」
 手を引かれてダイニングに入ると、テーブルの上にはパスタ料理が並んでいた。
「昨日母に教わったばかりだから美味しくないかもしれないけど、良かったら…」
 僕は無言で場を後にした。荷物を寝室に放り込んで着替えをする。洗面所へ行き手を洗うとダイニングへ戻った。所要一分半。
「いただきまーす!」
 聖でもなく、零でもなく、パパでもママでもじいちゃんばあちゃんでもない、身内以外の人が作ってくれたご飯。
「美味しい!」
 お世辞ではなく本当に美味しかった。
「あ、ごめん!一人で食べ始めちゃった。」
 後から席に着いた零をみつけて初めて自分がお行儀悪いことをしていたことに気づいた。零と聖を差し置くのもなんだけど、お客様までほうり出している有り様だ。
「彩未ちゃん、陸ってね、何かに興味が行ってしまうと他に何も見えないし、聞こえなくなるんだ、今みたいに。」
 最後に内緒だよ、と付け加えていた。
「今みたい?僕なにかした?」
 全く覚えていない。
「あやちゃんのこと無視して一人でご飯食べちゃってるのにぃっ。」
 聖に抗議されて納得した。
「ごめんね。」
 でも彩未ちゃんは嫌な顔をせずに笑って許してくれた。
「又、彩未ちゃんのパスタ、食べたいな。」
「パスタ以外も食べてくださいよぉ。」
 そんなおしゃべりをしながら、いつになく華やかな食卓だった。


 その夜。
 零の腕枕でウトウトまどろみ始めたとき。
「陸の女嫌いってわかんないや。」
と、つぶやく声を聞いたように思うけど、すでに睡魔が勝っていたので返事は出来なかった。


「おはよう!」
 いつになく、爽やかな目覚めだった。
「さえちゃんの収録ってご機嫌だよね。」
 聖に言われて初めて気付いた。
「今日だっけ?」
「僕の練習は全然見てくれないのに」
「ごめん」
 最近、あまり聖に構ってあげる時間を割いてあげられなかったから、ちょっとすねているのは気付いていた。だけどなぁ、さえだから・・・なんて言われるのは心外だなぁ。
「今日は出来るだけ早く帰ってくるからね、そうしたら二人で教えてあげる。」
 横で聞いていた零が「僕も?」と聞いたので、「当然だよ」と答えてあげた。僕だけ遅くまで聖に振り回されたら、零との時間が無くなっちゃうもん。

 いつもより少しだけ早く、テレビ局に入った。そうだ、通行証用の写真を撮り直して貰わなきゃ。いつも警備員さんに入場拒否をされてしまって、説明が面倒だよ。いい加減覚えてくれれば良いのになぁ・・・というのは、こっちの勝手な言い分だね。
 楽屋で今日の衣装に着替えて、自前のギター片手にコード練習なんかしていたら、ドアをノックする音がした。
 ノックして入ってくるのはカズくんだと思ったので、僕は躊躇うことなく招き入れた。
「ちょっと、いい?」
 顔を出したのはさえだった。
「どうしたの?」
「うん・・・」
「そういえばこの間も電話で何かヘンなこと言っていたよね?何かあったの?」
 するとさえは深く頭を垂れながら「ごめんなさい」と小さく謝った。
「ただ謝られても、意味がわからないよ。」
「だから・・・私嘘をついたの。ウソなの。全部ウソ。私陸が好きなの。誰よりも好きなの。誰とも結婚なんてしていない。でもあのときああでも言わなかったら、陸と私が付き合っているって言う折角の茶番劇を終わらせなきゃいけなかった。そうしたらもう一緒に仕事をすることも出来なくなってしまう。ACTIVEのライブに飛び入り参加したり、一緒のテレビ番組に出たり、出来なくなっちゃう。そんなの嫌なの。…陸に、会えないなんて考えられない。」
 さえの腕は細いのに、僕の手をしっかりと握ったその力は物凄く強くて、彼女の想いがそれだけ強いということを思い知らされた。
「いいの、陸が零と結婚式していたって。もしかしたらいつか、陸が私のことを見てくれるかもしれないって夢を見ていたいの。まだ、諦めたくないの。」
 僕は黙って首を振った。
「ごめん。君に辛いウソをつかせてしまったんだ。でも、僕は君の事を友達以上には思えない。…僕ね、女性に恋愛感情を抱けないんだ。好感は抱けるのに、好意は抱けないんだ。」
 さえの腕が僕の身体を抱きしめた。
「それって、まるで女のことを知っているみたい。誰かとセックスしたことあるの?試してみた?」
 …そのとき、僕は即座に無いと言えなかった。何故か小さな塊のような物が、喉の奥に引っかかったからだ。でも直ぐにそれは取れた。
「無いよ、だって女性が嫌いなんだ。」
 こう言えば分かってくれるのかな?
「嫌いなの?」
「簡単に言えばね。」
 そっと、さえの肩に手を伸ばし、抱きしめた。
「こんなこと、女性に対してしたのはさえが初めてだと思う。母にだって祖母にだって妹にだってこんなことしたこと無い。」
「…抱いて…」
 僕は耳を疑った。
「そんなこと、女の子が簡単に言うものじゃない。」
「簡単じゃないわよ、真剣だもの。」
 僕はさえの身体を突き放した。
「駄目だよ。僕は零のものなんだ。君のものには永遠にならない。」
 ポロポロポロポロ、
さえの瞳から涙がこぼれた。
「分かってるもん、そんなこと、充分承知しているもん…だけど、陸が欲しかったの。一回でいいから、陸の腕に抱かれてみたかったの。…でも私汚れているから。」
 ポロポロポロポロ、
涙は止まらなかった。
「さえは、奇麗だよ。」
「ううん、汚れているの。だけど陸への想いだけは、奇麗な場所にとってあるの。」
「さえ。その場所は僕のためのものじゃない。無駄な時間は過ごしちゃいけない。」
「無駄な時間、なの?陸を思うことは無駄な時間なの?」

「うん。良い事は絶対に訪れないからね。」
「今まで通りなら、いい?」
 僕は、再びさえを抱き寄せた。
「多分、女の子をこんな風に抱き寄せるのは、さえが最初で最後だよ。…それくらいしかさえにはあげられない。ごめんね。」
 シャツの胸が、ゆっくりと湿って、重くなっていった。
 しかし、さえは決して声を出さずに、静かに、泣いていた。




「ただいま」
・・・と、心の中で呟いて玄関のドアを閉めた。聖はもうとっくに眠っている時間だ。又約束を守ってあげられなかった。
 まだまだ暫くの間、僕に休日はない。聖と一緒に遊ぶ時間も無い。
「お帰り」
 出迎えてくれたのは零。
「聖、怒ってた?」
「僕も今帰ってきたところだから。多分怒っていると思うけどね。」
 仕方ない。明日の朝謝ろう。
「さえがね。」
 僕はさえの話をかいつまんで話した。
「誰かを好きになるのってさ、辛いことだよね。」
 零の手が僕を捉える。
「陸が、僕のこと好きだって言ってくれる可能性なんてゼロに近いと思っていた。さえも、同じ気持ちなんだろうな。」
 そうか。
「冷たくすることも優しくすることも出来ないんだ、僕は。」
「仕方ないよ。さえが一緒に仕事をすることを望んだんだから。いつか、さえにも本当に心から愛し愛される人が現れるといいね。」
 本当に。
 僕が零と幸せを探しに行くように、さえにも一緒に旅をしてくれる人が見つかりますように。
 そっと、心の中で祈った。